9. 姉妹の超能力の話
私は箸の進みが遅いセリトを横目に茸料理を味わいつつ、しばらくの時間をかけてジョッキ一杯半を飲んだ。セリトの飲酒のペースは私とほぼ同じだったが、オーリスはさらに一杯多く飲んでいた。私たちは茸料理と共に、もはや聞き飽きたセリトの身の上話や嫌味な自慢を巧みに織り交ぜた旅先での話、セリトとオーリスの他愛の無い雑談を酒の肴にしていた。アイリスは私と同様、たまに言葉を振られた際に「はい」か「いいえ」で返事をする程度で、積極的に会話に参加する様子は無かった。
会話の中で、オーリスは彼女自身の身の上について少し触れた。彼女ら姉妹は帝都の南東辺りの森林地帯の村の出身らしく、そこでもずっと二人で生活していたらしい。
「それで、何故その森の村を出てはるばるノンドまで移住することになったのだ?」
話の流れから、それを疑問に思うことは当然のことだったのだが、問われたオーリスの表情を見るとこわばっていた。彼女は返答までの時間稼ぎをするようにジョッキを手に取り、それなりの量が残っていたその中身を飲み干してしまった。
「事情があるなら無理には聞かないが」
「うん…」
すると、口をつぐんだオーリスの横で、先ほどからほとんど口を開かなかったアイリスがおもむろに喋り出した。
「私が事件を起こしたんですよ。それで村から追放されたわけです」
私も含め皆が彼女の方に顔を向けたが、それでうろたえる様子は無い。無口な私はたまに口を開いた時に皆が珍獣の鳴き声でも聞いたかのように一斉にこちらを振り向くその瞬間がとても苦手で、これをやられると話をする気が失せてしまうのだが、彼女は私ほど自意識過剰ではないようだ。
「あっ、アイリス…」
「いいよ。私は悪いことをしたとは思ってないから、秘密にしたって気分が悪いし」
あまり愉快な話ではなさそうなので、出来ることなら私は聞きたくなかったのだが、セリトは興味深そうな顔で話の続きを待っている様子だったし、アイリスも話したくて仕方が無いとでも言いたげに、先ほどまでの消極的な姿勢とは打って変わって、食卓に両肘を突いて身を乗り出していた。
「話す気があるなら聞こうじゃないか。一体どんな事件があったと言うのだ」
促されると、アイリスは何故か誇らしげに胸を張って喋り出した。対してオーリスは気まずそうに俯いてしまっている。
「姉ちゃ…姉は故郷の村でも当時から既に醸造士として立派に働いていたんですけど、私たちに親がいないことに付け込んでか、嫌がる姉に無理に言い寄るウザい男が居まして。しばらくは私も我慢してたんですけど、放っておいたらどんどん増長してそのうち暴言を吐くようになってですね、姉の身に危険を感じたので私が懲らしめてやったと言うわけです」
「懲らしめただって?一体何をしたんだ?」
「この子はちょっと変わった特技があるんだ…」
オーリスがそう言った。変わった特技とは何なのか少し引っかかったものの、アイリスは言葉の調子が乗って来たらしく、せっかちそうに続きを話し出した。なんだか急に饒舌になったようだが、私が見ない間に飲んでいたのだろうか。
「で、ですね。私はそういうの得意なんで、黙ってれば私の仕業だと明らかになることはなかったんですが、姉に話したところ、正直に謝りに行こうと諭されまして。私はそんな必要は無いと言ったんですが、説得されたので仕方無く二人でそいつの家へ行きました。そしたら案の定ブヒブヒ喚きやがってあのクソが。一晩明けたらもう村中に私の特技のことが知れ渡ってる始末です。連中、あたしらの家へ一家総出で押し掛けてきやがって、あたしだけじゃなくあろうことか姉ちゃんまで妖怪扱いしやがるの。そんであんまり腹に据えかねたもんだから、その日の晩のうちにあのアホづらのブタどもどいつもこいつもみんな同じ目に遭わせてやったわよ!」
そこまで一気に言い切ると、はぁ、と一息つき、ゆっくりした動作で両手で目の前のコップを取り、目を伏せてそれを啜った。
「あんまり急に大声出さないでよ。ははは、二人とも吃驚したでしょ。ご、ごめんね…」
急に興奮しだしたアイリスに随分驚いたらしい。オーリスは、アイリスと私たちの間で何度も視線を往復させていた。頬は紅潮しているが、しらふだったら青ざめていただろうと思う。
