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=現在の章= 一方その頃、騎士様は。

現在編、グレイSIDE.

―――「化け物だ」と、誰かがつぶやいた。




◇◇◇




王都近郊、とある森の奥深く。

普段は静かなこの森に、金属がぶつかり合う甲高い音と罵声が響きわたる。


「クソッ、こいつら何なんだよ!いつもより断然手強い!」

「右からも来るぞ!よそ見すんな!」

「くっ!」


仲間の声に、まだ年若い聖騎士―――ジェイミーは赤みがかった髪を乱して慌てて剣を構えなおした。次の瞬間、魔物の爪と剣がぶつかり合いギャイン!と大きな音をたてる。


「…………っ!」


日頃対峙している魔物より強いその力に、ジェイミーは内心動揺を隠せない。確かに今日の魔物討伐はいつもより苦戦するだろうと仲間内で言われていた。しかし、これは予想以上だ。


聖騎士団に所属して2年。

多くの魔物から国を守ってきたつもりだったが、ここまで手強いのは初めてだった。

一度退こうにも、まずは目の前の魔物の群れを何とかしないことにはどうにもならない。


野生の狼にも似た姿を持つ今日の魔物たちは、隙あらば人間を食い殺そうと目を爛々と輝かせて鋭い牙と爪を光らせている。討伐をしに来たはずなのに、下手をすれば防戦しかしていないという状況にジェイミーは思わず舌打ちをした。そんな一瞬の隙をつかれ、魔物の内の一匹に爪で剣を弾き飛ばされる。


「ガァウ!!」

「!!、しまっ――」

「グルルゥウウ」


飛ばされた剣に手を伸ばそうとするも、魔物と目が合い、足がすくむ。

しかし次の瞬間、視界の横からとび込んできた人影がジェイミーの前に立ちはだかった。

ギャイン!と音を立てて、魔物の爪と牙を剣一本で弾き返す。


「馬鹿!ボケっとすんな!」

「ジ、ジークさん!」


ジークと呼ばれた青年は、ジェイミーが今まで苦戦していた魔物数匹の中に気合と共に大きく切り込んでいった。そして差し迫った魔物を数匹撃退したところで、くるりと振り返って呆れた顔をする。


「おい、無事かジェイミー。ほら、お前の剣」

「すいません、お手数かけまして……」

「俺は美人以外助ける気ねえのによ。ったく、普段と同じつもりでいたら次こそ死ぬぞ」

「……正直、油断してました」

「まあここ数年はやたらと魔物が弱かったから、そうなるのも分かるけど。本来、こいつらの強さはこんなもんなんだ、よっ!!」

「ギャァア!!」


背後から襲い掛かろうとした魔物を、振り返りざまに切り捨てる。

ジークの剣に両断されて、魔物は倒れたままの姿勢で動かなくなった。

ポカンとするジェイミーを前にして、ジークは剣を払って血を飛ばしながらニヤリと笑う。


「……なんだよその顔、どうだ俺の強さ見直したか?」

「す、すごいっすねジークさん!普段女の尻ばっか追いかけている人だと思ってましたけど、実は結構強かったんすね!」

「うるせえよ!素直に感謝しろ阿呆!だからお前はなんでいちいち一言多いのか……まあ、どうせ隊内最強は俺じゃないけどな、誰かさんのせいで」

「……誰かさんっていうのは」

「グレイ以外誰がいんだよ」


不貞腐れた顔でため息をつくジークの言葉に、ジェイミーはハッと我に返った。

そうだ、グレイさん。彼について伝えなければならないことがある。


「そ、そうだ!ジークさん、それで思い出したんすけど、グレイさんが」

「あー、敵陣に突っこんでいったんだろ?知ってる知ってる」


ジェイミーの言葉を途中で遮ると、ジークはチッと舌打ちをした。


彼が横目でちらりと伺うと、魔物たちと他の騎士がせめぎ合っている境よりも先に、まばらに倒れている魔物の骸が見えた。誰かが単身乗り込んでいったことは明白だった。そして、この場にいない聖騎士はグレイだけだ。


