第12話『撤退』
風邪ひいてしまいました_:( _ ́ཫ`):_
「あんた達も、やり過ぎだよ」
第4皇妃ルシアーダの冷徹な声が、夜の鉱山に澱む空気を震わせる。
元通りに繋がった右腕の拳を握り締め、アルムは再び地を蹴ろうとした。
だが、その肩をヴィルヘルムの強い手が掴み、制した。
『待て、アルム。引くぞ』
『なぜです、兄上。腕は戻った。魔素を使えば、あの害虫どもをまだ――』
『分が悪すぎる』
アルムの言葉を遮り、ヴィルヘルムが口にしたのは、感情を完全に削ぎ落とした機械的な戦力分析だった。
『叔母上のクラスは《破壊》。物質だけでなく『事象』そのものを解体して無に帰す。今ここで私たちがウェインを殺そうが、帝国兵を全滅させようが、叔母上が指先を鳴らせばそれまでの事象を破壊されリセットされて無かったことになる。叔母上を殺す明確な手段がない現時点での戦闘続行は、我が国のリソースの無駄遣いだ。』
ヴィルヘルムの言葉にアルムの凍てついた青い瞳が、ルシアーダを見つめる。狂気に支配されながらも、彼の脳は寸分の狂いもなく「撤退」という最善の選択肢を弾き出していた。
彼女の目は、かつての甥たちを「本気で抹殺しよう」とはしていない。まるで、庭に迷い込んできた出来の悪い猟犬の子供を、面白がって眺めているかのような、圧倒的な余裕。
(第7皇女というカードは奪い返された。だが……)
ヴィルヘルムの視線が、ルシアーダの背後に立つ姉、アリシアへと移る。
祖国滅亡の日から生死すら不明だった姉。彼女の身柄を確保し、その《調停》の力を王国再興の盤面に並べることができれば、皇女一人を失った代償など遥かに凌駕する「大戦果」となる。
「目的を切り替えるぞ、アルム。……アリシア姉上!」
ヴィルヘルムは一歩前に踏み出し、アリシアに向かって真っ直ぐに手を差し伸べた。
「我らと共に来てください。ネフィリム王国はまだ滅びてなどいない。同胞たちがあなたを、神官長を待っています!」
アリシアは一瞬、目を見開いた。そして、自分の隣で未だ胸当てを歪ませて息を吐くウェインへと視線を向ける。ウェインは苦しげに顔を歪めながらも、彼女の選択を拒むような男ではなかった。
「行きなさい、アリシア。探し求めていた家族が見つかったんだ、君は…帰るべきだ。」
「ウェイン……ありがとう。あなたへの恩は、決して忘れません」
アリシアはウェインに深く一礼すると、ルシアーダの横を通り抜け、弟たちの元へと歩み寄った。ルシアーダはその様子を邪魔することなく、ただ気怠そうに髪を弄りながら、くすくすと下卑た笑い声を漏らす。
「行きな、甘ちゃんたち。今のあんた達じゃ、あたしの足元に触れることすらできやしないよ。……精々、国境の泥水でもすすって、もっと鋭い牙を研いでおいでさね」
最後まで自分たちを道具のように見下す裏切り者の叔母。アルムはその言葉を鼻で笑うことすらせず、ただ冷徹に事実だけを受け止めた。
『総員撤退だ!』
ヴィルヘルムの号令が響く。救出された同胞たち、そして今回の作戦で初めて前線に立った戦闘系の女性軍人たちも撤退の準備に取り掛かる。
『ルシアーダ叔母上。次に会う時は、その《破壊》ごと、あなたを磨り潰します』
『ふん、今のアンタじゃあたしにかすり傷すら付けられないよ。もっと精進しな。』
アルムの言葉をルシアーダは鼻で笑って受け流した。
ネフィリムの軍勢は国境の地――旧ネフィリム王国、ラスター侯爵領へと撤退していった。
撤退していくネフィリム騎士団を帝国兵達はただ眺める事しか出来なかった。
「第4皇妃殿下、追撃は…」
「しなくていいよ。陛下からは"泳がせろ"と言われているんだよ。」
「陛下から……承知致しました。」
「それと、この鉱山はしばらく閉じるよ。辺境伯が殺られたからね。」
「なっ!?辺境伯がっ!?」
「おや、知らなかったのかい?アイツらは辺境伯一族と、ここいら一帯の貴族家を始末したのさ。」
「なんてことを……」
「お陰でこっちも少しばかり時間を稼ぐことが出来たけどね。」
「妃殿下……?」
「ああいや、こっちの話さね。さ、馬鹿娘を連れて城に帰るよ。」
ゾロゾロと鉱山を後にする帝国兵達。
馬車の窓から鉱山を見る第7皇女ダリアを横目にルシアーダは思案する。
(さて、今回の贄でどれだけ時間が稼げたかねぇ。)
「お母様?」
「あぁ、なんでもないよ。」
「あの人たちはネフィリムなのですか?」
「あぁ、あたしの弟の子供達さ。アンタの従兄弟になるかね。」
「私の従姉妹……。」
娘の反応にルシアーダはピンと来た。
「ヴィルヘルムかい?」
「何がですか?」
「その反応……違うね。ならアルムかい?」
「だ、だから何がですかっ」
「ほほう、アルムかい。」
「もぅ!なんなんですか!」
「血は争えないねぇ。」
「だーかーらー!」
馬車の中が賑やかになる。
馬車に並走する形で馬を駆る筆頭騎士は己の鎧の胸の部分を撫でる。
(アレが噂に聞いていたクラスというものか……)
アルムが見せた異能。
己の腕を変質させ、鎧を歪ませるほどの破壊力を生み出した。
第4皇妃の異能を持ってしても"壊せなかった"異能。
アルムがヴィルヘルムの《祝福》の力で得た膂力と魔素を取り込んで発揮した《変化》の破壊力による自分への攻撃。
伝説級と呼ばれる素材で作られた筆頭騎士専用の鎧は普通の剣ならば傷付くどころか相手の剣が折れてしまう程の硬度と防御力を誇る。
しかしその鎧がたった一撃で文字通り"破壊"された。
第4皇妃の異能のお陰で鎧の破壊と自身の損傷は無かったことになったが"鎧の歪み"までは無かったことに出来なかった。
それはルシアーダの《破壊》による事象破壊でさえも変えられなかった"因果更新"の御業。
帝国に伝わる神話級の武具に宿ると言われる効果だ。
(先の戦……ネフィリム王国は全力じゃなかった……?)
先の戦いでは、"専守防衛"を国是としていたネフィリム王国は民間人はもちろん、軍でさえも強烈な抵抗は見せなかったと聞いている。
しかしネフィリム王国第2王子が見せたあの力があればそう易々と国を滅ぼされたりはしないだろう。
帝国側にもっと甚大な被害が出てもおかしくなかった。
(だから"泳がせろ"……か?)
自分が鉱山に派遣される際に皇帝陛下から言われた"もしネフィリム共が撤退したとしても追うな。泳がせろ。"という指示。
(屋敷にいるネフィリムの女性達は……1度陛下にお伺いせねばな。)
筆頭騎士は馬上で思案に耽っていた。