アイリスが男である私たちを過剰に警戒しているのは、なにも山賊のせいだけではないようだ。彼女の言葉は脅迫めいていた。姉の親切に付けこんで変な気を起こそうものならただじゃおかない。暗に、私たちに対してそう仄めかしている。
「事情はわかった。して、その変わった特技とやらが気になるわけだが」
セリトは豹変したアイリスから発せられる言葉の波を、上体を少し仰け反らせながら受け流していたが、やはりそれがどうにも引っかかるらしい。私も同様だ。
「秘密です。教えません」
アイリスは腕を組んで鼻を鳴らした。
「ケチ!」
そう声を上げたのは私だった。一秒ほど経ってからそれに気が付いた。普段なら頭の中で一瞬考えた後、相手の反応を恐れて飲み込むような言葉が、穴の開いたバケツのように無自覚に漏れ出してしまったらしい。これには私自身も驚いたのだが、どうやらこれが酒の酔いというものらしいと言うことをすぐに自覚した。
別段失言と言うほどのものではなかったとは思うのだが、ずっと黙っていた私が突然頓狂な声を上げたのが不気味だったようだ。私の一声の後に数秒の奇妙な沈黙が場を支配し、そのままこの話題は流れた。皆が憐れむような眼で私を見ていた。
漠然とした嫌な予感はまた強まった。私は不安を打ち消すために三割ほど残っていたジョッキを呷って空にした。すぐにオーリスが三杯目を注いでくれたので、また少し口を付けた。
「ありがとう」
「うん。でも無理には飲まないでね」
そう言って微笑んだ。後になって考えると、彼女はきっと壊れ始めた私の様子を面白がって笑ったのだろうと思い至ったのだが、この時そこまで考えの回らなかった私は彼女の微笑みを純粋に受け止めてしまった。酔いで気持ちも緩んでいた私の顔面はどれほど間抜けに緩んでいただろうか。
咳払いで場を仕切り直し、セリトはオーリスに向かって話し出した。
「妹は随分警戒心が強いようだな…オーリスよ、おまえは逆に無防備すぎるようだ。真似をしろとは決して言わないが、少しは見習ったほうがいいぞ。特にこの茸の栽培のことを傭兵風情にほいほい教えるのはまずい。つけこめば良い金儲けになりそうな話だからな。私が同行しているノラッド小隊にだってタチの悪い輩はいる」
たとえ酔っぱらっていたとしてもセリトに人のことを思いやる気持ちが湧いてくるとは思えないので、大方無防備な田舎娘に人の世の汚さを教えてやろうという傲慢な気持ちから出た言葉だろう。
「大丈夫だよ。あの洞窟のことを知られたって未加工のテペはどこへも売れやしないし、加工は簡単じゃないから私以外には無理だね。それに自分のことを話す相手は選んでるよ」
「ほう?私やこいつが悪人じゃないと確信できるのか?」
からかって困らせてやろうとしたのか、わざと邪悪な表情を作ってそう訊ねたセリトに対し、彼女は真面目な顔で言い切った。
「断言するよ。セリトさんもヌビクリヒュくんも良い人。私を騙そうなんて決して思ったりしないし、あの洞窟のことを誰かに話したりもしない」
セリトは眉をしかめ、先ほど私に向けたような哀れみの視線をオーリスに投げた。きっと私も同じような顔をして彼女を見ていただろう。
「そんな顔しなくてもいいじゃん!何の根拠も無く言ってるわけじゃないよ!」
「事実でないことに根拠など無かろう。自慢ではないが私は人から善人に見られたことなどこれまで一度も無いぞ。こいつだってなんだかおとなし過ぎて逆にヤバそうな感じがするし…」
そんな風に思われていたとは心外である。自分を善人だと思ったことは無いが、少なくとも、そのヤバそうな人間を焚きつけるように日頃から挑発している人間に言われる筋合いは無い。
しかしオーリスはかぶりを振った。
「ううん、私にはわかるよ。私にはそういう力があるんだ。妹のものとは違うけど、ある種の超能力を持ってるんだよ」
最初冗談で言っているのだと思ったが、彼女の目は相変わらず真剣そのものだった。私は先ほどよりもさらに困った顔を作ろうと思ったのだがそれは不可能だった。きっと変なにやけ顔になっていただろう。セリトはと言えば両手で顔を覆ってしまっていた。
「おい、ちょっと待て、貴様ら皆さっきからなんだかおかしいぞ…?ああ…これは本当にただの酒なんだろうな?…頭が痛い…」
「お水飲む?」
