第3章(18)書けるところで
最初の連絡は、平日の昼休みだった。
知らない番号。
出ると、落ち着いた男性の声が名乗った。
——国内大手紙のデジタル編集部。
「Webで拝見しました。
港湾の記事を書かれた方ですよね」
知夏は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「はい……」
「いま、インフラと都市運用を横断的に書ける人を探しています。
一度、お話できませんか」
切ったあと、
しばらくスマホを握ったまま動けなかった。
(……大手紙?)
名前を出せば、誰でも知っている。
紙も、Webも、影響力がある。
だが、頭に浮かんだのは
「すごい」より先に——
(私、そこで何を書くんだろう)
---
数日後。
昼食から戻ると、
編集長に呼ばれた。
「ちょっと話がある」
狭い資料室。
ドアが閉まる。
「……あちこちから声、かかってるだろ」
否定はしなかった。
「大手紙からも?」
うなずく。
編集長は、少しだけ笑った。
「まあ、そうなるよな」
壁に肘をつき、
知夏を見る。
「うちは、正直に言うと
紙もWebも、余裕はない」
言い訳でも、慰留でもない口調だった。
「でもな」
一拍。
「君の書いてるものは、
“うちのフォーマット”からは、もうはみ出してる」
胸が、きゅっとなる。
「それは、悪い意味じゃない」
編集長は続けた。
「CFに分解できるか、とか
紙面に収まるか、とか
そういう基準で測ると、たぶん君は苦しくなる」
知夏は、黙って聞いた。
「だから」
編集長は、はっきりと言った。
「書けるところで書け」
引き留めない。
背中を押すだけでもない。
判断を、本人に委ねる言葉だった。
「ここに残ってもいい。
外に出てもいい」
「ただし」
視線が、真っ直ぐ刺さる。
「書くのをやめる選択だけは、するな」
---
その夜。
知夏は、部屋の床に座り、
ノートを並べた。
これまでの取材メモ。
港湾。
運用。
都市OS——消して、書き直した言葉。
(私は……)
肩書きが欲しいわけじゃない。
有名になりたいわけでもない。
現場で動いている現実を、そのまま書きたいだけだ。
それができる場所は、
どこだ。
大手紙の名前。
今の編集部の空気。
Webという広さ。
迷いはあった。
だが、
迷いの中心は、ひとつだった。
(……書けなくなるのは、嫌だ)
知夏はスマホを取り、
大手紙の編集者に返信した。
> 「一度、お話を聞かせてください」
それだけ打って、送る。
窓の外では、
夜の街が、何事もなかったように動いている。
港も、道路も、
止まらない。
(……私も、止まらない)
知夏は、ノートを閉じた。




