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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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8. 酒を飲まされる



「ようこそ。歓迎します」


 アイリスが姉に注意を受けたのは明らかだった。

 彼女はその言葉とは裏腹に、苦い薬をずっと飲み込めずにいるような顔のまま、その悪意に満ちた視線を私達へ向けるでもなく、所在なさげにきょろきょろさせていた。


 それより…長身のオーリスの妹と言うことでその全身を見るまではずっと気が気ではなかったのだが、実際アイリスは私よりも大分身長が低かったので不安の種が一つ消えた。自分より大きな複数の女性に囲まれるのは想像するだけで恐ろしい。振り向いて玄関脇を見ると予想通り彼女が覗き窓を見る際に使うらしき踏み台があった。


 改めて見てみると、アイリスの顔立ちは姉とよく似ているようだとわかった。髪の色や顔の輪郭もとても近いが、中でも最もよく似てるのは目元だ。彼女の目は、先ほどの道中で見た、大あくびをした瞬間のオーリスの目にとてもそっくりだった。その不機嫌そうに細められた目も、大きく見開けば姉のように人の良さそうな印象を得られるのだろう。顔面に貼り付いた空気が違うだけで、ここまで真逆の雰囲気になるものなのか。これは私自身にも言える事かもしれないが。


 セリトはアイリスの言葉を無視し、そのまま歩いてテーブルの近くで足を止めた。私には意識的に無視したように見えた。彼はその後、落ち着いた仕草でしげしげと室内を見回していたが、アイリスの方向にだけは視線を向けなかったからだ。アイリスはその様子にさらに気を悪くしたらしく、重たく湿った視線をその背中に投げていた。


「やあ…お邪魔します」


 彼女の気分を害さない程度の距離感を自分なりに考えた上で、そう挨拶をしてみたものの、彼女もまた私とは目を合わせてくれなかった。

 非常に居心地が悪い。なんだか嫌な予感もする。早く帰りたい。そして出来るなら二度とここには来たくない。


 オーリスは持ち帰った茸を抱えて地階へ降りて行き、すぐに戻ってきた。手には茸の代わりに、水の汲まれた木製のコップが二つ握られていた。私とセリトが食卓の前に棒立ちしているのを見て、オーリスが慌てて言った。


「ありゃりゃ、ごめんね。どうぞ掛けて」


 言いたいことはなんでも厚かましく言い放つセリトだが、都会人としての形式的なマナーばかりは尊重しているらしく、家主であるオーリスに許可されるまではずっと椅子に腰を下ろすことなく、その脇に立ったままで待っていた。私の出身の離島にはそのような習慣は無かったものの――そもそも来客を自宅に迎えた記憶自体が一切無いが――書物によって知識として頭の片隅にそれがあったので、私もセリトに倣って椅子の脇に立ったまま待ち、彼と同時にその隣に座った。しかし着席を促された後で、セリトは客を置いて地下へ降りてしまったオーリスに対する当てつけのつもりでわざと腰を下ろさなかったのだろうと考え至り、逆にばつが悪くなってしまった。


 オーリスは私とセリトの前にコップを置いた。


「樹海が近いから地下水は美味しいよ。今、明かりを点けるね」


 すぐに彼女はランタンを点火し、テーブルの上の針金から吊り下げた。


「…暗いな」


 セリトは不満げだ。


「魚油ランタンだからね。北国では夏でも暖炉を灯すんだっけ?」


「ははっ、いつの時代の話だ。現代の家屋の造りで灯りのために真夏に暖炉など点したら暑さでおかしくなってしまうぞ。そもそも帝都では薪は貴重品だからな。無駄遣いが度を越すと最悪、犯罪として訴えられてしまう」


「ふーん、都会は色々と変な法があって怖いなあ。だから出稼ぎに行った人たちが罰金で身包み剥がれて刑務所でただ働きした後ぼろぼろの無一文で帰って来るってのが多いんだね」


「そう、無知は罪なのさ」


 オーリスはテーブルを挟んだ私たちの向かいに腰を下ろそうとしたが、アイリスが袖を引っ張った。


「姉ちゃん。おなかすいたよ」


「もしかしてまたお昼食べなかったの?」


「うん」


 子供とは言えそれなりの歳なのだから、ずっと家に居たのなら自分で支度すればいいのに。と、思ったのだが、また険悪な雰囲気になっても困るので黙っていた。セリトを見ると、私と全く同じようなことを考えていそうな顔をして腕を組み目を細めていた。


