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第九話 あなたたちは素晴らしい

※ジークリンデ視点です。

 自分の考えの甘さが腹ただしくて仕方ない。

 こんなことが起こるって、どうして予想しなかったのか。


 古龍を倒した後、私たちはハーメルンに徒歩で向かった。

 比較的近い街だったし、シオンも私も何度か訪れていたから滞在先としてうってつけだと思った。 

 リンネの傷を癒やしつつ、子どもたちに外の世界に触れさせる。

 10年近くぶりに訪れた街で過ごす日々を私は、少なからず楽しみにしていたのだが……


 ジェイドの正体が街の人間にバレた。

 ジェイドとネイトを救い出したシオンが宿に戻って来た時にそのことを知らされた。

 言われて窓から外を見て見てみると、突然の魔族の出現により街は大騒ぎになっており、私やリンネも呑気に宿にはいられないことを悟った。


 往来での騒ぎが収まるのを待って私はリンネを担いでセレナの手を引き、夜の闇に紛れて町の外に。

 尾行に気をつけながら森の中に入る。


 街に入る前、クライブはこの森の中で一人野宿をすることにしていた。

 人狼という種族は毛深く、指の爪も長く、また背中も前傾気味に曲がっているため、シオンやジェイドと違って人間のふりをするのは難しい。

 結果的に、そのことが落ち合うのに最適な場所を作ったとは皮肉なものだ。


 しばらく歩くと焚き火を囲んで座っている、ジェイド、ネイト、そしてクライブの姿があった。


「うっ……ぐしゅ……お、おかあさん……」

「…………」


 ずっと泣いていたのだろう。

 ネイトもジェイドも目をはらし、顔色は真っ青だ。

 特にジェイドは私の顔を見ようともせず、地面を見つめている。


 私はジェイドの目の前にひざまづき、両手を握る。

 ジェイドはビクリと身体を震わせた。


「ジェイド、お母さんの目を見ろ」


 そう言うと、ゆっくりと顔を上げた。

 赤い瞳が怯えるように泳いでいる。

 兄弟の中でも一番わんぱくで気が強いジェイドがこんなに打ちのめされるなんて……


「ジェイド、ネイト。

 何があったのか、全部、正直に話すんだ」


 二人は泣きながらもゆっくりと事の顛末を語った。



 話を聞き終えた後、リンネは顔を覆って泣き出した。

 クライブも沈痛な面持ちで拳を強く握りしめていた。

 私は言葉を探す。

 怯えきった二人を癒やす言葉を。


 だけど、何も思いつかない。

 この子達に悪意はなかった。

 痛めつけられている親子を守ろうとしただけで、ジェイドも人を殺すつもりなんてなかった。

 落ち度を言えば力加減が分からなかったということだ。

 だが、それは私たちのせいだ。

 超常の力を持つ私とシオンは普通の人間は獣なんかよりも遥かに脆いということを教えなかった。

 そのせいでジェイドは人を殺してしまった。

 私たちとの約束を守れなかったことや言葉を話す生き物を殺してしまったということへの罪悪感。

 そして、人間たちに向けられたおぞましいほどの罵詈雑言と暴力。

 たとえ力は人並み外れていてもこの子達はまだ子どもで、しかも家族以外との関わりを持たなかった幼すぎる無垢な心の持ち主だ。

 そんな子どもの心の傷を癒やす言葉なんて、どこにあるというのだろう。


 私はたまらず二人を胸に抱きしめた。

 冷え切った肩に触れ、温めようと擦る。


「おかあさん……」


 ジェイドはポロポロと涙を流して、


「俺……生きてちゃいけないの?」


 目の奥に焼けた鉄を流し込まれたような熱を感じて、私の涙腺は決壊した。


「そんなわけない!!

 ジェイドもネイトもセレナも……

 お母さんとお父さんの大切な子どもだ!

