2. 岩壁の町
トヌロヤが口にした、メセの力を狙う第三勢力とやらは、私がその時思った以上に早く出会うことになった。
私達を乗せた船は中規模な貿易港ラカモザに寄港した。船の上から一見しただけでその立地の奇妙さが興味を引いた。切り立った大きな二つの岩壁が平行して南北を貫いており、その細長い狭間に密集して町が築かれている。海に面した北端のごく狭い部分のほぼ全ては港だ。町並みの一見異様な様相に反して、立地上重要な貿易中継地であるため贅沢品も含めた物資が豊かで、住人には富裕層も多い。増え続ける人口を限られた土地で養うために今も両側の赤茶けた壁を刳り貫いて多層構造の集合住宅が造られている。
「不思議な景色ですね」
「出港は二日後の昼だ。遅れないように」
騎士団が物資の補充や中継の伝令と情報交換を済ませるまでの三日ほどの間、私はホルズ、アイリスと共に三人でラカモザの観光に時間を費やすことにした。どうせ他にすることも無いのだ。
最初アイリスは観光には興味が無いと船に留まることを望んでいたが、大きな瓶で何本も持ち込んでいたはずのテペ酒をたった一人で既に飲み尽くしていたため、外泊してハステの監視を逃れれば酒が飲めるぞとホルズに誘われたことで渋々船を下りた。やっぱり依存症になっている。ハステはそんな真意など露知らず、外歩きはアイリスの気晴らしになると喜んで送り出したのだった。
「なかなか良い町じゃねーか。敵が攻め込んできても両側の岩場の窓から滅多撃ちだ。さぞかし楽しい光景だろうな。賊でも騎士でもいいからどーんと千人くらい攻めて来ねーかなあ」
私達は港から市場を抜け、特に当てもなく街中を南下する。
「ふーん。そういう観点で町の良し悪しを考えたことなかったな」
しかし言われてみると確かに防衛を考えてここに町を作ったのかもしれない。一帯の海岸線が崖ばかりで港を築ける場所がここくらいしかなかったというのもあるだろうが、かつては海賊に悩まされていた海域だ。噂によるとなんとかという豪商が私兵でその賊を一掃してしまったそうだが。
「私はいまいち好きになれないですね。あの窓の一つ一つからずっと見られてるみたい」
アイリスがきょろきょろ…と言うよりは、そわそわしている。酒が切れているのが原因だろう。ぷるぷるはしていないので依存症にしてもまだ引き返せる範囲内だと思いたい。
「ふーん…。僕はどちらかと言えばそっちの意見に共感するね」
「ははは、おいおい。相変わらず辛気臭ぇ奴らだな…。ははは…。なんか…だんだん俺まで見られてるような気がしてきたじゃねーか…。クソが…」
情緒不安定気味の三人の辛気臭い観光客は壁の内部にある宿を宿泊先とすることを全会一致で決定した。
不揃いの建物の合間を縫うように細い路地を進み、壁の麓までたどり着く。道の先は長い直線のトンネルとなって壁の向こう側まで続いていた。トンネルの内部でも両側面には住宅や商店の入り口らしき扉と、上階へ続く階段がやはり不規則に並んでおり、さらにその前には人がようやくすれ違えるだけの空間を残して露店が狭苦しそうに立ち並んでいた。馬車はもちろん無理だが、牛馬もろくに進めなさそうだ。私が心配するようなことでもないが、物資の運搬はどうしてるのだろう。
「人が多くてごみごみはしてるけど、昼間でも薄暗いから外よりはまだ落ち着きますね」
「共感するね」
「そうだな」
辛気臭い我々は三人とも暗いところが好きという共通点を見出したのだった。
外だけでなく岩壁の内側にも多層構造の町が存在していたが、三階まで上るとようやく露店はなくなり、それに伴って人通りも少なくなった。窓は住居とは違い等間隔で整然と設置されており、差し込む日差しが通路に縞模様の影を作っている。窓と窓の間はしばしば植木鉢や石灯籠などで装飾され、雑然とした下層との対比もあって、外の喧騒が気にならなくなるほどに穏やかに感じられた。
壁の中の三階は外の建築の四階から五階程度の高さに相当すると思われるが、外には平屋かせいぜい二階建ての家々しか建っていないので、ここからかなり広い範囲を見渡すことが出来る。
