16.望まぬ覚醒5.
アリシアの絶叫を聞きながら、天使クラディルは満足そうに笑みを浮かべて空で腕を組む。
勇者としてのアリシアの覚醒。暴走という形で起きたことだが、その暴走もウルによって落ち着きを取り戻した。そして、そのウルも無防備な背後から、確実に命を奪うことができるように胸と腹に光の槍を貫くことができた。
アリシアに光の槍が刺さらないかと不安だったが、存外ウルの体は固かったようでアリシアに傷ひとつない。もっとも、アリシアはマラドラによって追い詰められたせいか傷だらけだ。しかし、その程度の傷ならクラディルが触れればあっという間になかったことになる。
アリシアを守る魔族はもう死んだ。ピクリとも動かない。
今だけはアリシアにつかの間の希望と、大きな絶望を与えてくれたウルに感謝しながら、クラディルは地面へと足をつける。
そしてウルの体にしがみつき、幼児退行したように鳴き続けるアリシアのもとへと近づくと、手を差し伸べる。
「アリシア・スウェイン、君に与えられるチャンスは少ない。さあ、私たちとともにきなさい。絶望しかない世界で、君に希望を与えられるのは私たちだけです。そして、君自身が希望となり、その目覚めた力で世界のために戦え!」
だが、アリシアはキッとクラディルを睨みつけると、その差し出された彼の腕を、汚らわしいものだと言わんばかりに叩き拒絶した。
「愚かな、自分がどんな選択をしているのか自覚しているのですか?」
「……私から、家族を奪って、ウルさんまで殺した天使の言うことを私が聞くわけがないだろっ!」
「一度なら無礼も許しましょう。私は間違ったことをしたつもりはありません。ミランダ・スウェインはあなたにとって教会にとっても害悪でした。そこに倒れる魔王は言うまでもなく、天使の宿敵であり、人間にとっての敵。事実、君の父親はこのひとつ前の魔王と戦い命を落としたのですよ。逆に、その父を持ちながら、この男とともにいこうとした君の方が正気を疑いたくなります」
アリシアとウルにどんなことがあったのか知るはずのないクラディルの言葉に、再び怒りに囚われそうになる。
だが、アリシアはその怒りを飲み込んだ。
怒りに任せて、またよくわからない力を使ってしまったら、必死になって自分を止めてくれたウルの行動が無駄になってしまうからだ。
「しかし、ふむ、この男……魔族と人間のハーフシュテメでしたか。近づいてみないとわかりませんでしたが、力が大したことがないのは混血のせいかもしれませんね? いや、それとも……この刺青は術式? まあなんでもいいでしょう、もう死んだ穢れた魔族など放っておけばいい。問題はあなたです、アリシア・スウェイン」
再び腕を組むクラディル。彼は未だウルから手を放さないアリシアを困ったように見つめる。
「どうしたものか、勇者の末裔として教育がされていないとはいえ、そういつまでも魔王の死体を後生大事に抱えているのはいただけない。あなたが、あなた自身の行動によって、穢れていくのがわからないのですか?」
「私は穢れたりしない! ウルさんが汚らわしいはずがない!」
「人間の大半が、魔族に恐怖を感じても、汚らわしさを感じることができません。実に不便な生き物です。いいかですか、アリシア・スウェイン。魔族とは神に逆らう種族。ゆえに私たち天使はその存在を許さない。人間だって魔族と戦争を起こし戦っているではないですか?」
「違う! ウルさんは違う!」
「……所詮は子供のようですね」
問答が通用しないことは予想していたが、勇者の末裔が聞き分けのない子供であることに落胆するクラディル。
だが、連れて帰り教育し直せばいいと判断する。
「いつまでも倒れていないで、起き上がりなさいマラドラ」
「……はっ」
低く冷淡な声をかけられたマラドラは、痛む体に鞭打って立ち上がる。
鎧も体もボロボロだが、立っている体力はなんとか残っていた。
「無様を見せたのは二度目です。次はもうないと思いなさい。アリシア・スウェインをとりあえず連れて帰ります」
「し、しかし」
「安心しなさい、今は力の暴走は収まっています」
「……わかりました」
アリシアによって無残に宙を舞ったマラドラは彼女に近づきたくはなかったが、それを言ってしまえば今度こそクラディルは自分を許さないだろう。
しかし、こちらを睨みつけてくるアリシアがいつあの力を使うかもわからない。
どうしてこんな目に自分が遭っているのかとマラドラは思う。だが、どのくらい考えても事態が好転するわけではなかった。
