第二十二幕 グランドフィナーレ
第3部ステラ・マリスここに完結。
物語は激動の第四部 嵐は黄昏を連れてへ。
ーー澄んだ歌声が、最終楽章にたどり着く。
ーー少女は歌う。【終焉の歌】を。
ーー遠い、遠い、ささやかな約束を果たすために。
**
「お疲れ様、シトラス。キラリティもありがとう」
異形化したトリチェッロ区区長を倒したパフェは小さくため息をついた。
「パフェ、気に病むなよ。【鏡像】を助けられなかったのはお前のせいじゃない。多分……本拠地に着いた時点で既に全員がもう……」
キラリティも頷く。
「間違いないと思います。あれは……本当の鏡の向こう。境界の外のモノ。本来なら現代シルクスには干渉できないはずなんです」
「ふたりとも、ありがとう。でも、キラリティにひとつだけ聞いておきたい。君たちが守る【鏡界】はあくまで【現代シルクスの異層】だと思っていたんだけど今の話だと【水鏡の魔女】が見守っている境界は……【異世界】のこと?」
「そうです。パフェ様にはこの話をしても大丈夫だと思うのでお伝えします。かつてこの世界に隕石が堕ちたという伝説は【魔女】たちの間でも真実だと言われています。目に見える被害の対策に人間たちが追われ、安住の地を求めて戦っていた頃、歴史の影で【魔女】たちは別の対応に追われていたんです」
「別の対応?」
「……簡単にいうとあの隕石はただの隕石ではなかったんです。だからこそ降ってきた時に現代シルクスに深い傷跡を残しました」
「深い傷跡……もしかしてそれは、」
「そうです。別の異世界へ通じる門がいくつか開いてしまった。アクト・フィグメントはおそらくこの門の存在を知っていて、門に干渉することができるんだと思う。だから、ボクやリメニアさんも今回は動くことにしたんです」
「アクト・フィグメントの上にはとんでもない存在がいるってことか……ありがとう、キラリティ。あとで今回の協力者にだけ門があると言われている区を共有して欲しいんだ。もしアクト・フィグメントの出現場所と一致するなら先回りして動くことが可能になるから」
「わかりました。でも、現状では門をふさぐことはできないと言われています。トリチェッロ区の門は、ボクが結界を張って封じてはいたんですけど……門番がいない門は難しいです」
「そうだよね……どうしたらいいのか照眞さんにも意見をもらいたいとこだなあ……」
パフェは少し考え込んだあとで、地下から湧き上がる何らかの力をとらえてふらついた。
シトラスがとっさに彼を支える。
「パフェ!顔色が……」
「……大丈夫……でも地下からものすごく大きな負の気を感じる……!」
**
ーー待っていた。待っていた待っていた。
かつて再会を約束した人魚の気配を感じて、セイレーンは目覚める。
血を求めるようになっても、恨みと怒りに飲み込まれても、彼女のささやかな願いが変わることはない。
本拠地の地下。誰にも知られず眠り続けてきたもうひとりのセイレーン。
ふたつに分かれたものが一つに戻ろうとするのは本能だった。
目覚めたセイレーンは澄んだ青色の石に触れる。
「カノジョニアエルノ。ダカラオカエリ」
トリチェッロ区の【区核石】アクアマリンから深い青色が抜けて色褪せていく。
この瞬間、トリチェッロ区の守りは喪われた。
「っ!」「アクアマリンの中のセイレーンが【石喰い】のセイレーンとひとつに戻りつつある」
何かを感じ取ったソーレとラピョージャは接岸したままのナーヴェの船を急いで降りた。
「ナーヴェ!トリチェッロ区の守りは喪われた!トリチェッロ区全域で【文字喰い】や紙魚種が暴れ始めるからそっちの援護にまわってくれ!照眞さんのチームがもうすぐ戻ってくる」
「わかった」
ふたりは無人の本拠地内を駆け、一階で照眞、パフェ組と合流した。
「セイレーンに対処できるのはどのみちシレーナだけだ。だったら私たちはトリチェッロ区の救援に行こう。区長がいない今人手が必要だ」
