↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様はじめました  作者: 加藤有楽
PR
1/3

第1話

 発端は、唯一の肉親である、姉の冬子 (とうこ)の結婚だった。

 私と歳の離れた姉の姉妹は、幼い頃に両親を交通事故で亡くし、母方の祖父母の元に引き取られた。祖父母のもとですくすくと成長した私たちだったが、数年前にその祖父母も相次いで亡くした。父方も母方も親戚縁者の少ない血筋だったのか、祖父母をなくした時点で、私たち姉妹はお互いが唯一の肉親になってしまったのだ。しかし、その頃姉は高校教師の職に就いていたので、私は姉の扶養家族として今日まで生活してきた。

 二十代の女性が、高校生を養っていくというのは大変なことだ。金銭的な面でも、精神的な面でも。もちろん私は姉に迷惑なんてかけたくなかったから、成績も素行もよい学生生活を送ってきたつもりだが、特に金銭的な面ではどうしても姉に頼らなければならないことも多く、少々の心苦しさを感じながら学生生活を送っていた。

 そんな気持ちを抱えた私が、高校に入って初めての春休みを迎える直前。その姉が私に頭を下げて、彼氏と結婚をさせてくれ、と言い出したのである。私は非常に驚いた。頭を下げられる理由も分からなかったし、何より赴任先の高校で生徒たちに、そのどっしりとした態度から「武将先生」だの、生徒へのしごきっぷりから「鬼軍曹」だの、見た目だけは良いので「憧れクラッシャー」だのと、お世辞にも素敵なあだ名で呼ばれているとは言いがたい姉が、唐突に結婚という言葉を口にしたことに驚いたのだ。

 しかし、驚きはしたがそれだけのこと。私に反対する理由なんてこれっぽっちも無い上に、姉にはいい加減私の面倒を見るだけの人生ではなく、自分自身のための人生を送って欲しかったので、こちらも姿勢を正して是非幸せになってくれと姉には伝えた。私のその言葉を聞いて、姉はほっとしたように息をついた後、ものすごく嬉しそうな顔でありがとうと微笑んだ。妹ながら、とても綺麗な笑顔だと思ったのをよく覚えている。

 その翌日、姉はその彼氏を紹介するために自宅へ連れてきた。相変わらず対応の素早い姉に関心はしたが、私だって義理の兄妹になる人とやらに興味が無いわけではない。少しわくわくしながら、私はその人と対面することになった。そこまでは良かった。何も問題はなかった。そう、そこからが問題だったのだ。



「お初にお目にかかります」

 そう言って深々とお辞儀をした男の人と差し出された名刺を、私は目を見開いてまじまじと見ることになった。私の手にある名刺に印刷された文字は、某有名複合企業の社名と、最近経済ニュースなどで取りざたされている、その企業の常務取締役の名前。そして私の目の前で三つ指ついて頭を下げているのは、その名前で度々経済ニュースや経済紙のインタビューを受けている張本人だったのだ。

「一年ほど前から、冬子さんとお付き合いをさせていただいております、菅原夏巳(すがわら なつみ)と申します。大変遅くなりまして恐縮ですが、ご挨拶に上がりました」

 深々とお辞儀をした菅原さんに、私はもうひたすら驚くしかない。以前、深夜の経済ニュースか何かで菅原さんの略歴を聞いたことがあるが、確か俗に言う名家の出で、国内超有名大学に入学、その後アメリカの某有名大学に編入し、卒業。その後は親族が代表取締役を勤める企業に入社、常務になるまで数年。類まれなる経営手腕とやらを見せ、次期社長は間違いないとのことらしい。うん、この来歴自体ぶっちゃけネタとしか思えない。その上、菅原さん自身はやや女性的な印象は受けるものの、やさしい風貌のかなりのイケメン。いい家のお坊ちゃんで頭がよくて優しそうでイケメンとか、ドラマやマンガでしか存在しないであろう人なのである。

 そのイケメンが、安アパートに暮らす地方公務員と結婚。しかもその地方公務員は、職場でのあだ名が「武将先生」の私の姉なのである。ちなみに、姉の方がいくつか年上というオマケ付きである。一体何事だ。マジで何事だ。あまりの衝撃に固まるしかない私を放置して、そのありえないイケメンといつの間にやら付き合っていた姉は、つらつらと話を先に進めてしまう。

