41. 打算と感情
現れた人物とは、まさにたった今ホルズが地下へ探しに行ったばかりのゼームだった。彼とはオーリスの家で別れたきりであり、彼の裏切りが小隊に知れ渡ってからはこれが初めての再会だった。
「まったく、驚きましたよ!」
血生臭い山賊の根城にはまったくそぐわないこの色男は私の顔を見るなり、やはりまったく場違いに爽やかな翳りの無い調子でそう言った。
「驚くべきことは色々あるね。まずはなんだい」
正直私もゼームの突然の登場には少なからず驚かされたのだが、極力平静を装ってそう返した。この男に対して素直に感情を見せるのは御免だ。
「それはもちろん、今ヌビクさんがここに居るということです!しかもホルズを伴って。まったく、貴方の行動はいつも私の想定外だ」
「その割には、僕の顔を見た瞬間にあまり驚いた様子をしていなかったようだけど」
彼は露骨に顔を逸らし、その場に居た見張りの連中に声を掛けた。
「皆さん、ご苦労様です。私はこれからこの友人と話をしますので、シギミヒさんが戻って来たら、二階の食堂に居るとお伝え下さい」
私とゼームに面識があると知る者はこの場には居なかっただろう。ゼームの言は見張りたちにとっては些か唐突なことであったに違いないのだが、それにもかかわらず彼らはまったく疑う素振りも見せずにすぐにそれを許可した。そのごく単純なやり取りだけでもゼームが彼らから大きな信頼を得ていることが見て取れた。
「それでは行きましょう。ヌビクさん」
そして、上階へ続く扉を共にくぐった。狭い通路の前方には土で作られた階段が見えていたが、背後で扉が閉まると同時に、松明の設置されていないこの廊下は、いくつか開いている四角い窓から差し込む僅かな月明かりだけを残して、ぼんやりとした薄暗闇で覆われた。
階段の方へは行かず、テラス状にせり出している一つの大きな窓の側へ歩みを進めると、ゼームは月明かりに青白い顔だけを浮かせて振り向いた。
「先にも言いましたが、もう一度改めて念を押しておきます。私はこの山賊団を駆逐するつもりです。少なくともテンベナ義兵団と私の間においては、完全に利害が一致しています。そこに所属するあなたとも友好的な関係を維持できるはずです」
つい今しがたの広間での調子とは打って変わって、その口調はひどく重々しい。これから話す内容が決して愉快なものではないということを私に理解させたいらしかった。
私が黙っていると、彼は立ち止まったまま続けた。
「山賊の駆逐…その目的のために、私は今日まで様々な手を尽くしてきました。しかしここ数日で私たちを取り巻く状況は二転三転し、正直なところ、事が思い通りに運んでいないのが現状です」
「僕もだよ。ノンドに着いてからというもの、随分たくさんおかしな人たちと会った。その中には目的を正直に話してくれる人は少ない」
片手を軽く振ってそう嫌味を言ってみせた。ゼームが嫌味を理解出来ない類の人間だとは思えないが、彼は眉一つ動かさずに同じ調子で続ける。
「順に説明していきましょう。先ほどシギミヒの口から、ホルズの故郷の幼馴染の話が挙がりましたが、私はなにも面白がってあのサディスティックなメメトー人にホルズのプライベートを暴露したわけではありません。あれも計画の一端なのです。ホルズに間接的に協力してもらうための」
「へぇ、計画だって?あんなけだものみたいに純粋な男を逆上させることに何か意味があるって言うのかい」
私は少しだけ声を荒げた。一瞬沈黙が流れた後、彼はようやく困ったように眉を顰めて、肩をすくめた。
「…不思議だ。どんなやり取りがあったのかわかりませんが、この数日であなたは随分とホルズのことを気に入ってしまったようですね…。しかし、いずれそう遠くない未来に、彼についての考えを改める時が来るかもしれません。私も少し前までは彼からもう少し信頼されていたんですよ。だからこそ彼の過去についての話を引き出す機会もあった。ですが今は殺意すら持たれている」
「君自身のせいだろ」
私はゼームから顔を背けて窓の外を見た。一際高い崖の岩肌に掘られているこの要塞の窓からは渓谷の大半を一望出来るようだったが、眼下の森は夜闇で真っ黒に染められており、その景観はひたすら不安を煽るだけのものでしかなかった。
「あと一つのきっかけで、彼の殺意の対象はすぐに私から山賊団全体へと移行します。ホルズ自身は今は知る由もありませんが、彼の幼馴染である女性、ラン=ダーウェはこの山賊団に捕らえられている奴隷の一人なのです」
私は面食らって振り向いた。
「なんだって」
ほとんど反射的にゼームを非難するような声を上げていた。
「いいえ…私がそれに気付いたのはまったくの偶然でした」
私の言葉が含んでいた意図を敏感に感じ取ったらしいゼームは急いで首を横に振った。
そして続ける。