「やっぱり良い町だ。壁の窓から見下ろされる側だと嫌な気分だが、見下ろす側に回るとすげー落ち着く」
「あたしもそれ言おうと思った」
「共感するね」
私達はその階層で宿を確保した。選んだ安宿は共有の大部屋に人数分だけベッドを借りる方式だ。各自個室が与えられている船の方がよっぽど上等な環境だが、それでも久々に揺れから解放されることはありがたかったし、そもそもアイリスは酒を飲むことが目的なので外泊せざるを得なかった。
宿を確保した後は、日暮れまで露店で買い食いをしたり、壁の天辺に上ってラカモザの全景を眺めたり、歴史的な由来があろうモニュメントの前で下劣なハンドジェスチャーを取ったりして遊んで過ごした。それだけなら私達は典型的な観光客だったが、その間もアイリスの片手には常に酒瓶があった。典型よりは比較的けしからん観光客である。そろそろ割と本気でこの小娘のアルコール中毒を心配したほうがいいかもしれない。
日が落ちる頃に私達は宿に戻ったが、道中散々飲み食いしたこともあって、アイリスは宿での夕食は摂らずにそのまますぐに寝てしまった。
「おいおい、ようやく酒の時間が来たってのによ。お子様は寝るのが早ぇなあ」
「昼間からずっと飲んでただろ。むしろ毎日船の上で昼夜関係なく飲んでるだろ」
起床時間がそれぞれずれても面倒なので私たちもさっさと寝てしまおうと提案したのだが、昼間一滴も酒を飲まなかったことを逆に何故か非難されたため、私は渋々ホルズと共に食堂に降りた。
「付き合うけど、一杯だけにするよ。鎖で壁にぶら下げられてる間に船が出港したら困るからな」
「細かいこと気にすんなよ。俺が何度でも脱獄させてやるからよ」
「へぇ…そうかい。へへへ…」
だが私は宣言どおりその晩は麦酒一杯で止めておくことに成功した。そして、一杯だけであればそこそこ酔いつつも正気は保ったままでいられるということを、初めて知ったのだった。飲んでしまえば最後、必ず盛大に発狂して目に付いた金髪の男をぼっこぼっこに殴りつけた挙句記憶を飛び飛びに失ってしまうというわけではなかったのだ。
「アイリスはそろそろやばいな。この町を出たら僕もハステさんに倣ってアイリスの節酒を推進するようにするよ」
「あー、おまえもそう思うか。今までノリで面白がって飲ませてたけど、実は俺も微妙に罪悪感が芽生え始めてた」
節酒計画の障害になるかと思われたホルズの協力は思いのほか簡単に得られそうだった。私達は比較的真面目に話し合った後、その晩は早々に寝床に戻った。
私達は昼間早い内に部屋を取ったこともあり、大部屋の角のベッドを三つ並んで確保出来ていた。アイリスは一番落ち着くであろう壁際のベッドを既に占領している。顔の下半分まで毛布に潜って壁の方を向いているためその姿は胡桃色の髪くらいしか見えない。
「うぐっ…うう、姉ちゃ…、ぐぐっ…」
寝言なのか、泣いてるのかは分からなかった。どちらにせよ酒に依存することで何かが解決するなんてことはないようだ。みんなで協力して減らしていこう。
私が遅かったわけではないが、目覚めた時にはホルズは既に寝床に居なかった。やくざ者のくせに相変わらずやけに早起きである。ベッドの足元に置かれた宿泊客用の保管箱は施錠されたままだったので、またここに戻ってくるつもりはあるらしい。片やアイリスはやはりまだ寝ていた。目を閉じたまましかめっ面をしているが、口からは涎が垂れているし、身体の向きは昨晩とは逆で私の方を向いている。もし起きていれば絶対意図して私の方など向かないだろうからやはり眠っているのだろう。
私は何の気無しに立ち上がり、窓から朝の町を見下ろす。早い時間だが、よれよれの網のような雑な造りの路地では既に人々が動き出している。今日もきっとこの町は騒がしいのだろう。視界を少しだけ上に上げてみると、私の居る壁と対を成して町の反対側に聳え立っている壁の窓にも人々の動きが見える。
