第十話 かつて英雄と呼ばれた者たち
※ジークリンデ視点です。
島に帰ってきて一週間が過ぎた。
クライブとリンネは私たちが昔住んでいた森の家で暮らし始めた。
と、言っても寝るときだけその家に戻って、朝から晩までほとんどの時間我が家で過ごしている。
リンネの左目は拷問の傷のせいで見えなくなってしまった。
今は前髪で失った目を隠しているが痛々しいその跡はそのままにしている。
クライブの姿形は狼に寄ったものであり、私たちからすれば異形の者である。
にもかかわらず、子どもたちはすぐに彼らに懐いた。
クライブはシオンの子守係をやっていただけあって、子どもたちの扱い方が上手い。
リンネも孤児院育ちで小さな子供の面倒を見る機会が多かった上、人間社会の世情に詳しい分、私の知らない遊び方や勉強を教えてくれる。
ふたりが来てくれたおかげで、私たちの生活はずいぶん変わった。
それに、あの事があってからふさぎ込みがちだったジェイドもすっかり元の調子を取り戻した。
私やシオンに自由な時間が生まれた。
もちろん、子どもたちの世話を丸投げしているわけでもないが、ゆっくり用を足す暇すら見つけられないような暮らしからは解放されたことは嬉しい。
しかし、自由な時間が増えるというのは物思いに耽る時間が増えるということだ。
私は街で起こった事件のことを繰り返し思い返していた。
子どもたちに怖い思いをさせてしまったことを詫びる気持ちと、この世界の状況をどうにかできないのかという気持ち。
言葉で聞く以上に目で見た光景は鮮烈で心に焼き付いてしまっている。
昔、『聖剣の勇者』として滅ぼされた町や死にゆく人々を眺めていた頃にはこんなことはなかった。
歳を食ったということか、子どもができて感性が豊かになったということか。
どちらにせよ、今までの私のままではいられないのだ。
それはきっと、シオンも……
雨が降った日、子どもたちは外に遊びに行けないので家の中でリンネにお絵かきを教えてもらっていた。
薄い木の板に墨で絵を書く子どもたちは信じられないほど静かに熱中していた。
セレナはわけのわからないグチャグチャを書いていて、私はそれが何かと尋ねる。
「それは何だ?」
「夢の中で見たの。
女の人から子どもが出てきて、それを男の人が喜んでいるの」
「へえ……」
相変わらず不思議なことを言う子だ。
「人から出てくるのってウンコじゃねえ?
ウンコしてるのを見て喜ぶやつなんているのか?」
ジェイドが茶々をいれるとセレナは怒り出した。
「ジェイドはウンコだからウンコしか出てこないんだよ!」
「なにを!! お前だってウンコだ!」
ウンコウンコと汚い言葉を投げつけ合うふたり。
ジェイドの絵は、おそらく剣の絵だろう。
形がわかるだけセレナよりは絵心がある。
ネイトは……
「ネイトは何を描いたんだ?」
「街で会った女の子」
そう聞いて絵を見直すと、なるほどと思った。
たしかに小さな女の子が笑っている。
髪型や服装からしても私やリンネ、セレナには似ても似つかない。
おませさんだな。
「汚い言葉をみだりに使ってはいけませんよ。
ジェイド様。女の人からは人間が生まれてくるのです」
言い合いをしているジェイドとセレナをリンネがそう諭すとジェイドは目を丸くした。
「なんで? お母さんもセレナもそんなことをしているの見たことない」
「そうですね。セレナ様はまだ子どもですから。
でも、ジークリンデ様はお生みになられているのですよ。
あなたがた3人を。
あなたたちは覚えていないでしょうけどね」
子どもたちが一斉に私を見た。
「お母さん、どうやったらそんなことできるの?」
「どうやったらって……」
お父さんとあーだこーだして、股を引き裂くようにしてひねり出したなどと言えるわけない。
リンネ! 助けろ!