「じゃあなんか作るね。せっかくだから二人も食べていってね」


 不運なことにどうやらしばらく帰れそうにない。


「あ、ヌビクリヒュくん、ついでに上の窓閉めてくれる?蛾が入るから」


 オーリスは唐突に振り向き、私に向けてそう言った。当然露骨にそうしたりはしないが、ひょっとしたらこの場から立ち去りたいと願う私の感情は表情に出ていたかもしれない。彼女の微笑みには一切の悪意のかけらも感じられず、それによって私は自分の暗い感情を恥じることになった。


 どうあれ彼女らとの食事が憂鬱なことには変わりはないが…。


 窓を閉めるのに妹でなく私を遣うのは身長を考慮してのこともあるのだろう。いくつかの窓は開閉のための棒が取り付けられているとは言え、天井近くの高い位置にある。一体何のついでなのかはまったくわからないが、私は従った。客人として丁重にもてなされるよりも、こういった扱いを受けるほうがなんとなく気分が良いのは、私が人付き合いが嫌いな割には疎外感を意識しやすい性格をしているせいだろう。なんとなくだが、オーリスはそれを理解した上で私に頼んだような気がした。先ほどずっと黙っていたので私が無視されて落ち込んでいると思ったのかもしれない。

 セリトを見ると、「図々しい女だ」とでも言いたげな非難の視線をオーリスに向けていた。少なくともこいつに頼まなかったのは正解だ。


「はい」


 アイリスが玄関脇の踏み台を持って来た。私の身長が足りないと踏んだのだろう。背伸びして窓に手を伸ばしてみたら、あと一週間爪を伸ばせば違っていたであろうぎりぎりの距離で届かなかった。オーリスならきっと容易に指先でつまんで閉じることができる高さだろう。自分の身長の低さを意識したことはこれまでなかったが、何故だか今日は特別気になってしょうがない。


 小刻みに震えながらつま先立ちで努力する私に向かってアイリスは淡々と言った。


「頑張ったって背は急には伸びませんよ。尤も、もう時間をかけても伸びない年齢に差し掛かってるように思いますけど」


「…ありがとう」


 私は彼女が踏み台を運んできてくれたことに対して礼を言ったのだが、皮肉に厭味で返したように聞こえたかもしれないと、言ったすぐ後に気付いた。


 焦燥に似た赤茶色の感情が胸の中を渦巻いているのを自覚した。玄関に踏み入ったときから感じていた漠然とした不安よりもずっと大きく鮮明な不快感である。先ほどの、椅子の前で棒立ちしていた件や、食事をご馳走してくれると言われた際に一瞬無自覚に拒絶の意思を表に出してしまったかもしれないことなど、私の無思慮な言動でこの姉妹の心証はどんどん悪くなっているのではないだろうかと思えてきて仕方が無いのだ。自分は本来ここまで自意識過剰な人間ではなかったはずだと思うのだが、なんだか調子が狂ってしまうのはやはり若い女性たちを相手にしているせいだろうか。


 また眩暈がしてきた。


 指示された窓を順にすべて閉め終え、踏み台を元の位置に戻すと、台所でオーリスが言った。


「アイリス、地下から、お酒とお肉とテペを持ってきて」


「うん」


 この時私はテペとは何なのかわからなかったのだが、どうやら例の茸のことらしい。地階へ続く階段から上がってきたアイリスは、干物や酢漬けや生のものなど、多種のテペを抱えていた。生のものは鍋に入れて炒めた後でスープの具にするようだ。


「やったなヌビク。おまえの大好物がいっぱいだ」


 私が席に戻ると、セリトは台所の姉妹を横目で見ながら小声で囁いた。右手でわざとらしくその口を覆っていた。彼が茸をカビのようなものだと断言していたのを思い出した。


「君と取り合いになる心配が無さそうで嬉しいよ」


 すぐに肉や野菜が焼ける香りが漂ってきて、私は空腹を自覚した。短い会話を何度か交わしながら、私とセリトは姉妹の後ろ姿を眺めていた。アイリスは特に料理を手伝う様子は無いが、それでも終始台所にいた。私たちと共に食卓に着いているよりも姉の傍のほうが居心地が良いのだろう。

 気持ちはよくわかる。私も同様に彼女らと離れているほうがいくらかましな気分で居られる。出来れば隣の金髪男もどこかへ行ってほしいが。


 その後、姉妹によって運ばれてきた料理は、羊肉とテペと香草の炒め物と、似たような具材で煮込まれたスープだった。テペの干物やテペの酢漬けは食べやすい大きさに切ってそのまま皿に盛られて出され、最後にいくつかのパンを入れた籠がテーブルの中央に置かれた。


