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お嬢様はじめました  作者: 加藤有楽
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第2話

 戦々恐々としながら菅原邸へと足を踏み入れた私は、ゆったりとした応接室のような部屋へ通された。促されるまま、ふっかふかのソファに腰掛ける。予想以上にふっかふかで、一瞬後ろに倒れ込みそうになるがなんとかこらえた。こんなふっかふかなソファに座ってるとか、セレブリティは腹筋背筋を鍛えているんだな、とすごくどうでもいいことを考えた自分に、ああ、現実から目を背けているなぁと実感する。

 先程まで一緒だった姉は午後から会議があると言って、未だ教職を続けている学校へと戻ってしまい、私はこの異世界としか言い様のない菅原邸で孤立無援の状況に陥っているのである。この応接室のゆったりとした家具や日当たり、ふかふかのソファなどに普通の客人ならばほっとするべきなのだろうが、残念ながら私にとってはアウェイ中のアウェイ。正直なところ、心細いとかそういうレベルですらない。姉が仕事に行くのを半泣きで必死になって止めようとした私に、当の姉はあっけらかんと笑いながら『アウェイだけど大丈夫!八千草さんは面白いよー』などと言っていたのだが、そもそも誰なんだ八千草さんって。

 とりあえず、先程出された紅茶に口をつけてみるが、あまりの恐怖心に味どころか温度もよくわからない有様だ。そもそも、私の後ろに紅茶を淹れてくれたメイドさんらしき女性が佇んでいるのが落ち着かない。多分、この場合は佇んでいるではなく、控えているというのが正しい表現なのだろうが、メイドさんに背後に控えられるという人生初の経験をしている私にとって、ひたすら落ち着かないだけである。ああ、なんかもう落ち着かなさ過ぎて胃が痛くなってきた。

 恐怖心と落ち着かなさで最早パニック寸前になりつつある。こんな時こそ素数を数えて落ち着こうとしたところで、カチャリという軽い音と共に出入り口の扉が開いた。失礼致します、という耳障りの良い低く落ち着いた声がすると、一人の男性が部屋に入ってきた。ロマンスグレーという単語がぴったりな、シルバーフレームの眼鏡をかけた男性である。白髪交じりの髪をきっちりと撫で付けて、しゃんと伸びた背にはモーニングコートを羽織り、手にはまぶしい白さの手袋。目尻の皺がくっきりと浮かぶ顔立ちはやや甘めに整っており、今はゆったりとした落ち着きのある微笑をのぞかせている。漫画で見るような、私でも理解できるいかにも『執事』という風体だ。

 その男性は、ソファに座っているというかソファのあまりのふかふか加減にぶっちゃけ埋もれている私を見て微笑を深くすると、姿勢を正してこちらに近づいてきた。滑るような歩き方は、全く足音をたてない。

「お待たせ致しまして申し訳ございません」

 ソファ横、私の斜め前で立ち止まった男性は改めて姿勢を正すと、流れるような美しい動作でお辞儀をした。

「ようこそいらっしゃいませ、春佳お嬢様。わたくし、菅原家の家令を努めております、八千草と申します」

 以後お見知りおきを、とにこりと笑いかけられて、今までぽかんと口を開けてその八千草さんと名乗る男性を見上げていた私は、慌てて席を立った。その際、紅茶の入ったカップとソーサーに膝が掠り、聞いた人間を不安にさせる陶磁器独特の硬質な音が響いて、一瞬肝が冷える。パニック寸前だったところに、初めて見るイメージそのままの『執事』さんの登場、しかもそれが姉の言っていた『八千草さん』だという衝撃、明らかに高そうなティーカップのぶつかる音などなど。アウェイの空気に完全に呑まれていた上、予想外の要素尽くしで、私の脳みそは悲鳴を上げたらしい。

「し、四万春佳と申します!よろしくお願いしもふ!」

 それはもう見事に挨拶を噛み、幼少からの姉の教育方針『何はなくとも挨拶は元気よく』の影響か、私はまるでヤンキーの舎弟のように、物凄い勢いで直角に身体を折ったお辞儀をしてしまったのである。先程の八千草さんの流れるような綺麗なお辞儀とは、逆立ちしたって同じ行為に見えないこと山の如し。

