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「……本当にすまないと思っている。」
侯爵家での待遇は、勝手に使用人がしたことだと説明され、私に嫌がらせをした使用人は、一人残らず処罰したという。
私が好きで避けてしまったと言われ、呆れたように笑うことしか出来ない。
そうして、俯きながら謝罪をするゼオンに、ため息をついた。
「私のことはどうかお忘れください。」
私が淡々と告げると、泣きそうな顔で私を見てくる。
覚えてもいなかった綺麗な顔は、少しやつれているように思えるが、もう私には関係ない。
「……カイラ。」
「おやめ下さい。カイラはもう死んだのです。私は今、この地でミラとして生きている。……もう一度言います。私と貴方は他人です。」
私の気持ちが伝わるようにはっきりと告げる。すると落ち着かせるように、私の左手をそっとリオが撫でてくれる。
その気持ちが嬉しくてリオを見上げ、小さく「ありがとう」と呟く。
「……俺は、君のそんな穏やかな表情を見た事がない。」
小さく呟いたゼオンに、何を言っているのだと顔を顰める。
「当たり前です。私と貴方が顔を見合せたことは、ほんの数回でした。」
「……君は今の方が幸せそうだ。」
落ち込むゼオンに少しイラッとして、冷たく「ええ」とだけ返す。
婚姻後の期間は3年もあったのだ。
その間に、たったの一度でも家に帰ってきたら、想いを聞いていたら、私の気持ちも違っていたのかもしれない。
まぁ、それも全てが遅すぎる訳だが。
私が会話を望んでいないことを察したのだろう。ゼオンは肩を落として、もう一度だけ「君を大切にできずにすまなかった」と言い席を立った。
その後ろ姿を見て最後に「侯爵様」と呼びかける。
「……言葉にしなければ思っていても伝わりません。実際、私は侯爵様の気持ちに、これっぽっちも気づいていませんでした。……次は、手遅れになる前に想いを伝えることをおすすめ致します。」
私がそう言うと、彼は困ったような顔をして「そうする」と笑った。
ローブを深く被ったゼオンを見送って、息をつく。
すると、私の手がぎゅっと握られる感覚に、顔を上げた。
「リオ?」
黙って私を見つめるリオに首を傾げる。
「……良かったのか?」
悲しげな声で問いかけるリオに、何を言うのだと手を握り返した。
「……あいつは貴族だろ。元に戻れば不自由することは無い。……それに、次はお前を大事にしてくれるだろう。」
リオの言葉にじわじわと苦しくなり、視界が歪む。
「……なにそれ。」
震える手を押えていると、私の顔を見たリオがぎょっとする。オロオロと私の顔を拭うリオは、眉が下がり困っている顔が可愛い。
それでも、私は拗ねているのだと分かるように、リオに聞こえるように呟く。
「……そばに居てくれるって言ったじゃない。嘘つき。」
私の言葉にピタリと動きを止めたリオは、眉間に皺を寄せ「嘘じゃない」と強く言い切る。
緩みそうになる顔を隠して、リオの胸元に擦り寄る。
「……私はリオがいいわ。……貴方が好きよ。」
私がそう言うと、リオは優しく私の肩を抱く。
「俺でいいのか?」
不安げな声がして顔を上げる。眉が下がった頼りない顔に、おかしくなって笑ってしまう。
「ふふ、貴方がいいって言ったじゃない。」
「……そうか。」
リオは私の言葉に照れたように目を逸らし、指を絡めるように手を繋いだ。ほんの少し赤くなった耳が可愛らしくて、クスクスと笑う。
そんな私を咎めるように、リオは眉間に皺を寄せ私を見る。するりと繋いでいた手を離すと、私の頬にそっと手を伸ばした。
スリスリと撫でられ、なんだろうと首を傾げると「愛している」と返ってくる。
飾り気のないリオの言葉に顔を赤くすると、挑発するようにフッと笑われる。
少しむくれた私をあやすように、リオは私の額へ口付けた。見上げると、穏やかな顔で微笑むリオが映り、頬が緩んでしまう。
リオと過ごす穏やかな時間に、これが幸せなのだと理解した。
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春の風が吹く、清々しい朝。
目が覚めて朝食の準備をする。気持ちのいい朝に気分が上がっていた私は、鼻歌を歌う。
「……ご機嫌だな。」
後ろから眠いというように、私の肩に頭を乗せるリオ。
あれから私とリオは夫婦となり、一緒に暮らしている。
高ランク冒険者のリオは、私に働かなくてもいいと言うが、私は今世でも人を治療することが好きなのだ。
「私の楽しみを取り上げないで」と文句を言うと、リオは苦笑しながら困ったように「無理はするな」と言う。
リオは心配性で、私が忙しく駆け回ると、さり気なく先回りして気遣ってくれるのだ。
昨夜も、遅くまで魔法薬を作る私の世話を焼いていた。休憩の時間にくれた菓子は、私のお気に入りで、我ながら愛されているのだと実感した。
朝が弱く寝ぼけているリオは、いつもより緩い表情で私を見ている。そんな様子に、可愛らしいなとクスクスと笑う。
「ほら、朝食にしましょう。」
ぽやぽやとしているリオの頬を、ツンツンとつつきながら言うと、大人しく席につく。
ふと思い出したかのように「幸せだ」と呟くリオに、「私もだわ」と返す。擽ったい気持ちになり、照れ隠しにヘラッと笑うと、優しい微笑みが返ってくる。
いつもの風景。
穏やかな朝日に照らされ、いつまでも彼の隣にいることを、願わずにはいられなかった。