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第38話 馬車

 


 右よし。

 左よし。


「エレナ様……」


 手元の紙袋よし。


「急いで、ロザリー! こんなとこお貴族様はいないだろうけど、学院の誰かに見つかったら大変よ!」

「その貴族令嬢のエレナ様が、よもやこのような市井にいらっしゃるとも誰も思いませんでしょうね……」


 ちょっとちょっと、名前をそんなに連呼しないで。バレたらどうすんの。

 飾り気のないローブについたフードを目深にかぶり直して、一歩店の外に足を踏み出せば一気に喧騒の中に取り込まれる。


「また来るから!」

「ええ、お嬢様。毎度ありがとうございますー」

「だから、お嬢様じゃないんだって」


 店の奥さんに声をかければ、後に続くロザリーが「ああ、そのような言葉遣いを……」とかなんとか嘆いてたけど気にしない。そんなことより、あの奥さんいつまでも私のことお嬢様って言うんだけど。なんでバレるのさ。

 マリーちゃんにもらったクッキーは、一瞬でエレナちゃんもとい私の舌を虜にした。必死に隠したクッキーの包紙を元に、あれから幾度か足を運んでいるこのケーキ屋さん。名前をエトワールと言います。

 街の人にも評判なのかいつもお客さんで賑わっていて、私のお気に入りのクッキーはおやつの時間前には完売してしまう。初めて訪れた時は夕方だったから、売り切れの文字にどんなにがっかりしたことか。

 今ではそんなヘマなどせず、しっかりとお目当の物を手に入れて帰る。苦言を呈するロザリーを連れて。


「あのですね、百歩譲って庶民……ここの、ケーキ屋のクッキーを召し上がることには目を瞑りましょう。しかし、エレナ様御自ら足を運ばれるなど、どのような危険があるかもわかりませんのに」


 普段はそんなに口を開かないロザリーが、毎度毎度こうも言ってくるのだから、それだけ私の身を案じてくれてるということなんだろう。エトワールを『庶民の』と言いかけたことも許せるというもの。


「ロザリーが私の名前を言わなきゃ誰にもバレないんだよ」

「その言葉遣い……。ジール様の影響でしょうか」


 いえいえ、本来の私ですよ。

 なーんてことは言えないから黙ってる。こういうとき、イレギュラーな兄がいてくれて助かったわ。全部ジールのせいにできる。


「エトワールはね、期間限定の新作を毎月毎月出すの。自分の目で見ないと美味しそうなのかわかんないでしょう」


 まあ、どんなのも美味しそうだから買うんだけども。今月はピスタチオとカマンベールチーズのクッキーだった。早く家に帰って食べたい。


「だから月に一度欠かさず参られるのですね……」


 遂に諦めたようにため息を吐かれた。すいませんね、付き合わせて。


「帰ったら、ロザリーにも新作のクッキーあげようか」

「いえ、お嬢様の物を戴くなど、」


 不意にぶつっと不自然に言葉が途切れた。思わず振り返れば、後ろに着いて歩いていたロザリーがどこか違う方向をガン見してる。


「何? ロザリー」


 私もそちらを向こうとして、だけどぐいっとすごい力で背中を押されて叶わなかった。


「え、ちょ」

「早く屋敷に帰りましょう!」

「え? うん、え? なにどうしたの急に」

「後でご説明しますから、馬車にお早く!」


 珍しく慌てた様子のロザリーに気圧されて、言われるがままに歩かされて。


「……おっと、こんなところで珍しい」

「ああ……!」


 絶望的なロザリーの思わずといった声。

 その前に聞こえた、聞こえるはずのない、そして聞きたくなかったこの美声。


「まさか私の天使がこんな下界に舞い降りているなんて」


 下界下界って、みなさんエレナちゃんを一体なんだと思ってるんだ。そして自分たちが住んでる場所をなんだと思ってるんだ。

 そんなナメた口などきけないけど。

 グギギ、と冗談抜きで軋んだ音が聞こえそうな動きでロザリーと共に振り返れば。


「やあ」


 爽やかに片手を上げる金髪金眼の美しい顔した腹黒男がいた。


「げ」

「お嬢様!!」


 やっば。

 今までにないくらい厳しく強めな叱責が飛んできて慌てて口噤んで頭を下げた。

 だがしかし、ここは往来のど真ん中。臣下の礼をとる私たちに何も知らない一般人がなんだなんだとばかりに見てくる。見世物じゃないんですけど。


「あっ、待って待って、待ちたまえ君達。頭上げて」


 ええー。

 いやでも、まさか第一王子に対して礼もしないで素通りなんてできないよ。ねえロザリー?


「わかった、君達がここに居たことは口をつぐもう。からかいもしないと誓おうではないか。だから目立つ前にやめなさい」


 おっと、思いの外聡明すぎてびっくり。

 というか、この街の人間、なんで第一王子が堂々と道歩いてんのに誰ひとりとして気づかないんだ?


