番外 若き龍
(承前)
###2001年、上海/龍騰A株上場記念パーティー
ホテルの大広間は、祝賀の声で満ちていた。
壇上では、父亡き後に龍騰グループを率いてきた叔父が、満面の笑みで来賓の拍手を受けている。
フラッシュが絶え間なく焚かれる。
(――上海証券取引所でのA株上場は、父の悲願だった)
叔父は、半歩後ろに立つ昊天の方を振り向いた。
「皆さんもご存じでしょうが――」
軽く会場を見回す。
「我が社には、頼もしい次の世代がおります」
少し間を置いて、昊天の肩を押し出すように手を置く。
「李昊天。
龍騰ホールディングスの次代を担う、若き龍です」
拍手が起こった。
昊天は動かなかった。
頷きもしない。否定もしない。
ただ静かな表情でそこに立っている。
叔父の手だけが、肩に置かれたままだった。
フラッシュがまた光った。
会場の片隅。
譜代の役員たちが、グラスを片手に小さく頷き合っていた。
役員たちの視線は、叔父ではなく、昊天の方へ向いていた。
「若様が戻ってきた」
「これで龍騰も安泰だ」
「海外で経験も積んでおられる。時代も変わるでしょう」
声は低い。その表情にはどこか、安堵だけではない思惑が混じっている。
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会場の隅で、水蘭は壇上を見上げていた。
同い年のはずなのに、昊天の立ち姿は年齢よりもずっと静かに見える。
水蘭は小さく呟いた。
「……あんな顔、する人だったっけ」
隣に立っていた昊明が、短く鼻で笑った。
「しなきゃいけないんだろ」
視線は壇上から外さない。
「あそこに立つなら」
昊天は、叔父の手が肩に置かれたまま動かなかった。
祝福の拍手の中でも、表情は変わらない。
昊明は、その姿をじっと見ていた。
そして声を落とす。
「兄さんは、あの『家』を丸ごと背負う気だよ」
水蘭の方は見ない。視線は昊天に当てたまま。
「叔父さんたちの魂胆も、役員たちの期待も――全部、飲み込んで」
フラッシュがまた光った。
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### 透明な檻/2002–2005年
古参役員の額に光る汗とは対照的に、
昊天の横顔には一切の揺れがなかった。
指先だけが、端末を静かにスクロールしている。
「——この会社は外す」
短く、乾いた声。
役員の顔が凍りついた。
「わ、若、いえ、昊天様……しかし、ここは先代の頃から……」
「基準値を満たしていない」
「そ、それが…その……先代の“情”というものが……!」
古参役員は必死に食い下がる。
「利益率も、支出の透明性も、リスク管理も。
契約継続の理由が一つもない」
昊天はそこで初めて顔を上げた。
まっすぐだが、冷たい視線。
「龍騰は情で動く会社ではない。
動いていい規模でもない」
昊天は椅子にもたれることなく、
真っ直ぐ相手を見据えたまま静かに続ける。
役員の喉がひゅっと鳴る。
「し、しかし……それでは……これまでの契約先は……」
「困るだろうな」
昊天の声はやさしいほど静かだった。
「困るからこそ、やる必要がある」
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夜、龍騰大厦の最上階。
オフィスの灯りはほとんど消えている。
ただ一室だけ、淡い光が残っていた。
昊天は机に向かい、静かに数字を見続けていた。
無駄なもの、
不透明なもの、
私物化に繋がるもの。
それらを徹底的に排除するための基準を――
誰かに褒められるわけでもない。
誰かを恨むこともない。
ただ整えているだけ。
その瞬間、ドアがノックされた。
「兄さん?」
昊明だった。
昊天は顔だけを少し動かす。
「……どうした」
「灯り、見えたから」
昊天は短く返す。
「先に帰れ」
昊明は部屋に入り、机の上の案件をざっと見て眉をしかめた。
「叔父派の息がかかった企業ばかりじゃん」
「基準に達していない」
「達する気もないだろ、あのへんは」
昊天は言葉を返さない。
昊明はしばらく黙ってその横顔を見ていた。
そしてぽつりと言う。
「——兄さん、“楽になる”ためにこれやってるんじゃないよな」
昊天は答えない。
昊明は笑いもしない。
「自分で檻を作って、自分を入れるんだろ」
昊天はそれに反応もせず、ただ端末を見続けた。
昊明はそれ以上何も言わず、ドアに手をかけた。
「……兄さん」
背中越しに小さく言う。
「誰も、そこまで求めてないよ」
昊天は、顔を上げなかった。
「求められなくても、必要だ」
その言葉は、昊明にはあまりにも重かった。
「……そっか」
昊明は静かに部屋を出た。
閉じたドアの向こう側で、
昊天はまた端末に視線を戻す。
(誰も、そこまで求めてない、か)
その仕事は、誰かから見れば、
“ひとつの時代を終わらせる準備”
であり、昊天には
“すべてを透明にする檻の構築”
だった。