私の視線に気づいてリンネはフッと息をついて、話を始める。
「シオン様とジークリンデ様が愛し合っていたからですよ。
愛し合う大人の男と女を祝福して、神様が子どもを女のお腹に宿すのです。
女はお腹の中で子どもを育てますが、お腹の中だけでは子どもが退屈するからと外に出して、この世界で遊ばせるのです」
聖職に身をおいていた者らしい言葉だ。
子どもたちもなんとなくだが理解したようだ。
「じゃあ、僕たちも子どもを作れるの?」
ネイトが興味を持ったようで目をキラキラさせながらリンネにすがりつく。
「そうですね。愛し合う女性ができれば。
もっと先のことですけどね」
リンネの答えを聞いてジェイドとネイトは視線を交わす。
「女の人って、ここにはお母さんとリンネさんとセレナしかいないよ。
お母さんとお父さんはあいしあっているんでしょう。
じゃあ、リンネさんとセレナしか」
「じゃあ、お前がセレナとな!
俺はリンネと子どもを作る!」
「やだよ! セレナなんか!
僕もリンネさんがいい!」
「もう俺が先に取った!
リンネは俺のもんだ!」
おいおい、息子たちよ。
お前たちだけで話を進めるんじゃない。
リンネは穏やかな笑みを浮かべて、その光景を眺めている。
「うう〜、じゃあいいよ。
リンネさんはジェイドにあげる!
僕はあの街の女の子と子どもを作る!」
そう言って、ネイトは自分の書いた女の子の絵を掲げた。
「ああっ! それズルい!
俺もリンネなんかよりあっちのほうがいい!」
「ダメ! 先に取ったもん!
リンネさんはあげるよ」
「セレナよりもマシってだけで、リンネなんかよりあっちの方がいい!」
「僕だってリンネさんよりあの子のほうがいい!
だってリンネさん、お母さんみたいなんだもん!」
おい……お前ら、悪気はないんだろうがやめてやれ。
リンネの穏やかな笑みが少し悲しそうじゃないか。
結局、ギャアギャアとジェイドとネイトが取っ組み合いのケンカをしだして、私がげんこつで止めに入るのであった。
「ジークリンデ様。お子様たちを寝かしつけました」
「ああ。ご苦労さま。
お茶を淹れる、少し休んでくれ」
リンネとテーブルを挟んで一緒にお茶の時間にした。
「大変だろう、子供のお守りは」
「ええ。ですが、とても可愛いです。
ジークリンデ様の面影があって、なんだか不思議な気分になります」
「半分はシオンの血だがな」
私の言葉を聞いて、リンネは複雑な表情を浮かべた。
「シオン様のことはクライブ殿から聞いていましたが、実際に会って、暮らしてみると想像とは大きく異なりました。
恐ろしいほどの力の持ち主ですが、あなた方家族に対しては優しい父親のようですね」
「分からないなりにアイツも父親になろうと頑張っていたからな。
とはいえ、お互い子育てしたこともなければ、そもそも常識知らずの無骨者だからな。
お前とクライブには感謝しているよ」
「感謝などと……
私はここであなた方家族に仕えられることが至上の喜びなのです」
親の入ったカップをリンネはギュッと握った。
「私もクライブ殿も、絶望していたのです。
今、マリアーヌで起こっている争いはとても事情が複雑です。
魔王バアルという分かりやすい敵がいた人魔大戦とは違い、誰かを殺せば終わるというものでもない。
王を殺せば、その殺したものが新しい王になり、また殺された王に縁のあるものが復讐のために新しい王を殺そうとする。
国を動かす者たちがその有様なのですから、煽りを受ける下々の民の暮らしは見るに耐えません。
いつ、どのような形でこの時代が終わるのか……私には想像も付きません」
「あのゼーゼマンが手こずっているくらいだからな」
「彼は善王ではありますが、善が必ずしも良い方向に向かうものではありません。
徹底した法律の遵守と規律を重んじる施策は時に苛烈でもあります。
豊かな国であればまだしも、戦争が続き疲弊した民や敵国の者たちにまでそれを倣わすのは容易いものではありません」
私が聖剣の勇者として行った魔王討伐の旅は5年に及んだ。
軍としてマリアーヌに攻め込んでくる魔族を打ち払うためには私一人の力ではどうしようもなく、各地で腕の立つ戦士たちをパーティに加え、旅を続けていた。
