42. 完全な狂気
私が何かを答えるより早く、ホルズはこちらに片手を上げて制止した。
耳を澄ますと微かに足音が聞こえ、正面の通路の曲がり角に影が伸びた。
「おおっと」
丁度曲がり角でシギミヒと鉢合わせた。
「ホルズくーん。また撒かれちゃったねー。今、そこでゼームくんに話しかけられたよ」
「はぁ!?」
ホルズは目を丸くして仰け反った。
「どういうこった!地下に通じる道はこれしかねーだろ!」
「掘り出した土を外に吐き出すためのトンネルがあるじゃん。そっから入ったんでしょ?二階の窓から出て外壁を伝って」
崖を利用して造られた建築である。地階とは言っても、外に通じる抜け穴は存在しているらしい。しかし通じている『道』がこれしか無いと言っている以上は、その土の吐き出し口とやらは通常では出入りに利用できるような安全なものではないだろう。
「うーっ、畜生、あの野郎ーっ!どこまでも俺をコケにしやがって!」
「言っとくけどもうとっくに居ないからね。大急ぎでボクに色んなことを伝えるだけ伝えたらさっさと影に入るように消えちゃったよ。まるでよく訓練された密偵だね」
曲がり角で丁度死角になっていたが、シギミヒの背後からもう一つの影が伸びていることに気が付いた。
「そんなことよりホルズくん。こいつにも用があるんだったよね?連れて来たよ」
遠くからの薄暗い松明の灯りの下、サトヤとよく似た容姿のメメトー人の少年が現れた。真っ先に私と視線が交差したが、彼は指先一つ動かさず黙ったまま無表情でただこちらを凝視している。その様子は、問答無用で私の同僚を惨殺し、そして私のことも殺そうとした男と同一人物だとはまるで思えない。その金色の瞳の奥は空虚で、殺意どころか他の一切の感情も見られなかった。反面、以前サトヤの目に見られたような狂気の色もまた感じられず、そのことが特に私の中で引っ掛かった。
「てめえの妹は死んだ」
ホルズがまるで急ぐようにきっぱりと言った。ダーマはそちらに視線を移すが、その顔はやはり何の表情も持たない。
「知ってるよ」
押し黙ったままのダーマに代わって、そう答えたのはシギミヒだった。
「ボクが今教えたからね。まったく、まだろくに仕事もしてないくせに早速片方死んじまった。しかも残ったのはまともに口も聞けないポンコツのほうと来たもんだ。ダーマくぅん、明日にでも戦闘任務になるかもしれないからね。勝手に死んだバカ妹の分までしっかり二人分働くんだよ?」
ダーマはホルズからは視線を逸らしたが、今口を開いたシギミヒのほうを見るわけでもなく、ただ虚空に視点を移した。
「てめえ」
ホルズがシギミヒの胸倉に掴みかかる。
「うわぁ、暴力反対」
すぐ隣にボディガードであるダーマが居るせいなのか、シギミヒは余裕の表情で笑みすら浮かべている。
「もう少し言い方を考えやがれ!」
「キミには言われたくないねぇー…。そもそも何か勘違いをしてるんじゃないかい?ダーマくんを人間扱いする必要は無いよ。彼は人の姿をしてるだけで、実際は人なんかじゃないんだよ?」
「人でなしはてめえのほうだろ」
「え?まぁ、それはそうなんだけど、そういうことじゃないんだ。ボクの心には悪意がいっぱい詰まってるけど、こいつにはそれすら無い。心を持たない、戦うための人形なんだよ。比喩じゃなくて、実際に体と一緒にアタマも改造されてるの。妹が殺されたところでなんの感傷も持たないから、何を言っても大丈夫。な?怒らないよな?この出来損ないの木偶人形め。ヘヘ」
ホルズはシギミヒの胸倉を掴んだままの両手で彼を突き飛ばした。
「痛いなぁ…もう…」
尻餅を搗いた彼は頭を掻きながら立ち上がる。
そちらに見向きもせず、ホルズはダーマの金色の瞳を見つめる。
「マジなのか…?」
それでもやはりずっと黙ったままだ。
「あいつは最期に、俺たちに手紙を託した。確かに、てめえに読ませても意味が無いと言ってはいたが…」
ホルズに促されるまでもなく私はポケットから手紙を取り出し、それを開いてダーマに手渡した。
