<七>若き妖祓の春休み(参)
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彼、錦 雪之介は外貌こそただの高校生に過ぎないが、中身は立派な妖だった。
父は天狗、母は雪女。その間に生まれた自分は雪童子。成人を迎えれば雪男となる。決してUMA(未確認動物)で騒がれている毛むくじゃらの怪物になるわけではない。妖名が雪男と変わるだけで、妖の本質は雪女と同じだった。男版雪女と考えてもらえればよい。
生まれは人の世界、育ちも人の世界、親が人に紛れて生活をしているため、雪之介も自然とその生活を送っていた。
人の世界で生活している雪之介は幼い頃から人間に憧れ、友人と同じ人間となりたいと願っていた。勿論、妖に生まれた以上、その血を消すことなどできず生涯雪の妖として生きるしかないのだが夢を捨てられずにいた。簡単に言えば妖の自分を受け入れられなかったのだ。
人間の中にぽつんと妖の自分がいる。しかも素の自分を出せず、正体を隠して生きていかないといけない。大きな疎外感を抱いた。
そんな雪之介だったが、ようやく前向きに妖の自分を受け入れる契機ができた。
それは人間の友人達が自分の正体を知ってもなお、傍にいてくれるやさしさに触れたからである。
雪之介は思った。
例え種族が違えど気持ちさえあれば、きっと種族の壁は超えられるのだと。親友になった人間達に感謝を抱き、雪之介はこれを己の持論とした。
だから“妖の器”となった人間の子と出逢い、同じように種族で悩む南条翔にいつも助言した。妖と人間は相容れない存在、けれど乗り越えられない壁ではない、と。
真摯に受け止めた翔はいつか幼馴染に正体を明かすことを告げ、妖の自分を受け入れてもらえるよう努力すると言った。「受け入れてくれるといいな」淡い期待を寄せる翔に、「大丈夫だよ」幾度も励ましを送った。
ただ気掛かりなのは幼馴染が妖祓だということ。
普通の人間ならまだしも妖祓の家系に生まれた子供なら、少なからず妖に好い気持ちを抱いてはいないだろう。それが翔達を傷付けるのではないだろうか。雪之介は片隅で憂慮を抱いた。常に抱いていた。
そして、それがついに現実となる。
「おばちゃん、こんにちは。翔くんのお見舞いに来ました」
某総合病院。
黄のガーベラのフラワーアレンジを手に、病室を訪れた雪之介は四人部屋の一角に足を向ける。
スツールに腰を掛けていた翔の母が自分の姿を捉えると、「来てくれたのね」力なく微笑まれた。彼女とは何度も顔を合わせている顔見知りだ。翔からは塾友として紹介されている。花を手渡すと、空いた花瓶に飾り始める。数枚の花弁が床に落ちたが彼女は気にする余裕もないのだろう。半透明の青いガラス製の花瓶に生け始める。
それを流し目にした後、雪之介はベッドにいる病人に目を向ける。昨日、意識障害で病院に運び込まれた人間が横たわっていた。
連絡を入れてこの病院に入院したのだと知ったのだが、雪之介は翔が意識障害で倒れた旨にあまり驚きはない。何故ならば此処に横たわっている人間は“翔であって翔ではない”のだから。
「翔くんと今日、会う約束をしていたのだけど……こんなことになるなんて」
なんと言葉を掛ければよいか分からず、当たり障りのないことを口にする。
眉を下げる雪之介の言葉に涙を誘われたのか、彼の母はベッドテーブルに置いていたハンカチを取って目を押し当てていた。
