<十四>満月と白い狐
ここ数日、朔夜は妙な苛立ちと焦燥感、そして祓魔師少年の問いを咀嚼しては反芻していた。
それぞれが強い苦味や渋味を持っており、噛みしめる度に朔夜を不快感に貶める。あまりの機嫌の悪さに、実家に帰っている兄達から苦笑されてしまったほどだ。声を掛けられる度に棘を巻き付いた返事をしてしまうものだから、自分は餓鬼かと自嘲してしまいたくなる。
とにもかくにも苛立ちが己を占めていた。妖祓の仕事が上手くいっていないわけではない。腕前は日々褒められるばかりだ。
しかし、私生活に関しては仕事とは反比例。
学校生活では、もうすぐ学級が上がるからと進路について熱心に語られ、自分の進む道に苦悶。友人関係では、気持ちを沈ませている幼馴染に何もできずやきもき。相手も猫又にだけその弱った心を開き、他には誰にも見せず、人と接触することを避けていた。
それによって彼の悪友が「何かしたのか」と、自分達に尋ねてきた。いつものように馬鹿騒ぎができないことが寂しいようで、質問を飛ばす眼は普段よりも真剣に見えたのはいつぞやのことだったか。
巽の問いを反芻する。何故、本気でもない“妖祓”の職を真っ当しているのか、と。
もはや何度噛みしめただろうか、味のないガムを噛みしめている気分になる。
理由なんて一つしかない。家系が“妖祓”であり、自分はその血を継いだ子供だった。それだけだ。
幼少、視える化け物と悪戦を強いられ、己の体内に流れる霊力や胆を狙われる恐怖は今も忘れない。忘れられない。そんな妖を好きになれと言われても、根っから嫌悪感しか湧かない。朔夜にとって妖は不倶戴天の敵であると同時に、消えて欲しい存在そのものなのだ。
幸いなことに妖を消せる力を持っているため、襲われた時は正当防衛の四字熟語により、鉄槌をくだすことができる。
祓魔師の二人にとって、朔夜や飛鳥が安易な気持ちで“妖祓”をこなしていることが少々気掛かりであるようだ。妖を祓う意味を問い、命を殺生する意味について理解しているのか、それについての覚悟を持っているのかと繰り返し質問をしてきた。安易だといずれ、妖の頭領から目を付けられると注意を促された。
朔夜にとってどうでもいい内容だと思った。
妖も、覚悟も、それこそ殺生も、どうでもいい。その時になって考えれば良いこと。今は自分の進路と、大切な幼馴染である彼の関係についてだけ思い悩みたかった。
「朔夜くん。この、妖気」
冬季には珍しい、真ん丸朧月夜のある日。
外気温に身を凍らせる寒いさむい夜に、朔夜は相棒と共に感じたことのない凄まじい妖気を察知した。否、以前、察知したことのある妖気を肌で感じた。街中で低級の妖を調伏していた最中のことである。
外気温は十℃以下。防寒具を身に纏っていても肌が粟立つが、自然の寒さとは別に肌が粟立った。
寒気、いや悪寒がする妖気に足元の感覚がなくなりそうだ。生唾を飲み、朔夜は飛鳥に視線を配る。こわばった表情を貼り付け、彼女は握り締めていた呪符を更に小さく固めた。畏怖の念が襲っているのだと表情で分かる。
だが、このまま見て見ぬ振りもできない。妖気は次第に遠ざかっている。高速で移動しているようだ。
方角からして団地の公園に向かっているだと断定した朔夜は、飛鳥に声を掛け走り出す。仄暗い光を出す外灯を通り過ぎ、見慣れた丁字路を曲がることなく直進。寂れた商店街を過ぎて団地の公園に差し掛かる。
「あ」飛鳥が声を漏らした。
白い毛並みが二人の視界に飛び込んできた。
優美とも言える真っ白な毛並み、それに比例した長い三本の尾。大型犬ほどの体躯をしているそれは“犬”ではない。満月の銀光を浴び、白い毛を映えさせている獣は尖った顔つきをしていた。三角に立った耳こそ犬に見えど、膨らみを帯びた三尾は犬の尾にしては太い。
妖狐。
