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八月のある夜、わたしは新宿の戸塚警察署の会議室に駆け込んだ。途端に、熱気が襲ってくる。既に詰めかけている大勢の記者が放つ熱さだろうか。
会見の時間まであと六分ある。
ぎりぎりね。
記者たちは無数の喋り声が会議室にこだまする。彼らは、警察幹部の到着を今か今かと待ち受けているのだ。
わたしは首を振りながら、後方のパイプ椅子にかけた。
半年前も、奥多摩署の会見場で似たような熱気を感じ取ったことを思い出す。
そのころ、女性の刺殺遺体が奥多摩の山中で見つかったのだ。さらに、その遺体は死後十年以上経過している白骨遺体だった。
だがいまは別の事件にその熱が移っている。戸塚署の管内で起こった殺人だ。五十二歳の独身女性が青酸カリで毒殺された。
マスコミが興味を持った理由は、彼女が疑惑の人物だったからだ。
被害者は十年前に都内のビジネスホテルに放火した容疑で逮捕され、後に証拠不十分で釈放されていた。
毒殺事件から三ケ月―― 。
警察は犯人逮捕の記者会見をこれから開く。フリージャーナリストのわたしがここに来た理由は、昵懇の週刊誌編集長から「手が回らないんだ。頼む」と電話を受けたからだ。
午後十時、戸塚署の署長と警視庁捜査一課長が会議室に入り、一礼して着席した。
署長が時折詰まりながら原稿を読み上げ、被疑者一名を逮捕したと告げた。
「なお、被疑者はこの二年間に発生した五件の殺人事件の犯行も自供しております」
瞬間、静寂が襲ってきた。
でもわたしは、会議室の温度がさらに高まり、外気を超えたような気がした。
「連続殺人ということですか?」、「五件の被害者とも十年前のホテル放火の関係者なんでしょうか?」「警察は最初から関連に気付いていたんですか?」
静寂などなかったかのように、記者たちからの矢継ぎ早の質問が飛ぶ。
これには、署長ではなく一課長が対応した。
「皆様、静粛にお願いします! 五件の殺人事件との関連は、現在捜査を進めております。捜査中の事案となりますので、被疑者の個人情報については、現段階での公表を見合わせていただきたく、報道各社におかれましてはこの点をご留意願います」
一課長の言葉はしかし、記者たちを落ち着かせることはできなかった。彼らはさらに、この会見の意味を質した。
わたしは静かに聞きながらも、記者たちと同じ疑問を抱いていた。
犯人は逮捕したが、氏名は明かせない。これなら、わざわざ会見を開くまでもない。それとも、世間の注目を集めているから、さっさと事実だけ公表して沈静化を図りたかったのか。
はるか前方に直立不動で立つ一課長は、どこか涼しそうな顔をしていた。
想定通り、ってわけね。
これ以上聞いても時間の無駄と思い、わたしは会議室を出た。その足で、一階上の喫煙室に入る。リュックサックから煙草とライターを取り出し、火をつけた。結婚してから続けていた禁煙は、娘の小学校入学と同時に破られた。
ややあって、喫煙室のドアが開き、会見を終えたであろう捜査一課長が入ってきた。予想通りだ。
わざわざ警察官以外立ち入り禁止の喫煙室にやって来た理由は、ニコチン不足だけではない。オフレコの情報を手に入れるためでもあった。
一課長がヘビースモーカーだということを、わたしは子どものころから知っている。
「大変そうですね、武藤のおじちゃん?」
昔のように声をかけるわたしに、一課長は苦笑しながら煙草をくわえる。
「久しぶりだね、明美ちゃん」
「被疑者の情報、どうして公表しないんですか」
「会見で言った通り」
「そんな杓子定規な答え、マスコミは誰も納得しませんよ」
「君らが納得するかどうかは関係ないよ」
煙草の先端を見ながら、一課長はにべもなかった。
「一課長、そこを何とか」
我ながらわざとらしいとは思いつつ、最敬礼する。
「駄目だ・・・」
それでも頭を上げないわたしの耳に、一課長のため息が聞こえる。