彼は私の目を見たが、すぐに手元の手紙に視線を落とした。
「手紙ぃー?バカだなぁ。人形に文字の読み書きが出来るわけないよ」
「てめえは黙ってやがれ!それと…覗き込むんじゃねえ!てめえが読むと穢れる」
起き上がったシギミヒはホルズに蹴飛ばされて再び尻餅を搗いた。
「痛たた…いや、別にそんな紙切れどうでもいいけどね。おい、人形。どうせ字なんか読めないだろ。人間様の真似をするのも大概にしろ」
しかしダーマの視線は明らかに文字を追って動いていた。読めているのだ。そしてしばらくすると両手で丁寧に手紙を折りたたみ、再び私に手渡した。
「わかった。僕が預かろう」
そしてまた彼と視線が交わった。そこには相変わらず鉄仮面のような無表情が張り付いていた。
「はい。もういいね」
シギミヒが手をパンと叩いた。
「じゃあそろそろこっちの話を聞いてよ。さっきゼームくんに一つ二つお願いされちゃってさ」
「知らねーよ。もう用は済んだ。とっとと行こうぜ」
ホルズが私の袖を引っ張ったが、
「用があるのはホルズくんじゃないんだよねぇ」
逆の手首をシギミヒに掴まれた。
「キミがヌビクくんだろ?ゼームくんのご指名でね。キミには協力してもらわなきゃならないのさ」
ホルズがぐいと力を入れて引っ張ったので私はよろめいたが、シギミヒも逆の手を離そうとしない。
「ハハハ、忘れちゃ駄目だよ。ボクらは山賊だ。逆らえばどうなるかわかるだろう?ホルズくん、お友達がひどい目に…って、うわっ、わかんないんだ!?やめろって!」
シギミヒの言葉が終わらない内に、ホルズは片手で私の手首を掴んだまま、もう片方の手を腰の刀に掛けていた。
「待て。話を聞こう」
私がそれを制止した。
「ふー…それがいいよ。ゼームくんが言ってた通り、キミは割りと賢いんだね、うん」
ダーマの背に隠れようとしていたシギミヒが額を拭う。
「なぁに、悪い話じゃないよ。この一件に協力してくれればそれ以上引き止めるつもりもないし、そればかりかむしろ相応以上の報酬を差し上げても構わない。ボクは約束は守るよ。紳士だからね」
やられた。ゼームは私がホルズを連れてここから姿をくらまそうとするであろうことを予測し、シギミヒを使ってそれを阻止したのだ。ゼームが何故私をこの要塞に繋ぎ止めようとするのかの理由は定かではないが、どうあれ私は陰謀に一枚噛まされ、間接的にあるいは直接的に何かしら彼の手伝いをさせられることになるのだろう。
私たちはシギミヒの先導によって、再び上階へ向かう通路へと通された。すぐ側を離れず付いて来ていたホルズは、私からは既に手を離していたが、刀に掛けた手はそのままでいた。
「この先は…暗いなぁ。ボクは暗闇の中を安心して歩けるほど皆から愛されているわけではないんだよね。アハハハ」
ホルズの刀を見ながらシギミヒが笑った。
「ホルズくんはここで待っててくれない?いや、大丈夫だよ。ヌビクくんが拒絶しない限り、ボクらが彼に危害を加える理由は何も無いだろう?」
「出来ねー相談だな」
彼は相変わらず刀から手を離さない。
私も口を開く。
「ホルズ、彼の言う通りだよ。僕を殺して得する人間は誰も居ない」
「おいおい、てめえまでそんな…」
会話の中で、件の故郷の幼馴染の話が挙がる可能性がある。それをホルズに聞かせるわけには行かなかった。
「おまえが付いてくればお互い過剰に警戒し過ぎてむしろ危険なんだ。また後で会おう」
私たちは狼狽するホルズを広間に残して、三人で階段を上った。
背後で扉が閉まると、たいまつを手に先導していたシギミヒが振り向いた。
「あの狂犬をよく手懐けられたなぁ。上手くやったもんだねぇ。まったく」
左右にいくつかの小部屋が点在する長い廊下を歩くと、正面に比較的大きな両開きの扉が見えた。無言のダーマが先へ行き、その戸に手を掛ける。
「はい、ここが食堂ね。でもちらほら人が居るし、ボクの部屋まで来てもらおうかな。まだしばらく歩くよ。ごめんねぇ」