「パンは私の大好物だ」


 茸だらけの食卓を見て何とも言えない顔をしていたセリトが皮肉な冗談を口にした。


「もしかしてキノコは苦手?」


 オーリスが心配そうにセリトの顔を覗いた。セリトは茸嫌いだと言うことは私にしか話していないため、姉妹に対して意図して皮肉を言ったつもりはないだろう。彼はオーリスの察しの良さに驚いたらしく一瞬口ごもった。


「はは…まさか。ただ、テペと言う珍しい茸は食べたことが無いからな…」


 彼は視線を泳がせながらそう言い繕った。苦手な料理があったとしても一品程度であればそれを伝えたところでさほど問題は無いだろうが、この状況ではさすがにそれは無理がある。顔色を見るに、どうやら本当に茸が苦手らしいことは明らかだが、口を開けば大抵暴言の彼であっても、料理を供した本人を目の前にしてそれをカビのようなものだと言い切ってしまえるほどの空気の読めない毒舌ではないらしい。


「よかった。じゃあ食べましょ。あ、お酒注ぐね」


 オーリスは水を入れるものとは別の形の木のジョッキを三つ食卓に置いた。そのうちの一つを私の近くに寄せた。


「あれ…僕も飲むんですか?僕はまだ未成年なんですが…」


「あはは!何言ってるの。お酒を法で制限してるのは帝都とその近辺の都市だけでしょ。ここでは子供や犬猫が飲んだって合法だよ。飲んだことないの?あんまり都会の出身には見えないけど」


 実際私はこれまで酒を飲んだことがなく、故郷では酒を飲んだ父がよく暴れていたため、飲酒という行為についてあまりいい感情は無い。また、酒に酔った私自身が、あの大嫌いだった父のように振舞うかもしれないと考えると、それだけで恐怖とも憤怒ともつかない不快な感情が腹の底から湧き上がってくる。


 セリトが口を挟んだ。


「その通り。そもそも帝都では飲酒可能な年齢は二十二歳からだ。都の法を用いるのならば私とて今なお飲酒は違法なのさ。だが法は地域ごとに存在するものであり、郷に入ればその郷の法に従うのが正しい文明人の在り方だ。そしてこの地方では飲酒に年齢制限が無い。結構なことじゃないか。まあ付き合え」


 決まり事には厳格と思われる彼がオーリスを止めてくれることを期待したのだが、彼はむしろオーリスの行為を助長した。


「違法合法の話じゃなく、未成年の酒類の摂取は成長を阻害するんですよ…」


「大丈夫だって!それにもうほとんど終わってるでしょ、成長期!」


 それにしても彼女は何故か私に対しては歯に衣着せぬ物言いをする。気難しいセリトの扱いに手を焼いているせいでその反動が私に来ているのか。


 彼女は真っ先に私のジョッキに酒を注いだ。茸を一体どのように加工して作っているのかは想像が及ばないが、酒は濁りの無い透明な液体で、外見だけではただの水と見分けがつかなかった。酒瓶の表面全体からも透明な雫が滴ってテーブルを濡らしていたが、それに関しては実際に水だろう。瓶は先ほどまで地下水で冷やしていたらしい。


「妹さんは飲まないようですが…」


 アイリスは私の向かいに腰かけ、澄まし顔でこちらを見ていた。


「私はまだ伸びますからね」


 彼女は笑いもせずにそんな恐ろしいことを言った。


「妹の歳はいくつなんだ」


 聞くなら目の前に居る本人に聞けばいいのだが、セリトはオーリスに対してそう尋ねた。アイリスは露骨に目を逸らしてしまった。


「今年の暮れで十五になるんだっけ?」


「さあ、そうだったかな、うん」


 アイリスは目を逸らしたままだ。

 十二くらいだと思っていたため、私は少しだけ驚いてしまった。しかし、彼女が幼く見えたのは外見だけが理由ではないように思える。年齢の話でさらに機嫌を悪くしたような様子から、本人もそれを自覚しているように見受けられた。私たちがそういった感想を持つであろうことが予想できているのだろう。


