五
データ保存ミスをやらかして、気づけば前回投稿から半月。
待っていてくださった数少ない方に、深く陳謝致します。
この大学のキャンパスはただ広いだけではなく、華がある。
二十階建ての大型研究所と講義棟や食堂棟などの建物の間は、直線距離で約四百メートルほどもあり、伸びる二本の中央通りの間にはコンクリートで舗装された小川が流れている。辺りは芝生や花壇が取り囲み、ところどころに銅像なども立つその風情には旧ヨーロッパの庭園然としたものがあり、晴天の下歩いているとなんともいえない充実感に包まれる。地方ならまだしも都会の大学でここまで敷地面積をとることが出来るとは、この大学の資金力は底が知れない。
夕日の照らし出す黄昏色のキャンパスは講義を終えた学生たちで溢れていた。最寄駅まで歩く人が大名行列のように中央通りを流れてくる。研究所の前では、国立公園にでもありそうな偉容を誇る噴水と、その中心で踊るようなポーズをとった女の像が生徒たちを迎えている。
いつまで経っても慣れそうにない風景。こうして眺めていると、いくら入学式で嫌な思い出のある良太郎でも、これから訪れるであろう輝かしいキャンパスライフに胸が躍るのは仕方の無いことだ。
「学長室の家具は全て純金製らしい」
噴水の縁に座り、良太郎は呟いた。ここに座っていると帰路に着く学生たちから容赦ない視線が注がれる。目立つ場所はあまり好きではないが、気持ちの良い春風と噴水の水しぶきを浴びていれば、そんなことはどうでもよくなってくる。
良太郎を挟むようにして座る夏樹、木島の両名は、遠くを呆けたように眺めていた顔をこちらへ向けた。食堂で解散した後、帰ろうと言う二人を呼び止めたのは何を隠そう良太郎である。「ちょっと話がある」などと言って二人を拘束するには限りがあったが、結局かれこれ三十分はこの場所でただボーっとする時間が続いていた。無論はじめのうちは二人とも嫌がっていたが、未だ慣れない景色を眺めながら各々想いをめぐらせていたのだろう。少し経つと二人とも文句一つ言わなくなった。
ようやくその沈黙を破った良太郎の言葉に、二人は唖然とした表情になる。
「は?」目の焦点を合わせることなく呟く夏樹。その顔には先ほどまでの、活き活きと同回生たちを仕切る様子の欠片も残っていない。「なにそれ、どこ情報?」
「入学式のとき、隣りの席だった奴に聞いた。『研究所の最上階にある学長の部屋には、純金製の家具しかない』って。この大学にはそういう類の噂が大量にあるらしい」
「そうなんですか」木島はうなずいてみせるが、やはり疲れているようで生気が薄い。「これだけ広いキャンパスですし、都市伝説なんていくらでもありそうですね」
「まあ確かにな。……それで?」
「確認してみようと思う」
はは、と夏樹の乾いた笑いが飛んだ。「お前まさかそんだけのために俺たちを呼んだのか?」
「まあ」頷く良太郎に、木島はどうやって行くのか、学生が勝手に出入りできるものなのかと、疑問を投げかけてきた。
良太郎はリュックからガイダンス資料を取り出した。しかし、これは良太郎たちがもらったものとは違う。勧誘してきた新聞部の先輩から譲ってもらった、十数年前の新入生に配布されたものだ。
良太郎はその資料を二人に見せるようにして突き出す。
「ここの研究所のエレベータは二種類ある。一つは西側のエレベータ。このエレベータは地下一階から五階まで通っていて、主に俺たち学部生が使うことが多い。まあ俺たちが研究所で使うのなんて、せいぜい地下の巨大ホールか一、二階の個別室が多いから、エレベータ自体さほど頻繁に使うわけじゃないんだけど」
資料の『キャンパス図』のページを開く。二人は一応は興味を示したようで、若干前のめりになってプリントを見つめてきた。その様子を見計らい、良太郎は自分たちがもらった資料からはなぜか表示が消されている、あるものを指して言う。
「それで、もう一つのエレベータが東側にあるもの。これは院生とか大学関係者、来賓の人なんかが使うことが多いから、地下一階から十八階まで通ってる。俺たちが使うことはほとんどない。あまりに使われないものだがら、ほとんどの学生が使っちゃいけないって思ってるんだ。それにこのエレベーターだけやたら入り口から遠い位置にあるから、わざわざそっちを使おうとも思わないんだとさ」