食堂を通り抜けた先の比較的太い通路へと進むと、その先は分かれ道の無い長い一本の廊下だった。そこの壁は石造りの強固なもので、床の石畳もしっかりと平らに整えられ、その中央には赤い絨毯が敷いてあった。途中で道を遮る鍵付きの扉を二つ開けると、シギミヒが歩きながらまた振り向いた。
「罠あるよー。絨毯の上は避けてねぇ」
無視して自殺する理由も無いのでそれに従った。シギミヒを先頭に縦一列で壁伝いに歩きながら、罠があるらしい絨毯を見てみたが、そこにはなんら変わった所は見られない。しかしふと頭上を見上げると、天井にいくつかの小さな穴を発見できた。絨毯の下のスイッチに反応してそこから槍か毒液でも出てくるのだろう。侵入者を阻む手の込んだ仕掛けが存在するということは、この先が重要な意味を持つ部屋に続いているということだろう。
そしてさらにもう一枚の鍵付きの扉に突き当たった。先ほどの扉よりもいくらか補強されており、悪趣味な装飾も施されている豪華なものだ。
「ここには滅多に人を入れないんだよねぇ」
大きな錠に鍵を差し込み、かちゃかちゃと鳴らす。
「へっへっへ、樹海の美術館へようこそ!どうだい。見事なもんだろう?適当に見て回ったら、そこに座ってよ。あぁ、ダーマくん、お茶淹れて、お茶」
分厚い扉が重々しい音を立てて開くと、その先には目が痛くなるような金色と臙脂色の家具や調度品、美術品などがひしめいていた。それらの個々の美術的価値は私には想像も付かないものだったが、衣類、装飾品、絵画、彫刻、壷、武具、果ては棺など雑多な種類のものが秩序無く展示されており、奪った品物を手当たり次第に飾っているだけだということは素人目でも理解できた。
「行商人がまだノンドバドのへんをうろついてた頃、ちょくちょくこういうアタリを引くこともあったんだ。でもちょっとやりすぎたのか最近はめっきりでね。しょうがないから近くの村から稼ぎを補填してるんだけど、そこで採れるのははした金と食料と、あとはせいぜい奴隷くらいのもんさ!」
私が真っ赤に染められた毛皮の敷かれた悪趣味な肘掛け椅子に座ると、シギミヒは部屋の奥に存在していた鉄格子の前へと進んだ。
「おーい、ランちゃーん。お客さんに挨拶しな。あれ?寝てるのか。しょうがない子だねぇ。まぁ、起きてたらアゥアゥうるさいし、いいか」
すぐに目を逸らしたので格子の内側の様子をしっかり把握してはいないが、私はそこに居るらしい人影を見ずに済んだ。どうやら物陰で横たわっているらしい。
彼は戻ってきて、大理石のテーブルを挟んで私の正面に置かれているさらに一際豪華で悪趣味な肘掛け椅子に腰掛けた。
「奴隷はみんな地下で飼ってるんだけど、あの中に居るのはボクのお気に入りでね。すごく可愛いよ。なんたってボクが念入りに可愛がったからね…。見るかい?」
私はそれを無視してわざと別の話題を切り出した。
「ゼームが僕について何を言っていたんだ」
私のその露骨な態度が楽しかったのか、彼は一回大きく手を叩いて笑顔を見せた。
「ハハッ、うん、色々とね。まずはあの狂犬のことについてさ。あいつを制御するのにキミの協力が要ると彼は言ってたけど、まあ、それはその通りらしいね!そうだ。あいつとアレの関係についてはもう聞いたんだって?」
彼は親指で鉄格子を指した。
「そこに居るのがホルズの幼馴染だとは聞いた。だけどそれをあいつに伝えるのはやめておいたほうがいい。あなたは間違いなくあいつに殺される」
「ふんふん!ご忠告どうも!しかしキミのその物怖じしない態度は良いねぇ。ここでの自分の価値を理解しているのか、ただヤケクソなだけなのかはわからないけど、どっちにしたって嫌いじゃないよ、ボクはね」
するとダーマがまるで小姓のように、真っ白い陶器のカップに注がれた二杯の冷たい茶を持ってきた。彼は最初に私の前にそれを置き、次に山賊長の前に置いた。私は彼の顔をちらりと覗いたが、今度は目は合わなかった。彼は続けてシギミヒの傍のサイドテーブルに煙草用の小さな火鉢を置き、主の斜め後ろに姿勢を正して立った。
「彼は帝国語を聞き取れるのか」
