ヴァルグレイス襲撃
◆忘れられない咆哮
会議から二週間後――
辺境ヴァルグレイスの夜は、静かで平穏だった。
――直前までは。
―グオオオオオオォォォォッッ!!!!!!
突如、深夜の闇を突き破る凄まじい咆哮が響き渡った。
地鳴りのように震える唸り声が、村全域に警報の鐘より先に叩き込まれる。
アメリアはその瞬間、反射的に目を覚ました。
(咆哮――!? 熊だ!……いや、違う! 一頭ではない!?)
直感が警鐘を鳴らす。
アメリアは寝間着姿で装備一式を引っ掴み、勢いよくドアを開け放ち、夜の村へと飛び出した。
しかし、混乱の中にあるはずの村民たちは、思いのほか落ち着いて動いていた。
避難訓練――
日頃から繰り返してきた練習が生きていた。
地下の避難シェルター入口には列が出来、ドワーフ姉弟の手による堅牢な出入口が順次開かれていく。
ジョーの現代知識を基盤に設計されたこの避難施設は、最大200人が3ヶ月篭城可能な仕様となっていた。
フェリシアが避難誘導班を回り、村長も手際よく子供たちを先導する。
スカルガンの掛け声が響く。
「慌てるなぁ! 順番に入れ! 持ち物は最小限だ!」
わずか数分で避難は着々と進行していた。
アメリアは内心で村の成長を感じながらも、一度深呼吸して集会所へと向かった。
既に盾副官、ジノ、ドレット、ベルダ、フェリシア、ジョーも続々と駆け込んでくる。
僅かに遅れて、物見役の兵士が息を切らせて飛び込んだ。
「――状況報告!!」
アメリアの厳しい声が響く。
「はっ! 北方外縁より大型魔獣接近! オルデンベアと思われる影を二頭確認しました!」
(二頭同時…!?)
アメリアは即座に指揮を下す。
「盾! お前には指揮を頼む。避難誘導と防衛線は任せる!」
「はっ!!!」
「戦闘班は――弓兵四名、フェリシア、ジョー! 私と共に北へ迎撃に向かう!」
「は、はいっ!!」
「行くぞアニキィ!」
「おし、やるしかねぇな」
こうして、雷の戦女神は再び戦場へと向かっていった。
未曾有の危機が、いままさにヴァルグレイスを襲おうとしていた。
⸻
◆戦女神の凱歌
北門防壁――
アメリアたちが駆けつけると、既に物見台の兵が待ち構えていた。
風に翻る旗の下、兵士が声を張る。
「報告します! オルデンベア二頭、北方百メートル先に視認!」
闇夜に浮かび上がる、あの巨躯。
唸り、爪を振り、牙を剥く二頭のオルデンベア――
だが、奴らはそこから一歩も近付けずにいた。
「……やはり近付けぬか」
防壁の足元には、サラマンダの紋章が淡く赤光を灯していた。
ベルダが魔レンガ製造に組み込んだサラマンダの加護――それは火精霊の加護を宿し、魔獣の接近を本能で拒絶させる封印結界として機能していた。
「防壁は完璧だな。だが――」
アメリアの目が鋭く細められる。
「平穏の為には放置する訳にはいかない」
その隣で、ジョーが軽く笑った。
「アメリア、鍛錬欠かさなかったもんな、2頭いようが問題にならないんじゃ?」
アメリアは静かに頷いた。
「フェリシア」
「は、はいっ!」
「鼓舞を頼む」
「《エンカレッジ》――!!」
柔らかな光がアメリアを包み込み、集中強化が施される。
魔力の流れが脈打つように高まり、アメリアの髪が風に揺れる。
「――では、行ってくる」
そう言い残すと、アメリアは助走もなく、防壁を垂直に駆け上がった。
「は、速――ッ!?」
フェリシアが絶句し、弓兵たちがどよめく。
「すげぇ…隊長、垂直に走っていたぞ!?」
ジョーは軽く肩を竦めた。
「さ、俺たちも防壁の上に隊長さんの活躍を見に行こうぜ、早くしねぇと終わっちまうぞ!」
防壁上に到達したジョー達が目にしたのは――
既に構えを取るアメリアの姿だった。
その手には、鋳王フラムゼルによる業物、雷真の剣が、
アメリアの魔力と共鳴し、雷音のような轟音を纏い、光の筋を走らせている。
そして、二頭のオルデンベアがアメリアを認識し、待ち構えるように咆哮を上げた。
「グガアアアアアア!!」
だが――
アメリアはただ、静かに剣を振り抜いた。
「 裂空葬剣」
空間そのものが斬り裂かれ、目には見えぬ真空の刃が放たれる。
遅れて風が唸り、雷鳴が轟く。
ズパン――!!
一頭目のオルデンベアが、縦に真っ二つに割れた。
胴体は左右に滑るように崩れ、肉も骨も内臓も一瞬で断ち切られていた。
そしてそのまま、アメリアは一切の溜めなく踏み込む。
音を置き去りにし、雷光を纏った残像が地面を這うように疾り、二頭目へ。
雷刃が閃光を放つ。
ズダアア――ン!!
閃光が疾り、雷鳴が遅れて轟く――。
防壁の上で見ていた者全員が、言葉も発せずその光景を凝視していた。
二頭目も、全く同じく縦裂きに断たれた。
七メートルを超える巨体が、音もなく二つに崩れ落ちる。
ジョー達が防壁上で観戦を始めて、ここまで僅か数秒だった。
ジョーが小さく呟いた。
「……雷の戦女神、ここに在り――だな」
フェリシアも弓兵たちも、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
アメリアは僅かに剣を収め、静かに振り返った。
月明かりの下で白銀の髪が、淡く揺れる。
その姿はまさに――
戦場に舞い降りた雷神そのものだった。
⸻
◆ヴァルグレイス村上空にて
竜の背に乗る男は、冷ややかに村の様子を見下ろしていた。
「熊が引きつけている間に、さっさと終わらせるか…」
眼下の村は、まるで何事も起きていないかのように静まり返っていた。
立派な防壁があるせいか、村人たちには危機意識が欠如している。
男は薄く笑った。
「やれ、火を放て」
命じられたワイバーンの喉奥が光り、ファイアブレスが吐き出される。
だが、家屋に到達した炎は思ったよりも弱々しく、勢いに欠けていた。
男の眉がひそむ。
「ん? こんなものだったか?」
燃え上がるはずの家屋は、部分的に炭化しただけで、激しく燃え広がる気配がない。
炎が建物に纏わりつくものの、思いのほか火勢が上がらないのだ。
男はすぐに違和感の原因に思い至った。
(……この村の建物は、火への耐性を持たせてあるな)
ベルダが中心となって製造してきた耐熱の魔レンガ、その効果がここで発揮されていた。
だが、異変はそれだけではなかった。
「おかしいな……何故、人間が出て来ない?」
燃え始めた家から、逃げ惑う住民の姿が一切見えない。
普段なら炎を恐れて避難行動を取るはずの村人たちは、まるでそこに住んでいないかのように沈黙していた。
男は、ようやく気づく。
「……避難したのか。こちらの動きが読まれていた…?」
この時点で男の違和感は疑念となった。