「そしてシギミヒが彼女を捕らえたのも、彼がこの要塞に居を据えるよりも以前の段階でしたので、私に教えられる前に彼がランさんとホルズとの関係を知っていたとも考えられません」
「発端が意図的でないにしろ、君はそれを利用するんだろう」
今度は悲鳴のような声を上げそうになったがそれを必死で押し殺し、憤怒と混ぜ合わせて絞るように低く声を出した。
「そのことをホルズに伝えて、あいつに暴れさせることで山賊団を内側から削ろうと考えてるんだな…!」
「あなたに嫌われるようなことは言いたくないのですが、嘘はつきません。その通りです。しかし思い出してください。ホルズもまた賊の一味なのですよ。そしてあのメメトー人の双子の存在…今は一人だけになったようですが、この強固な要塞で彼らを相手取って戦うことはテンベナ義兵団のみでは荷が重すぎるのは明白でした。私はあなた方の勝利をより確実にするために、単身で大きな戦力を持つホルズを寝返らせる必要があったのです。彼が内部から不意を突けばダーマ一人を無力化することくらいは出来るはずです」
「まるで捨て駒だな。そんなことは僕がさせない」
私は両の拳を握り締めて、下から突き上げるような憎悪の視線をゼームに投げた。
ゼームは慌てる様子も無く、宥めるように掌をこちらへ向ける。
「どうしてそこまで彼の味方をするんです?」
間髪入れずに答える。
「あいつは僕のことを正しいと言ったし、僕も君よりはあいつのほうがまだ少しは正しいと思う」
彼は少しの間黙って私の目を見つめた後、窓の外へ視線を移しながら言った。
「…わかりました。実はホルズを使わない計画もあるんです。むしろ使わないほうが吉と出る可能性も否定出来ない」
明らかに嘘臭いが、感情に任せてそれを追及しても話は何も進まない。
「今はまたさらに状況が変わってしまっていますから、ダーマの力もまた利用する必要があるのです」
「利用ね。へぇ!」
私は大きく息を吐いて、腕を組んで窓辺に寄りかかった。
「順に説明してくれるんだったね!」
「はい。例の三人組の女性についてです。私自身、彼女たちがここへやって来ていることを知ったのはヌビクさんとほぼ同時期です。とは言え、直接会話を持つ機会はありませんでしたので、彼女たちの目的についてはヌビクさんのほうが詳しいところがあるかもしれません」
「えっ、ちょっと待って」
私は組んだばかりの腕をすぐに解いて身を乗り出した。
「僕が彼女らと初めて会ったのはホルズに襲われてた時だよ。君はあの時一体どこに居たんだ?」
「ほぼ同時期と言いましたが、正確には私のほうが少しだけ先です。私はオーリスさんの家から出た後、これもまったくの偶然なのですが、遠目に彼女たちの姿を発見したのです」
「どうして遠目に見ただけで彼女たちのことを気に掛けたんだ?」
「超能力者と見られるあの小柄な女性は分かりませんが、私は元よりニャリキミヒさんのことは知っていたんです。顔を隠す兜のせいであの時点ではわかりませんでしたが、ハスタリメノさんのことも。そして彼女たちが樹海へやってくる目的についても思い当たるところがありました。それはこの遺跡に埋蔵されていた物体の奪取、あるいは…その目的に競合する敵国の工作員の排除…その両方であるかもしれません」
窓の外の月が雲に翳り、私と向き合っているゼームの顔はほとんど見えなくなった。暗闇の中で私は真っ直ぐ前を見つめ、彼の真紅の瞳を探した。
「君は一体なんなんだ…?」
暗闇から声が返る。
「私は双方の勢力の手から、ここで発掘された遺物を死守しなくてはなりません。ただし、以前ヌビクさんが発掘物を横取りしようとしているのかと私に尋ねられた際、違うと答えましたが、その回答に偽りはありません。遺物が私のものになる必要は無いのです。しばらくの間ここが無人になればそれでいい。あれは誰にも動かせはしないのだから」
その時不意に、後方の広間から怒鳴り声が響いてきた。ホルズがその場にいる見張りにゼームの所在を訊ねていた。
「明日中に決着が付くはずです。また明日会えた時、ヌビクさんが私の側に付いてくれることを祈ります。ここから生きて脱出するためにはそれが一番確実なのですから」
声は徐々に遠ざかって行った。階段を上る足音が聞こえ、それが止むのと同時に背後の扉が勢いよく開かれた。
「食堂に居るつったな!…ん?てめえ何やってんだこんな真っ暗なところで」
広間からの灯りで一瞬にして廊下全体が照らし出された。当然、ゼームの姿は既に影も形も無い。
「つい今までゼームがここに居たよ。追いかけてもいいけど、彼のことだからもう捕まえるのは難しいんじゃないか」
「クソッ、しまった!もっと静かに探すべきだった。奴が居たならどうして俺に教えなかった」
「教えに行ってる間にきっと逃げられたよ。そうなるよりは彼の話を聞いたほうが意味があった」
するとホルズはあきらめたように扉の前に突っ立って、長い影を廊下に伸ばした。
「ふん!で、あいつはてめえになんて言ったんだ?」