「しばらくほっといてもアイツは死なねえよ。死んだら死んだで自業自得だ、あんな戦い方しやがって」

「で、ですが、グレイさんとはいえ、今まで2年もまともに実戦では戦っていなかったわけですし……」

「だけどな、アイツに加勢するにもあれを突破しなきゃなんねえだろ、焦ってどうにかなることかよ」

「それは、そうですね……でも、グレイさん……大丈夫かな……」


ジークが魔物の群れを指さすと、提案した青年の声が尻すぼみに小さくなっていった。

それを聞いて、ジークは少し思案気な顔をした後、口を開いた。


「なあ、お前が聖騎士になったのは一昨年だったっけ」

「あー、それが何か?」

「実戦で戦うアイツを見るのは、初めてか」

「そうっすね。グレイさんはいつも聖女様の護衛役でしたし」

「なるほどな、なら覚えとけ。実戦のあいつは、模擬戦してる時の比じゃねえぞ。だから放っといても死なねえよ」

「はあ!?模擬戦以上?え、あのひと、どんだけ強いんですか」

「なにせ、自分を鍛えるのが趣味って男だからな。……ただ今日の戦い方自体は、後から説教してやらないと気が済まないが」


魔物討伐は、人間を襲う魔物を退治することが目的であり、勝ち負けを競うような戦いではない。

集団で援護しあいながら一体ずつ確実に仕留めていくのが正攻法であり、逆に単身で突っ込むなど愚の骨頂だ。下手をしたら命すら落としかねない。


グレイ自身、それをよく分っているはずなのに、それでも突っ込んでいくなんて。

身を守る気がまるでない戦い方に、ほとほと嫌気がさす。


(憂さ晴らし、とかならまだ救いようもあるけどな)


ジークは苦い顔で呻いた。

今のグレイはもう『聖女様』の護衛ではない。

本人は何も語らないため噂でしか知らないが、それらと今までのグレイの態度から推察するに、エトの失踪にはグレイが関与している。少なくとも、ジークはそう考えている。――――エトが失踪したのに、グレイが大人しくしていることが何よりの証拠と言ってもいい。


何がどうなってそんなことになったのか、ジークにはさっぱり分らないが、何もかも既に手遅れだということは分かった。名目上、聖女様は死んだことになった。それはつまり、戻ってくる見込みはないと上層部が断定したということだ。


(見てらんねえ……)


ジークの脳裏に浮かぶのは、戦闘が始まる前のグレイの姿。

好きな女を失って、ぶつけ所のない苦しみを戦いで発散しようとしているのなら、まだ健全だ。だが、グレイの表情は、ジークが考えるようなものではなかった。


悲しいでも、苦しいでもない。

恐ろしいほどに、静まりかえった色の瞳。


『ジーク、今日から俺も前線に復帰することになった。宜しく頼む』


何もかも諦めてしまったようなあの顔は、思い返しただけでもゾッとする。

あんな顔されるくらいだったら、エトが失踪した直後のような、『近寄ったら殺す』という空気を垂れ流されていた方が百倍マシだ。


あんな顔をした男が、普通に戦って終わるわけがない。そう思って見張っていたつもりだったが、戦闘開始の号令とともにグレイは早々に姿を消してしまった。仲間の話によると、淡々と敵を屠り、先に進んでいってしまったそうだ。止める間さえなかったという。


(クソッ、あの馬鹿、何考えてやがる……)


