第67話「コンクリートが暴れだす前に」
「神原、今日はいよいよ1階壁の打設な。ポンプ車は9時、ミキサー車が10分間隔でくる。段取り、ちゃんと整えとけよ」
朝の事務所。
いつものように、課長・丸山のひと言でスタートが切られる。
「了解です。型枠の再確認は済んでます。バイブ担当、打設人員、打ち継ぎ位置……全部手配済みです」
※コンクリート打設とは、型枠の中に生コン(生コンクリート)を流し込む作業。
ポンプ車で圧送される生コンは、重く、流動性があり、瞬間的に型枠に強い圧力をかける。
「型枠がパンクする」とは、圧力に耐えきれず、型枠が壊れてコンクリートが溢れてしまう事態を指す。
現場では常に注意が必要な緊張の瞬間だ。
午前9時。ポンプ車のアームが、静かに動き出した。
先端から生コンが流れ出すと、現場の空気が引き締まる。
「打ち出し、スタート! 上部から順に! バイブ入れて!」
「ホースもっと持ち上げろ! 奥まで届いてないぞ!」
匠はヘルメット越しに全体を見渡し、各所の連携を確認する。
順調――そう見えたそのときだった。
「おい! 西側、型枠の合わせ目から生コンが滲んできてるぞ!」
職人の声に、現場がざわつく。
「バイブ止め! ポンプ止めろ!」
だがすでに、ポンプ車からの圧送は止まらない。
配管内の生コンが型枠に詰まり、膨張するように“ぐにっ”と音を立てた。
《神原様、これは危険です。圧力で型枠が破裂する可能性が――》
「……間に合うか、エル」
匠は迷わなかった。
「“流れを封じ、かたちを保つ”魔法。いけるか!」
《承知しました!》
匠が両手を広げると、パネルの内側で目に見えない“結界”が展開される。
流動していた生コンがピタリと止まり、圧力が一瞬で拡散された。
「止まった……? 何が起きたんだ?」
「漏れてたの、固まったのか……?」
職人たちは不思議そうに型枠を覗き込む。
「ポンプ、一時止めだ。西側、早急に締め直す。サポート材追加、パネル締め増し」
匠の指示は早かった。高槻も即座に動き、応急処置が進む。
昼前。
ひとつの小トラブルを乗り越え、打設は無事に完了した。
事務所に戻ると、辰巳がふうと肩を落とした。
「久々に冷や汗かいたな……型枠パンクは冗談じゃねぇ」
「ほんとに。あそこ、昨日まで問題なかったのに、どうしても見落としってあるんすね」
匠は笑いながら、お守りのようにスマホを握った。
《“流れ”は、時に大きすぎて、人の手には余ります。ですが、“導く力”があれば、それは制御できます》
「導く力、ね。おまえの言葉は、いつも哲学的だな」
《建築も、魔法も、秩序を作る技術ですから》
その日の夕暮れ。
打設が終わったばかりのコンクリートが、静かに沈黙していた。
それは、現場が今日もひとつ、“カタチ”になった証だった。