「そうだね。俺も同じ意見。特にキラリティやシトラスには船移動の間だけでも休んでもらいたい。全てが解決してもアクアマリンに力を注ぎ直す必要があるけど、どのみちそれはラピョージャとソーレにしかできないから、お願い」
「任された」「安心してくれ。使命は果たす」
本拠地見取り図を手にふたりは地下へと向かった。
**
一方その頃、シレーナと宵霧、グーフォの三人は襲ってくる海洋型の紙魚種と文字喰いを片付けながらアクアマリンのある地下へと向かっていた。
「大丈夫か、シレーナ」
グーフォの声にシレーナは微笑む。
「先生や宵霧が守ってくれるから大丈夫。ふたりの方は大丈夫なの?」
「問題ないっすよ。本来月が見えない場所での戦闘は難しいっすけど海は元々月との縁が深い場所。それに今は紡からの常時サポートもあるんで」
「この程度の敵に遅れは取らないさ。大丈夫。紡もきっとここに辿り着く」
「はい」
シレーナは気丈に答え、一歩ずつ螺旋階段を降りていく。
ーー一歩降りるごとに、わたしの終わりは近づいていく。それでも。
【終焉の歌姫】でも【海鎮めの神子】でも、どのみち生贄になる運命は変わらなかった。
人魚化の儀式を施されて、冷たい海に落とされた時、わたしはもう消えるのだと思ったのに。
次に目を覚ますと、先生がいて。寝起きに食べさせてもらったミネストローネがすごく美味しくて泣いてしまった。
ーーひとりで、沈んでいくのだと思っていた。
だけど、それは間違いで。先生はわたしを助けようとしてくれた。もしも、わたしの奏でる物語が悲劇に終わるとしても、今のわたしには覚えてくれる人がいる。
ーーだから、セイレーン。姿は変わってしまっても、私はあなたに会いに行く。
遠い約束を果たすため、ひとりじゃないって伝えるために。
そう、始まりの人魚姫はね。
あなたのことを友達だと思っていたの。
螺旋階段が終わる。
目の前には色褪せたアクアマリンの結晶と、虚な目をした【石喰い】セイレーン。
シレーナは迷わずにセイレーンの前に進み出る。
「セイレーン」
「やっと貴方に会えた。ようやく約束が果たせたわ」
セイレーンは襲いかかることもなく、そっとシレーナに触れた。
「……アア……アア……ヤット……ヤット……」
「遅くなってごめんなさい。あの日、会いに行けなくて……ごめんなさい……」
セイレーンに触れたシレーナの指先が黒く染まる。
セイレーンはそれを見てとても優しい声で告げた。
「……イマノワレハアナタヲキズツケル。ネムラセテ。アナタノウタガ……キキタイ……アア、ノマレル。ステラ・マリスニ……」
「っ!」
苦し紛れに振るわれた爪の一撃を、
「シレーナ!」
氷を纏った紡の片手剣が受け止める。
「紡!」
「ごめんね。少し時間がかかって……間に合ってよかった」
「シレーナ。セイレーンを眠らせられるのはお前の歌だけだ。おれと紡が絶対に守る」
「わかった。わたしは、わたしにできることを。この想いを……セイレーンへ!」
シレーナは大きく息を吸い込むと、初めのフレーズを謳う。
夜の帳を下ろし 優しい歌を歌いましょう
青い月に照らされた さざなみの声を聴くーー
シレーナの身体が青い光に包まれ、髪が揺れる。
ついで耳が人魚のものに変化し、肌に鱗が現れた。
シレーナという人格が、はじまりの人魚姫と溶け合っていく。
謳うごとに少しずつ彼女の記憶も消えていく。大切な想い出が砂になっていく。
その中でもたったひとつ、最後のフレーズを歌うまで手放したくない記憶だけをシレーナはそっと魂の奥に刻み込む。
セイレーンの攻撃の手は止まない。
勇陽と紡はいつもより苦戦しているようだった。
セイレーンの撃ち出す高水圧の無数の水弾は元々動体視力の高い勇陽でも避け切ることが難しく、氷精霊に力を借りている紡も全てを凍らせてしまうことはできない。