そんな中、壁の表面の階段の中腹辺りに何か黒いものが張り付くように存在しているのを見つけた。主を持たない影だけが虚ろに佇んでいるようで、希望に満ちた朝の光の中でそこだけが切り取られたかのように陰気な不安に支配されている。じっとそこから動かないそれはただの黒ずんだ汚れのようにも思えるが、私は何故かそれに注意を引かれた。
反対側の壁に居る人物の人相を見極められるほど私の目は良くないが、仮にそれが人物だとすれば、その者は階段を昇ろうとも降りようともせず、ただこちら側を見つめてじっと立っている。
いや、仮に、ではない。あれは実際に人影だ。そしてこちらを、他でもない私のことを見つめているのだ。だがどこか違和感が在る。私もじっとそれを見つめ返す。違和感の正体に気が付くのにさほど時間は要しなかった。それは他の者たちと比べて極端に背丈が高いのだ。
その時、風が吹き付けたのか、窓の内側に居る人々の髪や衣服が靡くと共に、その影も揺らぎ、漆黒の長髪が禍々しくはためき広がった。そこに幽霊のようなまったく生気を感じさせない真っ白の顔が覗く。
カナベロだ。
私が気付くと、奴はそれを見通しているかのようにゆっくりと身体を転回させ、階段を降り始めた。数秒遅れて、こちら側の壁にも風が吹き付ける。目に砂が入るのを防ごうと一瞬目を放した隙に、カナベロの姿はそこには無くなっていた。
これは招待なのだろうか?
それなら応じてやる。奴の予言どおりに動く結果になってしまったことや、このような思わせぶりな登場の仕方はやや癪に障るが、それでもテリリドニジグに行くと決めた以上、他に例の無いあの特別な情報源との接触は避けるべきではない。
寝巻きも外着も区別の無い私はフード付きの上着とブーツ、そして剣だけを手早く身に付け、その他の荷物は保管箱に残した。
部屋を出る前にちらりと再びアイリスの姿を確認する。彼女の頭部はいつの間にか枕の下に移動しておりその顔が見えなくなっていたが、多分死んでいるわけではないだろう。私もまだ眠りたいのに朝の光や周囲の物音が耐え難い時によくやる。まぁ、そうしたところで再び眠れることはほとんど無いのだが。ほったらかしてそのまま部屋を後にした。
最後に姿を確認した時、カナベロは階段を降りていた。壁ではなく外に居るだろう。それに私から見られていることを把握していたように思われる。恐らく奴も私に接触する意図があるはずである。
あるいは以前のように、どこかへ誘導しようとしているのか――。
壁の外側に設置された階段を降り、不規則な網目の路地を抜け、馬車が通れる程度の動脈へと出る。期待を込めて道の果てへ視線を投げると、私の予感は正しかったことを理解出来た。
奴はきっと意図して私にその姿を見せた。行き交う人々の間を縫って、背の高い黒い影が遠ざかる。しかし、素朴な服装の住人や労働者、明るい服装の商人たちの中で、頭二つくらい長身の黒ずくめの男だ。すれ違う人たちはみんな振り返っている。目立ちたがりなのかな?
奴は相変わらず優雅な足取りながらもその速度は奇妙に速く、人の多さもあってなかなか距離が縮まらない。むしろ離れていってしまう。そのまま通りをまっすぐ北へと抜けていく。北の終点は港だが、その手前には市場があるはずだ。進むにつれ人はどんどん増えていく。そしてついに市場の入り口の辺りで、奴の姿は私の視界から消えてしまった。
やむを得ず、近くを歩いていた通行人に声を掛ける。
「すみません、今、すごく背の高い男が歩いていくのを見ませんでしたか?」
「背の高い男って言われてもなあ…そんな特徴珍しくもないだろ」
男は親切に答えてくれる意思はあるようだが、首を傾げている。カナベロの風貌を一目でも見ていればそのような回答が返ってくるとは思えないのだが、私は会話の切り上げ時を見誤ってそのまま続ける。
「いえ、一目見てびっくりするくらいの長身なんです。国中探し回っても二人といないくらいの」
実際それで通じてしまうであろうほどでかいのだ。曖昧な表現を一切排除して極めて具体的に言うなら215センチメートルくらい。
「ああー…それならあれのことかな…?」