 世界の……何よりも……たい………ぅっ!!」


 言葉にならなかった。

 私の涙が子どもたちの髪に落ちる。


「あの人間たちは違うんだ……

 俺のこと怖いって……

 俺と一緒にいたネイトにも、死ねって……

 どうして……そんなこと言うんだろう」



 私は間違った。

 何故、子どもたちだけで外に行かせてしまったのか。

 何故、街に滞在しようとしてしまったのか。

 何故、この子達を島から出してしまったのか。

 今はもう後悔しかない。

 私は……この子達を守れなかったんだ……


「それは奴らが只人で、貴方様には魔族の血が流れているからですよ。

 ジェイド様」


 クライブがジェイドに語り聞かせる。

 余計なことをするな、と目で制しようとしたがクライブは動じず、真っ直ぐな目でジェイドを見ている。


「只人というのは魔族でないヒト、この大陸で人間と呼ばれている種のことです。

 魔族はこういう呼び方をしますが……、ここはあえて人間と呼びましょう。

 あなた方が生まれるほんの少し前まで人間と魔族は殺し合いをしていました。

 多くの人間が魔族によって殺されました。

 草を食らう獣が肉を食らう獣を恐れるように人間は魔族を恐れ、憎んでいます。

 貴方様は人間を殺す獣だと思われているのです」

「俺は……そんなことしたくなかった」

「そうでしょう。

 貴方様の母であるジークリンデも人間で、またそのようなことをしてはならないと教えられていたのですから。

 ですが、そんなことを彼らは知らないのです。

 我々が山で暮らす猪の一匹一匹の区別がつかないように、彼らもあなたと他の魔族の区別がつかないのです」


 クライブは穏やかに、ジェイドの表情を窺いながら分かってもらえるように語りかけている。


「俺は……人間を殺した。

 だから、アイツラに怖がられても仕方がない……」

「強いものに対する恐れと自らと違う生き物だからと遠ざけようとする怯えは似ていて違うものです。

 たとえ貴方様が人間を殺さなくとも、貴方様は彼らに恐れられ、憎まれていたでしょう。

 貴方様の過ちのせいではない。

 我々魔族と人間たちの歴史のせいなのです。

 その歴史に加わっていない貴方様のような子どもが背負うことはありません」


 クライブの言うとおりだ。

 この子達は人間と魔族の争いとは無関係だ。

 だけど、そんな風に考えられるほど人間に余裕はない。

 久しぶりにハーメルンの街に出て違和感を覚えた。


 食料や物資の流通量は減り、街には浮浪者が溢れかえり、さらには民族の違いや仕える国の違いによる人間同士の差別が強まっている。

 今回の件に関わっているプルート族はここよりも南部の民だ。

 赤銅色の艷やかな肌を持ち目鼻立ちのハッキリとした者が多く、音楽や踊りの文化が栄えた国だ。

 パーティの男連中はプルート族の女に鼻の下を伸ばして花束やアクセサリーを手に求愛行動に出ていたし、女たちも彼ら独自の文化に触れて喜んでいた。

 それがたった10年でこんな風に虐げられる民となってしまうなんて。


「そして、これは魔族にとっても同じことです。

 もし、ネイト様が魔族の集落を訪れたならば間違いなく殺されていたでしょう。

 魔族は人間よりも獰猛ですから。

 あなた方は穏やかな島でお暮らしになられていた。

 そこにはあなた方の心を傷つける者はいなかったでしょう。

 ですが、これが外の世界なのです。

 家が沢山立ち並び、様々な物や人が集まっている世界に生きる民は必死なのです。

 ここにあるたくさんの物は、ここに住むたくさんの人を幸せな勝者と不幸な敗者に分けてしまう。

 その競争は自然の中で生存競争をしている獣達よりも苛烈なものかもしれません」


 クライブはジェイドとネイトの頭に手をやる。


「彼らを憎まないでやりなさい。

 あなたがたはこの世界に因われていない分、冷静に物事を見つめられる立場であり、またそれだけの力を持っている。

 そして、自分自身を嫌うのもやめなさい。

 貴方がたは素晴らしい子どもたちなのだから」


 クライブの言葉をジェイドとネイトは熱心に聞き入った。

 いつしか二人の涙は止まっていた。

 ……まさか、かつて殺し合った魔狼将軍クライブからこんな優しく諭す言葉が出てきて、しかも我が子達に向けられるなんて思いもしなかった。


「そうですよ。ジェイド様、ネイト様」


 リンネがふらつきながらも立ち上がり、二人を背中から抱きしめた。


「あなたたちは私の命を、心を救ってくれました。

 古龍との戦いの時にはご両親の命も。

 そんなことができる者……きっとあの街にはいませんよ。

 今回のことも、助けたその少女は感謝していると思います。

『たとえ、どのような者であっても真心から貴方を救う者を恐れてはならない』

 私の信じる神様のお言葉です。

 私はあなた達に神の祝福があらんことを願います」


 涙を流しながらリンネは二人のために祈りを捧げた。


 二人の涙が止まっている。

 クライブの毛むくじゃらの手の暖かさとリンネの細い腕に包まれて。


 結果オーライだ。

 私ができなくとも、誰かが子どもたちを救ってくれるならそれでいい。

 ちょっとカッコ悪いけどな。