「この木偶人形のことかい?あぁ、聞いてんだか聞いてないんだかよくわかんないけど、ばっちり全部聞いてるはずさ。ろくに口を聞きやがらないのは『手術』の副作用なんだ。精神面の副作用は必ず出るけどその形は様々で、こいつのあのバカ妹の方は逆で、元は静かだったくせに手術後はやたらとぺちゃくちゃ喋るようになった。色んなパターンがあって楽しいね!」
シギミヒはサイドテーブルの引き出しから煙草を取り出して咥えると火鉢で火を点け、煙を吹かしながら続ける。
「話を戻そうか、ヌビクくん。ボクはホルズくんの怒りそのものは利用価値があると思うんだ。その矛先をコントロールするためにいずれキミの協力が必要になるのさ。あいつはいつボクを裏切ってふらりとどこかへ消えてしまうもんか分かったもんじゃないけど、この切り札があれば少なくとも奴の戦意を引きずり出すことは出来る。あいつはあの子を『あんな有様』にしたのがボクだってことをまだ知らないからね。ボクの不利益になる人物や勢力にその責任をでっち上げて押し付ければ、あいつは勝手にボクの敵を殺してくれるって寸法さ」
「そんなに上手くいくはずがない。あいつは見た目ほどとんでもないバカじゃないんだ」
あまりにも短絡的過ぎる。シギミヒが本当にこんなでたらめの作戦でホルズの矛先を思いのままに操れると思っているのだとすれば、彼こそがとんでもないバカに違いない。そうでなければ何か別の企みがあって私のことも丸め込もうとしているのだろうか。
「それがキミの仕事だよぉ。上手くやってくれなきゃ困るな。あいつ、例の女たちに復讐するとか言っておきながら、さっきはなんか急に勝手にどっかに行こうとしたし。あんなとんでもないバカと意思疎通するのはボクには難しすぎるんだ。まぁ、キミがここに居ればあいつはどこにも行かないらしいし、キミはただ居るだけでもそれなりに意味はあるんだけどね」
私は目を伏せ、黙って茶を啜った。
「そうそう、キミの仕事のもう一つはその三人組の女たちとの交渉さ。ゼームくんの報告だと、キミは彼女らと面識があるようだね。同時に二つの勢力との間で仲立ち出来るキミの存在がどれだけ貴重なのかはわかってもらえるだろうね?」
それだけではない。私は第三の勢力とも交渉することが可能だ。テンベナ義兵団に直接所属しているのだ。しかし彼の口からその名が挙がらないところを見るに、ゼームは傭兵団もまた近日ここへやって来るということをシギミヒに伝えていないらしい。彼らが示し合わせて演技しているわけでなければ、ゼームが彼らの全滅を望んでいるという話は嘘ではないのだろう。
「それについてもあまり期待されたら困る。確かに面識はあるけど、僕がホルズに与した時点で心証はあまり良くないはずだから」
「でも、架け橋になりそうな人物は居るんだろう?なんとかって言う護衛の騎士の子とは友好を維持してるって聞いたよ?」
一体どこまで知っているのだろうか。まったく気が付かなかったが、どうやらゼームは我々の樹海の道中での様子も陰から監視していたらしい。あまり近付き過ぎれば勘の良いホルズに発見されるはずなので、会話が届く位置までは流石に踏み込まれていないとは思うのだが。
「それで、具体的に僕に一体何をさせたいんだ」
「その質問に答えるためにはまずこちらからの質問に答えてもらう必要があるね。女の子たちの目的について何か知らないかい?」
どこまで話すべきか少しだけ考えてから口を開いた。
「彼女らは超能力者を探していると言っていた。それを見つけて勧誘するつもりなのか、殺すつもりなのかは知らない。後者だとしても僕がそれを阻止することはきっと出来ないし、責任は持てない」
「ふーん。でも既にサトヤちゃんを殺してるんだよなぁー…彼女らの目的はダーマくんってことかい?…いや、あるいは…」
珍しく真面目な顔をして考えを巡らせる様子を見せた後、思いついたように人差し指を立てて続ける。
「彼女らがどうやってボクらの存在を知ったかは、わかる?」
