第十八幕 漣は追憶を連れて
湾岸地区で過去と現在が交錯する。トリチェッロ区編の物語は終幕へ向けて加速する。
きらきらと陽射しが降り注いでいる。
打ち寄せる波の音を聞きながら、青年はふわあ、と欠伸を漏らした。
「言われたとおり、レモンソーダ買ってきたぞ....おい、起きろ」
ぺち、と軽く叩くと青年は左右違う瞳をゆっくりと開く。片方の瞳は太陽の赤。もうひとつの瞳は海の青。現代シルクスでもそれらの色は珍しかった。
レモンソーダを買ってきた青年も髪の色こそ薄い金茶色であるものの同じ色をしていた。
「ありがと」
青年は中庭のハンモックから降りて部屋に戻る。
レモンソーダとホテルで注文したパニーニを食べ終わるとふたりはデバイスを起動した。
「さて、今回の指示だが」
「そもそもパフェが動くのは珍しいな。どれどれ」
ふたりへ
のんびりふたり旅中に悪いけど協力して欲しい案件があるんだ。トリチェッロ区で起きている【鏡像】事件だけど、様々な状況からアクト・フィグメントが関わっている可能性が高くなった。
【物語】のカタリベたちも【神話】も動いている。
【物語】のカタリベたちは東華区のユエさんも含めて北地区と中央地区で調査中だけどトリチェッロ区の湾岸地区は治安もあって派遣を見合わせたらしい。そこで荒事にも慣れてて、何よりアクアマリンと共鳴できるふたりに調査を頼みたい。
ひとつは区核石アクアマリンの状態確認。
もうひとつは霧に包まれた島の伝説について。
進展があればこちらからも連絡するけど基本は君たちに任せるよ。
「……アクアマリンか……そうだな。区核石は何らかの反応をするのが普通だけど、ここのアクアマリンは眠ってる。眠ってるというか心を閉ざしているというか。いざとなったら【共鳴】でこじ開けられるかもだけど、あんまりやりたくねえな」
「……わりと人の心にずけずけ入り込んでくるお前にしては珍しい答えだが……」
黒髪の青年の発言に苦笑しながら、少し寂しげに金茶の髪の青年が答える。
「……ここの……トリチェッロの海は明るく見えるけれど、涙と残された少しの希望と、【星】の悪意で満ちている。【共鳴】を使うぐらいなら古代の遺跡に行く方法を探した方がいい。そのためには船乗りを探さないとだが……」
「……酒場に行けばいいんじゃないか?あとは……占い、とか」
**
「いらっしゃい。おや……珍しいお客様だ」
占い師の女性はふたりを見るなりそう告げた。
「……そうだね。アンタたちからはこの世界とは別の世界の欠片が混ざっているのを感じる。アタシはリメニア。海の民の血を引く【魔女】だよ。もっとも、先代のばあさんほどの力はまだないけど……」
「……初対面でオレらの出自を言い当てといてよく言うよ。リメニア、オレらは【童話】に属し、【色欲】の七罪を分け合った者だ。オレがラピョージャ、こいつはソーレ。【魔女】に隠し事はするなってパフェから言われてるから単刀直入に聞く。オレたちは今【鏡像】事件を追ってる。そのために行くべき場所があれば教えてくれないか?」
「わかった。【童話】関係者ならタダにしとくよ。目を閉じて」
リメニアは水晶を取り出してそっと手を翳す。
「……導きの【星】よ。導を示せ」
水晶がゆらめき、淡い光を放つ。
「見えた。けどしなきゃいけないことはひとつじゃないね。ひとつは海の夢跡……海の民の遺跡に行くこと。船乗りにはツテがあるから明日には出発できるようナーヴェに頼んでおくよ。もうひとつは……ある【絵描き】を保護すること。こっちは、どうやらうちの婆さんにも関係してるから、アタシも本格的に動かなきゃいけないね。その上にアクト・フィグメントも絡んでる。情報屋のカストルとポルクスに力を借りるしかないか……【童話】なら荒事は得意だろうけどこっちは戦闘は避けられなそうだね」
「リメニア、助かった。パフェも【鏡像】事件にはアクト・フィグメントが絡んでいると推測していたが当たりだったな」
「どういたしまして。アタシはアルカナ保持者になるって婆さんに言われてるけど、まだ覚醒してないからせいぜい護身用の暗器ぐらいしか使えない。エスコートは頼むよ。おふたりさん。あと、今日はもうやることもないだろうからこの本を読んでおいて。トリチェッロ区の海の民の伝承についての本だ。湾岸地区には意外と伝承やジンクスを信じるやつが多い。色々と役に立つはずだよ」
