表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼の子と猫の子のアルフライラ  作者: 日崎アユム
第9夜 おかえりなさい

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/40

第4話 とこしえに続きますように

 今朝、初夏にしては珍しく雨が降った。イディグナ河の水かさが増すのは氾濫の心配があるので若干気にはかかるが、残虐な太陽がなりを潜め穏やかな日を過ごせるのは実にありがたいことだ。城下町のこどもははしゃいで通りを転げ回った。


 すでに乾燥したワルダ城の柱廊、列柱と列柱の間に座り込んで、ギョクハンとファルザードは並んで巻き物(シュワルマ)を食べていた。羊肉の挽き肉と野菜を薄焼き麺麩パンで巻いたものだ。おやつである。


「いやー、なんか、平和になったね」


 飲み込んでから、ファルザードが言う。


「そうだな。俺、今、平和ボケしてる」


 言ってから、ギョクハンは巻き物(シュワルマ)をかじった。


「ずーっとばたばたしてたから、何をしたらいいのか分からなくて、二、三日ずっと寝てたよ……」

「俺は用もなくカラと砂漠を走り回ってた。何も考えず、行き先も決めず、適当に」

「よかったね、やっと野に解き放たれたんだ」

「お前俺のこと何だと思ってるんだ?」


 二人で空を見上げる。高いところは風が強いのか雲がどんどん流れていく。夕方には快晴に戻るだろう。


 あれから一週間が過ぎた。


 ワルダ城はナハル軍に破壊されてしまったが、跡形もなく砕け散ったわけでもなかった。ザイナブと城に住まう使用人たちは城の中で一時的な引っ越しをして生活を続けていた。

 再建工事もすでに昨日始まったところだ。ギョクハンとファルザードが皇帝スルタンから賜った百万金貨(ディナール)ずつ合計二百万金貨(ディナール)が役に立った。これで人夫を掻き集めて急がせている。見積もりだと冬には間に合うらしい。

 夏の酷暑をどうやってしのぐかが目下の問題だが、アズィーズがザイナブにはヒザーナの郊外の離宮を提供してくれると言っている。ちなみにギョクハンとファルザードは「行ったら何をされるか分かりません」と大反対しているがアズィーズが聞くわけがない。


 ナハル軍は皇帝スルタン軍によって壊滅した。叩き潰されたナハル軍はしばらくは復活しなさそうである。


 アズィーズはあのあとナハルの都にも向かったようだ。しかしナハルの住民はほぼ丸ごと保護され、皇帝スルタンの名において生活がもとに戻るまでの施しを受けることになった。全部アズィーズの采配だ。


 アズィーズといえば、皇帝スルタン軍が一万騎の大軍に膨れ上がったのも彼が周辺諸国を漫遊して将軍アミールたちを口説き落としていたかららしい。本当はただ砂漠を放浪していたわけではなかったのだ。有能であることに腹が立つ。だが彼が皇帝スルタンになれば世は確実に変わるだろう。


 昨日、ザイナブあてに初めての手紙が届いた。鬱金香チューリップの押し花が入っていたそうだ。ギョクハンとファルザードはあまりの気障さが恥ずかしくてのたうち回った。


 ギョクハンもファルザードも何となく時間が取れず、顔を合わせることはあったが二人きりになったことはなかった。ギョクハンは奴隷軍人マムルークとしての日常に戻ろうとしている。ファルザードはザイナブが彼のための新しい職場を探して城内を連れ回しているらしい。やっと今日の午後こうして二人で過ごせることになった。


「ナハルのことだけどさ」


 麺麩パンでできた皮から葉を引っ張り出し、食べてから、ファルザードが言う。


「ムハッラム、聞いた?」


 ギョクハンは「ああ」と頷いた。


「死んだんだってな」

「一応、戦の中での負傷がもとで、っていう、戦死みたいな扱いになってるらしいけど――僕、心当たりがあるんだよね」

「俺も、なんとなく、分かる」


 声を揃えて「ジーライルだ」と言う。


「アズィーズ様にとって邪魔だったから、あいつが始末したんだ」

「やっぱりギョクもそう思う?」

「それがアズィーズ様の命令なのかジーライルの独断なのかは分からないけどな。あいつ、何となく、それくらい、やりそう。ナハル軍の陣中に忍び込むなんて簡単だと思う」

「僕もそんな気がしてる。もういいけどね。ナハルは皇帝スルタン直轄領になるってさ。ワルダの――帝国の脅威じゃなくなった。結果としてそういうことになったんだから、深追いする必要ないかな、って」