この様子だと一夜中むせび泣いていたのだろう。原因不明の意識障害と診断されたのだ。ショックだったに違いない。他愛もない励ましの言葉を送り、雪之介は十五分ほどで退室する。長居しても迷惑なだけだ。
コツコツコツ。
コツコツコツ。
薬品くさい廊下を歩き、エントランスを目指す。すれ違う若い看護師に会釈されたので、それに会釈を返し、雪之介は吐息をつく。
総合病院の敷地を出ると“彼”のスマートフォンを学ランのポケットから取り出し、そっと起動をさせた。暗証番号画面が顔を出すと、手際よく番号を入れていく。雪之介の趣味は人間観察である。ゆえに彼と遊ぶ際、何度も見た指の動作で暗証番号を記憶してしまったのだ。親が探偵職をしているせいもあるだろうが、まさかこんなところで自分の特技が発揮されるとは。
雪之介が翔のスマートフォンを持っている理由は一つしかない。一昨日の夜まで翔と共にいたからだ。
半妖と化した彼は狐の本能を持った夜行性である。
雪之介のように臨機応変に昼夜の就寝を変えることはできない。ゆえに夜に行動することが多かった。
夜が更けると“妖の社”に赴き、新たな己を知ろうとした。
春休みになると、雪之介の家に泊まり、より妖と触れ合おうとした。あの日の夜だって、親の目が厳しいからとわざわざ“翔の分身”を作って雪之介と遊んだのだ。こちらの計らいでより多くの妖と知り合ってもらおうと“もののけ堂”に行った、その帰りに突如翔の妖力が暴走。妖型の白狐となって空を翔けてしまった。
助けを求めに北の神主を呼んだものの、既に彼は“妖祓”の手中に落ちている。よりにもよって幼馴染である“妖祓”達によって、白狐は捕縛された。
(どうして翔くんの妖力が暴走を……比良利さんですら原因が分からないと言っていたけど)
スマートフォンの画面をタッチし、勝手にフォルダを覗かせてもらう。
画像が詰め込まれたフォルダには沢山の写メが収まっている。フォルダ名を【ギンコ①】にしているので、中身の大半が銀狐であるが、中には【みんな①】というフォルダが。中身を開くと彼と出逢った妖が映っていた。幸いなことに妖の姿をした翔の写メはない。
画面をロックし、雪之介は決断を迫られる。機器を握り締め、下唇を食んで暫し通りに佇む。通行人から訝しげな眼を向けられたが、気にする余裕はない。
ずれた眼鏡を元の位置まで戻すと、鋭い眼光を三分の一ほど瞼の裏に隠し、腹を決める。
「南条翔の幼馴染。妖祓の名前は和泉朔夜と楢崎飛鳥――会うしかないな」
気付けば春休み最終日、朔夜の通う予備校では模擬テストが行われた。
幸いなことに国・英・数の三科目しかなく、昼過ぎにはテストが終わる。
これをもって春季の予備校を終えた朔夜は遅めの昼食を売店で済ませると、足軽に建物を出てバス停に向かった。解放感に浸れる喜びは勿論、今日は幼馴染三人で花見を過ごす約束をしている。
「桜は咲いているかな」四月に入り、マフラーを手放すことができたものの、まだまだコートは手放せない。今夜は冷えるだろうか? 冷えたら嫌だな。花見どころではなくなる。
朔夜は街樹に目を向ける。弱弱しい葉を見るや、花見は四月中旬が良いのではないのかと切に思った。
「でも、いいや。ショウが楽しみにしてくれているようだし」
三人で遊びに行くなど一ヶ月以上ぶりだ。