男は、市場の外環を迂回するように曲がって伸びる通りを東へ進むように言った。その先にある広場に居るとのことだった。ついさっき見失ったばかりのカナベロが、何故ここから見えない位置にある広場に居ると分かるのかは不可解だったが、教えてもらっておいて否定するわけにもいかない。私は男に頭を下げ、言われたとおりに東へと進んだ。
市場を外れて進む道は人ごみと呼ぶほどごった返してはいなかったが、遠くに見え始めたその広場とやらの中心部は違っていた。簡素ながらも石畳で舗装されたその広々とした空間には演壇が設置されており、その上では一人の男が拳を振り上げながら何事かを大声で喚き立てていた。
なるほど。先ほどの通行人の男性はとても的確に私を導いてくれたようだ。
驚きである。おそらく帝国で最も背の高い者と二番目に背の高い者が同時にこのラカモザの町に存在している。カナベロは二番目で、壇上の男が一等賞だ。力強い大声を張り上げる男は頭髪どころか眉毛すらない完全なる禿頭で、肌の色が濃く、そしてとてつもなく筋骨隆々だ。異様な長身と真紅の瞳を除けばカナベロとは似ても似つかない。体重は三倍くらいあるのではなかろうか。
広場へ歩み寄るにつれ、演説の内容が聞き取れるようになってきた。
「――…そして遂に、名も無き愚者が手中に収めた。しかしそれは果たして真理だったのか?否、真理とは本来目には見えぬもの。賢しき盲人こそがその形を心得るのである。物質世界に真理を求むるなかれ。目を閉じ、心を開くのだ。それは心の内に在る。心の臓の中にこそ蓄積されていく。賢者たちよ、救済を求める信徒たちよ、次なる世界の王たちよ。今こそこの穢れた世界の醜い景色に別れを告げる時だ。虫化は病ではない。真なる神の使徒として選ばれし名誉を享受せよ。使徒の手にかかる事は死ではない。穢れた肉体は切り刻まれ神聖な船となる。真なる神の国へと渡る船だ。このトルトイドを信じよ。トルトイド=ニウエイスツスを信じよ。偽りの神、不遜なる老いぼれ、テリへの誤りの信仰を直ちに捨てよ」
身長と瞳の色以外に、頭の中身も割とカナベロと似ているかもしれない。広場の演壇と、それに群がる聴衆を視界に入れた時点で既に方々から散発的に罵声が飛んでいたが、壇上の大男が聖テリへの不敬を口にした途端に聴衆の大多数は暴徒と化し、罵声だけで表現しきれない怒りは投石という形で演壇へと降り注いだ。
トルトイドというらしき大男は身を守るどころか、大きく両手を広げて投石を甘受した。それがぴかぴかの頭部に命中しようと一切怯む様子は無い。そして、投石ごときではその石頭からは血の一滴すら流れないのである。
「新手の大道芸人かな?」
「朝っぱらからおかしな奴も居るもんだ」
隣にいた見物人たちが半笑いでそんな会話を交わしていた。私はぎりぎり内容が把握できる程度の遠い位置に居たため、周囲の人々は騒ぎの中心部と比べると大分冷静だ。その中心部の暴徒達も、投石以外の暴力行為に訴えようとしない。それはそうだろう。あんな化け物じみた体格の男からぶん殴られでもしたら泥人形のように身体のパーツを撒き散らす羽目になる。
しかし、演説の内容は私にとってはいくらか気にかかるものだった。彼はかつてカナベロが私に伝えた愚者と盲人という二者の対比を用いて何事かを話していた。私がここにたどり着いたのは偶然とは思い難い。カナベロは私にあの演説を聞かせたかったのだろうか。愚者が手に入れたものとは一体何だ?私が来る前に一体何を話していたのだろう?
私は喧騒から身を引き、遠ざかる。
そして再び壁の中へと戻り、階段を上へ上へと進む。
この町は地上から遠ざかるにつれ徐々に周囲の人影が消えていく。
偶然ではあるが、私がたどり着いた階層は現時点で一旦開発が中断されている区域らしく、住居や商店へ続く扉もなければ装飾も無い、ただ殺風景な赤茶の通路に四角い窓だけが並ぶ、そんな場所だった。通行人は一人もおらず、柱の陰に酔っ払った浮浪者が寝ているだけだ。もう少しだけ奥に進むとそれすらも居なくなった。
「人気の無い所に移動すればそっちから姿を見せると思ったよ。最初からここに来るべきだったか?」
闇から染み出すようにカナベロが現れた。