その妙な配置は図面で見るとより分かりやすい。西側のエレベーターは中央エントランスを入ってすぐ、並んで三台も設置されているのに対し、東側のものは研究所の裏側に設置されていると言っても過言ではないほど入り口から遠い位置に、一台ぽつりと置いてある。東西で設置するなら、普通左右対称にするものじゃないだろうか。真上から描かれた見取り図では、そのアンバランス感が余計に際立っていた。
「確かに、変な造りになってますね」
「だろう」
「ていうかなんでお前そんなに詳しいの。留年生?」
甚だ失礼なことを抜かす夏樹だが、その表情は茶化しているというより心底そう思っているというものだ。
「サークル勧誘のときに先輩に聞いたんだよ。連絡先教えた途端、あれこれ親切に教えてくれるようになってな」
新入生勧誘において連絡先を教えるということは、新入生歓迎会―――つまり飲み会への参加を示唆する。良太郎たち一回生としてみれば、ただ紙に名前と携帯アドレスを書くだけなのでどうということはないが、人集めに躍起になっている先輩方からすればこの上なくありがたい行為のようだった。書き終わった後も、あの教授の授業はやめておけ、置かれている銅像に触ると退学になる等、様々な知識を与えてくれた。
「でも実際に東側エレベータを使ったことがあるって先輩はいなかった。結構な数のサークル回ってみたけど、俺の聞いた限りではゼロだ。行ってみたくなるだろ?」
「いや、別にならねえよ」どうせ噂だろ、と夏樹。
「皆そう思ってるんだよ。でもよく考えてみろ、家具が全部純金製だぞ?」
「おお、確かに。一つでも引っ手繰ればしばらく遊んで暮せるな」
皮肉げにそう言う夏樹の目から興味が引いていくのが分かる。木島も先ほどから顔を引きつらせながら、視線を泳がせていた。この様子では、一緒に来ることは難しいだろう。出会ったばかりの人間と、そこまで行動を共にしようとは思わないということなのかもしれない。
しかし問題はない。全ては良太郎の予想の範疇だ。大勢の初対面の人間とあれこれ語ってもう夕方、疲れも溜まっていることだろう。大学の都市伝説を調査するにしてもタイミングが悪いのは十分承知していた。
良太郎はここぞとばかりに不敵な笑みを浮かべ言う。
「学長の御孫さんはエラい美人らしい」
「……へえ」反応を示したのはもちろん夏樹だ。
「うちの大学の現役生徒。学部は俺らと同じだって」
「のった」
即答だった。夏樹は勢いよく立ち上がると、良太郎の肩に腕を回してくる。チャラついた外見をしていても、やはりそこはバスケットマンなようで、その俊敏性はやや常軌を逸していた。
「学長とのコネでお近づきになろうって話か! すまん気づかなかった。都市伝説なんて余計なこと言うからだ」
「余計なことっていうかそっちが目的なんだけどな」
「で、写真とかあんの? 何年生?」
「写真はない。学年は俺たちより上って情報だけ」
「ほう、年上ね」
夏樹は気色悪い笑みを浮かべながらあれこれ呟いている。もう少しクールな男だと思っていたが、異性のこととなると欲望がむき出しになるタイプなようだ。キャッキャと騒ぐ女子は嫌いなのに、こいつ自身はあの女子生徒らと何ら変わらない。
まあ、良太郎としてはとりあえず丸め込むことには成功したので良しである。
一方の木島は依然として困惑した表情を浮かべていた。強張った態度、直らない敬語などから推測するに、あまり冒険することを好むタイプではないのだろう。人と話すことに慣れていない。こういうタイプの人間は無理強いすればついてくるが、それがその後の仲の進展に結びつきにくいのが難点だ。主張が弱い分、不満を溜め込んでしまうため、あまり強気にいくと失敗する。
よって良太郎は、何気なく「民汰はどうする?」と話を振った。
「僕は……」
「来るよな!」
そう言いながら割って入ってきた夏樹は木島の横に座ると、良太郎にそうしたように肩を組み、俯いている木島の顔を覗いた。