「おまえが飲むべきじゃないか?」
言われた通りに水を飲もうと、オーリスはアイリスの使っていた飲料水用のコップを手に取るとそれを一息に呷ったのだが、飲み込んだその液体に驚いたらしく、勢いよく頭を後ろへ仰け反らせ、コップを叩きつけるようにしてテーブルに戻した。頭を振り上げた反動で椅子の前足が浮いて後ろに倒れそうになっていた。
「ぶ…ぶ、ぶへぇ!アイリス!これお酒じゃん!まさかあんたずっとこれ飲んでたの!?」
やはり飲んでいたらしい。魚油ランタンの照明の色で判りづらかったのだが、確かに意識して見るとアイリスの頬は若干紅潮しているようにも見える。
アイリスは悪びれた様子も無く、無表情に言った。
「うん。ごめんなさい。みんな飲んでるからついあたしも飲んでみたくなって…」
とりあえずその場しのぎで謝罪の言葉を口にしただけといった感じである。実際先程の話の通り飲酒それ自体は法に触れるような行為ではないし、オーリスも驚愕で声を荒げただけであって、責めているつもりはないだろう。それでも謝ったのはやましいことをしている自覚があったからで、反省していないことを隠そうとしないのはきっと何かに拗ねているからだ。一体何に拗ねているのかはわからないが、雲行きが怪しいことは確かだ。ここへ来たときからずっと意識していることだが、やはりこれ以上彼女を刺激しないほうがいい。
「あぁん、もう、道理でさっきやけによく喋ったわけだよ…しょうがないなあ。次からはちゃんと水飲みなさい。子供のお酒は体に良くないんだから」
アイリスが私とほとんど年齢が変わらないことは先程周知となったはずなのだが、この違いは一体何なんだろうか。私が拗ねたいぐらいだ。
「ええと、そうそう、私の超能力の話だよね。いいかな!説明するよ!」
オーリスは大あくびをしていたセリトと、ジョッキの底を見つめてじっとしていた私に向かって一喝し、自らの能力とやらについての説明を始めた。セリトはやれやれと言った様子でオーリスの振り上げる拳を眼で追っていた。
「私の力っていうのはね、具体的には、人の性格を見ることができるんだ。顔つきや仕草から予想するわけじゃなく、そうだね、その人がそこにいるだけで実際に性格そのものが目で見るようにはっきりと『知覚』できるんだよ」
要するに占いか何かの心得があるのだろうか?しかし占いは超能力と言うよりは分析や知識に基づいた技能であると言えるし、彼女の言う超能力――精神感知の類のようなものは厳密には似て全く非なる力であると思える。
「ほう?まったく馬鹿なことを。そうまで言うなら私たちが一体どんな人間なのか言ってみるがいい。聞いてやろうじゃないか」
この金髪男のことなので、この突拍子もない話にまたしても怒り出すのではないかと私は心配したのだが、酒が入っているせいなのかどうかはわからないが、意外にも彼は少しだけ楽しそうな様子すら見せてオーリスを促した。
オーリスはもったいぶらずにきっぱりと答えた。
「セリトさんは少し厳しくて怖い人。合理性を最重視する半面、情にも正直な人。だけど崇高な理想と信念を持ってるから悪事には絶対に手を出さない。次にヌビクリヒュくん、君は人を傷つけてしまうこと自体をひどく恐れてるから誰かを陥れようなんて決して思ったりはしない。それに、元々すごく無欲でしょう」
「随分知った口を聞くじゃないか!」
セリトは驚きにわずかの喜びが混ざったような声でそう言った。大方、信念を持ってる、と言われたのが気に入ったのだろう。意外と単純な男だ。怒りに任せて人の家の玄関を蹴破ろうとするのは悪事には含まれないらしい。
しかし、私も少し驚いた。私に対する評価もまた遠からずだと思ったのだ。これまで自分で自身の性格を真正面から分析してみたことなどは無かったが、よく考えれば、ひょっとしたらオーリスが言ったことは遠からずどころか本当にまったくそうなのかもしれない。少なくとも物欲が皆無なのは事実だ。
「間違いないでしょう?私が君たちと最初に出会ったとき、私があまりに無防備なのを君たちは驚いたと思うけど、私には君たちが安全だということが元々わかっていたんだ。君たちの姿が見えるずっと前、君たちが樹海に足を踏み入れたあたりからね」