グレイほどの実力でそう簡単に死ぬとは思っていないが、そうではない部分で得体のしれない不安があった。


「あの、ジークさん、あっちの方向から剣の音が聞こえてきたような……」


物思いに耽ってしまったジークに、ジェイミーが話しかける。

ジェイミーが指をさした先は、ささやかながら獣道になっていた。


「……行ってみるか」

「お、俺も行きます」

「当たり前だ、単身行動は禁物だって今言ったばっかだろうが。遅れないで、付いてこい」

「は、はい!」


―――― そして二人は結果的に他の騎士達より早く、森の奥へと進んでいったのだった。




◇◇◇




ジークとジェイミーが共にグレイを見つけたのは、それから半刻は後の事だった。



「このあたり、全然魔物が居ませんね……全部倒されている」

「他の騎士はまだ居ないみたいだしな。十中八九、あの馬鹿の仕業か。ったく、あいつの体力どうなってやがんだ」

「あ、いました!あれっすよね、あれ!」

「ん?ジェイミーお前よく見えんな」

「俺、視力はいいんで。おおいグレイさん、単身切り込んでいくなんてアンタらしくないっす、よ……」


ジェイミーは胸を張ると、そのままグレイに向かって声を張り上げた。

が、その声も次第に尻すぼみに消える。


その理由はすぐに分かった。


森の奥、その少し開けた場所は惨状だった。

木はなぎ倒され、地面は抉れ、見渡す限り魔物の死体であふれ、足の踏み場もない。

その中央で、生き残った数体の魔物とグレイが丁度対峙していた。


グレイと対峙している魔物は、今までのより一回り大きいものばかりだ。

鋭い牙が今にもグレイを食い殺さんと、陽の光を反射して鈍い輝きを放っている。


だが、敵に囲まれているというのに、グレイは微動だにしていなかった。

血に濡れた剣を体の横に下げ、冷めた目で敵を見つめていた。


まさに、一触即発。

ジェイミーもジークも、迂闊に話しかけられない事態に息をのむ。


その時、残った魔物たちが一斉にグレイに飛びかかった。

それに合わせて、グレイはゆったりと剣を構え、姿勢を低くした。


フェイクの攻撃を最低限の動きで受け流し、魔物が体勢を崩したその瞬間に一気に踏み込む。

グレイが敵の懐に入り込んだと思った次の瞬間には、彼の剣はすべての魔物を切り裂いていた。


(なんて、剣だよ……)


