3. 不死の預言者
「すべては神の掌の上だ。おまえも、私も、あの小さき信徒もな」
小さき信徒とは、多分さっきの滅茶苦茶でかい奴のことを指しているのだろう。
カナベロは以前樹海の要塞で遭遇した時とまったく同じ、影を織って誂えたかのような真っ黒のローブに身を包んでいる。私と同じで着替えを買わずに旅に出たらしい。それともお気に入りの服があるといつもそればかり着るような性格なのだろうか。そういう人、ちょくちょく居る。
「力の覚醒が進んでいる。新たな『死』を経験したか」
特にじろじろ見つめたりもせず、私の顔を一瞥してそう言った。
私は唐突な不愉快を隠す余裕もなく舌打ちに続けて返答する。
「それについて気安く話すな」
口ぶりからして私の行動を逐一監視していたというわけではなく、私の姿を見て察知したらしい。この私以上にコミュニケーション能力が著しく欠如したこの男に表情などから他人の心を慮ることが出来るとは思えないので、適性者たちのような何かしらの超能力を用いてそういったことを認識出来るのだろう。
「共振能力を何度か意図して行使した形跡が見られるな。だが他の一切は未だ微睡の中。進捗がこうも遅々としているのはやはり必要に駆られないことが枷となっているせいだろう…」
「そうやって相手が理解出来る前提でいきなり専門的な話をするからいつも孤独なんじゃないのか?さっきのでかい奴の演説を聞かせたのは意図的なことか?あいつは何者なんだ?」
長いローブの裾をほとんど動かしもせず、カナベロが滑るように動く。柱の陰から光差す窓の元へと。目を細め、眼下の朝の町へと視線を落とす。日光に晒されると溶けて死ぬ体質というわけでもないらしい。
「トルトイド=ニウエイスツス――無垢なる信仰者…」
また嫌がらせのように覚えにくい苗字だが、覚える必要は無い。今後私は一切それを記述しないからだ。誓う。
「あの男の思想は私が見出した中では最も真理に近い。虫を崇め、虫化を崇め、虫による死を崇め、すべての者が虫となった世を熱望する…。だが、あの者の信仰の純粋さに気付く者は今の世界には少ない。人の世の終わりを是とする教義に惹かれ、追従者たちが集まりつつあるものの、皆がただ混沌を望むばかりの破滅主義者たちだ」
「あのデカブツも絶対そうだろ。あんたは違うのか?」
「真理の探求者が混沌を望むことは無い。混沌とは常に主観的な概念だ。神が秩序と定めし状態を人が混沌と呼ぶかもしれぬのに。卑俗なる破滅主義者が望むのは得てして自らの破滅ばかりであり、彼らにとって世界の破滅はただそのための安易な手段でしかない。信仰者は破滅の先にも新たな世界を見出す」
今日は一応会話が成り立っているが、意味はまったく分からない。そして多分分からないままの方がいい類だろう。
「完璧に理解したよ。ただ、もっと端的に話をまとめる努力をしたほうがいいかもな」
「私はあの小さき信徒に聖域の知識を授けた。それはあの男が望む世界に近付くための知恵でもあった。奴とその追従者たちはおまえたちと併走し、これからテリリドニジグに向かう。彼らはおまえが力を解放するための師となり、その屍は糧となるだろう」
私の意見を即座に取り入れたのか、話が多少具体的になった。あの演説で使われていたいくつかの聞き覚えのある言い回しについては、やはり入れ知恵していたらしい。しかし、屍がどうとか、雲行きはなんだか不穏な感じだ。
「その破滅主義者どもに何をさせるつもりだ。ついに血生臭いことを始めるのか?」
「そうなったとしても、それは彼らの意思だ。第二、第三の鍵を手に入れるためには前提としておまえの中に秘められた力の解放が必要だ。それは望むことによって得られ、死によって研ぎ澄まされる」
「そんな目的のためにテリリドニジグに向かってるんじゃない。これ以上死人が出ると言うのなら、僕は鍵なんか求めない」
カナベロはいちいち逆光を背負って、私を見下ろす。
「偽るな。おまえは力を望んだだろう。破壊のための力を。それは私の仕組んだことではないが、第一の信奉者たる私への神の報いに他ならない。おまえの神ではなく、私のな」