それまで理由もなく一ヶ月も空白をあけて遊んだことなどない。中学三年生の頃は受験があったため、二ヶ月ほど間があったが、今回のケースは違う。
片隅で花を見てもあまり感動を覚えない朔夜は、楽しめるだろうかと不安を抱く。否、二人がいるから大丈夫だろうと高を括った。あの二人とならつまらない出来事でも楽しいと思える。
「ショウが元に戻ってくれたら、それこそ万々歳だなぁ。さすがに押し売り誘いだけは頂けないけど」
こう思うと自分も大概で幼馴染ラブなのかもしれない。
苦笑を零しているとコートのポケットに押し込んでいるガラケーが震えた。メールのようだ。朔夜は気持ちを切り替え、そのメールを確認した。差出人は飛鳥。帰宅したかどうかを尋ねてくる可愛らしいデコメに頬を崩してしまう。
今から帰宅する旨を伝えると、『待ち合わせ場所まで一緒に行こう!』と彼女。曰く“例の件”で彼女の父親や祖母と共に自分の家に来ると言うのだ。
用件を済ませて待ち合わせ場所に行こうと誘ってくる彼女に承諾の返事をし、やって来るバスに乗り込んだ。
早足で帰宅すると妖祓の先輩である母親からすぐに座敷へ赴くように伝えられる。
コートと鞄を居間の四隅に設置している座椅子に投げると、学ランのポケットに潜めている数珠を確かめるように右の手を突っ込み、軋む廊下を過ぎる。台所の奥を進むと、まるで隔離されているかのように部屋が三つ設けられている。
一つは父の書斎部屋、一つは客間、そして最後は妖祓専用の座敷。その座敷に上がれる者は少なく、幼馴染の片割れですら足を運ばせたことはない。
幼少の頃、遊びに来た一般人の彼が興味本位で部屋を覗き込もうとし、それを全力で止めた記憶がある。興味を持つのも無理もない。その襖の枠には二枚のフダが貼ってあり、異様な空気を漂わせているのだから。
襖の前に立った朔夜は中にいるであろう父や祖父に声を掛け、取っ手に手を掛ける。
開けると、畳部屋が顔を出した。そこに机や家具はなく、畳のみが部屋を支配している。 思ったとおり、中には長の月彦や父の朔の姿が見受けられる。メールをくれた飛鳥や彼女の父・時貞の姿も目に飛び込んできた。
彼等は揃って部屋の押入れを覗き込んでいる。朔夜が父に声を掛けて傍らに座ると、「帰ったか」軽い挨拶と共に前方を指差した。
ゆるやかに視線を流す。
通常の狐よりも三回り大きい、神々しい体毛を持つ白狐がそこには押し込められていた。
二段層になっている下段に白狐は身を置き、ただただ瞼を下ろしている。両前後ろ足にはフダが貼られ、更に押入れの枠にも厳重にフダを何枚も重ね貼りされていた。まるで囚人のような姿だ。
無様で哀れな姿だと冷たく妖を見つめる朔夜を余所に、父の朔は重い溜息をついて「今は眠って大人しくなっていますが」起きると狂ったように暴れるのだと祖父の月彦に報告した。
「桁違いの妖力を持つ白狐が暴れるものですから、魔封のフダが何度剥がれそうになったか。起きている間は此処を出ようと休みなく暴れるのです。食事も水も口にしません」
白狐の体に着目すると、美しい毛並みが乱れている。
目で分かるほどの乱れようだ。この調子だと体毛の下は傷だらけかもしれない。往生際が悪いのか、はたまたオツムが悪いのか分からないが、目覚めた白狐はどうしても此処を出たくて仕方がないようだ。人に捕縛されたことがそんなにも屈辱だったのだろうか?