絶え間なく湧き出てくる紙魚種の対処でグーフォと宵霧もふたりの援護まで手は回らないようだった。
悪夢を消し去る煌めきを 空に光る星に見た
手の届かない光に焦がれ 魚は空の夢を見るーー
「っ!」
ついにセイレーンの持つトライデントが紡の背に突き刺さる。
彼は「心配ないよ」と微笑むと、再び剣を構えた。
セイレーンの手元に戻った赤く染まったトライデントを見て、シレーナは叫び出しそうになる。
紡と勇陽は傷を増やし、セイレーンの持つ毒に侵されながらひたすらに攻撃を続ける。全てはシレーナのために。
海に落ちた流星は 輝きを失って
けれど煌めきは海に溶け 愛しい貴方へ届くでしょう
さざなみを聴くたびに わたしのことを思い出して
どうかこの歌が終わったらーー
これが、最後のフレーズ。
シレーナは歌を止め、そっと紡と勇陽の手を取った。
「夢の中で、会いましょう……」
シレーナが歌い終わると同時に、セイレーンに変化が起こった。
セイレーンを包んでいた黒い闇が薄くなり、セイレーンの身体も文字の羅列の紙へと変化していく。
「ありがとう……」
その紙からインクが滴り落ち、黒い海を残して【石喰い】セイレーンは消えた。
同時にシレーナにも異変が起きる。元の姿に戻った彼女はふらつき、紡の腕の中で目を閉じた。
「……これで……大丈夫……もう、だれも、トリチェッロ区では、生贄に……なら、ない……」
「シレーナ……喋らないで」
「……ごめんね。本当はもう、あなたの名前もわからない。もうわたしのなかには何も残っていない。シレーナっていう名前を聞いてもそうだったんだなって思うだけ。だけど、それでも、胸の奥に、きらきらしたものがあるの」
シレーナはそっと、指先で紡の頬に触れた。
「あなたは、わたしの、星」
「……だいすきな、ステラ・マリス……」
シレーナの言葉はそこで途切れた。体はまだ、温かい。
「……紡、シレーナの手をこっちに。俺の心臓に手を当ててくれ。贈り物を渡すよ」
「勇陽……?」
紡は戸惑いながらシレーナの手を取って、勇陽の心臓へと導く。
その瞬間、勇陽の背から焔の翼が生え、降り注ぐ炎の羽がシレーナの中へ吸い込まれていく。
「……ごめん、紡。もう時間はなかったんだ。おれは【暁の緋鳥】の血を引いてる。本来なら死ねば時間をかけて蘇る体質だけど、その際の代償が受け入れられなくて先延ばしにし続けてきた。おれは記憶を失いたくなかった。どうしても紡のことを忘れたくなかった」
「……何それ……自分勝手すぎるよ。覚えてないってあんなに怒って……思い出したら消えるの?」
「他者のために命を差し出して消えるならおれは記憶を失っても蘇る。これで、シレーナは生きていけるし、俺だってそのうち生き返る。一番の大団円だろ?」
「違うよ!」
紡は思わず勇陽に掴み掛かる。
「記憶を失ったら……一緒に夕焼けを見た勇陽は……消えるんだよ……そんなの見た目が同じだけの別人だよ……!」
紡は強く願う。
「次に目覚めた時に僕のことを覚えてないなんて……ふたりの記憶を持っていくなんて……たとえそれが定められた運命でも絶対に【認めない】から!」
ーーその瞬間。
紡は奇妙な感覚を覚えた。ほんの一瞬だけど、世界が揺らいだような感覚。
「……いまの、は?」
続いて襲ってきた強烈な疲労感に紡はそのまま気を失った。
**
「……今の感覚は……そうか……」
黎明の空を見上げながら、青年はひとりごちる。
「君はやはりこの星の【可能性】か。トリチェッロ区の事件がグランドフィナーレで終わることに異論はない。そもそもアルカナ保持者が欠けてはゲームオーバーなのだからね。しかし、その力の片鱗が現れた今、様々な勢力の思惑が動き出すだろう。アクト・フィグメントの目的がキラリティやパフェの推測通りなら……あの子もそろそろ動きだす。まもなく嵐が、黄昏を連れてくる。君はある結末を見届けて選択することになるだろう。だが今は、ゆっくりお休み。本来トリチェッロ区はリゾートで有名な区。夏はまだ終わっていないのだから……」