「なんか、あの……すみません……」

 何とも気まずい思いで身体を起こし、気恥ずかしさのあまりもじもじとした態度を取ってしまった私を、やんわりとした動作でふっかふかのソファに座らせた八千草さんは、腰を落として私と目線の高さを合わせてから、耳障りの良い低く落ち着いた声でこう言った。

「お若い方は元気が何よりでございます。元気に挨拶される若い娘さんは、それだけでもうわたくしのようなオッサンは萌え萌えキューンで好感度爆上げですとも」

 にこり、と目尻の皺を深くして浮かべた上品な笑顔に添えられた言葉に、私はまたしても大口を開けてぽかんとする。えっ、今聞こえてきたの誰が喋ったの?私このアウェイに落ち着かなさ過ぎてとうとう耳まで悪くなったの?どういうことなの?

 私は思わず、目の前の八千草さんの上品な笑顔をまじまじと眺めた。どういう角度でどう見ても、見た目は上品なロマンスグレーの紳士なのに、先程耳に入ってきた言葉は、この上品紳士から飛び出すとは思ってもみなかった単語が多く含まれていた気がする。それとも何なの?貧乏人の私が執事の実態を知らないだけで、現実の執事はこういうものなの?いやいやそれにしても、さっきのアレは酷いよね?

 ぐるぐると八千草さんに対する不信感を募らせている間、私があまりにもまじまじと眺めてしまっていたのか、八千草さんは、何かございますでしょうか?と聞いてきた。まさか、あなたの発言に度肝を抜かれ、正直今あなたを非常に不審に思っていますとは言えないので、慌てて他の話題を考える。

「ああああの、質問してもいいですか?」

「なんなりと」

「……かれいって何ですか?」

 つい、本当に執事の方ですか?という質問を吐き出しそうになったが、すんでのところで飲み込んで、挨拶の際に八千草さんが口にした『かれい』という単語について聞いてみた。文脈からするに、この『かれい』は八千草さんの役職名であろう。見た目はばっちり執事だけれども、ひょっとしたら『かれい』というのは、執事とは全く違う役職なのかもしれない。その役職にはこういう人が多いのかもしれない。まぁ、何にしろ不審には違いないし、こんな人じゃないとなれない役職というのはろくなものでもないかもしれないが。

 私の質問に納得したような表情を浮かべた八千草さんは、そうですね、と一瞬虚空を見つめて思考を巡らせたのか、少し間を空けてから口を開いた。

「今のご時勢、あまり一般的な言葉ではございませんでしたね。微妙に違う例えになるような気がしないでもないですが、ぶっちゃけて言えば総支配人ならぬ総執事とでも言っておきましょうか。読んで字の如く、主人からはせっつかれ、部下からは突き上げられる損な役目でございますよ」

 眼鏡を外し、軽く目頭を押さえて涙をこらえる小芝居なんぞを入れてきた八千草さんの、なんともアバウトな説明によると、この菅原の家には私が想像する執事のような役職の『家扶』(かふ)という人たちが複数人おり、その人たちをまとめる管理職のようなものらしい。今はあまり聞かなくなった単語らしいが、なんでも明治時代の宮家や華族の家には当たり前にいた役職とのことだった。らしい、ばかりでイマイチ現実味の薄い話だが、なにしろ全てが伝聞推定の世界である。そもそも生粋の貧乏人である私には、執事という役職が実際にどういう仕事をするものなのかすら分かっていない。執事なんて仕事は、映画や漫画や小説など、バーチャルな世界でしか見たことのない存在なのである。

「た、大変なお仕事です、ね?」

「ええ、まぁ」

 質問をした以上何か返答しなければとなんとかひねり出した感想に、八千草さんはかなりフランクな返事をしてきた。しかもさらりと仕事の大変さをアピってくるとは、仮にも使用人としてどうなのだろうか。いや、アウェイ過ぎて状況判断が出来ていないだけで、そもそもこういうものなのかもしれない。よく分からないけれども。