これが話しに聞く南の頭領ならば、妖の頭領は所詮この程度の器なのだと見切ってしまう。
朔夜は興味なさげに眠る白狐を観察し続けた。一報を耳にした月彦はフウム、と唸り声を漏らすと顎に手を掛け、ヒゲの感触を確かめる。
「鬼門の祠の瘴気に当てられておったようじゃから、万が一に備え捕縛したが……やはり瘴気に当てられたのかのう」
妖狐は賢い。
己の置かれた状況下も呑めずに暴れ狂うことなど殆どないのだが。瘴気に当てられた白狐が人の世界で暴れぬよう捕縛を試みたが、この判断は正しかったようだ。
月彦は紅緒に視線を流す。軽く頷く楢崎の長は、眠っている白狐を十二分に確認して押入れに手を入れる。妖力を持つ妖には呪符が反応し、侵入を、脱走を拒むが、霊力を持つ人間には反応しない。そのため容易に手を入れることができる。
妖狐の頭に手を置き、柔らかな毛を撫で上げる。愛撫しているわけではない。紅緒は相手の体内に宿る妖力を確かめているのだ。
手を引く楢崎の長は「宝珠の御魂は確実にこの妖の体に宿っているでしょう」と他の妖祓に視線を配る。触るだけで妖力の異常な熱を感じ取ることができると紅緒。目を細め、皺だらけの右の手を左の手で擦った。
もし鬼門の祠の結界を自分達の手で張りなおすなら、この妖に宿っている宝珠の御魂を取り出す必要がある。宝珠の御魂を使って瘴気を封印するためにも、この妖は自分達の監視下におくべきだろう。瘴気に当てられたのならば尚更だと紅緒は和泉家の長に視線を返した。
「そうじゃのう」
月彦は同意しつつも、返事に苦々しさを含めていた。
あまり人中心に振る舞っていると妖達が暴動を起こすだろう。白狐と対比関係にある赤狐の姿も確認されている。今回の一件を北の頭領である赤狐が知ったらどう思うだろうか。無用な血は流したくないのだが。
手っ取り早いのは白狐と交渉し穏便に事を進めることだ。
そうすれば多少の手荒い真似にも白狐が仲介人となり、赤狐を含む他の妖達を宥めてくれるだろう。
だが白狐がこの調子では話し合いにすらならない。この若い白狐が人語を喋れるのか、通じるのかすらも怪しいところである。
「この白狐は桁違いの妖気を持っているようですが、その妖気には常に乱れがあります。妖になりたてなのかもしれませんね」
おおかた、狐から妖になった若造なのだろう。紅緒は自分なりの分析を傍聴者に告げる。
取り敢えずは白狐の気が落ち着くまで待つしかない。
瘴気に当てられ、気が狂っているようなら、妖達の反感を買う覚悟で宝珠の御魂を取り出すべきだ。それができないのならば白狐ごと鬼門の祠に封じてしまうかだ。
気狂いの妖を外界に放置することはできないし、かといって桁違いの妖力を持つ白狐を相手に徐霊するのも手こずるだろう。
この妖ごと鬼門の祠に封じることが最善の手になるかもしれない、楢崎の長は淡々と言った。
白狐の瞼がゆるりと持ち上がる。目覚めたようだ。数回の瞬きを繰り返し、顔を持ち上げてぐるりと周囲を確認した白狐は思い出したかのように足腰を立たせると、朔夜達に向かって身を投げた。
反射的にその場から飛び退く妖祓達を尻目に、白狐は結界を打ち崩そうと幾度も身を投げる。
しかし魔封の呪符の効力により、押入れから出ることは出来ず、勢いの反動で後ろへ倒れてしまった。クンと一鳴きする妖はよろめきながらも再び、身を起こすと結界を破ろうと勢い任せに身を投げる。 魔封の呪符と妖が衝突を繰り返す度に、妖気の波紋が広がり、その場にいた妖祓達の肌を粟立たせた。
(凄い。魔封の呪符が震えている。獣型にも関わらず、凄まじい妖力だ)
朔夜は驚愕した。
枠に貼られたフダが忙しなく微動している。妖を封じるための魔封はどんな妖にも対抗できるよう、強い呪いが掛けられているというのに。
「白狐。落ち着きなさい!」
我々は貴方に無用な危害は加えないと紅緒が声音を張るが、白狐は聞く耳を持たず、ここから出せと言わんばかりに吠え、身をぶつけている。