**
ホテルに戻ったふたりは言われた通りに本を開く。
トリチェッロ区の成り立ち
トリチェッロ区は元々は名もなき海上集落であった。
【海の民】と呼ばれる彼らは海の神を崇め、海からの恵みで暮らしていた。
やがて、他地域との交流で富を得た彼らは海上に壮麗な都市を築いた。
しかし、ある夜災厄が海に降った。(後世の研究の結果、この災厄とはシルクス全土に影響を及ぼした巨大隕石ではないかと言われている)
その後、海は人々に魔物を運ぶようになった。
魔物と戦う力を持たなかった多くの【海の民】が犠牲となった。
【海の民】は海の魔物ーー【海からくるモノ】から逃れるべく壮麗な海上都市を捨て去った。
【海の民】の攻勢
さて、内陸部に逃れた海の民は当時栄えていた魔術国家マギ・マグナに流れつき当時の王と謁見した。当時の王は史上最強と呼ばれた【魔女】だったと伝わっている。
【魔女】は窮状にあえぐ【海の民】に、「嵐の夜に砂浜に打ち上がった人魚を捕らえてきなさい」と告げた。
【海の民】は嵐の夜に人魚を捕らえて【魔女】に引き渡した。
【魔女】はその人魚の力を使って、【海からくるモノ】に対抗する武器を作り出し、【海の民】はようやく、戦いながらもかつての故郷に戻って暮らすことができるようになった。
【海鎮めの歌姫】
故郷に戻った【海の民】は遠い海上ではなく、湾岸沿いに新たな都を築き、運河を整備し現在のトリチェッロ区の原型が生まれた。
【海の民】たちは都が生まれた日に【海鎮めの歌姫】を海に捧げた。
現在ではこの風習は平和に形を変えて、【聖海祭】として残っている。
アクアマリン
トリチェッロ区の区核石はアクアマリンである。
【聖海祭】が行われる広場にはアクアマリンの巨大原石のオブジェがあるが本物のアクアマリンはトリチェッロ区の海のどこかで静かに眠っている。
伝説によればこのアクアマリンは人魚が生み出したものだと言われている。
船乗りのジンクス
トリチェッロ区の船乗りの間でよく知られているジンクス。
嵐の夜 船の帆に青い光がひとつなら寄港せよ
嵐の夜 船の帆に青い光がふたつならそのまま進め
雷の精霊が起こすと古くから言われる気象現象。
霧に包まれた島
トリチェッロの南にあると言われている。
別名を【死者の島】といい、【墓守】が守っている。
「……なるほどな」
ソーレは静かに本を閉じた。
「星の悪意とはシルクスに堕ちた巨大隕石がもたらした災厄か。しかし、トリチェッロ区の人魚の存在は初耳だぞ。記述も少なすぎるし……そもそもなぜ急に人魚が現れた?あとこれはオレの勘だけど……【海の民】は人魚に対してろくな扱いをしていないと思う」
「……ああ、同感だ。これはあくまで【海の民】の歴史だから、人魚側の記録が抜けている。敗者の歴史は記述されない。歴史に残る記述は勝者のものに限られるからな。……アクアマリンに聞くしかない。そっちは明日リメニアの手配通りに船に乗って探しに行こう」
**
その頃、リメニアは港にいた。
「ってわけなんだ。ナーヴェ、協力してもらえるかい?」
「ああ、いいぜ。面白そうだしな。カストルとポルクスも今ちょうど船にいる。ついでに依頼をしていけよ」
ナーヴェはリメニアを船室に案内する。
「リメニア姐さん」「何かご依頼でしょうか?」
リメニアは手早く目的を話した。
「なるほどね」「トリチェッロ区全体に関わるということですか」
カストルとポルクスと呼ばれた双子の情報屋は、リメニアの依頼を快諾する。
「動かない理由はないよ。ボクは今のトリチェッロ区の人々が好きだからね……【海の民】の遺跡にはあんまり近づきたくないけど、ソーレとラピョージャって人を沈んだ海上都市ーー海の夢跡に案内しないと人魚たちの声は誰にも届かないから」
「ポルクスが快諾するなら断る理由はありません。【鏡像】が動き出していることから考えても事態は良くないですし。アクト・フィグメントについては既に情報があるのでお伝えしましょう。湾岸地区に潮が引くときにだけ入ることのできる洞窟があります。【絵描き】さんはおそらくそこに。アルビオン区の一件があり、アクト・フィグメントの【剣】と【金貨】は重傷を負って動いていないようですが、今回トリチェッロ区で動いているのは【棒】です」
