第1章番外 お嬢様のウェディングドレス
(承前)応接間の扉をそっと開けて入ると、お嬢様が白い箱の前に立っていた。
使用人が運んできたばかりの、大きな箱。
私は静かに近づいて、箱の蓋が開いているのを確認した。
中から広がる純白のドレス。
レースの細かい刺繍が、光を受けて優しく輝いている。
オフショルダーの袖が、まるでお嬢様の肩を優しく抱くように落ちていくシルエット。
(……綺麗すぎる。お嬢様に、ぴったりだ。)
お嬢様が自分で選んだものだとすぐわかる。
「あの李昊天総裁がついに選んだ女性」という世間の目に応えるために。
派手すぎず、でも気品があって、誰もが納得する一着を、慎重に選んだんだろう。
お嬢様はそういう人だ。
お嬢様はドレスを広げて、鏡の前に立った。
白い生地が体に沿って落ちていく。
私はそっと息を飲んだ。
鏡の中のお嬢様は、静かに微笑んでいるように見えた。
でも、私は知っている。
その微笑みの裏に、ほんの小さな影があることを。
ずっとそばにいたから。
お嬢様はいつも、笑顔で不安を隠す人だ。
両親の冷たい視線、李総裁の遠い目……
それらを自分で背負ってしまう人。
私はそっと声をかけようとしたけど、言葉を飲み込んだ。
今は、ただ見守るだけでいい。
お嬢様が自分で選んだこのドレスを、
自分の手で着て、
自分の目で確かめている瞬間を、邪魔したくない。
ドレスを着終えたお嬢様が、ゆっくり振り返った。
「小猫、どう……?」
声が少しだけ震えていた。
私はすぐに笑顔を作って、近づいた。
「綺麗です。お嬢様。総裁も、きっと……見惚れると思いますよ。」
本当は、総裁がこのドレスをどう思うかなんて、わからない。
あの人は、お嬢様の顔をまともに見ない人だ。
でも、お嬢様の心を少しでも軽くしたくて、嘘じゃない言葉を紡いだ。
お嬢様は小さく頷いて、鏡に視線を戻した。
「……ありがとう。小猫。」
その声に、感謝と寂しさが混じっていた。
総裁の指示は厳しかった。
「自宅に人を増やしたくない。メイドは通いのみ。」
お嬢様は「留学時代のおかげで身の回りのことは自分でできるから、手助けは必要ないわ」と言った。
でも、本当は……
お嬢様が一人で新居にいる姿を想像すると、胸が痛む。
あの方はきっと多忙だ。
私がお嬢様のそばにいられたら、夜遅くに話してあげられたら、
お嬢様の不安を少しでも受け止められたら。
でも、お嬢様の幸せを願うのが、私の役割。
だから、遠慮した。「私がいたら、新婚さんのお邪魔になりますからね」
ここで、今日、この瞬間だけは、そばにいられる。お嬢様がドレスを脱ぎ、箱に戻すのを手伝った。
レースを丁寧に畳みながら、私は心の中で呟いた。
(お嬢様、このドレスを着て祭壇に立つ日、
総裁があなたをちゃんと見てくれますように。
そして、少しでも、心を開いてくれますように。)
箱の蓋を閉じるとき、お嬢様が小さく息を吐いた。
私はそっと肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。あなたは、強い人です。」
お嬢様は私の手の上に、自分の手を重ねた。
「……ありがとう、小猫。
あなたがいると、安心する。」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
ドレスは静かに箱の中で眠った。
お嬢様の新しい人生を、そっと待つように。
私は、心の中で祈った。
(総裁。
どうか、お嬢様を幸せにしてください。
それが、私のただひとつの願いです。)