「超能力の適正を持つ人間を探知する能力があるらしい。精度と範囲は定かじゃないけど、樹海の外にいる時点からここにいる適正者の存在を知っている風だった」
私が正直に答えると、彼は自らの掌をもう片方の手の拳で軽く叩いた。
「やっぱりねぇ!そうかぁー…、ひょっとしたらボクもゼームくんも思い違いをしていたのかもなぁ。彼女らはボクがメメトー人ってことも、ここに財宝が眠っているってことも知らないのかもしれないよ。だとすれば…楽で良いなあ」
私はまた黙って茶を啜った。するとシギミヒは聞いてもいないことをぺらぺらと喋り出した。
「女の子たちの真の目的は、ここに居るランちゃんなのかも知れないな。実はこの子はね、元々超能力者だったんだよ。しかもとびきり超強力なやつ。彼女と比べたらこっちのポンコツなんかゴミクズみたいなもんさ」
シギミヒは顎でダーマを指すと、再び立ち上がって鉄格子に近づいた。
「『こんな有様』になっちゃった今でもまだ飼ってるのは単純に容姿がボクの好みだったからだけどさ、元々は別の目的で拉致したんだよ。キミは『適正者』についてはどこまで知ってるんだい?」
「超能力があるということ以外、ほとんど何も」
彼は格子の一本に片手を突いてもたれ掛かった。
「適正者と一口に言ってもかなり個体差があってね。大まかに分類して三段階に分かれるんだけど、そっちのダーマくんは第一レベルで、こっちのランちゃんは第三レベルに該当するんだ。レベルごとに発現する超能力の質はまったく変わってくるし、発現する機会もレベルが高いほうが容易に得られる。第二レベル以上になると実生活上で特別なきっかけがあれば勝手に『自然覚醒』することもあるみたいだけど、第一レベルの雑魚どもは手術で強制的に覚醒させなきゃ一生ただの人間のままなのさ。手術はリスクが大きいからなるべく自然覚醒させたほうが良いんだけどね。それについてはもう話したし、わかるだろう?」
格子の奥で影がもぞもぞと動くのが見えた。そこには確実に誰かが居る。シギミヒはその影が動いた方へと視線を投げながら続ける。
「第三レベルともなると十年に一人も出現しないほどのレア物だけど、ほとんど何のきっかけも無しに生まれながらに超能力を身に付けている場合が多いから、それ故に発見するのはさほど難しくないのさ。ボクが帝国の連中より先にランちゃんを確保出来たのは幸運だったよ。自然覚醒の促進に失敗してぶっ壊しちゃったのは不運だったけどね!まぁ、敵に取られるよりはマシさ。早く例の女の子たちのガッカリする顔が見たいね。ハハハ」
その時、格子の向こうから微かな息遣いが聞こえた。私はそちらから目を背けてテーブル上の茶に視線を落とした。
「超能力が発現することを『覚醒』と呼ぶんじゃないのか?なら第三レベルは生まれた時点で覚醒してると呼べるんじゃ?」
「いや、段階があってね。固有の超能力を使えるようになるのはずっとハードルの低い初期段階さ。彼らを兵器として使うには次の段階である『超身体能力』を発現させる必要がある。そこまで到達して初めて『覚醒』さ。過度のストレスを与えることが自然覚醒の引き金になるってことまでは判明してるんだけど、詳しい情報はまだ少なくてね。ボクはきっと細かい部分でやり方を失敗したんだろうなぁ。肉体的なストレスに重点を置き過ぎた。あれじゃあ仮に覚醒に成功してても自力で寝返りを打つことすら出来やしない。アッハッハッハッハ」
つまり自然に超能力を得ている人間は現在は並みの身体能力しかなくとも、素質的にはダーマやサトヤよりもさらに優れた戦士になる可能性を持つということになる。『覚醒』を促すなんらかの手段さえあれば、それは強力な生体兵器となるだろう。ニャキが軍事関係者だとすればそれを手に入れたがる理由は十分にある。
「で、例の三人組の女の子の内の一人が適正者なんだってね?サトヤちゃんを圧倒したってことは、どうやら覚醒済み第二レベル以上の強敵ってことだ。これはやはりとっておきの秘密兵器を使って迎撃するしかないね」
「そう言えばさっきもちらりと言っていたけど、秘密兵器って何なんだ」