(馬鹿、余計なことを)
そんなに強引に誘っては逆効果だというのに、夏樹はお構いなしの様子で自らの腕を木島の首に巻きつけている。これでは半ば脅迫に近い形になってしまう。良太郎の本意ではないが、ここであれこれ言うのもまた良策とは言えない。良太郎は口を噤んで木島の返答を待つことにする。
僅かな沈黙を経て、考え込んでいた木島は「行きます」と短く答え、顔を上げた。
これで壁を張られたかな―――と思った良太郎だったが、そこには予想に反して、夏樹と共に少し楽しげな表情を浮かべる木島の顔があった。
「なんだか楽しそうですね、都市伝説探索」
「そっちかよ~」
いまいち距離感を計りかねるが、二人ともついてくることになったようなので結果オーライ。良太郎はほっと胸をなでおろす。
二人は立ち上がると良太郎の両脇に立ち、立ちそびえる研究所を見上げた。良太郎もそれに倣う。
眩い黄金色に焚かれた外観に良太郎たちを威圧するような圧迫感はなく、未開の地へ足を踏み入れるようなドキドキ感が体を巡った。
研究所の一階エントランスは、派手なキャンパスと巨大研究所の外観に釣り合う迫力あるものだ。
広大な屋内では大理石の床と五階まで突きぬけになっている天井、そこかしこにぶら下がる小さめのシャンデリアが高級感を演出している。時間帯が時間帯なため閑散としているその風景を見ていると、急激に寒さを感じ、陽光と春風のあった外が暖かく感じられる。
三人は一度体をぶるっとさせ、東側エレベータへと続く通路を進んでいった。途中誰かに呼び止められないかどうか心配ではあったが、そんなものは杞憂に終わった。通路に人影は無く、良太郎たちのコツコツという足音だけが辺りに響いていた。
エレベータの前に立ち、ボタンを押す。ブンという機械音と共に扉上方のランプが点灯する。
「今更ですけど、これたぶん校則違反ですよね」
「それ本当に今更だぞ」
「いや、『東側のエレベーターは学部生は使ってはいけない』っていうのは、半ば暗黙の了解みたいに言われているだけで、校則はもとよりどの資料にも禁止事項として記されているわけじゃない」
はは、と笑ったのはまたもや夏樹だ。
「お前それ、あの長ったらしい校則を全部読んだのか?」
「目的のためだし。事前準備は大事だろ」
「目的ってほどのもんかよ~」
笑う夏樹の横で木島はほっとしたように息を吐く。同時にエレベータが一階に到着した。
ドアが開き中に入る。階数のボタンは確かに十八階まで存在した。夏樹がボタンを押そうとして、ふと体を停止させる。
「……ねぇ、希無君」
口を開いたのは木島だった。浮かべている苦笑いは何を表しているのだろう。
「うん?」
「学長室って最上階なんですよね?」
「そうだけど」ガイダンス資料には載っていなかったが、多くの先輩が口を揃えて言っていたこと。
「十八階から先にはどうやって行けばいいんですか?」
「……」
さて、人はときとして錯覚を起こすことがある。
果てしなく遠い目標に向かって何かを頑張るときは、その目標に近づいていることを実感することは滅多にない。遠い道のりではどれだけ進んだところで、進める一歩は微々たるものにしかならないからだ。しかしそれが故に、それを実感したときというのは、目標を達成したときと同じような高揚感に包まれる。
それは、紛れも無い錯覚。
目標に近づくことで得た達成感が膨張することによって生じる錯覚。
目標に近づくことと目標を達成することの取り違え。
良太郎は最上階が学長室だと知ったとき、純粋にどうやって行くのだろうと思った。配布されたガイダンス資料には東側エレベータのことなど載っていなかったし、階段も五階止まりになっていると記してあったからだ。故に良太郎は、もしかしたら六階以降は今は使われていないのではないか、『B1F』から『5F』までのボタンを使ったパスワードがあるのではないかなど、あらゆる思考を巡らせていた。
そこで聞いたのが東側エレベータの存在。地上十八階まで通るそのエレベータの存在は、良太郎にとって奇跡だった。