「というわけで、お姉ちゃんはこの人の妻になります」

 胸を張って堂々と言い放つ姿は、「武将先生」の名に恥じない堂々とした態度だった。あまりに堂々としたその態度に押されるように、私は首を縦に振ることしかできなかった。

 かくかくと壊れたおもちゃのように首を縦に振る私を見て、菅原さんは安心したように息を吐いた。どうやらこの人かなり緊張していたらしい。いやいやいや、たかが彼女の妹相手に経済ニュースの視線を独占しているあなたが何をやっているんですか。大きく息を吐いた菅原さんの背中を姉がぽんぽんと叩くと、菅原さんは気を取り直したように顔を上げ、またしても深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます……!」

 娘さんを僕にください!と言われた父親の気分というのは、こんな感じなのだろうか。なんとも複雑な心持ちだったので、やはり無言で首を縦に振るしかない。そんな私を改めてまじまじと見た菅原さんは、それでは僭越ながら、と言ってからすらりと立ち上がると、壁に貼ってある近所の蕎麦屋さんの店名入りカレンダーに手を伸ばした。それから、姉と菅原さんの二人がかりで、結納がどうの親族挨拶がどうの式がどうのと、私にはイマイチ理解できない内容の話がカレンダーをめくりながらすらすらと説明された。

 その説明を半分以上上の空で聞きながら、わたしは説明よりも我が家の風景から浮きまくる菅原さんが非常に気になっていた。上等なスーツに身を包んだどことなく上品で柔和なイケメンと、築ン十年を迎える我が家のミスマッチ感は異常。そもそもこんなブルジョアジーでエリートな人は、安アパートの若干色あせてきた畳の六畳間で、蕎麦屋が配る店名入りカレンダーなんてめくらないよねそうだよね。

「以上。あんた、今の説明で理解できた?」

 トントン、と姉がこたつの天板を叩いた音にはっとする。蕎麦屋のカレンダーと菅原さんのミスマッチに意識が行ってしまっている間に、姉たちの説明は済んでしまったらしい。うっかり半分以上聞き流してしまったが、初めて会った人がしてくれた説明を、ほぼ聞いていなかったというのは、さすがに感じが悪い。詳細はまた後で姉に確認しようと心に決め、私は別の言葉を口にした。

「ええと、とりあえずこれだけは言っておかなくちゃと思ってたんだけど。あ、別にお姉ちゃんたちが結婚することに異議は無いよ。是非とも幸せになって欲しいです。でも、ええと、ちょっと待って貰えたりする?」

 私がおずおずと口にした言葉に、姉たちはかなり驚いたようだ。二人して目を丸くしている。

 姉の結婚について、姉が決めた人ならば、私は全く異論は無い。今回の大物には多少驚いたけれども、姉の人を見る目は確かだと思うし、何より、今まで私を養うことに全力を注いできてくれた姉には、何が何でも幸せになってもらいたい。だというのに、私が姉たちの結婚に待ったをかけたのは、この期に及んで私の方に問題があるからだ。

 その問題というのは、私の身の振り方である。一応義務教育は済ませているとはいえ、私はまだ未成年。姉が結婚してこの家を出ていくとなると、経済的な問題にぶち当たる。高校は奨学金で通っているので、成績さえ落とさなければ問題は無いが、今のバイト先の給料では、生活費は賄えないだろう。

「お姉ちゃんが出ていくとなると、学費はともかく生活費がヤバい。だから、私がもっと家賃の安い家と、もうちょっと時給の良いバイト先を見つけるまで、待って貰えない?」

 もしくは、どこか安い下宿先を見つけなければならないだろう。場合によっては、学校を辞めて就職しなければならないかもしれない。生活費は姉に頼りっぱなしだったので、この先は多少不安だけれども、自立する時期が少し早まったと思えばいいだろう。姉を今すぐ気持ちよく嫁に出せないのは心苦しいが、こればっかりは仕方ない。最後の迷惑と思って、少し待ってもらうしかないのだ。