 ワルダに帰ってきたのだ。ワルダの外のことはそんなに興味がない。


 勉強しなければならない、とは、思う。今回の旅で自分は知らないことがたくさんあるのを学んだ。もっと学んでいかなければならない。もっと外に目を向けねばならない。


 しかし、今は、帰ってきたばかりなのだ。


 世界は広い。まだまだ多くの正義と悪が眠っている。

 知らなければならない。


 ただ、今は、ファルザードとのんびり巻き物(シュワルマ)を食べていたい。


「ギョクはこれからどうするの?」


 ギョクハンは「今までと変わらない」と答えた。


「俺は奴隷軍人マムルークを続けたい。体を鍛えて、腕を磨いて、有事に備える。それから交代で城壁を見張る。ザイナブ様がお出掛けの時は護衛をする。そういう毎日に戻る」

「そっか」

「でも今回の件の褒美としてちょっと昇進するらしい。部下ができて給金が増える。まあ、その部下もみんな俺より年上だから、部下というよりお目付け役みたいな感じでちょっともやもやするけど」

「よかったね。やっぱり奴隷軍人マムルークって出世するんだなあ、十年後には高級武官になってそう」

「どうだか。ザイナブ様がヒザーナの宮殿に行くことになったら護衛としてついていくかもしれないし。俺はワルダというよりザイナブ様をお守りしたいからな」

「それだけど」


 一度口の中のものを飲み込む。


「ザイナブ様、ずっとワルダ城にいらっしゃるかもしれないよ」

「どういうことだ?」

「アズィーズ様はハサン様の死後も本領を安堵すると手紙に書いていたらしい。ワルダ城城主はザイナブ様になる。女将軍(アミール)の誕生だ」

「って言ったって、じゃあ、結婚の話はどうなるんだよ」

「それも並行して進めるらしいから、どうなるんだろうね。アズィーズ様の通い婚? 夫婦関係ってよく分からないなあ。いずれにしてもワルダ城城主と皇妃を兼任なさるお考えみたいだ」


 ギョクハンは「へー」と言いながら巻き物(シュワルマ)をかじった。とてつもなく安心してしまったが、口には出さなかった。戦士の男はそういうことは言わないのである。


「お前は?」


 ファルザードが振り向く。


「お前は、これから先、何をやるんだ?」


 ハサンは、死んだのだ。ファルザードは重い務めから解放された。しかしそれは同時に仕事がなくなったということでもある。最悪城の外に出されるかもしれない――そう思っていたのだ。


 ファルザードが、微笑んだ。


「当面はザイナブ様の小姓をするよ。一、二年くらいかな? とりあえず十五まではザイナブ様がお手元で保護してくださるとのことだよ」


 ギョクハンはファルザードに悟られないよう息を吐いた。


「それで……、それから」


 目を細める。


「ザイナブ様は、僕を書記カーティブにするとおっしゃった」


 ギョクハンも心が沸き立った。


「ザイナブ様のお傍で文官として働けるかもしれない。勉強して、試験に通らなきゃ、だけどね」

「お前なら余裕だろ」

「そうだといいんだけどなあ」


 しかし異教徒の身で書記カーティブになるなら改宗か人頭税ジズヤの支払いが求められるだろう。それはファルザードにとって過酷なことかもしれない。


 だが彼は乗り切る気がした。彼は強い。加えて、ザイナブが導いてくれるはずだ。ギョクハンはもう心配しない。


 この城で、ずっと、ザイナブとファルザードと、生きていくことができる。ギョクハンにとっては、それは何よりもの褒美だった。


 今、幸せだ。


「シャジャラの五万金貨(ディナール)、いつ取りに行く?」

「どうしようかな。ジーライルに預けて増やしてもらうっていう手もあるよね」

「あいつに渡すのかよ……俺ちょっと不安だな」

「まあ、いいさ。何にも急いじゃいないんだし、ゆっくり考えようよ」

「そうだな。急いでない。これからゆっくり考えるか」


 雲の隙間から日の光が下りてきた。その神々しさと言ったらギョクハンの語彙力では言い尽くせない。美しいワルダの午後、平和なひと時だ。

 何よりも尊い。


 この平和が、とこしえに続きますように。






<終わり>





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