思わず見入ってしまいそうな、完璧な太刀筋。

ひたすらに鍛錬を積み、心身ともに高めた者だけが持つ強さ。

エトの護衛についていた2年間のブランクなど微塵も感じさせない。


グレイ=ランバートの実力は、元々聖騎士隊の中でも群を抜いていた。

が、今の彼は昔より格段に強くなっている。

それは悪いことではないはずなのに、どうしてだろう。

それをとても、空恐ろしいと思った。


ジークの隣で同じようにそれを見つめるジェイミーの表情にも、驚きと同時に恐れの色が浮かんでいた。

彼も若手とはいえ聖騎士の端くれだ、きっと無意識にわかるのだろう。


――――グレイの剣には、何の感情もない。

  恐怖も、使命感も、何もなかった。


倒した敵の一体からまき散らされた返り血を浴びて、グレイの頬が赤く染まる。

修羅の鬼のような姿になっているというのに、彼のその目は酷く凪いでいた。

その不自然さに、ジークの背筋がざわりと粟立った。


敵が来たら、殺す。

それだけだった。


グレイがやっているのは戦いではない。―――― ただの作業だ。


足がすくんで動けないジェイミーを尻目に、ジークは静かにグレイに近づいた。


「おい、グレイ」

「……なんだ、ジークか。ここはあらかた片付いたところだ」

「悪いけど、俺、単身で特攻するやつにかける労いの言葉なんか持ってないから」

「単身?…………ああ」


グレイはジークの言葉に、緩慢な動きで周囲を見渡した。

「俺、一人だったのか。すまん、気が付かなかった」と彼は言う。


「何故だか今日はやけに体が軽くてな、気が付いたら隊とはぐれていたようだ。すまなかった」

「久しぶりの任務にしちゃ、調子は上々のようで何よりだよ」


ジークの皮肉に、グレイは何故か微笑んだ。

「ジーク、こんなに楽だったんだな」と彼が言う。


「楽って、何がだよ」

「怪我を怖がらなくていいっていうのは、気が楽だ」


腕についた真新しい大きな切り傷を見つめながら、グレイはそう言った。


『グレイさん!その怪我、治しますからこっちに来てください。さあさあ』

『こ、断る。大体こんな傷、唾つけとけば一時間で治る』

『これは、その、――――私がグレイさんの頬を舐めて治しますねと、そういう流れでしょうか……?』

『そんなわけがあるか!馬鹿なこと言ってないで仕事しろ!』

『それなら大人しく私に仕事させてくださいよ!ほら、すぐ済みますから。……あ、こらグレイさん!?逃げるな!怪我は治していってくださいってば!』


ジークの脳裏に、過去のやり取りが浮かんでは消えた。

――――それらは、グレイにとってかけがえのない記憶だったはずではないのだろうか。


なあグレイ、それは本当にお前の本心か。

エトが居ないことに耐えられなくて、自分を誤魔化しているだけじゃないのか。

本当にそう思っているのか。


そう思っているのなら、どうしてお前の剣は見ていてこんなにも虚しい。


「……………」


ジークはかけるべき言葉を失って、その場に立ち尽くした。

耳に痛いような静寂が、場を支配する。


その時、遠くから仲間の声が響いた。


「応援要請、応援要請!こっちに見たことも無いようなサイズのバンロフがいる!手の空いている奴はこっちに集まれ!」




◇◇◇




バンロフ、それは苔むしたような緑色の毛に全身を覆われた魔物の名前だ。

体長は2メートルほど。巨大な猿のような体躯に、醜い猪のような顔を持ち、その鋭利なかぎ爪から繰り出される攻撃は、大木すらも一撃で破壊するという。


非常に珍しい魔物だが、厄介なのはその攻撃力だけではなかった。


バンロフは、人間の心を読む。

皮膚から出す紫の煙に触れた人間の心理を読み、その相手が最も『失うことを恐れている』ものの姿に化ける。ある時は幼い我が子に、ある時は愛しい妻の姿に、またある時は苦楽を共にした友の姿に変わる。

どんなに歴戦の兵士でも、大切な相手の姿をしたものに容赦ない致命傷を与えることは容易ではない。

そして、攻撃に戸惑いが生じた一瞬の隙をついて、バンロフはその鋭いかぎ爪と破壊的な腕力で敵をしとめるのだ。


――――ジーク、グレイ、ジェイミーの3人が現場に到着したとき、そこに居たのは体長が優に4メートルはあるだろうかという大型のバンロフだった。


苔むしたような体毛をざわざわと震わせ、鼻息も荒く聖騎士たちを威嚇している。


「な、なんだこれ……こんな、大きい奴、見たことねえ……」

「ああお前らも来たのか、助かる。こいつを倒すにゃ、ちと人手が要りそうなんでな」


呆然とするジークに話しかけたのは団長だった。


「何とかこの場にいる数人で、こいつをこの川辺まで追い詰めたんだが、これ以上近づくと奴の幻覚の圏内だ。かくなる上は、全員で一斉に近づいて、誰かの心理を読んで変化したところを他の誰かが倒すしかない」

「バンロフ退治の、定番ですね。……まあ、こんな大きい奴に通用するするのかは試したことありませんけど……おい、グレイ」

「なんだ」


作戦を聞いたジークは、傍にいたグレイに声をかけた。


「お前は、この作戦に混ざるな」

「……悪いが、バンロフなら今までにも倒してきた。大きさが違うだけで、これくらい問題にはならない」

「お前が最後にバンロフと戦ったのは、3年前だ。……俺の言いたいことが、分かるな」

「…………」


ジークの言葉に、グレイは眉をひそめた。

だが、これだけは頑として譲れない。

グレイは確かに強い。しかし、それとこれとは別だ。


「ジーク、バンロフは『失うのが怖いもの』に化けるんだったな」

「ああそうだ、だから俺は、お前は参加するなって、」

「なら、―――― こいつは、俺が倒す」

「……はあ?いや、ちょっと待て、おい待てよグレイ!」


剣をスラリと抜き放って踵を返したグレイに、ジークは慌てて言い募った。


「ば、馬鹿止めろ!お前は下がれ!」

「うるさい、黙ってろ」

「おい、グレイ!」


魔物と真っ向から対峙しようとするグレイに、ジークは必死で制止の声を上げた。

しかし、グレイは僅かたりとも振り返らない。

その背から感じる壮絶な気迫に、ジークの背筋を冷汗が流れた。


(ふざけんなよ、馬鹿野郎!)