 しばし仕事大変アピールをしてきた八千草さんは何か思い出したような表情を浮かべると、急に声のトーンを落として、ひそひそ声で喋り出した。

「それに、部下である家扶の一人がもう口うるさくて口うるさくて。仁井という者なのですが、これがまぁ若い男子だっていうのに、舅のような口うるささでねぇ……」

 はぁ、と溜息をついた八千草さんが、その『仁井』さんがいかに口うるさいかを語り出したところで、やや性急そうなノックの音が室内に響いた。話を途中で切った八千草さんがそれに応じると、失礼致します、という声と共に扉が開く。

「お寛ぎのところ、申し訳ございません」

 部屋に入って来たのは、八千草さんよりだいぶ若い男性だった。二十代後半ぐらいであろうか。ややたれ目気味であるが、きりりと整った顔に厳しい表情を浮かべている。やや細身の長身をモーニングに包み、手元は白手袋という、こちらもいかにも執事という恰好だったが、ぱっと見、服の生地や小物が八千草さんのものより劣るような気がする。ひょっとすると、先程聞いた『家扶』という役職の人かもしれない。

 ドアの前で立ち止まった若い男性を思わずまじまじと見るが、なんというかイケメンである。イケメン執事なんてフィクションの中の生き物だと思っていたので、謎の感動すら覚えてしまう。

「ああ、仁井くん。やっと来ましたか」

 謎の感動に打ち震えている私の横で、八千草さんがその若い男性に向かって、遅いですよ、と不満そうな声を上げた。あ、この人がさっき言っていた仁井さんか、と思ったところで、例の仁井さんの表情が固まった。部屋に入って来た時から厳しい表情を浮かべていたが、八千草さんの一言でまとう雰囲気すら硬化した。というか、これから怒りますよオーラが物凄い勢いで噴出している。多分、私が怒られるのではないと思いたいが、横にいる八千草さんはどこ吹く風で、ひしひしと感じられるプレッシャーなど意に介していないようだ。ええええ、これスルーできるとか物凄いスルースキルだな!

 仁井さんから放出される物凄いプレッシャーに固まるしかない私に、八千草さんがにこにことその仁井さんの紹介を始めた。

「春佳お嬢様、これがまだ若いのに舅顔負けの口うるささの仁井です。不仲の嫁姑でさえ若干引くぐらいの口うるささの仁井です。口うるさいこと山の如しですが、仕事はきっちり致しますのでもう隙が無くてわたくしとしては正直ガッカリな仁井です。若くてイケメンで仕事ができるとかッ!……バーカ!仁井くんのバーカ!!」

 仁井さんの口うるささを異様にプッシュした紹介をしてくれた八千草さんだったが、途中から涙目になり、最後は仁井さんを振り返って小学生のような罵声を浴びせた。ていうか今時の小学生はこんなレベルの低い悪口言わないと思う。

 一方、罵倒された仁井さんの方は、一瞬放出されるプレッシャーが倍以上に膨れ上がったような気がしたが、すぐにその怒気を収めると、私に向かって八千草さん同様の綺麗なお辞儀をしてくれた。八千草さんのように落ち着いた雰囲気は薄いものの、その分きびきびとした若さあふれるお辞儀だ。

「家扶の仁井と申します」

 仁井さんは手短にそれだけ言うと、また厳しい表情を浮かべ、八千草さんをじっとりと見据えながら、ちょいっと人差指で後ろのドアを指差した。ちょっと表出ろ、という意味であろうか。やはり怒りの対象は八千草さんであるらしい。

 とりあえず私が怒られるわけではないようなのでひと安心しつつ、呼ばれた八千草さんを見てみれば、当の本人は部屋から出るどころか、片手は腰に当て、もう片手は耳に小指を突っ込んでごそごそやっていた。なんというフリーダム加減。

