十六
『ストレス』というやつは『自分の欲しいもの』――『願望』と『実際に感じているもの』……『知覚』の差らしい。
ならば、今の俺はストレスだらけだ。
あと数日で新しい生活が始まろうとしているというのにみゆきちゃんの隣に俺は数時間も座っている。
みゆきちゃんはそうでもないかもしれない。
数時間前と同じように嬉しそうに話している。
時々、横を通り過ぎる人がこちらを見てくる。
見たところで何もない。
みゆきちゃんとの時間は別に無駄ではない。
ただ、心から笑ったり、怒ったりできる大切な時間だ。
でも、何かが足りない。
足りないのは何か? ……愛か? 誰かに受け入れられるということはもうできている。人と協調するために自分が『オタク』であることを今まで隠してきたのも仲間と上手くやっていくためだけだ。そんな隠してきたこともすでにみゆきちゃんには知られている。隠すことは何もないのに何かが足りない。
認められることは大切なことだ。みゆきちゃんはあっさりと俺が『オタク』であることを認めてくれた。
でも、何かが足りない。
この時間は自由な時間だ。
気楽にただいれば良いんだから。
でも、何かが足りない。
何が足りないのだろう? 彼女がいない人と比べればとても幸せで家族仲も良好といえば良好。
友人も多くはないがいる。
新しい進路ももうすぐ始まる。
達也さんに連れられていろんな所にも参加した。
『隠れオタク』でいた頃よりももっと『オタク』になっているはずなのに何かが足りない。
「何が足りないんだろう……」
思わず口に出した時、それまで喋っていたみゆきちゃんの口が止まった。
「ごめん!」
慌てて謝ったところで何も変わりはしない。
「勇一くん……私、思うんだけど……」
「何?」
何を言われるのか分からないというのがとても耐えられない。
「勇一くんには勇気がないからダメなんだよ! 一回叫んでみれば?」
「へ?」
「だから、一回デッカイ声で叫んでみれば良いんだよ!」
「何を?」
「だからー、『俺はオタクだー!』って叫んでみれば思いっきりオタク生活をエンジョイできると思うんだけどなぁ……」
みゆきちゃんは時々、訳の分からないことを言うから戸惑う時が多々ある。
「ほら、やっぱり人生にはユーモアとスリルが必要なんだよ!」
「どこからそういう情報仕入れてくるの?」
「お兄ちゃんがこの前、言ってたんだけど勇一くんまだまだ『オタク』になりきることができてないから全然『オタク世界』を楽しめてないって言ってたよ? だから、叫んでみれば良いんだよ!」
「ここで?」
「そう!」
真面目に言っているようだ。
「勇一くんはえーっと、なんだっけ……フラストレーションシグナル? が足りないんだよ!」
「その『フラストレーションシグナル』って何なのか知ってるの?」
「知ってるよ! 『やる気』でしょ! 勇一くん、私に告白するのに勇一くんの全部のやる気使っちゃったんじゃないのー?」
「そんなことない! 俺はやる気のあるオタクだー!」
その瞬間、そこにいた全ての人が俺を一斉に見た。
そりゃ、そうだ。本当にみゆきちゃんの言った通りにデッカイ声で叫んだりしたんだから。
「……ほ、本当に叫んだりしないでよね! 恥ずかしいな、もう!」
みゆきちゃんの言葉は今の俺の気持ちと同じだ。
でも、前みたいに自分が『オタク』であることを必死に隠そうとは思わなくなったかもしれない――。
大学生になった俺は今日もほんの少しの気晴らしに皆がいるここの扉を開けた。
「おっそいよー! これ、着てよ」
「えっ、メイド服?」
「それは彼女の!」
「彼女って……」
「また、着るんですか?」
後ろを振り返るとそこにはメイド服を着たみゆきちゃんがいた。
「いつここに加わったの?」
「今日」
「何しに?」
「それはぁ……勇一くんにお帰りなさいませ♪ をするためだよ!」
「みっ、みゆきちゃん?」
みゆきちゃんの暴走が始まった。
「おっ、これは撮らねば!」
カメラ野郎はその様子を撮りまくっている。
「ちょ、部長止めて!」
「眠いから無理……」
こんな日常もありかもしれない。
「ローテーション喫茶アニメ化するんだね!」
「マジ?」
「深夜だけどね」
こういう会話も覚醒するまでは無に等しかった。
「ね、オタク生活エンジョイでしょ?」
みゆきちゃんのその言葉は今の俺にぴったり当て嵌まっているようだ。
隠すことも時には大事だが、時には曝け出すことも必要になってくるのだろう。
あの時叫んだ自分がいるから今の自分に出会えた気がした。