善人、悪人、少年、老人、高貴な身分の者、卑しい身分の者、善人、悪人、聖職者、罪人……
考え方や求めるものも異なっていたが、魔王討伐という一つの目的に集った仲間は何百にも及ぶ。
しかし、半数以上が戦いで散り、激化していく戦いの中でついてこれなくなった者はパーティを離れ、最終的に魔王討伐後、生き残ってマリアーヌに帰還したものは19名。
中でも、魔王との直接対決に加わった私と他の9名は『最後の英雄』として讃えられた。
筆頭『聖剣の勇者』ジークリンデ。
次席『聖躬の射手』レオンハルト。
第三席『至高の賢者』バルディオス・クロウリー。
第四席『獅子王』ゼーゼマン・ファン・ライオニア国王。
第五席『剣聖』リュウシン。
第六席『龍の化身』ドラゴ。
第七席『女郎蜘蛛公爵』エマニエル・ニュートリア公爵夫人。
第八席『緑の聖女』ルミナス・コリーフォリア
第九席『灰の虐殺者』アルバート・バイツ。
第十席『聖騎士』リンネ。
このように貢献度から序列もつけられていたが、もっとも、私はエルディラードの国王に追放された時に除名されて、レオンハルトもバルディオスも私を追い回した末にシオンによって殺された。
「他のみんなはどうしている?」
「みんな……『最後の英雄』ということならばルミナスは教会の在り方に疑問を持ったものや迫害された教徒を束ねて、聖地を求め彷徨の旅に出ました。
エマは自領の統治にかかりきりですが、上手く回しているそうです。
他の人々は……どこかの国の用心棒をやっているのかもしれませんし、リュウシンやアルバートは魔界に渡ったという噂もあります。
ああ、後詰めだった者で言えば、ハンネックは北部の商会との繋がりを持っていましたから、おそらくその辺りにいるかと」
「まったく……本当にてんでバラバラなんだな。
それでシオンに魔界を統一させて魔王に仕立て上げて、その恐怖を以て人間を束ねようとしたわけだな」
「……ご推察のとおりです。
私もクライブ殿も人魔大戦終結直前の状態に世界を戻したかったのです。
あの時代が良かったとは言いませんが、今よりはいくらかマシですから」
「くだらん話だよ、まったく」
人類の存亡の危機を救ったはずの魔王バアル討伐が逆に人類同士の争いの種火となってしまった。
それは私の半生をかけた『聖剣の勇者』としての戦いを否定するものである。
今更、名誉や功績に未練はないが、それでも歯がゆい。
「ジークリンデ様……お子様たちは将来どうされるおつもりですか?」
「将来?」
「今日のお話、どのようなご気分でお聞きになられておりましたか?」
詰問するようなリンネの言葉が胸に刺さる。
「私は……この島で家族仲良く暮らすことしか考えていなかった。
私があの子達を産んだのはシオンを愛したからだ。
人間の私が長寿の魔族であるアイツと過ごせる時間は限られている。
私が死んだ後のアイツと一緒に生きてくれる者……家族を作ってやりたかった」
人間の住む世界にも魔族の住む世界にも私たちの居場所はなかった。
だから、私たちは出会い、この島でお互いをかけがえのないものと認め、愛し合うようになった。
そのことは間違いだったとは思わない。
子どもたちが生まれて、大変ながらもこの島の中で平和に暮らした日々は私にとって最高に幸せな日々だった。
きっとシオンにとっても、子どもたちにとっても。
だけど……
「でも、最近不安になる。
私は私とシオンが幸せになる道具として利用するために子どもたちを産んでしまったのではないかって」
リンネは首を横に振る。
「あなたはそんな利己的な人間ではありません。
お子様たちを愛し、幸せにしたいと想っていられるでしょう」
「なれるのか? アイツらは」
私の言葉に冷たさが混じる。
そう。私とシオンは見落としていたのだ。
自分たちが世界から疎まれ、追い出されてしまったから、そのことを必要なことであると忘れてしまっていたのだ。
「ネイトはともかく、ジェイドは見た目から魔族そのもの、セレナに至っては背中に天使の翼だぞ。
どうやって人の世に溶け込むと言うんだ。
魔界に送り込むか?