「えー、いいよ仁井くん。ここでどうぞ。わたし気にしないから」

 いやいやあんたが気にしなくても他の全員が気にするよ!?と心の中で全力で叫んだが、八千草さんは本気で気にしていないらしい。

「だってさー、外出たら絶対仁井くん怒るでしょ。長いんだもん仁井くんの説教。仕事詰まって遊べなくなるんだもん」

 ロマンスグレーの素敵な紳士の口から出るにはあんまりな『~だもん』口調だが、私の感覚が麻痺してきたのか、若干可愛らしく聞こえてきた。先ほど八千草さんは、若くてイケメンで仕事が出来る仁井さんに涙目になっていたが、当の八千草さんも十分素敵な人だと思う。美青年ならぬ美中年。昔は相当なイケメンで、かなりモテたに違いない。多分今でもモテるだろう。ただし、素がこれだとしたら、モテるかどうかは謎であるけれども。

「ああでも、仁井くんには春佳お嬢様付きをお願いするから、忙して説教どころじゃないよねー」

 ぶつぶつと文句を言っていた八千草さんが思いついたようにそう言った途端、今まで押し黙っていた仁井さんが唐突に口を開いた。出てきた声は、こちらがビビる程度には低い。

「八千草さん」

「なーに?」

「私は、今度いらっしゃる冬子奥様のご家族付きになると聞いていました」

「うん、そう。こちらの春佳お嬢様付きでお願い」

「そのお名前も初めて聞きました。私は確かにあなたから、今度いらっしゃるハルヨシ様付きに、と言われましたよ?」

 じろり、と仁井さんが八千草さんを睨む。睨まれた八千草さんは相変わらずのどこ吹く風で、ハルヨシ様って誰?と小首をかしげていた私を振り向いた。

「あー、まぁ、確かにハルヨシとも読めますね、春佳お嬢様?」

「え?はぁ、まぁ、そう、ですね?」

 急に話を振られて、なんとも曖昧な返事をしてしまった。私の名前は春に佳と書いて春佳なので、確かにハルヨシという男性名として読めるのだが、どちらかと言えばそのままハルカと読む女性名の方が一般的ではなかろうか。

 というか、ハルヨシ様というのが私のことだとすれば、ハルヨシ様付き、というのはどういうことだろうか。私が小説や漫画で仕入れた知識によれば、執事っていうのは家の仕事を主人の代わりにこなしたり、主人の仕事を補佐することであって、お一人様おひとつまで、みたいなものじゃないと思ったんだけれども、違うのだろうか。

 ううむ、とアウェイすぎるセレブリティ世界の謎に没頭していると、パンパンっと手を叩く音がして思わずそちらを見る。どうやらその白手袋に包まれた手を叩いたのは、八千草さんであるらしい。私と仁井さんの視線が集まったことに満足したのか、うんうんと頷いてみせた。

「というわけで!事前の通達通り、仁井くんは春佳お嬢様についてあげてねー」

 何が、というわけで、なのかさっぱり分からないが、八千草さん的には説明及び結論が見事に出たらしい。仁井さんに向かって、うふふ、おっけー?とかやっている。

「いいですか、八千草さん……」

 今まで扉付近に立っていた仁井さんが、ゆらりとこちらに向かって歩き出した。俯いているので表情は伺えないが、背負っている怒気が半端ない。先ほど感じたプレッシャーなど比べ物にならない勢いである。正直怖すぎる。

「ハルヨシ様というお名前と、私に指名を頂いたことで、冬子奥様のご家族は男性かと思っておりました。部屋の調度や生活用品などの手配もその様に致しました。準備全てが水の泡ですよ……?そもそも男性ならば家扶が付きますが、女性ならばメイドを付けるものでしょう。何を考えているんです?」

 地の底から響くような仁井さんの声は、表情が見えなくてもどのような状態なのかよく分かる声だったが、八千草さんはその怒気に気づいていないのかあえてスルーなのか、けろっと返事をした。

「えー?だって面白いかなーって思って」

 その一言で、仁井さんの堪忍袋の緒が切れた音が聞こえたような気がした。しかもかなり派手に。

「……こんっっの、不良中年がぁぁぁぁぁぁ!!」

 次の瞬間、物凄い怒鳴り声が辺りに響き渡った。一瞬、手元のティーカップが震えた気がするぐらいの声である。武将先生というあだ名を欲しいままにしている姉がブチ切れた時の怒鳴り声もなかなか酷いものなのだが、仁井さんの声も負けず劣らず迫力満点だ。男性の怒鳴り声は低音がしっかりとしているので、女性の怒鳴り声とは違う迫力がある。

