アライグマと宿敵
稲荷神社にも猛暑の夏が来ていた。
鎮守の森の木陰も涼しさを和らげるには足りない。外での掃除を終えた薄闇は汗を拭きながら急いで室内に引っ込む。
かき氷がプリントされたTシャツに焦げ茶のハーフパンツ。ふわふわしたグレーのショートヘア、ココアブラウンの瞳。
そして特徴的な縞模様の尻尾をつけた彼女は、その可愛らしい顔立ちを歪めて悲痛な叫び声を響かせる。
「ああーーーー!!! 折角綺麗にしてたのにい!」
薄墨が見たのは、惨状。
床に足跡。壁に引っかき傷。柱に噛み跡まである。
その犯人は堂々と我が物顔で居座っていた。以前にも見かけた、うるさくて調子の良い性格のアライグマだった。
『ヨオ! 良い住処だなァ!』
彼は気安く声をかけてきた。
薄墨は人間ではない。人の姿に変わったアライグマだ。
だから同族とは話が通じる。通じるが、分かり合える訳ではない。みるみる内に顔色が怒りに染まっていく。
以前薄墨は尻尾がない完全な人間になったが、予定より早く元に戻ってしまった。それもきっとこのせいだ。思い返せば恨みが増していく。
力を込めて睨みつけた。
「……許さないから」
『ハハッ。ならどうするつもりだァ?』
「今度こそお金にするもん!」
薄墨はシュバッと駆けた。勢いよく飛びつくが、あえなく空振り。相手も素早く一筋縄ではいかない。
手を伸ばし、走って飛び跳ねる。
お互いにぐるぐると回っての争いは、一瞬も止まる事のない野生の追いかけっこ。俊敏で激しくアライグマの凶暴性が表れていた。
「このー! 捕まれー!」
『ハハッ。そんなに二匹きりで遊びたいのかァ?』
「やだ!」
バチバチと火花を散らし、ドタバタと息を切らせる。
それは神社に似つかわしくない本気の闘争だった。
と、そこに。
「騒がしいですよ! 一体何をしているのですか!?」
慌てて駆けつけてきたのは、整った顔立ちで神職らしき服装の男性。その正体は稲荷神社の神使たるキツネ。神社を荒らしたアライグマに薄墨と名を付けて人の姿に変えた張本人だ。
追いかけっこは中断。
薄墨は一旦立ち止まり、頬を膨らませて指差し抗議する。
「だってこいつが大人しくしないんだもん!」
『おっとォ? この匂い、人間じゃねェのか?』
「……確かに、由々しき事態のようです」
部屋の惨状とアライグマを確認すると、腕を組んで溜め息を吐いた。
厳しい顔つきで神使は告げる。
「ふむ……少し待っていてください。くれぐれも暴れないように」
「えーでも捕まえないと」
「絶対に。暴れないように」
「はぁい」
険しく凄んだ神使に、流石の薄墨も従った。
嫌いな同族を睨みつつ、待つ。挑発するような仕草に怒りを煽られるも、辛うじて耐えていた。
そんな時、彼がピクンと動く。
『おおゥ? なんか良い匂いだなァ』
サッと部屋の外へ。
薄墨が追いかけようとして、神使の言葉に躊躇う。
その前で彼は床にあったキャラメル味のお菓子を発見。喜んで飛びついたが、待ち構えていた神使の腕にアッサリ収まってしまった。
『ノオオォーーウ!!』
バタバタと暴れるが、しっかり抱えて動きを制限。
神使はにこやかに口元だけの微笑みを浮かべる。
「さて、それではどうしましょうかね。やはり本人に掃除してもらいましょうか」
「えーやだー。一緒にいたくないー」
薄墨は不満たらたら。ハッキリした嫌悪を表現。
容赦のない別案を提示する。
「お金にした方がいいと思うよー?」
「またあなたは……。いえ、どのみちお借りできる神力が足りないでしょうが……」
「ならいいじゃん」
『この裏切り者ォ!』
同族だろうと簡単に切り捨てる薄墨。当のアライグマはより激しく暴れていた。
一方で神使は顔を伏せ首を横に振る。片手を離し、真剣な面持ちで薄墨の手を取った。
「いいですか。私は外来種に恨みがあり、多くの問題があります。しかしあなただけが特別ではありません。出来る限りの殺生は避けるのが──」
『ヒャッハァ! 隙ありいィッ!』
話の途中で緩んだ拘束からアライグマが脱出。
地面に降り立ち、一度こちらを振り返る。
『ハッハハッ! あばよッ!』
鎮守の森へダッシュ。あっという間に見えなくなった。
「ほら、早くしないからー」
「……また罠を仕掛けておきましょうか」
取り残された二人は気の抜けた調子で言葉を交わす。真剣な空気は跡形もない。
そして神使は厳しい役目を申しつける。
「それでは、この部屋を片付けておくように」
「えー。あたしのせいじゃないのにぃ」
「それでもあなたの仕事です。……まあ、終わったらアイスがありますから頑張ってください」
「じゃーやるけどー。一つじゃ足りないよ?」
「はいはい。分かりました」
薄墨は確かな報酬を要求すると渋々と仕事に取り掛かる。
掃除を終えた後のアイスを楽しみにしつつも、あの同族を次は必ず懲らしめると決意するのだった。