魔王の後継者争いしているところに、前王バアルの血を引く子どもを。
アイツらは私やシオンと同じだ。
この世界に居場所がない。
フフ……ネイトがあの街で出会った女の子と子どもを作りたいって言っていたな。
ジェイドもお前じゃ嫌だって。
だけど、アイツらを受け入れてくれる女も家族も街も、いったいこの世界のどこにあるんだ?」
「子を成すことだけが人の幸せではありません」
「分かっている。だが、それも一つの幸せのかたちだ。
この島にいる限り、それは叶わない。
古い王侯貴族のように兄妹で交わるなど私もシオンも許しはしない。
無論、お前やクライブもあの子達にそのようなことをすることは」
「口の端に乗せるだけでも、おぞましいことです。
おやめください」
取り乱してしまった私をリンネは優しく、だけどきっぱりと諭した。
「妻や夫だけではない。
あの子達は外の世界の者のように友を得ることすら出来ない。
仕事や生き方を選ぶことも。
そのことを、私は……不幸なことだと思わなかったんだ。
シオンも、アイツらもいつも……笑っていてくれたから」
目尻に涙が集まってきているのに気づいた。
指で拭うが、次々に溢れてくる。
リンネは立ち上がり、私の頭を抱いた。
「ジークリンデ様。
あなたは間違えてなどいない。
あの子達は不幸なんかじゃありません。
強く、優しい。あなたやシオン様によく似た素晴らしい子達です。
それに、いつまでも子どもは子どもでありません。
いずれ大人になれば巣立つ日もやってくるでしょう。
あなたが全ての道を示さなければならないほど、彼らは愚鈍ではありませんよ」
リンネの心臓の音が聞こえる。
とくん、とくん、と。
小さく柔らかい音が。
「あなたの心を煩わせたのであれば謝ります。
ですが、お一人で悩まないでください。
この島に帰ってきてから、あなたは子どもたちを見ながら切なそうな表情を浮かべていた。
今、私に言ったことはシオン様には申し上げにくいことでしょう。
神の言葉にあります。
『家の中にも壁があるように、家族といえど心の壁があることは至極当たり前で、それは咎められることではない』と。
あなたがシオン様やお子たちを想っているからこそ、口にできない悩みもありましょう」
リンネは私の肩を掴んで、
「どうぞ、私を存分にお使いください。
生き方は違えども女同士です。
きっと、昔よりも私たちは通じ会えると思いますよ」
ニカッ、とおさなげな笑みを浮かべるリンネ。
その笑顔にほだされてしまう。
ちょっと頼りないけど、明るくて泣き虫で、正義感の強いリンネ。
孤児だった彼女は私以上に苦労をしていたはずなのに、無愛想ではなく、素直なその在り方を羨ましいと思い、また憧れていた。
私が少女の頃、取りこぼしたものを彼女は全て持っているようにさえ思えた。
そうだった。
私はずっと、このリンネと……
「思い出すな、10年前を。
私は聖剣の勇者であるために孤高を気取っていた。
お前はあの濃いメンツの中で妹のように可愛がられ、からかわれたりしていたな」
「そうですね。女性だけを見渡しても色々と凄まじい御方ばかりでしたし」
「フフ、そうだな。
だけど、アイツらもお前のことを大切に想っていた。
私もだ」
少し驚いた顔をしたリンネの両手を掴む。
「ずっと……友達になりたかったんだ。
なってくれるか?」
一緒に戦ったからとか命を救われたからとか、そんな血なまぐさいものではなく、もっとシンプルにあたりまえな、そんな関係になりたいんだ。
リンネは微笑んで、首を縦に振り、
「もちろんですよ。
というか、私はそのつもりでしたよ。
ジークリンデ様」
いたずらっぽく笑うリンネ。
私は「こいつめ」とその両頬をつまんでやった。




