第119話 【魔境群馬ダンジョン群・三十四階層】
階段を降りた先。そこは階段を降りる前に見ていた光景と、酷く酷似していた。人の気配のない空虚のコロシアム、そして舞台の中央で俺たちのことを待つ魔物。
魔物の種が大きく違うことを除けば、三十三階層との違いはないと思う。その種の違いが大きすぎるため、ここが三十四階層であることは明確だ。
「猿?」
それは舞台中央に居た。
先刻、麗華が作り出した氷像に匹敵する巨体、地面に置かれたこれまた巨大な黒き棒。孫悟空を思わせる姿をしているその魔物は、猿魔と名付けられた強大な力を持つ魔物だ。
「猿魔か……」
エリザベスが呟く。
刹那、突風が吹き荒れた。原因を探るため、周囲を見渡す。いや、見渡す必要などない。先刻まで数十、もしかしたら百メートル以上離れているところに居たはずの猿魔が、数十歩前に立つサーファーの持つ大楯に如意棒を押し付けていた。
だが脅威的な移動速度を持つ猿魔でさえ、サーファーの牙城を崩すことはできないようだ。
不動。二つ名を付けるのであれば、この言葉以外に適した名はないだろう。そう感じてしまうくらいには、圧倒的な防御力を持っていた。
再び突風が吹き荒れる。そこに居たはずの猿魔は、舞台中央へと戻っており、こちらの動きを観察しているような雰囲気を纏っていた。
「だいぶ知能があるようだな」
「――」
猿魔は何かの音を口から吐いた。
それが言葉なのか、意味のない鳴き声なのか……俺には特段関係のないことだが、意味もなく気になってしまった。
そして猿魔が口にした音には意味があった。それは音が俺たちの耳に届いてから直ぐに分かった。
「うっ」
原因不明の頭痛――原因は猿魔によるものだと断定できるが、どういった理由で頭痛が走っているのかが分からない。毒によるものなのか、音で脳に異常をきたしているのか、スキルによる超常現象なのか、断定材料がないため、頭痛の原因は分からない。
だが俺たちには聖女と名高いまいちゃんがいる。状態異常に限って言えば、即死を除いて通用しないと断定して良いだろう。
「まいちゃん!」
「分かってるよ」
俺の叫びに、まいちゃんも応える。
地面に巨大な魔法陣が光った。複雑な魔法陣の上に足を置く者、全てにまいちゃんの力が及ぶ。猿魔によって引き起こされた頭痛は、尾を引くことなくきれいさっぱり消え去った。
「流石、日本の聖女だ」
まいちゃんの回復系スキルは、先駆者であるエリザベスですら感嘆の声を漏らす練度だ。
未踏破領域【魔境群馬ダンジョン群・三十四階層】に生息している魔猿の力すら、軽々弾く力というのは、俺のパーティでは過ぎた力だろう。
「――」
猿魔は自分の策をいとも容易く突破されたことに対し、とても憤慨したようで、顔をリンゴを真っ赤に染めながら、己が武器である棒を強く握り締めていた。
規格外の握力に握られている棒が軋む音は、百メートル程離れる俺たちの耳まではっきりと届いている。しかしその行動は怒りに任せて八つ当たりしているわけではなく、己の武器を強化するための行動のようだ。
「赤くなった」
俺の呟きは、猿魔の顔を指したものではない。元々赤みがかっていた黒い棒が、人の鮮血を想起させる真っ赤な棒へと変貌している。それに合わせて肌で感じられる棒に内包されたエネルギーも倍近くなっており、脅威度は跳ね上がっているように思えた。
そして猿魔は跳ね上がった脅威度を示すかのように、跳躍していた。偽物の太陽に被り、その姿が曖昧に見える。思わず瞼を閉じてしまいそうになったが、吹き荒れる突風が正気に戻す。
「……」
これまで通り、ビキニのサーファーが猿魔の攻撃を受け止めている。しかしこれまでと違う点は、数歩分後退していたことだ。サーファーの不動の牙城を崩されたと言っても過言ではない。
「安心しろ。この程度で山城の防御がやられることはない」
エリザベスの言葉通り、ビキニのサーファー――山城がそれ以上押されることはない。
猿魔は赤くなった棒を地面に突き立てて軸にすることで、遠心力を加えた蹴りを放つ。大楯へと蹴りが炸裂するが、山城がそこから後退することはなかった。
「……」
山城は変わらず無言を貫いているが、初めて防御以外の動きを見せた。猿魔の脚ごと大楯を押し出すと、当然猿魔のバランスは崩れる。
そこを好機と突っ込んで行ったのは、柳生。鍔鳴りを鳴らしていないのにも拘らず、ドンピシャの位置へと突っ込んでいる。それは長年培ってきた連携が為している技だと思う。
「――」
柳生の刀。それが猿魔の身体に傷を作っていく。
猿魔も巨体を生かした抵抗を試みているようだが、柳生の猛攻はその程度では止まらない。顔、身体、脚、腕……に見せかけて脚といった風に、ランダムで放たれる斬撃に、猿魔は追いつけていないようだ。
「ふぅ」
柳生の口から息が漏れた。
それは戦いの終わりを告げる鐘の音……そんな高尚なものではないが、柳生が戦いを終えて息ついたことだけは確かだ。
「かなり強力な相手だった」
俺は柳生の言葉に対し、疑惑の目を浴びせざるを得ない。傍観者である俺の目からすると、柳生の戦いは極めて一方的な戦いのように思えた。膂力など肉体の性能に関しては猿魔の圧勝だったかもしれないが、技術という面に関しては月とスッポン――でも足りないほど、かけ離れた差があった。
「確かにそうだな。あれは化け物じみていた」
「……」
山城は変わらず無言を貫いているが、エリザベスの言葉に対して首を縦に振っていた。
反応を見せた先駆者全員が強力な相手と認めたならば、俺の意見は間違っていたのだろう。そもそも俺からすれば、このダンジョンに出てくる魔物は、誰も化け物じみた強力な魔物に違いないんだけどな。
猿魔についての会話は、山城による無言の頷きで終わり、気付かぬ内に現れている階段を降りる。
次は三十五階層。何階層まで続いているのかは分からないが、まだまだ終わらない事だけは確かだろう。
そんな終わりの見えないダンジョンに対し、俺は僅かな絶望感を抱いていた。だが光はやってくる。
猿魔は並の龍以上の力を有しています。
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