「あ、ちゃんと聞いてたんだね。嬉しいなあ。でも話しちゃったら秘密兵器がただの兵器になっちゃうんだよね!心配しなくても明日になったら実物を見せて教えてあげるよ。それまで楽しみにしててよ」
仮に超能力者に対抗できる秘密兵器とやらが存在するのであれば、メセを倒すのにホルズを暴れさせる必要は無いだろう。ホルズの存在は女たちを撃退した後にまた必要になってくると考えているのかも知れない。少なくとも、シギミヒがホルズの用途を私に対して明確に説明しない理由は、現段階ではそれを隠す必要があるからなのは間違い無い。
「今のところ、キミに伝えられることはそんなもんかな。いや、むしろ無駄なことまで喋り過ぎたか…。悪い癖だよ!まあいいか、どうでも。キミには特別に個室を用意しておくから、今晩はゆっくり休んで、明日の仕事に差し支えないようにしてくれよ」
シギミヒは再び私の正面の席に着席し、茶に口を付けた。
「…結局、明日何をしたらいいのか聞いていないけど…?」
「出番が来たら部屋に呼びに行くから、その後はボクに付き添って交渉の潤滑剤になってくれればいいよ。指示は逐一現場で出すからね。ダーマくぅん、どれでもいいから彼を客間に案内差し上げて」
ダーマはやはり無言のまま、扉の前へと移動した。私は残った茶を飲み干してから立ち上がり、その後ろに続いて去ろうとしたが、シギミヒが呼び止めた。
「そうだ。ところで、一つ聞き忘れてた。いや、すごくどうでもいいことな気もするんだけど」
続けてシギミヒが投げかけた質問は、先ほど私がゼームに対してしたそれとまったく同じものだった。
「キミは一体何者なんだ?」
こっちが聞きたいくらいだ。ただの下っ端の傭兵団員でしかない私が一体どうしてこんなことになってしまったのか。
私は黙って背を向けて歩みを再開したが、別に再度呼び止められたりはしなかった。本当にどうでもよかったらしい。
「ランちゃーん。そろそろ起きてねぇ」
背後の閉まりかけた扉の向こうで椅子の軋みが聞こえ、それに続いて女の苦しげな呻きが確かに聴こえた。
扉は閉まった。
私は絨毯の上を避けて黙々と歩くダーマの後ろに続いた。
長く暗い廊下の途中でひとつだけぽつんと存在していた松明の灯りの下を通り過ぎる際、彼は一度だけ軽く振り向いて私の目を見た。私がちゃんと付いて来ているかを確認するのは当然のことであり、それは普通であれば特に気に掛けるほどの仕草でもなかったはずだが、先ほどから考えていたことを口に出すきっかけとしては十分だった。
「よく目が合うな」
一瞬立ち止まろうとする気配を見せた気がしたが、彼は黙ったまま歩みを続けた。
「おまえは僕の仲間を殺した。何か思うことは無いか」
ダーマの歩幅は変わらない。私は彼の白く小さな後頭部を見つめながら、声を低くした。
「感情の無いやつが、人の目を見るはずが無い」
結局ダーマは振り向かずに歩き続け、食堂から別の通路を通り抜けて私を一つの個室へと通した。それはぼろぼろの小さな木製のベッドと薄汚れたシーツ、一対のやはりぼろぼろの椅子と机、そして格子付きの小さな窓が存在するだけの粗末な小部屋であった。
「へぇ、シギミヒは客間なんて呼んでたけど、この内装じゃむしろ…」
むしろ牢獄に近い…などと言おうとしたら、背後で扉が閉まり、外側から重たい閂が下ろされる音がした。ついでに大きな鎖付きの錠を掛ける音も続いた。
近いなんてもんじゃない。まるっきり豚箱である。
きっと、この要塞のどこかに居るホルズを私と会わせてしまうと揃って逃亡する恐れがあると判断されたのだろう。
数刻経った後、扉に設置された小窓が音も無く開き、そこから粗末な夕飯が差し入れられた。まったくの無言であったことから、それを持ってきたのはおそらくダーマだったのだろうと思われた。
私はベッドに腰掛け、しょっぱい山菜汁を啜って、ぱさぱさのパンを齧って、水筒の水を一口飲んだらすぐに蓋をして、することも無いので早々に寝た。
癪に障るほどひどくぐっすり眠れた。