捕縛されている相手にとっては落ち着ける状況ではないだろう。手足には妖力が自由に使えぬよう呪符が貼られ、狭い押入れに閉じ込めているのだから。妖型になれば相手も魔封の呪符を破れるかもしれないが、獣型のままでは無理だろう。
用心のため、魔封の呪符の力を強めようと朔と飛鳥の父・時貞が各々念を唱え始める。これでは手の足も出まい。ご愁傷様だと朔夜は心中で皮肉った。
(瘴気に当てられて気が狂っているなら、早いところ鬼門の祠とやらに宝珠ごと封じてしまえばいいのに)
思った刹那、白狐が飛鳥を、自分を助けた夜を思い出す。
どうして敵である人間の僕達を助けようとしたのだろう? 朔夜には妖の気まぐれがまったく理解できなかった。
約束の刻が迫っていたため、白狐のことは長達に任せ、朔夜は飛鳥と共に自宅を発つ。
待ち合わせ場所は近所のバス停。三人でバスに乗り、地元ではちょっとした花見スポットとなっている池の畔に向かうのだ。桜の並木道があると有名な池の畔は花見シーズンになると人で賑わう。
しかし暮れ始める空気の肌寒さを感じる限り、まだ花見には早いだろうと二人は話していた。
果たして桜は花開いているだろうか? 蕾が膨らんでいることすら怪しいのだが、幼馴染の我が儘だ。毎度のようにドタキャンしていた負い目もあるし、ここは文句を言わずにいこう。
「もうっ、ありえないんだけど――!」
飛鳥はバス停で金切り声を上げ、盛大な文句を垂れていた。
ベンチに腰掛けて苛々と腕を組んでいる彼女の怒りを買わぬよう、携帯で時間を確認する朔夜は「六時か」約束の時間を一時間もオーバーしている、と心中で溜息をつく。
困ったことになってしまった。春休み最終日に花見をしようと計画を立て、五時にバス停に集合と決めたというのに、花見に行きたいと言っていた本人が一向に姿を現さないのである。最初こそ単なる遅刻だと高を括り、後どれくらいで着くか電話で連絡してくれるようにメールしたのだが反応はない。LINEで連絡を待っていると送っても返事はない。既読は付いているのに。
ならば直接電話するしかないと相手の携帯と自宅、両方に掛けるものの、誰も電話に出てくれない。お手上げ状態だ。
スケジュールでは夕方ごろからぼちぼち花を見て、暮夜にファミレスで食事を取る予定だったのに。このままではサプライズでゲームセンターに行く予定もおじゃんだ。
嗚呼、飛鳥は短気だからそろそろ。
「ショウくんを置いて行こう朔夜くん! 私とデートしよう!」
ほらきた、これだ。
とばっちりがきたと溜息をついて、膝の上で頬杖つく朔夜の腕を引き、「次のバスに乗ろうよ!」ショウくんなんてもう知らないと耳元で喚き散らしてくる。
ドタキャンばかりしてきたのだから、これくらい大目に見てはどうだと言っても、自分達はちゃんと約束一時間前に連絡していたと飛鳥。事後報告なんて一切したことなかったし、反省して後日ファミレスでご飯を奢っていた。
なのに相手は連絡どころか、音沙汰なし。喧嘩を売っているとしか言いようがない。
それに自分達がドタキャンしていたのは仕事があってのこと。わざとじゃないと腕にしがみ付き、暫くは口を利いてあげないと飛鳥は脹れ面を作った。
傍から見れば恋人の戯れに見えるであろう、この体勢を崩すために腕を引っこ抜こうとするが彼女はぴったり貼りついて剥がれない。
「勘弁してくれよ」
僕はショウの嫉妬を買うような面倒事は起こしたくないと主張しても、「勝手にすればいいんだよ」ぷうっと飛鳥は頬を膨らませる。次のバスが来たら絶対に乗り込んでやるとブツクサ文句垂れている。
折角翔を元気付けるための計画がパァだと鼻を鳴らして、自分に擦り寄ってくる。
(しょ、ショウ。早く連絡してくれよ)
千行の汗を流し、祈るように携帯を見つめていると、タイミング良く着信が鳴った。