「ほう、ヌビク、貴様の誕生日はいつだ。それによっては同年齢とも言えるかもしれん」


 セリトもわざと会話の中心をアイリスから逸らしたように見えた。


「今年で十五なのは間違い無いけど、誕生日なんて考えたことなかったよ…いつなんだろう。夏じゃないような気がするけど。なんとなく」


「自らの誕生日は聖テリへ祈りを捧げる日でもあるのだぞ。それを知らんなど、まったくありえんな!蛮族め!いずれ天罰が下るぞ」


「まあまあ、歳の話が憂鬱になるのは私ら年長組のほうが早いんだからさ、もういいじゃない。それより早くお酒にしましょ」


 オーリスはそう言うと、今度はセリトのジョッキに酒瓶を向けた。彼も毒舌を中断してジョッキをそちらへ持っていかざるを得なかった。ひょっとしたらアイリスも自分の正確な誕生日を知らないのかもしれないと思った。だとすればセリトの蛮族発言は失言であり、オーリスはそれを庇うために話を終わらせたように見えたからだ。

 もしくは彼女らはテリ教徒ではないのかもしれない。聖テリ教は帝国の国教であり大陸全土で信仰されているとはいえ、僻地の土着の信仰がすべてなくなったわけでもない。具体的な場所は知らないが、どうやら遠方からの移民らしいこの姉妹がそれらの神々を信仰していてもおかしくはないだろう。

 どうあれセリトの発言が無思慮なものであったことには変わりはないが。


 彼女はセリトのジョッキに注ぎ終えると、最後に自分のジョッキになみなみと注ぎ、溢れて零れそうになった酒を啜り飲んだ。その仕草から、彼女は結構な酒飲みなのではないかと私はなんとなく察した。


「ふむ。ではいただくとしよう。酒に関してはあまり茸の匂いはしないな…ああ…なんだ…不思議だ。結構美味いじゃないか」


 先ほどの道中で、茸で作った酒と聞いてあれほど悪態を吐いていたにも関わらず、セリトはあっさりとそれに口を付け、それなりに好意的な感想を述べた。無理をしている様子は無い。こいつも酒飲みか。


「美味しいでしょう!私たちの故郷の名物だからね!」


 言いながらオーリスもジョッキを口に運んだ。そのまま一気に三割くらい飲んでしまった。


「うむ。それに冷えた酒が飲めるとは思っていなかった。炎天下を長々歩いた甲斐があったと言うものだ。礼を言わせてくれ」


「うんうん、それにこの料理はどれもお酒に合うからね。うん、お酒を中心に献立を考えてると言っても…んむ、んあ、過言じゃああないよ!」


 言いながら、オーリスは忙しなく箸を運び、茸炒めを次々口に含むので途中から言葉が崩れた。随分と楽しそうだ。酒を飲むと酔う前からもう機嫌が良くなる類の人らしい。


「うむ…」


 オーリスと対照的にセリトが急に沈んだのは、オーリスの様子に呆気にとられたからだろうか。茸料理の存在を思い出したからだろうか。きっと両方だろう。


「ヌビクリヒュくんも!ほら!」


 オーリスが箸で斜め向かいの私のジョッキを指した。箸先から炒め物の汁が盛大に飛んで私のジョッキと取り皿にかかった。それに気付いたか否かは不明だが、どちらにせよまったく気にはしてはいないようだ。


「ほらほら」


 セリトが私の手を取ってジョッキの取っ手を握らせた。


 思えば、多少強引にでもこの時固辞すべきだったのだ。しかし私はそれを口に運び、二口、三口と喉の奥に滑り込ませた。


 妙な味だ。決して美味いとは言えないが、不味いわけでもない。ただ、とてもよく冷えており、喉越しはちょっとした快感だった。やはり先ほど彼女が話した通り、ここは樹海のおかげで地下水の質が良いのだろう。そこいらの井戸水ではここまでは冷やせない。そして、喉を通る際は冷たいのだが、腹に入ると熱くなるのがなんとも奇妙な感覚だ。味そのものは美味くはなくてももっと飲んでみたいという、ゆるい衝動に駆られる。私は一度置いたジョッキをすぐに持ち上げ、四口目を含み、大して味わうこともせず胃の中に流しこんだ。


 初めての飲酒と言うことで、セリトとオーリス、そしてアイリスも興味深げに私の様子を観察していたのだが、その反応は薄かった。


「何と言うか…なんだか陰気な飲みっぷりだな…だがまあ、口を付けるだけで飲むふりしかしない奴や、気負いして飲みすぎて吐く奴よりはマシだけどな」


 そんな感想をもらった。オーリスら姉妹に至ってはノーコメントである。相当つまらなかったようだ。



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