クマ祭り作戦
そして、北海道でのクマ祭りの当日となった。クマ祭りの会場となったのは、阿寒湖湖畔にある簡易グラウンドである。ここは、湖と林に挟まれた所で、町から離れたこの会場に来るには車が必須の為、大きな駐車場が完備されている。
祭りの参加者は、ネットで入場券を買う仕組みとなっている。参加人数が多すぎれば、囮作戦どころではなくなってしまうからである。入場者は、予定通り五百名に抑えた。
ネットでは、犯人に向けてのメッセージも発信した。それは、クマの出没の危険はない事を、ことさら強調したものだった。
会場のグラウンドに来るための道は一本しかない為、参加者は、駐車場の入り口で厳格な入場券のチェックを受ける。この時に、不審者等のチェックもしようと言うのだが、さすがに荷物のチェックまでは出来なかった。
祭りには、北海道のアイヌ文化の保存会や、釧路市、日神財閥にも強力してもらい、アイヌの踊りやイオマンテの儀式、綱引きや弓の競技、お笑い芸能人の招へい、出店等々、皆が楽しめる内容が満載となっている。
警備体制としては、全国の警察から集まった二百名の私服警官が、見物人や裏方として任務に就いている。運営本部の後ろに停めている大型バスが警備本部である。空にはドローンを飛ばし、会場の状況や周辺に不審車両が停まっていないかなども監視している。
祭りの開始は十四時なのだが、昼前から、参加者は続々と集まって来ていた。
そして定刻になり、クマ祭りは釧路市長のあいさつで始まった。色々な競技や出し物が続き、笑いと歓声の中、祭りは何のトラブルも無く順調に進んでいった。存分に楽しんだ参加者たちは、各自で夕食の弁当を食べ、最後のイオマンテの儀式に望んだ。
辺りは闇に包まれ、篝火に火が入った。空には満月が煌々と照って、いやがうえにも雰囲気を盛り上げている。アイヌ衣装に身を包んだ演者たちが、太鼓に合わせて舞い、演じて行く。それは、アイヌたちが自然と共に生きた時代へと、観衆を誘っていった。
盛り上がるクマ祭り。そんな中、クマ祭りに興味がないのか、最後列で一組のカップルが、いちゃつきながら話していた。
「ねえ、近くにボート置き場があったわね。満月の夜の湖もいいんじゃない。行ってみましょうよ」
「貸しボートなんか、もうやってないだろう。それに、夜に漕ぎ出すなんて危ないから止めたほうがいいよ」
ひ弱そうな声で、男が言う。
「あら、意気地なしね。だったら、他の人と行くわ。貴方とはもう終わりね」
彼女がプイっと顔を背け、大股で歩こうとするのを男が止めた。
「ちょっと待ってよ。分かった行くよ、行きゃあいいんだろう……」
「ふふ、そう来なくっちゃね。さあ、行こう」
二人は、腕を組みながら、ボート乗り場へと歩いて行った。ボート乗り場は、会場から少し離れたところにある。誰もいない林の中の一本道を、彼らは満月の明かりを頼りに進んでいった。その、後方の林の中には、彼らを追いかける怪しい影があった。
ボート置き場に着いたカップルは、桟橋に繋いであるボートに勝手に乗り込むと、夜の湖へと漕ぎだしていった。
魯の軋み、魯が水を掻く音、湖面に映った満月がさざ波に揺れる。あんなにはしゃいでいた二人も、何故か無言である。二人が漕ぐボートは、岸辺を左方向へと進む。岸辺に続く巨木の林が途切れると、左の方に祭り会場の灯りが目に飛び込んできて、音曲や人の賑わいが直に聞こえて来た。
二人は、無言のまま、祭り会場の見える位置まで行くと、方向転換して舳先をボート置き場へと向けた。
「あれが襲ってきたら、私が倒すから」
「大丈夫だ。あれから、気分的には負ける気がしないから、実力を試してみたいんだ」
先ほどとは雰囲気が違う二人が、船を下りて、貸しボートを受け付ける無人の小屋を通り過ぎようとした時、事件は起こった――。背後から音も無く近づいた巨大なヒグマが、両腕の鋭い爪を、二人の頭に振り下ろしたのである。
「天良さん!」
「承知!」
その刹那、申し合わせたように支点となる左足に力を込めた二人が、振り向きざまに後ろ蹴りを放つと、女の足はクマの腹にめり込み、男の長い足はクマの顎を蹴上げていた。
クマは人間の悲鳴を上げ、数メートルも後方へと吹っ飛び、動かなくなった。
「私の出番は要らなかったようね」
「自然に身体が動いたんだ。過去世の僕の人生を見たから、鬼神の力の一分が宿ったんだね」
クマを撃退した二人のカップルは、末那と天良だった。
彼らは、駐車場での入場者のチェックに立ち会う中で、一人一人の所作や雰囲気から、犯人を特定していたのだ。そして、何食わぬ顔で犯人に近づき、囮役を演じたのである。
隠れていた捜査員十数名が、寄ってたかって犯人の男を確保したが、犯人は気絶していて、乱闘にはならなかった。
こうして、クマ殺人事件の犯人は、末那の作戦通りに釣り上げられたのである。