ディスプレイに表示された名前にホッと安堵の息をつき、飛鳥の手から腕を抜こうと力を込めながら電話に出る。
「ショウ。何をしているんだい」
早く来てくれよ。と、開口一番に毒づく。
一時間も遅刻している上に連絡がないなんてマナー違反じゃないかと悪態をつくが、向こうから応答はない。風の音やバイクの音ばかりが受話器から聞こえてくる。
「ショウ?」訝しげに眉を顰めると、彼ではない笑い声が聞こえた。え、瞠目する朔夜は着信画面を確認する。そこには"南条翔"と表記されたデジタル文字。間違い電話ではないようだ。
『ハローハロー妖祓さん。南条翔くんを待っているの? そうか、今日は花見の約束だったそうだね』
心臓を鷲掴みされるような思いがした。
電話の向こうにいる相手が的を射た発言をしてくる。自分の職も、今夜の約束も、幼馴染の名前も。
『君達は翔くんの幼馴染。出逢いは幼稚園。それから小中高、学校を共にしているよね?』
表情を硬くする朔夜に対し、相手は不気味なほど此方の情報を知っていた。言葉を失う朔夜の様子に腕に貼りついていた飛鳥も異変に気付いたのだろう。訝しげに聞き耳を立ててくる。そこで携帯をスピーカーフォンにして彼女にも聞こえるように設定した。
機械を通した声は未だに笑っていた。
『和泉朔夜、楢崎飛鳥。表向きは高校生。裏では若き妖祓として暗躍している。南条翔は君達の幼馴染。妖祓も何も知らない一般の人間。君達は彼を愛称でショウと呼んでいる。ではここで問題です。この情報を知っている僕は誰でしょう? そして何故、彼のスマホを僕が持っているのでしょう?』
「お前は誰だ。ショウはどこだ」
クイズを出題してくる相手に声音を低くする。
ユーモアがない人達だと返答する電話の相手は戯言ばかり。もっと真剣に答えをくれても良いのでは? おどけを口にした後、『僕は知っているよ』 翔くんが何処にいるのか、何をしているのか、どうして現れないのかも。彼は現れたくても姿を現すことができないのだ! どことなく熱を入れて語り部となった。
「ふざけるな!」思わず携帯を握り締め、勢いよく腰を上げる。
何者なのだと捲くし立てる朔夜の言葉遣いは荒くなる一方だった。それだけ得体の知れない相手に畏怖の念を抱き、自分達の職を知っている情報通に警戒心を抱き、幼馴染と連絡が取れない状況に不安を噛み締めているのだ。
向かい側の停留所にバスが停車する。
おかげで音が聞きづらい。相手の反応を待っていると、『錦雪之介』それが僕の名前だと相手はあっさり名乗った。ベンチに腰掛けている飛鳥が腕を引いてくる。眼を開く彼女は妖気を感じると小声で呟いた。
弾かれたように片側三車線の道路の向こうを見つめると、下車する乗客の中にひとりだけ異質なオーラを纏う輩がいた。色で例えると仄かな白。全体的に白いオーラを醸し出している輩は学生のようで、灰色の学ランが目を引く。
耳にスマホを当て、ズレ落ちそうな眼鏡を押している彼はまるで自分達の視線を感じ取ったかのように顧みてきた。
口角を持ち上げる彼の口の動きと、朔夜の耳に届く声音が一致する。
『ああ、君達が翔くんの幼馴染さん達だね。こんにちは』
機器から聞こえるノイズが不自然に途切れた。電話が切られたのだと理解するのに今しばらく時間を要する。
近場の横断歩道に向かう輩は信号が青になるのを確認すると、早足で対向の歩道を渡り、朔夜と飛鳥の待つバス停に向かう。警戒心を最大限に高め、翔のスマートフォンを所持する輩を迎える。
輩の足が止まった。既に立ち上がって身構える朔夜とは対照的に、相棒は相手の動きが止まるのと同時にベンチから腰を浮かす。
カーキ色の髪に白い肌、灰色の学ラン、仄かに白い妖気を醸し出す少年。その妖気は冷気を帯びており、近くにいるだけで肌が粟立ちそうだった。射殺す勢いで睨む朔夜のおくび出さず少年、錦雪之介と名乗る妖は再びこんにちは、と挨拶を口にする。