「おとなしくついてこい、お前もこれ以上どうこうされたくはないだろ?」
「……うるさい! 私はウルさんから離れない!」
アリシアはウルの頭を両腕で抱えると、離すものかと力を込める。
少し前までなら、その姿に同情できるかもしれなかったが、今はわずかな抵抗が忌々しい。マラドラは、恐怖を通り越して、自らに起きている理不尽に怒りを覚え、その怒りの感情のままウルの体を蹴り飛ばした。
「よくよく考えれば、こいつが現れてからだ! こいつのせいで、俺がこんな目に!」
アリシアの手からウルが離れてしまう。必死に手を伸ばそうとしたアリシアを遮り、マラドラは再びウルの体を蹴る。
無抵抗のまま転がったウルの体は、やはりピクリともしない。
そのことに、マラドラは安堵と喜びが混ざった笑みを浮かべた。
「……さない」
「あ?」
「……許さない!」
しかし、この行為は再びアリシアの引き金を引いてしまうこととなる。
「うぁああああああっ!」
アリシアは叫ぶと、一瞬にしてマラドラと距離をゼロにする。そして、力が光となってアリシアの振りかぶった右腕に収束されると、先ほどとは比べ物にならないが勇者としての力が再度あらわれた。
「――ひ」
マラドラは悲鳴を上げるわずかな時間も与えられなかった。
幼い少女の拳によって殴り飛ばされたマラドラの体は容赦なく吹き飛び、受け身いっさいとることができずに地面を何度も跳ねると、川へと落ちた。
ふー、ふー、と肩で息をするアリシアへクラディルは手を叩いて称賛の言葉を贈る。
「素晴らしい。今は、自分の意志で力を引き出したようですね。引き金が怒りというのは、いささか褒められたものではありませんが、一度力を暴走させただけで力の使い方を覚えるとは、君は勇者としての素質がよほど大きいと見えます」
「黙れ、下級天使が私に気安く話しかけるな」
評価するような言葉をかけたクラディルに、アリシアの口から彼女のものとは思えない険のある口調と声が放たれた。
「……なに?」
「聞こえなかったのか? 二枚しか翼を持たない、下級天使が神さえ屠る力を持つ勇者に気安く話しかけるなと言っているのだ」
そこには息を切らす少女ではなく、虚ろな瞳でクラディルを見下す少女が立っていた。
「……アリシア・スウェイン、ではないな? 感じる力の波長が今までのものとは明らかに違う。誰だ、貴様?」
「ほう。流石は腐っても天使か。アリシアと私の違いに気づくことができるとは、下級天使の割には存外力を持っているようだな」
まるで自分はアリシアではないと言うなにかは、アリシアの体を操り喋る。
「確かに私は貴様の言う通り下級天使。それでも、神話の時代から生きる、神の子であり、神の兵隊。戦い生きた年月は、他の天使に引けを取りはしない!」
下級天使と連呼されたことで、怒りをにじませた表情を浮かべたクラディルは、アリシアを危険分子として排除するために光の槍を放つ。
だが、
「長く生きようと、下級天使は所詮下級天使に変わりない」
虚空から引き抜かれた光を纏った白い剣によって、容易く槍を斬り裂かれてしまう。
「……馬鹿な、その剣は――」
クラディルは驚き目を剥いた。
「長生きを自称するだけあって、知っているか。ならば私の名前もわかるだろう、アリシア・スウェインの先祖であり、貴様らが勇者と呼ぶ――『フェミリア・スウェイン』だということを」
アリシアの体を使い、アリシアの声で、フェミリア・スウェインと名乗った少女。
フェミリア・スウェイン。彼女こそ、勇者と最初に呼ばれたアリシアの先祖であった。
「なるほど、アリシア・スウェインに流れる勇者の血が、一時的に血の中に眠るあなたを呼び覚ましたということですか……」
「その通りだ。私のせいで力を受け継いでしまったアリシアを守るために、そしてあの方を死なせないために、アリシアの意識を奪いこうして現れた」
「あの方?」
「お前のような下級天使が知る必要はない」
「あまり馬鹿にしないでいただこう。いくらあなたがフェミリア・スウェインの意識だったとしても、その体がアリシア・スウェインだということには変わりはありません。彼女の体はまだ幼く、か弱い。あなたがあなたでいられる時間はいったいどのくらいあるのでしょうか?」
「ならばその限られた時間の中でお前を倒してみせよう」
白い剣を握ったフェミリアは疾走し、クラディルに肉薄すると容赦なくその剣を振り降ろしたのだった。