第30話 三週間
それから、ながとはさくらに連絡しなかった。
一週間。
二週間。
そして、三週間。
自分でも驚くほど、静かだった。
仕事へ行く。
働く。
帰る。
飯を食う。
寝る。
以前なら、仕事が終わればパチンコ屋へ向かっていた。
金がなければ、誰かに借りた。
負ければ、取り返そうとした。
負けを取り返すために、また借りた。
そんな生活だった。
けれど今は違った。
財布の中に残った金を見て、
「……これ、使わんかったら残るんやな」
そんな当たり前のことを考えるようになった。
体重も少しずつ落ちていた。
鏡を見る。
以前より顔が細くなっている。
服も、少しだけ似合うようになった。
「……俺、変わったな」
誰に言うでもなく呟く。
その瞬間だった。
胸の奥から、別の言葉が出てきた。
――さくらに見せたい。
ながとは目を閉じた。
「……まだや」
三週間経っても、
自分の努力とさくらの気持ちを切り離せていなかった。
そんなある日。
仕事帰りに、けんじと会った。
「久しぶりやな」
「ああ」
「どうや?」
「何が?」
「さくらちゃん」
ながとは少し黙った。
「連絡してへん」
「そうか」
「三週間」
「よう我慢したな」
その言葉に、ながとは少し笑った。
「俺もやればできるんや」
「そうや」
けんじは頷いた。
「だから、このまま続けろ」
「……」
「もう連絡せんでええ」
「でもな」
ながとが言った。
「俺、ちゃんと変わったやろ?」
けんじは答えなかった。
「痩せたし」
「ああ」
「仕事もちゃんとするようになった」
「ああ」
「パチンコも減った」
「ああ」
「……さくらが見たら、ちょっとは考え直すんちゃうかな」
けんじは、ゆっくり首を横に振った。
「ながと」
「なんや」
「そこや」
「……」
「お前はまだ、『変わったから好きになってくれる』と思ってる」
ながとは黙った。
「人はな、変わったからって誰かを好きになるわけちゃうぞ」
「……分かってる」
「ほんまに?」
「分かってるって」
少し苛立った声になった。
けんじはそれ以上言わなかった。
帰り道。
ながとは一人で歩いた。
街灯の下を歩きながら、考える。
三週間。
これだけ我慢した。
これだけ頑張った。
なら――
一度くらい、連絡してもいいんじゃないか。
そんな考えが浮かぶ。
スマホを取り出す。
さくらの名前を見る。
指が止まった。
メッセージを開く。
最後に送った言葉。
『もう連絡せんから安心して』
その文字を見つめる。
「……」
約束した。
だから、送れない。
スマホをポケットに戻した。
その夜。
さくらは、あやと食事をしていた。
「最近、どう?」
あやが聞いた。
「……少し楽になった」
「本当に?」
「うん」
さくらは笑った。
「最近、帰り道で後ろを何回も見ることが減った」
あやは安心したように息を吐いた。
「よかった」
「まだ、ちょっと怖いけどね」
「うん」
「でも……前より普通に生活できる」
さくらは箸を置いた。
「私ね」
「うん」
「ながとさんがどうしてるか、最近知らないの」
「それでいいと思う」
「うん」
少しだけ間を置いて、
「知らないほうが楽なんだと思う」
そう言った。
それが、さくらにとっての三週間だった。
ながとにとっては、
自分を変えるための三週間。
さくらにとっては、
自分の生活を取り戻すための三週間。
同じ三週間でも、
二人が見ていたものは全く違った。
そして三週間目の夜。
ながとのスマホが鳴った。
知らない番号だった。
「……誰や」
出る。
「もしもし?」
『ながとさんですか?』
女の声だった。
ながとは少し警戒した。
「そうですけど」
『私、さくらの友人です』
心臓が跳ねた。
「……さくらの?」
『はい』
ながとは無意識に背筋を伸ばした。
「どうしたんですか?」
『少しだけ、話したいことがあります』
「……さくらは?」
『さくら本人ではありません』
ながとの胸が高鳴った。
「何の話ですか?」
電話の向こうで、女性が息を吸った。
そして――
『あなたに、最後に伝えたいことがあります』
ながとは黙った。
その瞬間。
三週間かけて押し込めていた気持ちが、また胸の中で膨らみ始めた。
最後。
その言葉だけが、頭に残った。
――もしかしたら。
――本当に、最後のチャンスなのかもしれない。
だが。
電話の向こうの女性が続けた言葉は、
ながとの期待とは全く違うものだった。
『さくらは、あなたと付き合うつもりはありません』
「……」
『これからもありません』
ながとの顔から、血の気が引いた。
『だから――』
電話の向こうから、
静かな声が続いた。
『もう、さくらを追わないでください』
三週間。
耐えた。
変わろうとした。
それでも。
ながとの恋は、
まだ終わらなかった。