リメニアは眉を顰める。
「【棒】?」
「ええ。私の使い魔の海鳥が若い男の姿を目撃しています。とはいえ、アクト・フィグメントの【小アルカナ】では一番謎が多い相手です。【杯】は白花の聖女の方と関係があると推測できますが……今まであまり明確に動いていない印象がありますね」
「でもでも。動いてないってことはデータがないってこと!リメニア姐さん気をつけてね!」
「ああ、ふたりもね」
リメニアはナーヴェの船を後にして、自宅へと戻った。
**
薄暗い洞窟の中の不似合いな扉。
その扉の中のアトリエで、フィオレはキャンバスと睨めっこをしていた。
「……【絵】の調子はどうだい?」
「……なかなか難しくて。インスピレーションが沸いて来ないんですよ」
「まあそういうこともあるさ。そうだ、気晴らしに【人魚】の話を聞かないか?」
「【人魚】?」
若い男は、おっ、興味ある?といった様子で彼の知る【人魚】の話を語り始めた。
「トリチェッロ区の成り立ちには【人魚】が深く関わっていてねーー」
男は話し終わるとフィオレにオルヅォを淹れてくれた。
「なるほど、確かに興味深い話だったけど。アクト・フィグメントのお前がどうしてそんなことを知ってる?お前、【棒】だよね。新聞記事で見たけど」
「んー。なんだか知らないけど昔から人間以外には好かれるんだ。人間には嫌われるんだけど。【棒】っていうのもなんか成り行きで名乗れって言われたけどよくわからないんだよ」
「むしろお前の気配は……いや、いい。いつから名乗れって言われた?」
「数日前?で、えーと、あかがみくん?に君に絵を描かせるように頼まれたからそうしてるだけ。アクト・フィグメントって組織にはいるけど創設者の息子ってだけだから他の人たちみたいに世界征服とかは考えてないかな。そもそもアクト・フィグメントって早い話、先代の【神話】だし。おれは魔法はそこそこ詳しいけど正直それだけだし。組織に向いてる人間でもないからなあ」
フィオレはオルヅォを一口飲んだ。
「安心して、毒とかは入ってないよ。それにおれはあくまでお飾りの【棒】でさ。実際にトリチェッロ区で動きまくってる【棒】は別のおっさん」
「……おっさん?」
「そう。なんかトリチェッロ区出身じゃなくて偉そうで態度のでかいおっさん。動物たちはみんなすっごく嫌がってた。おれもきらい。だってなんか、血の匂いがしたから」
「血の匂い……?」
何故だろう。酷く胸騒ぎがした。
「うん」
「……お前、名前は」
「おれもトリチェッロ区の出身じゃないよ。おれは高天区出身でリキっていうんだーー」
リキの言葉を遮るように洞窟が揺れた。
「リキ。しっかり俺につかまってろ。俺たちははめられた。洞窟を崩して生き埋めにするつもりだ」
「ええ!?あ、でもこの洞窟にいる蝙蝠もそうだって言ってる!」
「……運が良かったな。お前がつかまってるのは……トリチェッロ区最強の【花弁の怪盗】ヴェネレだ!」
ふわり、と花びらが舞う。
次の瞬間洞窟は崩れ落ちた。
「……危機一髪」
「助かった……ありがとう、フィオレ。でもこれからどうしよう。アクト・フィグメントの犯行声明文とかは全部おれの顔写真にされてる。あのおっさん、高天区のすごい金持ちって聞いたし」
リキの言葉に、フィオレは顔を曇らせる。アクト・フィグメントの本物の【棒】の正体が、思った以上に最悪の相手だと分かったからだ。
「……金山財閥の社長か……隠れ家に戻るのはまずい。どうしたら……」
「ん?」
その時、リキの前に一羽の海鳥が舞い降りた。
「フィオレ。この海鳥が言うには、明日には助けが来るからこの島で隠れていなさい。この島には人魚の結界がある洞窟がある。そこまで私が案内します。だって」
「分かった。暗くなる前に移動しよう。あと、海鳥にこう伝えてほしい。アクト・フィグメントの本物の【棒】は……金山財閥の社長だ」
「わかった。……うん、伝えたよ」
海鳥はふたりを洞窟に案内した後で暮れかけた空へ飛び去っていく。
「……ヒヅル。どうか、無事で……」
フィオレは祈るように呟いて、リキと共に洞窟へ向かった。




