17 エピローグ
────あの夜以来だった。
その八ツ柳修子は今 目の前にいた。共同企画の別会社の社員として。
仕事の話が済んで資料を片付け出すと沈黙が広がった──が、それは何か優しかった。
「…………夜岸さん……私、もうすぐ会社を辞めるんです」
彼女の声に 私は顔を上げた。
「婚約しているんですけど相手が老舗旅館の長男で。結婚したら、彼についていくと決めているんです」
自然と 微笑みは浮かぶ。
「おめでとうございます。旅館の女将さんになるんですね。ご主人になる方は幸せ者だ」
彼女もニッコリとした。
「私もとても幸せです。──だけどこれまでの人生で……どうしても納得できない不思議が私にはあったの。自分自身のことなのに 変かもしれないけれど……」
修子はまとめた資料をテーブルに──置いた。
「好きな人がいたんです。まだ若かったんですが、とても……好きな人が。
だけど私は何故かその人と別れてしまっていました。彼への……生きる支えだったような想いもいつの間にか縮んでいました。
変なんですが別れの前後の記憶が……私はなんだかあやふやで、いつも引っかかっていたんです。
私は何故 彼を諦めたんだろう。好きでいることをやめたんだろう……って。
確かに……私はあんなにも…………」
"愛していたのに"という言葉は、彼女は口にはしなかった。しかし、そのままこちらの言葉を待っているのは伝わってくる。
返答出来ずに 私は考え あぐねた。
安易な誤魔化しではこの人は納得しない気がする。
私が言葉に詰まっていると分かったのだろう。修子の方が話かけてくれた。
「ごめんなさい。10年以上前のことを突然掘り返して。お互いに顔も忘れていたのにね」
彼女は少し笑った。それから
「あのう、もしかしたら……なんだけれど……」
と続ける。
「連くんは、私に……そんなに恋していなかったんじゃない?」
その言葉に私は修子を凝視した。
「あなたはとても優しくて良い人だった。友達もいなくて部活も1人の私を、あなたは……一生懸命助けてくれた。親切に、熱心に。
だけど恋愛感情は──私には本当はあまり無かったんじゃない?」
私が口を開く前に、彼女は素早く言葉を重ねた。
「責めているんじゃないのよ、全然。そうであってもあの頃仲良くしてもらえただけで私は本当に幸せだったから。実際にあなたのおかげで私は学校に行けるようになって友達もできて……幸せになったの。本当にありがとう」
修子は片手を頬に当てた。
「でもこれで……うん、分かった。分かった気がするわ」
自分に言い聞かすように、彼女は言った。
「私があなたを諦めたのは、あなたが私を愛することは無いと悟ったからなのね。卒業を機会に別れるのも最もだわ。──親切や同情では付き合っていけないもの」
──とにかく彼女に話を合わせる。それに、修子の出している答えは全くの不正解でもない。そのことに冷や汗が出そうだった。
「ごめん。私が全くの子供だったんだと思う。自分ではそれなりの好意はあるつもりだったんだが……君についていけていなかった。君を満たすほどに私は返せていなかったってことじゃないかな」
修子は、半ば呆れるような顔で私を見た。
「相変わらず言い方が優しいのね。………そういうのって、むしろある意味"女の敵"よ」
それは核心を突いている。
「ひどいな。これでも嘘はつかないようには心掛けてるんだ。ただ……君たち女性はいろいろと難しいから」
────とても
そうして 私達は笑い合った。
階下を降りるエレベーターを待つ時に、私は最後に
「お幸せに」
と告げた。
修子が笑顔で手を差し出してくれたので握手をした。
彼女は来たエレベーターに乗り込み、去っていく。
彼女の手を握った自分の右手には、確かに癒しがあった。
それは食べられるような"恋心"ではないものの、大切に温かく想ってくれている── 一つの愛に違いない。
彼女の乗ったエレベーターは降りていく。
誰にも──修子にも見えてはいなくても私は一礼していた。
私は恋することはない
愛してやることもできない
それでも
長い時の間も想い続けてくれて
若き日の私に
愛の味を教えてくれた"最初の恋人"へ──
尊敬と感謝を込めて
エレベーターホールからの戻りの廊下では、給湯室から話し声が聞こえた。
スマートフォンでの通話で、樋口いずみが1人で話していた。
「……分かっているから、お母さん、あんまりお見合い急かさないで。今すっごい好みのタイプ狙っているから。──そう 性格良し、顔良し、学歴良し、体型良し!…………そうそう、前から言ってた夜岸さんて人!」
名前が出てきて咄嗟に身を隠した。樋口いずみは
「絶対ゲットして結婚してやるわ! 社内じゃ絶対ナンバーワンだもの!」
と熱を込めて母親に宣言している。
────もっとも面倒なタイプだった。愛情も恋心もそれほどはではないのに、純粋な勢いでこちらを狩りに襲って来る。
やっぱり早いうちに手を打とう。
通話が終わったようなので、私は今通りがかったように顔を出した。
「あ! 樋口さんここにいたんだね」
最大限に愛想の良さを発揮する。
「や、夜岸さん……! 私になんのご用でしょう!?」
顔を輝かせた樋口いずみに その言葉を仕掛ける。
「良かったら2人で 飲みに行かない? ──今夜」
お読み頂きまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
作者としましては、夜岸連には人間社会の中でさまざまな経験をしながらも、どこか"変わらない彼"の姿を書いたように思っております。
野生動物をペットのようにできたらなぁと夢に見つつも、野生だからこそ慣れることなく孤高でいて欲しいとも願うような気持ちです。(わけ分からなかったらすみません)
一つ前の『全ての結末』が一番好きでした。
この作品は出すとよく、読者の皆様には各々に想像して頂いて楽しんでもらってきたシリーズです。
今作も解釈や想像を自由にしてもらえましたら、作者として嬉しい限りです。
連載期間中応援をどうもありがとうございました。ʕ•ᴥ•ʔ




