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事件――多重殺人③

 その週の土曜日、警察は、愛人殺しの容疑者である横島を、再び警視庁に呼んだ。それには、末那と天良も別室で待機していた。


「警部さん、まだ何か私に疑いが掛かっているんですか? 私から押収したパソコンやスマホから何か出たんでしょうか?」


 うんざりした様子で、横島が尋ねる。


「いや、何も出ませんでした。それに、彼女が襲われた時刻、あなたには完璧なアリバイがありました」


「では私への疑いは全て晴れたんですね」


「……いえ、まだ、他人に殺人依頼した可能性は残されていますから、容疑が全て消えたわけではありません」


「……それはあなた方の単なる推測でしょう。何か証拠があるなら出せと、前回も言ったはずです。

 噂では、人の心が読めるという能力者を、警察は捜査に協力させているそうじゃないですか。恐らく、心理学を齧った者が能力者などと偽っているんでしょうが、そんな訳の分からない者の言う事を、警察は鵜呑みにしているんじゃないでしょうね!」


 横島の言葉に力が籠る。彼は、能力者と言う存在を認めてはいなかった。


「信じられないのも無理はないですが……、そこまで仰るなら引き合わせましょう。おい、末那さんに入ってもらってくれ」


 六根警部の指示を受けた刑事は、直ぐに末那と天良を連れて部屋に戻って来た。


「末那さん、こちらへ」


 警部は、彼女に自分の席を譲ってその横に座り直し、天良を部屋の隅に置かれた椅子に座らせた。天良は、横島が末那に危害を加えようとすれば即座に動ける態勢で、横島を睨み据えた。


「彼女がその能力者の日神末那さんです。先日、彼女は暴漢に襲われましてね、その中の三人は彼女に反撃されて、まだ入院しています。末那さんは格闘技の達人でもあるんですよ。襲わせたのはあなたではないんですか?」


 警部が、横島の表情を伺いながら切り込む。


「また推測ですか……、いい加減にしてもらいたい! あなた方の与太話に付き合っているほど私は暇じゃないんだ。帰らせてもらいますよ」


 横島が席を立とうとした時、彼の目を見続けていた末那が口を開いた。


「横島さん、あなたは、診療と称して女性に催眠術を掛け、わいせつな行為を繰り返していますね。みちるさんとの別れ話の際、そのことを世間に公表すると脅されて、この殺人計画を立てた」


 彼女の鋭い眼が、横島の眼を捉えて離さない。


「で、出鱈目を言うな。どこに証拠があるというんだ!」


 被害者以外知るはずもない秘密を暴露されて、横島が狼狽える。


「調べれば、あなたに被害を受けた女性を特定するのは簡単です。それだけでも大罪ですのに、五人の自殺志願者を操り、みちるさんを含む五人を殺害し、実行犯たちを集団自殺させたことは、万死に値しますよ」


「……」


(何故だ。この女は俺のやって来た事を全て知っている。世の中に、こんな能力を持つものが本当に居るというのか……)


「私には死んだ人の残思念が見えるんです。私が言った事は間違っていないでしょう?」


 末那の言葉に、横島は驚きの表情で末那を見つめた。彼はそのまま罪を認めるかと思いきや、直ぐに表情を戻し、ニヤリと口の端を上げた。


「お嬢さん、あなたの言う事が真実だとして、そのことをどう証明するんです。死人の声を聴いたなどと言っても、裁判長は取り上げてくれませんよ。そうでしょう」


 居直った横島は、形勢逆転とばかりに余裕の態度に変わった。


(普通は、全てを暴露された時点で、心が折れて罪を認めるはずなのに、この男は何の反省もなく、冷静に逃げ道を探している。この根っからの悪人をどうしたものか……)


 暫し思案した末那は、


「あなたは、人間は死ねばすべてが終わると思っているようですが、それは間違いです。罪を犯せば、たとえ刑法で裁かれなくとも、この世界の根本法によって裁かれ、その報いを受けねばなりません。

 と言っても信じられないでしょうから、あなたが殺人を犯させ、集団自殺させた人の死後の状態をあなたに感じてもらいます。手を出してください」


「さあ!」と急かせる末那に、横島が警戒して固まる。


「怖いんですか。あなたも臆病ですね」


 末那が、彼の自尊心をくすぐると、


「ふん、怖いもんか。どうせ、まやかしに決まっている……」


 横島は恐る恐る机の上に手を出した。その上に、末那は自分の右手を重ねた。


「目を閉じて下さい、行きますよ!」


 その刹那、横島は真っ赤な世界に放り込まれていた。それは炎の世界だった。途轍もない高熱が彼の身を焦がし、全ての神経を逆撫でするような痛みが一気に襲って来た。叫ぼうとしても声は出ない、藻掻こうとしても身体は動かなかった。気絶したくても意識が途絶える事は無く、焼かれても焼かれても体は燃え尽きない。業火に焼かれる痛みや絶望感、恐怖などが永遠に続くように思われた。


「どうです。彼らの苦悩が少しは味わえましたか?」


 末那の声で、横島は現実世界に戻された。時間にして数秒の事だったが、横島には数時間にも感じられた。彼は、痛みや不自由感から解放されて、大きく息をして心を落ち着かせようとしていた。額には脂汗が滲んでいる。


「……今のは、何なんだ? ……何をしたんだ」 


「今あなたが感じたのは、人を殺し、大切な命を自ら壊した、五人の自殺者が感じている焦熱地獄の苦しみです。

 人は、罪を犯せばそれに見合った業苦を受けねばなりません。それは、この世には因果の理法というものが、厳然と存在しているからです。死んで全てがチャラになるなんて事はないのです。五人もの人にそんな罪を犯させた、あなたの罪はどれほどのものなんでしょうね。今の苦しみの比ではありませんよ!」


 横島は、自分が体験した地獄の苦しみの余韻を感じながら、恐怖した顔を引きつらせた。


「自分が犯した罪は、償わなければなりません。たとえ刑法から逃げおおせても、自分は誤魔化せないのです。最後は、自分自身によって裁かれ、報いを受けていきます。あなたも、死に際にそのことを実感するでしょうが、まだ先の話です。

 これからは、犯した罪を悔いて、自分自身と向き合ってください。そして、残された時間を、世の為人の為に自分が出来る事をやってください。そうすれば、死後の苦しみが少しでも和らぐでしょう。私でお役に立つことがあれば、いつでもお手伝いさせて頂きます」


「……分かった。罪を認めるよ……」


 横島は力無く言って、がっくりと項垂れた。




「死者の実感を、生者の手に触れるだけで伝えるなんて、殆ど神業ですね」


 帰りの車の中で、天良がしきりに感心していた。 


「人の心は繋がっていますからね。ちょっとした応用です」


「でも、相手に伝えるという事は、自分も同じ苦しみを感じているということでしょう」


「その通りです。使者と繋がるという事は、その人の地獄の苦しみをも体験することですから……。大分慣れましたけどね」


 数秒とは言え、鬼眼を使ったであろう末那の顔には、僅かに疲れの色が見えていた。天良は、そんな彼女を早く休ませねばと、話しかける事を止めた。




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