 無料配布のバイト情報誌を貰いに行かなきゃ、と思った矢先、唐突に頭頂部に鈍い痛みが走る。

「いっ……!!」

 思わず頭に手をやるが、この衝撃は身に覚えがある。小さいころから度々食らってきた、姉の拳骨だ。ノーガードで食らってしまったため、めっちゃ痛い。頭がじんじんする。

「なにすんのよお姉ちゃん!」

 痛みで浮かんだ涙をぬぐうことなく、いつの間にか立ち上がっていた姉を見上げると、そこにいたのはまさしく般若だった。怒りのオーラが完全に視認できる程怒っている。結婚をほんの少し待って貰うことが、そんなにまずかっただろうか。

「あんた、わたしをそんな薄情な女だと思ってたの!?」

「はぁ!?」

「お姉ちゃん屈辱だわ!そしてマジむかつくわ!!」

 今にももう一発拳骨を繰り出しそうな姉を、お、落ち着いて冬子さん落ち着いて、と菅原さんが必死に宥める。いやもう宥めるというか、姉を完全に後ろから羽交い絞めにして止めている状態だ。まさか菅原さんも、婚約の挨拶に来た自分の婚約者の実家で、暴れ出しそうな婚約者を羽交い絞めにする羽目になるとは、考えもしなかっただろう。そう思うとなんだか申し訳ないが、私は若干展開についていけてないので、どこかぼんやりと暴れる姉と菅原さんを見上げるしかない。

「え、あの、ダメかなやっぱり……?」

 とりあえず姉の怒り出した原因を探ろうと、疑問を口にしてみれば、それに応えたのは菅原さんの方だった。尚も暴れ出しそうな姉を羽交い絞めにしたままさらりと会話を続けられるとは、やり手ビジネスマンの胆力を垣間見た気分である。

「春佳(はるか)さんの今後の生活については、冬子さんに結婚の条件として、と強く言われています。もし春佳さんさえよろしければ、冬子さんと一緒に私の家にいらしてください」

「はい?」

 あ、もちろん家賃などは不要ですよ、と続いた菅原さんの言葉に、今度はこちらが目を丸くする番だった。確かに、どんな安い物件であっても、ある程度まとまった金額を毎月支払わなければならない家賃は馬鹿に出来ない。それを無料で居候させてくれるというのならば、非常にありがたいことである。しかし、それは嫁一家を引き取るということだけれども、ホントにいいの菅原さん!?よく考えて!結婚の嬉しさで頭のネジがゆるんでるとかそういうことなの!?

「私の家はかなり古いものですが、広さだけは十分にあります。それに、私と冬子さんが結婚すれば、私と春佳さんは義理とはいえ、兄妹になるわけでしょう。高校生の妹が完全に自活するなんて、どんなしっかりした子であろうとも心配になります。どうぞ、遠慮なさらずにいらしてください」

 にこり、と柔和な顔が微笑む。イケメンの柔らかい笑顔をまじまじと眺めながら、私は無駄に納得してしまった。この柔らかな雰囲気の笑顔は、確かに姉の好みなのだ。きっとこのほんわかながらもどこか上品な笑顔に、姉はやられたのだろう。

 しかし、もう十七にもなる私が、新婚家庭にほいほい居候してしまっていいものなのかどうか。嫁入りして菅原姓になる姉はともかく、私は相変わらず四万春佳(しま はるか)のままなのだし、義理とはいえそんなのただの厚顔無恥な迷惑親族ではなかろうか。そんな弁えない妹を持っているなどと、姉が嫁入り先で言われるようなことは避けなければならない。

 うんうんと頭を抱えて唸っていると、バシーンと大きな音が聞こえた。びっくりして音のした方を向けば、いつの間にか菅原さんの羽交い締めから脱した姉が、こたつの天板を思い切り叩いたようだった。あんまり衝撃与えると、今度こそ天板割れるよお姉ちゃん……。

「ぐだぐだ言ってないで一緒に来なさい。あんたが心配することなんて何もないし、お姉ちゃんは何があってもどうにでもなる程度には大人よ。それより何より、どうにも間の抜けてるあんたが自活なんて、お姉ちゃんは認めないからね!」

 腕を組み、口をへの字にして私をじっと見据える姉の横で、菅原さんが苦笑する。

「冬子さんは、春佳さんが心配で仕方ないんですよ」

 もう少し素直になればいいのにね、と姉の横顔を見ながら微笑する菅原さんを見て、ああ、姉はすごく大きい魚を釣り上げたなぁと感心してしまった。姉が心配してくれたことよりそっちに意識が一瞬行ってしまった下世話な妹で申し訳ない。しかし、この人ならば姉を大切にしてくれるだろう。これで安心して、姉離れができるというものだ。若干寂しい気がしないでもないけれども。