確かに私は、テリリドニジグを破壊するというアイリスの望みに共感し、そのための力を求める意志を持った。それは紛れもなく私自身が決めたことであり、カナベロが信仰する正体不明の神によって定められた運命などではないはずだった。
だが、結果として私はこの男の示したとおりの道を進んでいる。オーリスの死や、それに因むアイリスの復讐心までもがその一端なのか?こんなのはふざけている。
「テリへの信仰心が高まってきたよ。人の信仰を批判するのはタブーだろうけど、僕はおまえの神とやらがだんだん嫌いになってきた」
たとえこんな狂信者が相手だろうとタブーに触れる罪悪感は無くはなかったが、こいつも既にテリ教を痛烈に否定している。お互い様だろう。
しかし彼は――予想外にも、にやりと笑った。批判されて笑う奴はこいつが初めてではないが、狂った奴しかいないのは確かなようだ。
「それはおまえが私の神の存在を認めた証左だ!元来、信仰と崇拝は同一ではない。原始宗教の信仰者たちが神を恐れ忌避したように。今、おまえは原初の最も純粋な信心を獲得し、信仰者の一人となったのだ」
なるほど、なるほど。物は言いよう、考えようだ。ふざけるな。
「暴論だろ。それじゃ誰もが知ってる神全部の信仰者になるじゃないか。カルトってそうやって信者を水増ししてるのか?」
「多くの者は異なる神に対して無知か無関心だが、おまえは憎しみという強い感情を抱いている」
「直接何かされたわけでもないし、別に憎しみってほどじゃない。せいぜいなんか腹立つなって感じだよ。この気持ちがあんたの言う信仰心ってやつかい」
「………」
カナベロは窓から身を引き、再び柱の陰の闇へと潜んだ。どうも答えたくない流れになると思わせぶりな動作で黙ってやり過ごそうとするところがあるようだ。
「…歩み始めし信仰者よ。偽りの神より与えられし力の容れ物という役割に甘んじるな。力を望み、求めよ。研鑽し、使いこなせ。容れ物の中身はおまえ自身のものだ」
まとめに入ってきた。そろそろまた忽然と姿を消すに違いない。
「さらばだ…。次に我らが相まみえるのはテリリドニジグであろう…」
そしてカナベロは現れたときと同様、闇の中に染み入るように消え去った。ほらな。もう驚かないぞ。
新たに分かったことは、カナベロの望みはただ私を聖域に向かわせるということだけではないらしい。私が実際これまで何度か使用してきた声なき声を聞く力を始め、第一の聖域を訪れたことで解放された能力を使いこなすことも必要なようだ。それが本当に次なる聖域を訪れるための条件なのかどうかは分からないが、アイリスと共に誓った復讐を成す為に力を欲したことは事実であり、腹立たしいことだがまたしても私の望む道とカナベロの指し示す道は一致している。
心底訝しい相手だが、この一寸先も分からないような謎だらけの旅路でタダで水先案内を買って出ようと言うのだ。いざと言う時には私自身が決めればいい。目的が合致する間はせいぜい利用してやるべきなのだろう。
そう心に決めて、宿へ戻ろうと背後へ振り向いた時だった。
先ほど通り過ぎたときに柱の陰にちらりと見かけた、酔っ払った浮浪者らしき男がよろよろと立ち上がり、こちらへ向かってやはりよろよろとした足取りで歩み寄って来ていた。
私の背後には土の壁の行き止まり以外に何も無い。こちらへ向かってくる時点で私に用があるのだ。
腰の剣に手を当てても挑発してしまうかもしれないので触れず、その重みだけを意識しつつ、私はその浮浪者のために行き止まりへの道を開けて横に退いた。しかしやはり男は私の側で、ふらつきながらも足を止める。
白髪交じりのぼさぼさの髪で顔を隠したその男を私は最初老人かと思った。しかし間近でその顔つきをよく見ると、まだ二十台だろうか、かなりやつれている様子ではあるが、どうやらまだ若いようだった。屋外生活を基本とする浮浪者にしては彼の顔はやけに青白いが、身を包むよれよれの暗い色の衣服からにょっきりと伸びたその手足に限っては浅黒い。
「貴方を…お待ちしておりました…」
彼はやはり若者なのか老人なのか分からないような奇妙に低くしゃがれた声でそう呟くように言った。彼はあまり口を開かずに喋ったが、その口の中には歯がいくらか足りていないのが見て取れた。