彼と対峙したとき、あの魔物が『誰』に変化するかなんて分かりきっている。

2度と会えない彼女が幻でも目の前に現れて、グレイがまともに戦えるとは思えなかった。

まともに戦えたとして、彼女の姿をしたものをその剣で切り捨てたりしたら、今度こそグレイの心は完膚なきまでに壊れてしまう。

完全に、この勝負はグレイに分が悪い。

しかし止めようとするジークの声に、グレイは全く聞く耳を持たない。


聖騎士たちの列から離れ、一歩ずつ歩みを進めるグレイにバンロフが視線を向けた。


人間の何倍もあるだろう巨大な体を身震いさせて、残忍な喜びを表すかのようにバンロフは唸る。

音もたてず周囲に漂い出した紫の煙に、騎士たちの間にざわめきが走る。


しかし、そんな中で、グレイは静かにバンロフを睨み返した。


「お前は、相手の失いたくないものを幻覚として見せるんだろう」

「グルルルルル……」

「やってみろ。俺は逃げも隠れもしない」


魔物が呻く。

一層濃い煙が、その場一帯を漂った。


「グレイ!おい、グレイよせ!」

「……いやまて、何か様子が変だ」


走り寄ろうとするジークを、団長が片手で押しとどめる。

その言葉に、ジークが再び魔物を見てみると、確かにバンロフの様子がおかしい。


(戸惑って、いる……?)


紫色の煙に包まれた魔物は、されどその姿を変化させることもなく、まるで怯んだ様にその場から動かなかった。

馬鹿な、一体バンロフが何に怯むというのか。

グレイに?いや、そんなことがあるわけがない。

読んだ魔物に恐怖を感じさせるほどの感情を秘めた人間など、それはもはや人間ではない。

―――― 化け物だ。


「変化できないのか。……残念だったな、俺にその手が効かなくて」


無表情のまま、グレイが魔物に一歩近づく。

魔物が気圧されたように、一歩下がった。

その拍子に魔物の足が川に踏み込み、大きな水しぶきを上げる。


「どうした、俺の失いたくないものを当ててみろ、バンロフ」


グレイはまた一歩進み、そしてその場で姿勢を低く、腰を落とす。

魔物の血に赤く染まった騎士の剣を、正面で構えた。

その刃に、いつも彼女を守りながら見ていた銀色の清廉な輝きはもうどこにもない。

そのことが、無性に可笑しかった。


そうだ、もう二度と彼女を守ることもないのなら、剣はこれくらい穢れている方がお似合いだ。


『グレイさん』と、人懐こく笑うエトの姿が脳裏をよぎる。

愛おしかった。離れたくなどなかった。

それでも、この世界の人間ではない彼女に、ずっと傍に居て欲しいなんて言えなかった。


彼女は、確かにここに居た。

そして、

彼女は確かに、もうこの世界のどこにも居ない。


だから、俺の失うことが怖いものが『彼女』だとするなら、そんなもの。


「とっくの昔に、――――もう失った」


踏み込む。

魔物の爪がグレイに襲い掛かる。

左から来たそれを、紙一重で剣で受け流した。

頬が裂かれ、一筋の赤い線が走る。

しかしグレイは止まらなかった。

下段から切り上げ、魔物が体勢を崩したところでその懐に飛び込む。

半身を返しながら、グレイは大きく振り上げた剣を叩き下ろすように魔物の首筋を掻き切った。

魔物が力を失ったように大きく後ろに傾き、川の中に轟音と共に倒れこむ。



僅か一瞬で勝負を決したグレイの視界に広がるのは、

頭上からとめどなく降る赤い水飛沫と、酷く強張った表情でグレイを見つめる同僚たちだった。






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