そしてそれが故に、目標を達成した気分―――最上階までたどり着ける気分になってしまっていた。
詰めが甘い。
父親に幼い頃から言われ続けてきた言葉が脳裏によみがえった瞬間だった。
「……それは分からない」
「おい、事前準備はどうした」
「臨機応変力は大事だ」
「……お前のことが少し分かった気がするよ」
はあっと呆れたように肩をすくめる夏樹は、そう言いつつも十八階のボタンを押した。エレベータ内にぐっとGがかかる。
「とりあえず行ってみるしかないですね」
夏樹はともかく、意外にも木島は弱音を吐かない。良太郎は「木島民汰」という人物をもっとよく知る必要がありそうだった。
十八階に着き、扉が開く。
ドキドキとエレベータを降りると、三人は床一面に絨毯の敷かれた大部屋に出た。エレベータ出口の正面に大きな扉が二つあるのみの、立食パーティでも開かれていそうな大きな部屋に、人影はない。壁は一面ガラス張りで、大学キャンパスはもとより周辺地域一帯を見下ろすことができる。その展望台から眺めているような絶景に、良太郎は思わず息を呑んだ。
「すごいな」
「ここ貸し出しとかしてねーのかな。飲み会ここでやれたらいいのに」
「さすがに貸し出しはしてないと思いますけど」
所々に置かれたテーブルと向かい合ったソファー。展望台と高級ホテルの上階ロビーが合わさったような内装だ。確かにこの場所で飲み会なんてやれたら学生も大喜びだろうが、少々場違いな感も否めない。
良太郎たちはしばらくその景色を眺めた後、上の階へ行くための手段を探していく。とは言ってもあまりに部屋が広すぎるため、探すというより見渡すと言ったほうが的確かもしれない。それほどこの大部屋には物が少なく、もはやここが最上階でもおかしくないと思えた。
木島があっと声を出したのと、左側の扉が開放されたのはほぼ同時だった。二つの扉にはそれぞれお偉いさんがいるに違いないと踏んでいた三人は、意図的に扉を開けるのを避けていたというのに、向こうから開けられてはどうしようもない。
扉から出てきたのは、眉間に深く皺が刻み込まれた四十台後半と思しき男だった。整えられた髪と髭、タイトなシャツを蝶ネクタイで締め上げている。その風貌はどこかの大企業の社長を連想させる、威厳に満ちたもので、声を上げた木島を含む三人はその場で膠着した。
「何をしている」
ドスの効いた声でそう言われ、良太郎は何も言えなくなる。正等な理由があってのことではない。今回のことは完全に、自分の興味に他人を付き合わせただけだ。頭の中に最も最悪な展開が思い描かれていき、それを払拭するために無理やり言葉を継いだ。
「えと、」
「すみません! 学長室の家具は全て純金製だったと聞いたので、ことの真偽を確かめるべく出向きました!」
夏樹は背筋をぴんと張って起立の姿勢になると、上半身を倒し頭を下げた。一瞬なにを馬鹿なことをと思ったが、冷静に考えてみればこの状況では本当のことを言う他ない。夏樹の咄嗟の判断は最良だったのかもしれない。
男は少し驚いたような表情になる。「私の部屋の家具が純金製?」
「いえ、学長室の家具が」
「私が学長だ」
言葉を失う一同。
おかしい。学長はあの今にも倒れそうな老人だったはずだ。入学式で長々と演説をした、九十を超えているであろう御爺さん。それをこんな若い人と勘違いするはずもない。
疑問が膨らむ良太郎は、思いきって切り出す。
「失礼ですが、学長はもっとご年配だったかと思います。入学式でお話しになった」
「? それは理事長のことか? 学長は私だぞ」
その学長と名乗る男は、何を言っているんだと鼻を鳴らした。
三人は顔を見合わせる。自分たちはなんてくだらない勘違いをしていたのだろう。学長と理事長、どう違うのかは分からないが、これで問題はややこしくなってきた。
学長がこの人だとしたら、噂の部屋はこの人の部屋ということになる。それはいいとしても、例の美人だという孫は良太郎たちより年上の大学生だ。この若さでそんな年になる孫がいるとは到底思えない。学長の見た目が本来の年齢よりとんでもなく若く見えるのか、それとも噂になっていたのはやはりあの御爺さん―――理事長の部屋なのか。もし後者であれば、それは孫がいるのも頷ける。そもそも部屋は十八階ではなく二十階―――最上階のものだということだし。