「人違いだと思いますよ…」
以前も初対面でこんなやり取りをした記憶がある。そうだ。さっき闇に溶けて消えていった奴だ。絶対こいつもろくな奴じゃない。
「いいえ…。貴方様に間違いありません…!おお…不死の預言者よ!何卒私どもの慎ましき聖地へおいでくださいませ!」
絶対人違いだ。
「何のことですか?不死ってどういうことです?自慢じゃないですが僕はこれまで何度も死にそうな目にばかり遭っているんですが」
「え?うーん…。えーと…、しかし、そのような出来事を乗り越え貴方は生存している!それは貴方が不死であるが故ではないですか?」
なるほど…そうかな…。うーん、多分違うと思うが…。
「私は『裁きの三位』教団の『触手』、名をベテルと申します。先ほど貴方がお会いになられていた黒の監視者が、我々に貴方の存在を伝えたのです…。私は貴方をお迎えに上がる役割を与えられ、ここでお待ちしていました」
どうやらカナベロの差し金らしい。最初からそう言ってほしい。初っ端から意味不明なのも納得である。
「僕の出現を予言したなら、その黒い監視者って人が預言者なんじゃないです?」
「監視者は世界の行方を見届ける者に過ぎません。聖なる変革の道のりを示すのは貴方がた預言者の役割なのです」
また勝手に人の役割を決める奴か。だが腰が低い感じなのでカナベロよりはちょっと無碍にしづらく逆に困る。
「貴方がた?預言者は他にも居るんです?」
「黒の監視者がその到来を予言したのは三位一体の預言者…。最初に訪れるのはそのうちの二柱。闇の中で進むべき道を探す『不死の預言者』。何者にも等しく死を齎す『破壊の預言者』。そして近い未来に訪れる最後の一人、偽りの神より器を与えられし『復讐の預言者』…」
「あ、僕そっちじゃないの?復讐のほう。絶対不死じゃないですよ。あと何者にも死を齎す破壊の預言者って、不死の預言者にも齎すの?」
「え…。えーと、うーん…。そ、それは私ごとき一介の信徒には到底知り及ばぬことであります…。今日この町に来るのは不死と破壊のはずなんで、多分貴方様は不死のほうです」
ベテルと名乗った浮浪者のような男は元々蒼白の顔面に冷や汗まで浮かべて、そのぎょろついた目を小刻みに揺らし始めた。よく見ると残り少ない歯も口の中でカタカタ言わせている。最初に飲んだくれのように見えたその印象はそこまで遠からずなのかもしれない。彼にあまり突っ込んだことを聞くのは止したほうが良さそうだ。
「ここラカモザにおける我らの隠れ家へご案内致します」
私はべテルに従った。その足取りは杖が必要に思えるほどにおぼつかない。健康に深刻な問題を抱えていることは疑いなく、仮に彼がまだ若者だとすればなおのこと気の毒だ。
肩を貸そうか何度か迷ったが、それを受け入れる気持ちがあるなら恐らく最初から杖を携帯しているだろう。彼の自尊心を傷つけるのは望まないので、私はただ黙って後ろに付いた。
隠れ家とやらは同じ壁の中に存在したが、そんな調子だったので随分と時間がかかってしまった。そこは入り口だけ見れば他の民家と変わらない様子だが、壁の中の集合住宅は外観による自己主張はほとんど無いため、隠れ家とするには適しているだろう。
同じ階層内で移動しただけにもかかわらず、べテルは肩で息をしながら振り向いた。
「…破壊の預言者についても私とは別の触手がお迎えに上がっております。トルトイド師もじきに町内遊説から戻られ合流するはずです。皆様がお集まりになるまでしばらくお寛ぎください」
分かってはいたが、やはりあの超でかい奴の教団らしい。
応接室らしき静かな部屋に私を置いて立ち去ろうとするべテルを呼び止めた。
「寛ごうにも勝手が分からないので、教団内を案内してもらえませんか?」
部屋で一人で寛いでる時にあのでかい奴が帰ってきたら怖すぎる。それならこの浮浪者じみた男でも隣にいてくれたほうがいい。
「おお…それは光栄でございます。他の信徒たちも預言者様のお姿を拝謁することが叶うのはきっと名誉なことでしょう」
「名誉に思ってくれるのはいいんですが、結局人違いだったとしても僕のせいじゃないからね」
