第39話 想定外
全体的にほわんほわんとした空気の教室で、私は見てしまった見たくないものを。
「え」
「あ」
同じ顔。違う雰囲気。
まさかの同じクラス、エドワーズ王子。
「ご、御機嫌よう、エドワーズ王子」
「あ。やあ。最近、見なかったから、その、どうしたのかと思っていた……。……元気そうで、安心した」
ふんわりぎこちなく笑う彼を直視できない。
最近あなたが私を見かけなかったのは、私が避けまくってあの温室に足を全く運ばなくなってたからーーー!
「その……」
「……」
沈黙!
元々おしゃべりが不得意なエドと、気まずさマックスな私が会話を続けることなど不可能に近かった。いや不可能だった。
目に見えてシュンとしてるエドの表情に、私の心が砕け散るー!
「はじめる」
ガラリとぞんざいに開かれた教室のドアから入ってきたのは。
「ダグラス先生! あぁもう大好きですわ!」
この空気を壊してくれるなんて!
てか今年も担任ですか。縁がありますね。
「お前がそのようなことを言うから、また押し付けられるのだ。グレイフォード、口を慎みたまえ」
縁は私が作ってたみたいだ。
えー。押し付けられるって。そんな風に言わなくてもいいじゃーん。
「エ、エレナ……」
「諸君、着席したまえ。エドワーズ王子、君もだ。私は王子とて、他の生徒と等しく扱うのでそのように」
「あっ。いえ、は、はい!」
慌てたように自分の席に飛びついたエドワーズは、やっぱりフレデリクとは全然違う。
あんまり言うとかわいそうだから、先生も考慮してくれてもいいと思う。エドワーズは権力振りかざすような子じゃないのに。
「グレイフォード、お前もだ」
すいません。
♯
ルプスの存在は隠し通せってジールに言われた。
でも、使い魔は契約した主人からあまり離れられないらしい。それに、屋敷に置いてったらロザリーがいるし。じゃあどうすんのかって聞けば。
《なんでワタシが君の影の中に入っていなければいけないんだ》
「あっ、ちょっと勝手に出てこないでよ!」
ほんっとにテキトーな感じで「お前の影ん中放り込んどけば」ってジールに言われた。
あ、もちろんそんなバカみたいな芸当はジールがやった。
それはいいんだけど、なんかもう授業中ずっと背後がざわざわしてしょうがないから、仕方なく温室まで避難して来た。ら、すぐにズルリと出てきちゃったからやめてほしい。
「もう。見られちゃダメって言われたじゃん大人しくしてて」
《……そんなキャラクターだったっけ、君》
「うるさいな、こんなだよ」
複雑そうな狼は、影から完全に這い出して、ちょこんと目の前に座った。そうしてれば可愛いのに。もふもふしてて。
もふもふ……。
《……触られるのは好きじゃないんだ》
「ちょっとだけ!」
《……ニンゲンのちょっとだけって、ちょっとじゃないんだよ》
心底うんざりしたように、けど大きな頭を私の手元まで下げてくれた。やった。
まふ、と手を首元に回して、というか埋めてわしゃわしゃする。気持ちい。
「あんた、そんな目の色だったっけ?」
《君、ほんとにお嬢様なのかい?》
違うっての。
もはや無視してその目を覗き込む。ふた粒の黄金みたいな瞳がエレナちゃんの可愛いお顔を写し込む。
「赤じゃなかったっけ?」
《はじめからこんな色だよ》
嘘だー。
だって私あの赤い目にビビったんだから。
《……ねえ、小さな姫君。君の中、なぜそんなに複雑なんだい?》
「は?」
《ふたつの匂いがする。それも、ひとつは今まで嗅いだことのないものだ》
なんだそれ。体臭みたいなやつ?
思わず腕に鼻を寄せたけど、ロザリーがつけてくれた香水の甘い匂いしかしない。
「香水の匂い?」
《違う。もっと……、そう、ニンゲンの魂の匂いだ》
そう言って、ルプスが私の両手から抜け出して、がっしりした顎を肩に乗っけて来た。
《あぁほら、濃くなった。とてもお腹が空くような、でも懐かしいような匂い》
瞬間、冷たい感覚が首筋に来た。視界の端ではルプスがかぱりと口を開けて、真っ黒な鋭い歯がずらりと見えていた。
「ちょっ」
静止より前に、私の後頭部ごとぱっくりやられた。うわぁ!
《はぁ、素敵な匂いだ》
「きっもちわるいな! ちょっとルプス! あっ、痛、ちょ、涎やめ──」
「エレナ!?」
牙にエレナの柔らかい皮膚が埋まってて、突き刺さるのが怖くてあんまり動けない。無駄にバタバタやってたら後ろから悲鳴のような私の名前が聞こえた。
そのとき唐突にジールの言葉を思い出した。
『犬っころ影に戻したかったら、たった一言、戻れって言えばいい』
逆になんでいままで思い出さなかった私。
「ルプス、あーえっと、ハウス!」
《!?》
一瞬、びくっとしたルプスの身体は、それで吸い込まれるように影の中に収納された。
飼ってた犬思い出して思わず叫んじゃったけど、え、あんなんで魔法発動すんだ……。
「エレナ!? 大丈夫か!?」
……あー。
やばい見つかった。見つかった上にこの声って、もしかしてフレデリク、
「い、今の、今のって、や、闇の……!」
違った。エドワーズ王子だった。
嘘嘘。間違えてなんてないから。
「エドワーズ王子!」
ばっと立ち上がって振り返れば、思ったより近くにいたエドがその紫の目を丸くして固まってた。ごめん、驚かせて。
「今ご覧になったもの、見なかったことにしていただけませんか!」
我ながら直球すぎて失敗だったと思う。エドもきょとんとしちゃってる。どうしよう……。
「わかった」
「えっ」
「なにか、事情があるのだろう? おれは目も口も瞑ろう」
いいの!?まじか!そんなあっさり!
「その代わり、と言ってはまるで脅しのようだが……」
「え、えぇ、なんでしょう!」
いやもうなんていい子なんだ。いいよ脅しで。むしろ私は自分の推しキャラに脅された……、いや、なんでもない。
「この温室にいるときは、おれとも、その、本当のエレナで話してくれないか?」
「本当の……」
って……?
どれだ、本当の私って。
なんて思春期の中学生みたいなことで首かしげてたら、王子に柔らかく苦笑された。
あーやばい。なんだこの顔。私の中の国がひとつ壊滅する。何言ってんだほんと私もう。
「たとえば、先ほどエレナの影と話していたような」
え?あ。
あぁー……。それも聞かれてたかー。
「あ、その、駄目ならいいのだ」
遠い目をした私に気づいたのか、エドが弱々しく両肩を落とした。
しゅんとしないでー!そんな可愛い顔されたらオバさんは簡単に陥落するからぁ!
「……ほんとに礼儀知らずな話し方しかできない、です、よ?」
「! あぁ! ありがとう!」
ぱっと顔を明るくして、心底嬉しそうにされた私は、私は……!