「それは…」
ホルズの幼馴染の件について話す訳には行かなかった。私が一旦言葉を飲んで考えを整理していると、ホルズは急にかぶりを振った。
「いや、いい。聞きたくねーわ」
彼の怒りの感情がまるで目に見えるかのように急速に萎んでいくのが分かった。私は話さなくても良くなったことにほっとする反面、彼のその不可解な感情の変化を訝しく思った。
「さっきからそればっかりだな」
するとホルズは無造作に頭を掻いて、なにやらばつが悪そうにそっぽを向いて言った。
「どうせろくでもねーし。知らねー方がいいことは、大抵聞く前からわかるもんだ」
一見まるで傍若無人に生きているかのように見えるホルズだが、彼自身が一度ちらりと冗談めかして言ったように、本当に人一倍繊細な男なのかもしれない。
以前、ゼームとホルズが友人関係にあったことは明白だ。ホルズが大して親密でない者に自らの故郷のことを語るような人物であるとは思えない。彼がゼームについての話をあまり聞きたがらないことはそれが理由であるように思える。
ならば私がこの繊細なけだものに対してするべきことは、それ以上掘り返さないことだ。
「ところで、もうダーマには会ったのかい」
「地下に居たからちらっと顔は見たが…。そうだな。そっちを先にするべきだな」
ホルズは血まみれの袖を引っ張った。
「先にシギミヒに訃報を運ばせるのは避けたいね。彼はきっと無神経な言い方をするだろうから」
「俺でも大して変わらねー気もするが」
「そんなことは無いよ。おまえには弔う気持ちがあるんだから」
「あー…まぁ、うん。その通りだな」
私は振り向いて歩き出したホルズに駆け足で追い付き、囁く程度の声でそっと言った。
「それで、この用事が済んだら早いところこんな場所からは出ないかい。やっぱりもうこれ以上ここに居たってしょうがないよ」
「あー?」
ホルズは振り向いて目を細めると私の肩越しに広間へ視線をやり、一旦地下へ向かう通路の先へと少し歩いて立ち止まった。他の者に声を聞かれないためだろう。
「てめえらしくもねーな。今更怖気付いたのか?」
「僕らしいってのがよくわからないけど、まぁ、そんなところだよ。さっきおまえが言ってたように、ここに居たって近い内におまえが僕の味方を殺すだろうし、他の誰かがきっとおまえを殺してしまうはずだ」
「…あのチビとメガネはてめえの味方なのか?」
ホルズは壁に片手をついた。
「殺すほど憎んではいないってだけだよ。彼女らはひどいことをしたけど、そもそもあの人たちにとってサトヤは敵だった。死体を灰にしてしまったのも何か理由があったはずだ。それについて、少なくともメセは僕に何かを言おうとしていた」
「バケモノ同士が殺し合った理由なんて関係ねー。とにかくあいつは殺された。俺はその仇を討つと決めた。ただそんだけのことだ」
理由など関係無い。それがやはり真実なのだろう。彼の殺意はひどく盲目的だ。彼にとって重要なのはサトヤが誰に殺されたかではなく、ただサトヤが殺された、それだけなのだ。彼はきっといつも怒りのやり場が分からず、ストレスの根源を直接的に消してしまうことで全てを解決しようとするのだ。
ならばなおさら彼をここに置いておく訳にはいかない。ゼームは彼のその性質を見抜いて手玉に取っている。嘘つきのゼームは必ず計画を実行に移すだろう。ホルズは耐え難い憎悪に震えながら、弔うべき相手の兄と戦わされた末、この要塞で八方の敵から袋叩きに遭って死ぬことになる。
しかし彼を説得する手段を私は持ち合わせていない。彼は殺意を揺るがされることを恐れ、それを否定する意見には耳を貸さないのだ。
「さっきおまえは誰の味方に付くかよく考えろと言ったけど、僕はおまえの味方に付きたいんだ。だけど他の誰かを殺したくもない。それにここに残ればおまえは明日必ず死ぬ。必ずだよ。そしておまえに付いた僕もついでのように死ぬ。バカみたいだろ」
やはりこの男は理屈で説得するよりも感情に訴えたほうが早い。まるでゼームの真似をするようで不愉快ではあるが、彼の性質を利用しなければ彼をここから連れ出すことは出来ないのだ。なんとか手玉に取るしかない。
そう考えた瞬間、まるでそれを見透かしたかのように、唐突に目の前のホルズの表情が一変した。
「俺の味方になりたいってか!あの裏切り者の伊達男も以前そう言ったな!」
彼は尖った歯を剥き出しにし、私に向けて拳を振りかざした。
私は即答する。
「知るか!あんな奴嫌いだ!」
ホルズはゆっくりと拳を下ろす。
どうやら私は正解したらしい。
「…あのクソ野郎にも味方になれって誘われたりしたか?」
「そう言ってたよ」
「で?」
「お断りだね」
「ふーん…。まあ、それがいいだろーな。俺のほうが安全だ。どっちかっつったらあんまり裏切らないかんな」
そして地下へ向けての歩みを再開した。
彼はちらりと振り向いて横顔で言う。
「今晩中にここを出っぞ」