「最近は物騒ですから、そういう意味でも家に来ていただけると安心します。冬子さんはご覧の様子ですし。ただ、大変申し訳無いのですが、我が家は古い家ですので、春佳さんに窮屈な思いをして頂かなければならない場合もあるかと思います。それがどうしても耐えられないようであれば、こちらも安心できるような住まいをご用意致しますが……」

 菅原さんの言葉に、私は一瞬で青くなった。いくら義理の兄妹になるとはいえ、そこまでしてもらえる訳がない。家賃なしで居候させてもらえるだけで十分すぎる程だ。

「いえいえいえいえ!そんなとんでもない!結構です!それならあの、お世話になります!よろしくお願いします!」

 素早く正座をして、頭を下げる。勢いが良すぎたためか、思い切り額を畳に擦り付けることになったので、頭を下げたというか土下座である。そんな私の頭上に、姉の一声が降ってきた。

「はい、決まり!」

 正直、一件落着!と言われたような気がした。



 それから数日経って、春休み初日。私は菅原邸へ向かうことになった。姉は私より先に引っ越しをした。引越しといっても、スーツケースひとつだけのあっさりとしたものだったが。

 そんな姉に、本当に必要な物だけ持って来なさいと言われたので、私も大きめの旅行カバンが一つと、両親と祖父母の位牌、通学用カバンに詰め込んだ学用品だけという身軽さだった。家具やら何やらは全て不要とのことなので、そんなに多くない着替えを持つくらいしかなかったのだ。

 当日は、先に菅原邸へと移っていた姉が迎えに来てくれた。今まで住んでいたアパートの部屋の玄関のドアを閉めて、ずっとお世話になっていた大家さんに姉妹で挨拶を済ませると、なんだか涙が溢れてきた。祖父母が亡くなってから移り住んできたこの部屋には、色々な思いが詰まっている。いいことばかり、というわけではなかったが、ここを離れるのはやはりどこか寂しい。

「行くわよ、春佳」

 アパートをじっと見上げていると、後ろから姉の声がした。振り向けば、姉は車の運転席に乗り込むところだったが、一瞬見えた目尻には涙が浮かんでいたように見えた。姉も同じ気持ちなのだろう。むしろ、私を養わなければならなかった姉は、きっと私以上にこの部屋に思い入れがあるはずだ。

 なんだかしんみりとした気分で助手席に収まると、横の姉がこちらを振り向いてにっこり笑った。小さい頃から見てきた、私の『お姉ちゃん』の笑顔だ。

「さぁ、気持ちを切り替えて出発ー!」

 感傷を振り切るように、アクセルベタ踏みのまま進む姉の車に揺られること小一時間。左手にやけに長く続いている塀が現れた。これが菅原邸の塀だろうか。二、三分ほど塀と並走して、やっと門へとたどり着いた。因みに先程の一言はギャグではない。

「ここからが長いのよこの家」

 自動で開いた洋風の門を思わずまじまじと見ていると、姉はぼそりと呟いた。そして姉の呟き通り、十分は敷地の中を走ってから、ようやく建物が見え始めたのである。先ほど塀を見ても思っていたことだけれども、どういう広さなんだこの家は……。

「お姉ちゃん……」

 思わず運転席の姉の横顔に目をやると、丁度車が止まったところだった。そして姉はこちらを見ると、至極真面目な顔で言ったのである。

「いい、春佳。これから先は別世界よ。ブルジョアジーでハイソサエティーでセレブリティーよ。気を強く持つのよ!?」

 あまりの言葉に思わず腰が引けたところで、ガチャリと車のドアが開いた。外から開けられたのであろう。恐る恐る車を降りてみれば、その瞬間に目に入ってきたのは、だだっ広い玄関とドアを開けてくれたのであろう男の人、そしてその奥、玄関の入口付近に整列した人々。その人々は、姉と私の視線が入り口に向いたであろう正にその瞬間、タイミングよく一斉に頭を下げた。

『おかえりなさいませ、冬子奥様、春佳お嬢様』

 そのあまりの光景に、正直帰りたいと半泣きで心の底から思ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。