**
戦いから数日後。
「今日も平和だなあ……」
「平和が一番っすよ紡。あれだけ無理したんだから背中の傷が治るまでは安静に」
紡は水鏡の館の一室のベッドの上にいた。
「わかってる。シレーナや勇陽は?」
「ふたりともまだ目を覚まさないっすね。傷はなく、健康状態も問題なしでただ起きないだけみたいだけど。ちなみにふたりとも【アルカナ保持者】になったって照眞さんが言ってたっすよ」
「……シレーナが【月】で勇陽が【太陽】。あってる?」
宵霧は少し驚いたように紡を見つめる。
「ばっちりっす。でもなんで?」
「なんとなく、だけど……宵霧、聞いて欲しい。セイレーンと戦った後からなんか……変な感じがするんだ。体調が悪いとか、自分が自分でない感じとかそういうんじゃないんだけど、なんか以前と違う感じというか違和感というか……」
「んー?背が伸びたとかなんか成長したのかも?」
「身長ってそんなに急に伸びるのかなあ……確かによく寝てよく動いてよく食べてるけど……」
紡は腑に落ちないながらも、一応は納得したようだった。
「そういえばトリチェッロ区はどうなったの?区長がいなくなったらしいけど……」
「ああ、それなんすけどね。ナーヴェさんが臨時区主になったらしいっす。もちろん正式には区民投票で決まるみたいだけど、トリチェッロ区を救った英雄として迅速な対応や的確な指示が高く評価されて。ユナタは秘書、リメニアさんやカストルポルクスもみんな揃って今は区役所でお仕事中です」
「ナーヴェさんなら安心かも。他の人たちは?」
「パフェさんたちは帰って行ったし、照眞さんも緋弦たちを連れて本拠地に帰ったみたいっすね。ソーレとラピョージャはアクアマリンを安定させて保護結界を回復させた後どこかに旅立って行き、ユエさんは急用で東華区へ帰ったみたいっす。グーフォさんは別ルートで【金貨】を追う旅に出たらしく。ちなみに三人分の薬をきっちり残していくあたりさすが医者ですね。ここに今残ってるのは紡と僕とシレーナと勇陽だけっす。キラリティの好意で夏が終わるまではいていいと言われたからのんびりソシャゲ三昧して積みゲーも崩してるとこ」
「そっか。セロ区の旅行雑誌で見たけど夏休みってやつかな?」
「夏休みっす。紡もシレーナも勇陽も回復したらだけど、少し北地区や中央地区の美術館をめぐったらいいかなって。普通長期滞在できないっすからねトリチェッロ区って」
紡は微笑む。
「それは楽しみ。ところで毎日出るご飯すごく美味しい気がするんだけど……宵霧?」
「あー……えっと、毎日パフェさんが作りたてを届けてくれるんすよ……栄養バランスも味もばっちりのものを……それも三食」
「三食!?ありがたいけど、いいのかな……」
「まあジャンクフードより良いのは間違いないんで……料理が趣味みたいだから良いんじゃないっすか……?そろそろお昼っすね。受け取ってくるっす」
「それはそうかも。じゃあ楽しみにしてるね」
部屋を出る宵霧を見送って紡はふと思い当たる。
「……そういえばだれも莱人について話してないような……?」
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同時刻、東華区の空港に莱人はユエとともに降り立った。
「莱人くん。その話が本当なら……」
ユエは真剣な表情で莱人を見つめる。
「ええ。流石に紡たちは巻き込めないので……同行させてくれてありがとうございます師匠」
乾いた風が莱人の髪を揺らす。
秋祭りをひかえた東華区の華やかな雰囲気とは対照的に、その瞳はナイフのように冷たかった。
「やっと見つけたよ……姉さん」
第3部ステラ・マリス 完