「けっ!目の前の者だけでなく、はるか遠くの視界にすら入っていない者の存在やその性格までわかると言うのか?もし本当なら軍隊に入ればいい。かつてない優秀な斥候として重宝される」
そう言いながらも、セリトは左手でジョッキを握りしめ、右手では頬杖を突いていた。真面目に言っているわけではないことを意識的に態度で主張しているようだ。私もこんな与太話を真剣に聞いていると思われても恥ずかしいので、勢いをつけて三杯目のジョッキを空け、食卓に残っている料理に視線を落とし、それを自分の皿に取り分ける作業に没頭した。酔いが回っているせいで箸を何度も滑らせ、テーブルをひどく汚した。何の気無しに目を上げるとアイリスがじっとその様子を観察していた。
「その気になればそういうこともできると思うよ」
にわかに信じられたものではない。性格を言い当てたのはやはり人相占いの類だろうか。はっきり言い切られると少しその気になってしまうが、それは占いの常套手段だ。超能力など無くとも、私の視点の定まらない弱々しい濁った眼や、セリトの燃えるような真っ赤な瞳とまっすぐ前を睨む鋭い視線を見ればそれだけで大体の性格はわかりそうなものだ。
オーリスは少し困ったような笑顔で、先ほどの言葉を繰り返した。
「私にはそういう力があるから」
すると、先ほど塞いだ私のバケツの穴が再度開いた。
「僕らよりも医者に話した方がいいんじゃないです?」
実際改めて思うと大して気の利いた台詞は言っていないのだが、私は何故だか自分で喋っておいてこの表現をいたく気に入ってしまい、下品なにやにや顔を造る自らの表情筋を制御することが出来なくなっていた。
「本当だって!」
この会話をきっかけに、私は他者とコミュニケーションを取る際に必要以上に自分自身の姿を客観的に見ようとする普段の癖がなんだかだんだんと馬鹿馬鹿しく思えてきた。それに普段抑圧しているせいなのか、言いたいことをそのまま伝えることは経験したことの無い快感だった。
バケツの底は抜けてしまった。
私は勢いをつけるために四杯目の酒を自ら注いだのだが、ジョッキの半分ほどで酒瓶は空になってしまった。
「お酒もっと欲しいんですけど!」
「だいぶ回ってきたみたいだけど、平気?気持ち悪くない?」
「むしろようやく気持ち良くなってきましたよ!よく冷えたやつが良いでしゅ」
私はそう声を上げながら、何故か立ち上がった。自分でも何故立ち上がったか理由がわからず、それが妙に面白くて、その場で何度も立ったり座ったりを繰り返した。
周囲の状況を観察できるほど冷静ではなかったので実際はそれを見ていないが、おそらくこの上ないほどの侮蔑に満ち満ちた視線を私の方に向けながら、セリトが言った。
「同じように酒に酔って貴様と似た奇行に走る者を何度か見たことがあるが、奴らは皆、数瞬後には吐瀉物にまみれていたぞ」
私は仰け反りながらジョッキの半分を一気に飲み干すと、それを意味も無くわざと横倒しにしてテーブルに置いた。
「へぇ………そう………おい!!都会人は軟弱だな。それに…人ごとみたいに言ってるけど、それはひょっとして君自身のことじゃないのか…?うひっ、ぐぐ」
しゃっくりのついでに喉の奥から若干量の苦い液体がせり上がってきたが、私はそれを飲み込んだ。
「見ての通りだ。飲もうと私は普段とそう変わらん。しかし貴様はだいぶ限界に近いようだな。私への侮辱は聞かなかったことにしてやろう。水を飲んだらどうだ?」
私はきっと、セリトが私の言葉に怒鳴り返して来ることを期待してわざと彼を焚きつけたのだろう。しかし、予想に反してその返答は気の抜けたものだった。
興奮して騒いでいる者から積極的な干渉を受けた人間の反応は大体の場合において二つに分かれる。興奮が伝播し一緒になって騒ぎ出すか、状況を客観視してしまい逆に冷静になるかだ。後者は、騒いでいる者が自分と比べて明らかに異質なものであると認識した場合に多い。そんなことをこの時いちいち分析したわけではないが、本能的に漠然とそれを感じ取った私は、急速にやってくる未知の衝撃に襲われ、心臓が凍りつくような感覚に捕らわれた。
世界が縦回転した。
私の心臓を鷲掴みにした冷たいものは、ひょっとしたら怒りだったのかもしれない。
唐突だが、私の記憶はここでしばらく途切れる。