「はぁ。分かった。ただし、条件がある」
「・・・条件?」
「親父さんに会わせてくれ」
わたしは軽いめまいに襲われた。
原因は、その言葉のせいなのか、それとも狭い喫煙所に充満する紫煙のせいなのか・・・。
わたしには分からなかった。
翌日の夕刻、わたしは東京駅の地下出入口の前で父・江津麟之助を待っていた。
目の前をせわしなく動く人々を観察していると、見覚えのある色黒な顔が目に付いた。額から頭頂部にかけては禿げ上がり、髪は既に白くなっている。
父は、白シャツにダークブラウンのジャケットを羽織り、スラックスを履いていた。
父もこちらに気付き、ゆっくりとした足取りで近付いてくる。
「お疲れ様」
「迎えにまで来なくて良かったんだが」
無愛想な態度に、文句が出そうになったが抑える。この人はわたしの仕事のために来てくれたのだ。
父には、既に今夜の目的を伝えていた。
父はかつて警視庁の刑事だった。定年後に千葉の海辺町に引っ越して五年経つが、今でも警察の捜査に協力しているらしい。そして、一課長は父の刑事時代の後輩だった。
「さ、行きましょうか」
わたしたちは雑踏をかきわけ京橋に向けて歩き始める。
オフィスビルの谷間にある中華料理屋が目的地だった。店員に名前を伝えると個室に案内された。
部屋には、既に一課長が来ていた。父の姿を見るなり立ち上がって挨拶する。仏頂面だった父も相好を崩し、再会を喜ぶ言葉をかけた。
挨拶も終えると、わたしたちは料理と飲み物を注文した。誰も酒を頼まない。
やがて料理が運ばれて形ばかりの乾杯をすると、一課長が口火を切る。
「江津さん、助けてもらえませんか」
「助けると言ってももう犯人は逮捕したんだろう。それとも、否認しているのか?」
「いえ、全面自供です」
父は首を傾げて烏龍茶を口に含む。一課長は犯人逮捕までの経過を話し始めた。
「我々は六件の殺人を当初無関係だと思っていました。ところが、今回の戸塚管内の事件で、前科者が被害者になったヤマが他にもあると判明したんです。さらに同様のケースがないか未解決事件の精査にあたると、丸二年の間に四人の犯罪者、ないしそう思われる者が殺害されたことが明らかになりました。
これらの事件を見直すと、すべての事件に繋がる人間が一人だけいたんです。我々はその人物を徹底的にマークしました。そして昨日、次の殺人が実行される直前に犯人、龍ヶ淵光恒を逮捕したというわけです。
彼は逮捕後素直に犯行を自供しました。動機は法の利益の向上。罪を犯しながら逃げきった、あるいは不十分な刑のみで世に放たれた人間の排除が目的だった、と言っています」
龍ヶ淵光恒。その名前には聞き覚えがある。
記憶を探っていると、それまで海老チリを食べていた父がおもむろに口を開いた。
「・・・龍ヶ淵。全日本弁護士協会会長の親戚か? 確か検察官の息子がいたな」
父の言葉でようやく思い出す。
龍ヶ淵一族。明治以来、代々法律家を輩出してきた家柄だ。
「検事は長男。逮捕したのは次男坊です」
「法曹のサラブレットによる私刑殺人。その三文小説みたいな動機が本当か調べてほしいなら、精神科医に聞くべきだろう」
「いえ、そうではなく。一連の犯行があまりにも綺麗すぎるんです。まるでプロの殺し屋のような犯行だ。かといって、誰かをかばっている様子もなく、犯人しか知りえない情報も握っている。光恒が犯人で間違いありません。
ただ、どこかに警察が認知していない最初の殺人、言うなれば‘0件目の殺人’があり、光恒はそこで殺人の方法について練習したのではないかと思うんです。それを調べたいのですが・・・」
「上層部が早く幕を引きたがっている?」
「ええ。父親は弁護士のトップですからね。ある意味爆弾です。とっとと送検しろと命じてきましたよ。でも、江津さんなら――自由に動けますよね?」
一課長の言葉に、父は苦笑いを浮かべて烏龍茶を一口すすった。
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