この町の民家に入ったことはないが、隠れ家の内部は一般的な民家や店舗よりははるかに広い面積を持っているようだ。演説中のトルトイドの周囲に取り巻きなどの姿が見えなかったことなどから推察して、あまり規模の大きい教団ではないと思えるが、資金力は低くないらしい。
窓も無い暗く長い廊下には照明がほとんどなく、両側面の土壁には白い塗料でキャンバスが作られ、そこに赤や青の塗料を使って、完全に意味不明だが恐らく何か重要なメッセージを表現していると思われるサイケデリックな模様がぎっしり描かれていた。
その上部には、動物の骨かあるいはその他の生体パーツによって編まれたと思われる紐状に加工された何かがやはり色鮮やかに染色され、金持ちの誕生日パーティか何かのような陽気で幸せなレース飾りとして生まれ変わって暗闇の向こうまで延々ぶら下がって続いている。
信者達はこの施設内で寝起きしているのだろうか。私だったら一晩でおかしくなりそうだ。ここに住んでるからおかしくなったのか、おかしくなったからこんな住居を作ったのか。
「この壁の模様はどういう意味なんですか?」
「…それは…ええと、ええと、混沌であります」
特に意味は無いようだ。
扉の上にまでぎっしり混沌が描かれていたので、中から話し声が聞こえなければそこが部屋だと気付かなかったかもしれない。ベテルは足を止め、ドアの取っ手を押した。室内では男女数人が歓談しているようで、その声の調子は明るく、笑い声まで聞こえる。信者達は全員朝から晩まで混沌の呪言を唱え続けているというわけではないらしい。
「ここは…あれです。ええと、リビングです」
「リビングか」
ベテルは教団内の部屋や設備を一般的な住居の名称に当てはめて表現するのがひどくばつが悪そうな感じだったが、荘厳な雰囲気の呼称が特に思いつかなかったのだろう。
「あ、ベテルじゃん。おかえりー。どこ行ってたの?そっちの子は誰?」
入室するなりとんでもなく気さくな言葉が飛んできた。私は学校に通ったことはないが、恐らく学校の食堂なんかはこんな雰囲気なのだと思う。狂ったような壁の落書きさえなければ。
室内のソファで寛いでいたのは若い男女二人ずつで、全員一様に顔色が悪いが、それでもベテルほど深刻そうな状態の者は誰もいなかった。
そのベテルは歯の無い口から泡を吹いていた。
「く、口を慎め!こちらの御方が預言者様だバカタレ!俺は監視者の指示を受けて不死の預言者のお出迎えに行ってたんだ」
「不死の預言者!」
四人は全員が一斉に立ち上がり、私に向かって首を垂れた。人々に傅かれると調子に乗って喜ぶ人が居るらしいが、理解できない。気まずさしかないじゃないか。本当に人違いだった時には一体どうしてくれるんだろう。不死かどうか確かめてみようなんてお約束の展開にならないことを祈りたい。
「頭を上げてください。僕もさっき言われてここに来ただけなんです。本当に預言者なのかどうかはまだ分かりません」
「おお…!さすがは預言者様。なんと慎ましきお言葉…!」
駄目だ。何を言っても称えられる。最初からからかわれているんじゃなかろうか。むしろそうであってほしい。
「へ…へへへ…預言者様。大変失礼致しました。この者たちはまだ瞑想の経験が浅いため、神聖な存在を見極める能力に乏しく、預言者様の御威光を視認出来ないのです」
「気にしないで下さい。僕も出来ないので」
そそくさと部屋を後にしたベテルに続き、私は室内の四人に一礼してから廊下へ戻った。
「それでは次は瞑想室にご案内致します。私は先ほどの者たちとは同期ですが、特に熱心に瞑想に励んでいたことを師と監視者に認められ、今回の大役を仰せ付かったのです」
揉み手しながら振り向いたベテルは顔全体をにやにやと歪め、既に隠そうともせずに歯の無い口を見せてくる。この男にとっては瞑想への熱心さが誇りであり、その瞑想の光景を私に自慢したくてしょうがないといった様子だ。
この男の極端に年齢不相応な老化がその瞑想とやらの成果だとすれば、この先の光景はあまり好ましくないものだろう。彼は酔いどれなどではなく、何かもっと禍々しいものの中毒者なのではないだろうか。
そして、その通りのようだった。瞑想室の扉を開けた途端、私は立ち入るまでもなくむせて咳き込んだ。