「ああ、まったく。私の天使ちゃんは可憐な姿で小悪魔のようにこちらを振り回してくれるのだから……。困ったものだ」

「まあ、お戯れを」


 ロザリー、そんな卒倒しそうな蒼白な顔で見ないでってば。悪ふざけが過ぎたね、ごめんってば。「お嬢様……」って声が地を這うような低さ。これは帰ったら説教かな……。


「我が王家の名誉にかけて言っておきたいのだが、今回は完全なる偶然なのだ。特に探してなど居なかったのだが、まあ丁度良い」


 今回『は』ってことは、今までのは偶然を装った確信犯だったということですか。知ってたけど、こうも悪びれないとは、エレナちゃん完全に遊ばれてる。


「君達、馬車で来ているだろう? 案内してくれ」


 あっ、丁度良いってそういう……。


「もちろんにございます。どうぞ、こちらへ」


 私が口を開く前、完封する強い意志とともに、早口気味のロザリーにさっさと王子を取られてしまった。

 いつも通り口より雄弁なロザリーの目は正しくはっきり、「これ以上余計なことはしてくれるな」と言っていた。どうもすいません。




 #




 いくら馬車とはいえ、そしていくら私が子供とはいえ、未婚の男女が密室で二人きりはマズいということで、ロザリーと並んで第一王子と向かい合う。


「流石のロベルト殿下だって、こんな子供相手にしないと思うけど……」

「そういうことは仰らないでください。それと、お嬢様、もう町娘ではなく侯爵令嬢にお戻りください」


 こそっと囁いたら真顔で返されて、思わず口を覆った。いけないいけない。このままだとお父様やお母様の前ですらボロを出しそう。気をつけないと。


「ふ、」


 そうしたら、前に座る王子が笑い声を漏らしてビクッとした。え、嘘でしょ今の声聞こえてたの……。


「僕が君に手を出さないと、どうして自信を持って言えるんだい?」


 しかもいい笑顔でとんでもない爆弾発言。

 ええ、まじか……。この人、加虐趣味だけじゃなくてロリコンでもあったのか。いやいや、人の趣味に口は出すまい。イケメンで有能な王子だって性癖を持つ自由はあるんだから。


「面白いぐらいに顔に出るねぇ、天使ちゃんは。僕の名誉のために弁解しておくと、残念ながらそんな趣味はない。だが、世の中にはいろんな男がいて、いつでも都合よく助けが現れるわけではないのだよ、ということで」


 横からの圧がすごい。これは本当に帰ったら説教コースだなぁ。もしかしなくとも、史上最大級にロザリーを怒らせてないか?もう口をつぐもう。

 大人しくなった私に、第一王子はほんの少し笑みを深めて、「本題だけれどね」と話を切り出した。


「正式な通達は学院長の方から後日、グレイフォード侯爵に告げられると思うけれど、エレナ嬢には一階級飛び級で五回生まで上がってもらう」

「………………はい?」


 え、なに、え、ちょっと待って?なんか今とんでもない発言しなかった、この人?私の聞き間違いかなぁってロザリーをチラ見すれば、こっちもこっちでびっくりしたような顔(に見える)をしてるから、聞き間違いじゃなかったみたい。

 ……と、したら。


「あ、あのぅ、よろしいでしょうか?」

「勿論。ついでに、『町娘』の口調でもいいのだけどね」

「お戯れを。……ええっと、それで、ですね。このことは学院長がお決めになられたのでしょうか?」


 思わず一蹴しちゃったけど、ロザリーは驚きで聞いてなかったみたいだから危なかった。第一王子とだと調子狂う。


「まあ、そうなるねぇ」

「それで、学院長はあたくしの成績をご存知なのでしょうか?」

「それは勿論そうだね」


 ま、ますます謎なんだけど!

 だって私のこの成績で飛び級ってありえなくない!?何考えてるの、王妃様は!?

 混乱が混乱を呼んで超絶失礼なことを心の中でぶちまけていたら、自称読心術のある第一王子が今にも笑い出しそうに口元を歪めた。やばい。


「あー、面白い。フレデリクが次年に飛び級が決定してね」


 今この人面白いって言った?


「婚約者の君にはあれと同じ学年でいてほしい。なに、それに伴うサポートはこちらから用意する」


 そんな無茶な、とは言えなかった。

 不敬とかそんなじゃなくて、そういえば私第三王子の婚約者だったなと今更思い出してしまったから。

 まあ、王子妃になるなら魔法学院なんてちゃんと卒業しなくてもいいだろうしね。最終的に彼と結婚するのは、シナリオ通りなら私じゃないけど。


「君には心構えも必要だろうと、先に伝えたまでさ」

「はあ……。お心遣い感謝──」


 そこではたと気づいた。

 一階級の飛び級。それはつまり、私の留年がなかったことになるということ。そうなれば、三年後の十五歳でヒロインと同じ学年になることになる。シナリオ通り。

 これは偶然?それとも元々こういうシナリオだったんだろうか。


「エレナ嬢?」


 あっ、いけない。

 慌てて言葉の続きを言えば、第一王子はそれでは、と颯爽と馬車を降りてった。

 残された私たちは、御者が伺いに来るまでお互いに違う理由で呆然としていた。

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