「さすがは妖祓。僕が何者なのか、もう見抜いているようだね。ご察しの通り、僕は人間を装った妖。雪童子だよ」
雪童子、雪の子供を指す妖だ。
つまりこの少年の親は雪の妖だと推測することができる。人間にまぎれて生活をする妖が存在することは知っていたため、彼が他校の制服を身に纏っていようが驚きはない。
「ショウに何をした?」開口一番に幼馴染の行方を尋ねると、「彼が大切なんだね」雪之介が細い笑みを作る。昂ぶる怒りを抑えるために奥歯を噛みしめる。朔夜に代わって飛鳥が質疑者として立つ。意外と相棒の方が冷静のようだ。
「貴方が持つスマホ、それは本当にショウくんのなの?」
「楢崎さん、君はおかしな質問をしてくるんだね。このスマートフォンが本物かどうか確かめたいのなら、自分の携帯から彼の番号に掛けてみたらいいよ」
スラックスからスマートフォンを取り出し、画面を見せつけられる。
素直に指示に従う相棒は己の携帯から南条翔のアドレスを呼び出し、電話を掛けた。程なくして雪之介の持っているスマートフォンの画面が光り、飛鳥の名前が表示される。正真正銘、南条翔の携帯だ。疑心がひとつ摘まれたと共に、新たな疑問が芽生える。何故見ず知らずの妖が翔のスマホを持っているのか? と。
ポケットに手を忍ばせ、法具を握る。それを見抜いた雪之介は調伏はごめんだと大袈裟に諸手を挙げ、口角をより持ち上げる。
「僕を調伏したら翔くんの居場所が分からなくなるよ? それでもいいのかい?」
「ということは、お前は居場所を知っているんだな?」
手を引き、法具から離れる。
「もちろんだよ」彼と僕の仲だからね、軽口を叩く雪之介に朔夜は怒りとは別にイラッとした感情を抱く。初対面にも拘らず、この少年とは気が合いそうにない。それはどうしてだろうか。相手の余裕ぶった口調が気に食わないのか、それとも親友のポジションを平然とぶんどる態度にムカつくのか。
まるで幼馴染の何もかもを知っていると言わんばかりの態度に朔夜はふつふつと感情を煮る。情報さえ得てしまえば、さっさと調伏してやるのに。
「さてと。彼の代わりに一緒に花見に行ってもあげてもいいよ。翔くんの代行人ってヤツ?」
ニコッ、笑顔でジョークを口にする雪之介にそろそろ限界である。
「そろそろ冗談をやめにしないと、その身を雪山に返す。お前にぴったりな場所だろう?」
ニコッ、黒い笑みを浮かべて対抗する朔夜。ただならぬ空気に飛鳥が挙動不審になっている。
「和泉くんってユーモアがないね。つまらない人間だと言われない?」「少なくとも、お前のような馬鹿を口にする妖よりはマシだと思うね」「人間、少しは馬鹿にならないと和泉くんのようになるんだね。ひとつ勉強になったよ」「お前は妖だろっ」「言葉のあやでしょ? やっぱり君はユーモアに欠けているよ」
笑い合う空気が張りつめていく。些少の刺激で爆ぜてしまいそうな空気である。
蚊帳の外に放り出された相棒がおずおずと声を掛けることにより、このやり取りに終止符が打たれた。
雪童子が朔夜達の脇をすり抜け、向こうの通りへ前進する。
何処に行くのだ。まだ話は何も終わっていない。始まってもいないのだ。このまま逃がすとでも? 朔夜が雪之介の腕を掴むが、相手は振り向きもせず、「会わせてあげるよ」君達が探している幼馴染を。軽い口ぶりは消えていた。
「翔くんは病院にいるよ。三日前に病院に搬送されたんだ」
何を言っているのか、一抹も理解できなかった。
呆ける朔夜と飛鳥に彼は繰り返す。病院に搬送された旨を。南条翔は三日前、昏睡状態に陥り意識障害となった。三日前から今日に至るまで一度も目覚めていない。
到底、信じられる話ではなかった。目を白黒させる二人にようやく振り返り、「ついて来てよ」そこに彼はいるから。雪之介は幾度目かの笑みを浮かべた。しかし今までの微笑とは少し違う。それは物寂しそうな哀愁を含んだ、微笑みだった。