「お母さん。お父さんは?」


 セレナが私のズボンの裾を引いて尋ねてきた。

 そういえば、子どもたちより厄介な大きな子どもがいたな……


 私はこの場をクライブとリンネに預けてシオンのもとに向かった。





 シオンの居場所はあっさりと分かった。

 というより、殺気立ちすぎだ。

 あたりの虫や小動物が大移動を起こしている。


「シオン。機嫌が悪そうだな」

「そりゃあね。

 褒めてくれる? あの街をまだこの世に残してやってること」


 冗談でもハッタリでもない。

 シオンは本気で滅ぼしたいのだろう。

 子どもたちを傷つけた人間たちの住むあの街を。

 彼にとって興味のない人間は地を這う虫と同じようなものだから。

 だけど……


「褒めてやる、褒めてやる。

『お前の手が血に染まるのを見たくない』、『怒りに任せて人を殺す暴君の妻になった覚えはない』

 私の言ったことを覚えてくれていたみたいだしな」

「……正直、忘れていたよ。

 生まれて初めて、ここまでの怒りを感じた。

 自分よりも子どもがやられることの方が効くんだな」


 空を仰いだシオンの顔は怒りに満ちていた。

 これではジェイドもネイトも恐くて仕方なかっただろう。


「シオン、おいで」


 そう言って、彼の頭を掴んで胸の中に抱え込んだ。


「分かっているよ。

 お前があの街を滅ぼさなかった理由。

 これ以上、アイツらに重荷を背負わせたくないものな。

 自分たちのために父親が街の人間を皆殺しにしたなんて思わせたくない」

「気づかれずにやる方法なんていくらでもあるけどね。

 でも、あの街にはネイトとジェイドが守った親子もいるんだろう。

 それを区別することは難しいからなあ……」

「ままならないな。いつだって人の世は」


 ぽん、とシオンの肩を叩くと彼は大きなため息を付いた。

 大丈夫、お前の怒りも悲しみも私は分かっている。

 そうでなくては妻は務まらない。


「俺さ……子どもたちをこっちに連れてくるの、ちょっと楽しみだったんだ。

 外の世界に触れることでアイツらがどんな反応をするのか。

 知らないものを知ることは楽しいからさ。

 俺もそうだったもん」

「お前も、魔王城を出た後、人間の街に行ってみたのか?」

「ああ……でも、溶け込むのは無理だと思って諦めた。

 俺は一人だったからな。

 でも、あいつらはそうじゃないだろ?

 マズイことをしようものなら俺達が教えてやればなんとかなる。

 そう思ってたんだけど……ちくしょう……」


 悔恨に満ちた唸り声が聞こえる。

 シオンの期待は裏切られたのだ。

 不運で不幸な掛け違いによって。


「まさか、こんなことになるとは思わなかった。

 これを運命だとかいうのなら、俺は神とやらをぶち殺したい気分だ」

「まったくだ。

 子どもたちは傷つけられ、私たちは自分の無力さを思い知らされた。

 古龍との戦いなんて、これに比べれば楽勝だったな。

 クライブがいてくれなければ、どうやって治めたことだろう」

「それだよ! クライブのジジイ……

 なんか上手いことまとめやがって!」


 シオンは目をこすりながら顔を上げた。

 やっぱり聞き耳を立てていたか。


「あのジジイはいつも口だけは回るんだ!

 それっぽいことを言ってごまかすのが本当に上手い!

 食えないジジイだよ!」

「そりゃあ、幼少期のお前の相手を7年もしていればな」


 と言って私は笑う。

 シオンはバツの悪そうな顔をする。


「クライブだけじゃなくて、リンネも。

 私たちはふたりとも立場も育ち方も異常だ。

 故にこぼれ落ちてしまったものも多い。

 ああいう風に私たちができないことを子どもたちにしてくれる存在は貴重だ」

「癪だけど、同意。

 あ〜あ、嫌だなあ。

 ジークさんの思惑通りに事が進むの」

「ああ、あの二人を島に住まわせるということか」


 私とシオンは昨夜、クライブとリンネの今後の扱いについて話し合った。

 マリアーヌ大陸に置いておけば、教会の残党に襲われる可能性も捨てきれなかったし、魔族であるクライブがいるのはいろいろと危険がつきまとう。

 それに、私たちの居場所を知っている二人を放置しておくのは危険だということもある。

 今回は事なきを得たが、次はどうなるかわからない。

 拷問以外にも人の口を割らせる方法なんていくらでもあるんだから。

 となると、奴らを私たちの島で匿うことが一番手っ取り早いという結論に至った。

 シオンはあまり納得していないようだったが。


 私に敵意を剥き出しにしていたクライブも今回の恩義と力を示したことにより、態度は軟化している。

 リンネに至っては言うまでもない。

 セレナを崇め奉っているくらいだし。

 それにさっきの調子を見たら、二人ともうちの子供達にメロメロだ。

 なんとかやっていけるだろう。


「賑やかになるな」

「まあな。とりあえず、昔住んでた家にでも放り込むか。

 ああ、一緒に寝れるベッドも作ってやろう」

「それ、リンネは泣いて嫌がるぞ」


 ククッ、と私は笑った。

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