第65話「壁を越える声」
「神原、また昨日の夕方、苦情来てたぞ」
朝の事務所で、課長の丸山がぼそっと言った。
「……またですか。何時頃の騒音です?」
「17時15分。ちょうど型枠バラしてた時間だな。インパクト音が響いたらしい」
「了解です。今日から先に騒音出そうな作業は午後3時までに切り上げます」
※建設現場における近隣トラブルの多くは、「音」「振動」「粉塵」が原因。
特に密集地では、たとえルールを守っていても住民の体感とズレが出ることも。
現場監督は“作業効率”と“地域配慮”の板挟みになることが多い。
現場を歩く匠の耳に、2階ベランダから小言が飛んできた。
「またガンガン音出して! いつまでやってるのよ!」
「申し訳ありません! 本日以降は時間を前倒しで調整いたします!」
匠が即座に頭を下げると、ひとまず住民は引っ込んだ。
「……エル、これどうにかならないか?」
《音の反射を軽減する“静音の結界”、範囲限定であれば可能です》
「やってみてくれ。敷地境界沿い、3面」
匠の手がそっと動くと、透明な膜のようなものが現場の端を包み込む。
足場のインパクト音が、不思議と柔らかくなった。
昼休み、高槻が苦笑いしながら近づく。
「神原さん、さっきのベランダの住民、下見に来てましたよ。“今日は音が優しかった”って」
「まじか。気のせい……じゃねぇよな」
匠はにやりと笑う。
夕方、工事を早めに切り上げ、職人たちを先に帰す。
匠は一人、現場の端で手を合わせた。
「こうやって、“現場”と“町”がうまく付き合っていけたらいいよな」
《あなたの“静かに寄り添う気持ち”が、魔法にも届いたのです》
「なんか……今日は、それで十分だな」