 あまりの声にそんなどうでもいいことを冷静に分析してしまった私の目の前では、仁井さんによる八千草さんへのお説教が繰り広げられていた。

「そこに座りなさい!正座!」

「仁井くん、わたし歳で膝関節の軟骨が磨り減りつつあるから、正座つらい……」

「分かりました。では、今夜の夕食は軟骨串にしましょう。あなたの全身の軟骨がすり減って無くなる前に、軟骨という軟骨を引き抜いて作って差し上げます。味付けは塩でいいですか?」

「ごめんちゃい」

 懐から取り出したソムリエナイフのコルクスクリューの部分をギラリと陽の光に当てながら、暗い瞳で凄む仁井さんに、八千草さんは最近全く聞かなくなった謝罪をしてから、私の座っているソファ横に正座をした。すらりと背筋の伸びた非常に綺麗な正座なので、座っている場所が洋風の応接間の毛足の長いふかふかな絨毯の上でなければ、茶道家や梨園関係者かと思うような美しさだ。その美しい正座をまじまじと見ていると、小さく、あっ、絨毯厚いからいつもより痛くない、という八千草さんの呟きが聞こえてきた。つまり、いつもは絨毯の無いところで頻繁に正座をさせられているということだろうか。容姿や所作が文句無しなだけに、色んな意味でもったいない人である。

「大体いつもいつもあなたはそうやって人の仕事を無駄に増やして!挙句自分の仕事だけはきっりち終わらせてどこかへ遊びに行ってしまうし!私たち家扶がどれだけ振り回されているか御存知ですか!?」

「知ってる知ってる。八千草そんなの百も承知の助」

「知っているなら態度を改めなさい!!」

 お説教されているにも関わらずフリーダムに振舞っている八千草さんと、それにめげずにお説教を続ける仁井さん双方に感心し、思わずまじまじとお説教の様子を眺めていたが、不意に手元に影がさして意識がそれた。見れば、先ほど紅茶を淹れてくれた後、今までずっと無言で後ろに佇んでいたメイドさんが横に移動してきていた。空になっていたカップに紅茶が注がれ、湯気といい香りが鼻をくすぐる。

「あ、ありがとうございます」

 今まで全く無言だったのですっかり忘れていたが、ある種の修羅場になっているこの状況に無言だったというのは、ある意味すごいメイドさんだなと思ってこっそり表情を伺ってみると、ばっちりと目が合ってしまった。慌てて視線をそらそうとするが、メイドさんはにっこりと笑ってこう言った。

「ごめんねー?やっちーと仁井くんは仲が良くて、いっつもあの調子で」

「や、やっちー?」

「そ。八千草だからやっちー」

 けけけ、といたずらっぽく笑うそのメイドさんは、やや赤めの茶髪を肩口で切り揃え、小さな体を濃紺のメイド服に包んでいた。おそらく三十歳前後であろうか。濃紺のメイド服は、入口で出迎えてくれたメイドさんたちとほぼ同じデザインであったが、スカートの丈がこのメイドさんだけは違った。他のメイドさんは皆膝丈であったが、こちらは踝までのロングスカートである。何か意味があるのだろうかと疑問に思ったが、それはメイドさんの自己紹介で解決した。

「あたしはメイド長の狛江。これからどうぞよろしく。ハルヨシおじょーさま」

 そう言って、狛江さんは茶目っ気たっぷりにウィンクを寄越す。メイド長って多分、一番偉いメイドさんってことでいいんだよね?執事で一番偉いのが八千草さんで、メイドで一番偉いのがこの狛江さん。なんというか、この家には我々貧乏人がバーチャルな世界で見知ったような世間一般のイメージ通りの使用人、というのはいないのだろうか、と未だ続く仁井さんのお説教をBGMに、私は頭を抱えたのだった。


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