様々な疑問が行き交う中、良太郎はとりあえず勘違いへの非礼を詫びた。
「別にいい。それより、さっきのような噂が生徒たちの間では広まっているのか?」
学長という地位にもなれば、生徒たちと直接触れ合う機会も激減するだろう。その生徒たちの間で広まる自分の噂なんてものがあれば、興味が湧くのも無理はない。学長は眉間の皺を若干薄めて、良太郎に問うてきた。
「はい。僕らはまだ一年なので入学したばかりですし、聞いたのは本当最近なんですけど、結構語り継がれてる噂だって聞きました」
「……人は噂好きだからな」表情を緩め、自室へのドアノブに手をかける。「見てみるか?」
言って学長は扉を開けた。そこには純金はおろか金色の物など一切なく、この大部屋と似通った彩りになっている絨毯やソファ、大きめのデスクが見えた。
長年語り継がれているという噂が、まさかこんな消化不良な結末を迎えることになろうとは。いや、普通であればよくある都市伝説として一蹴される類のものだとは分かってはいるが、それでも、それが流れる所以のようなものはあってもいいのではないか。
「現実なんてこんなものだよ。蓋を開けてみればなんということはない」
そんなことはない、と良太郎は思いたい。この世には不思議なことがまだまだたくさんあるはずなのだ。人が生涯をかけて得る常識なんてものはあてにならない。自分の見える世界だけで完結してしまうのなんてつまらない。青臭いと嗤われようと愚昧だと罵られようと、ただ順当に生きていくだけでは知り得ない真実を探していきたいと良太郎は思っている。まずは手近なところから調査していこうと思っていたが、出先から失敗してしまった。幸先が良いとはいえない結末だ。
良太郎は深いため息を吐いた。残るもう一方のドアだけが気がかりだが、ここに来て「こっちが正解でした」なんて落ちは流石にないだろう。恐らく学長の私物や何かがある部屋、もしくは応接室のようなものかもしれない。
どちらにしろこれで希望は潰えた。
「あれ、でもそれじゃあ、理事長の部屋はどこですか」
―――その木島の言葉は、まさに寝耳に水だった。
言われていたのが理事長の部屋のことであれば、まだ噂の真偽は分からない。そもそもここはまだ十八階。噂になっていたのは「最上階にある部屋」だ。だとしたら、学長か理事長かの違いだけで、「最上階の部屋の家具は全て純金製」という噂に塗り替えられるのではないか。
良太郎は激しくなる動悸を抑えて立ち上がり、学長の目を見た。噂になっているのが理事長の部屋だとしたら全てが繋がる。最上階の理事長の部屋の家具は全て純金製であり、美人だと噂の人は理事長の御孫さん。「学長」と「理事長」が入れ替わっていただけで、単純なことだった。
「最上階……二十階に行くにはどうすればいいんですか」
そう聞く良太郎を突き動かすものは、もはや好奇心以外になかった。一体いつから自分はこれほどまでに好奇心旺盛になっていたのだろうと考えると、毎度たどり着くのは高校一年の春だった。あの日あんなものを見なければ、あんなものと出会わなければ、きっと今の自分はこんなことに時間を割いてなどいないだろう。そう考えるのは意味のないことだとは分かっていても、思ってしまう自分は否定できない。
けれどその実、好奇心を裏付けるあるものの存在にも、良太郎は気づいていた。
きっと自分は彼女を―――。
「ふむ」
学長は眉を潜め、顎鬚を撫でる。
やはりそれは学生に言えない秘密ということだろうか。もしそうならば事情は大きく変わる。噂といものは、流れるにつれてその形を変えていくもので、伝言ゲームの如き要領で最後に残るのは肝要な部分のみとなる。今回の場合は、まず間違いなく「家具は全て純金製」という点だろう。その前の学長というワードが本来理事長であったとしても、別段重要なことではない。良太郎の心にはまだ希望が残る。
少しの間が空き、返答を待っていた三人に、学長は言った。
「この研究所は地上十八階建てだ」