脳裏に妖の名が過ぎる。ここら一帯に狐狸は住んでいないのだが、目前に現れたのはまぎれもなく雪のように真っ白な狐だった。
神々しい毛の色をしている獣から放たれる妖気は近距離になってはじめて、感じていた悪寒が恐怖一色染まる。今まで相手にしてきた妖など比ではない。妖が十の束になっても白い獣の妖気には敵わないだろう。
夜風に体毛を、その美しい尾を靡かせ、獣はひた走る。
目的があるのだろう。脇目も振らず、公園に飛び込み、近場の茂みに足を延ばして一旦身を隠そうとしている素振りすら見受けられた。妖祓として放っておくわけにはいかない。
相棒が獣に向かって呪符を放つ。走ることに集中していた妖狐は糸も容易く、飛鳥の放った呪符に囚われる。何が起きたのか分からず、ただただ痛みにスンスンと鳴き、呪符が貼り付いた右後ろ足に目を向け、首を傾げている。
この妖狐は妖力こそ強大なものの、性格はおとなしいようだ。
「これは珍しいね。まさか妖狐にお目にかかるなんて。君ほどの妖力を持つ妖も珍しいよ。この前、公園で拾った獣の毛は君のものかな?」
妖狐に歩み寄ると全身の体毛を逆立て“妖祓”に恐怖を示した。いや、威嚇をしているのかもしれない。おとなしい態度を取っているのは建前だという可能性もある。
足を止めて化け物を見下ろすと、妖狐が四肢を立たせようとしたため、飛鳥に札を貼ってくれるよう頼む。首肯した彼女は呪符を左前足目掛けて飛ばした。唸り声に近い声を漏らす獣に抵抗の意は垣間見えない。逃げることを諦めたようだ。
「おとなしくなったようだね。飛鳥、公園で拾った毛はこの妖のものかい?」
飛鳥が片膝を折り、無遠慮に妖狐の体毛に触れてきた。
「間違いないよ」あの時の白い毛はこの妖のものだと、彼女は強く首肯する。
やはりあの時拾った体毛はこの妖狐のものだったのか。思案を巡らせていると、飛鳥が獣の尾に手を伸ばした。無抵抗の獣の尾に触れることは容易く、 三尾のひとつに触れると、「凄い妖力」感心したようにまじまじと尾を観察する。
「妖狐は尾に妖力を溜めて、それを増やしていくというけれど、本当みたいだよ朔夜くん。鳥肌が立ちそう」
「君がそこまで言うのなら、本当に凄いんだろうね。見たところ、この妖狐は白狐のようだ。白狐は人々に幸福をもたらすとされている善狐の代表らしいけれど、何故この町に? 稲荷神社にいるならまだ分かる。神として祀られている狐だからね……ならこの妖狐は」
この辺りの神社に狐が祀られている話なんて聞いたことがない。朔夜は小さな吐息をつき、「見過ごせないね」巨大な力を持った妖を野放しにしているとろくなことがない。そう言って学ランのポケットから数珠を取り出した。
途端に白狐の身が硬直する。数珠の恐ろしさをこの化け物は知っているようだ。
身の危険を感じている白い狐を余所に、「調伏するの?」それは不味いのではないかと飛鳥が意見した。一部の説には白狐は神使だと記されている。 稲荷神社のようなに神使だとしたら、安易に徐霊などできやしないのでは? と、彼女は眉を下げた。
確かにそうだ。
妖の中には神の使いとして神社に祀られているものもいる。
稲荷神社のように白狐を幸福の象徴とし、大切に重宝されている事例もあるのだ。判断を誤ると追々面倒なことになりかねない。
だから朔夜はこう提案した、持ち帰って調べる、と。
前触れもなしに白狐が現れるなど、何か予期せぬことが起こるかもしれない。この地区には白狐にまつわる伝説など残っていないのだから。 持ち帰って妖祓の仲間に見せれば何か分かるかもしれない、と朔夜はレンズ越しに白狐を見つめた
「この地に住む人に害が及ぶ前に、最善の手は打っておかないとね。白狐であれど相手は妖狐。手は抜けない」
「なら、朔夜くんのお父さんに見せてみる? もしそうするつもりなら、暴れないようにフダの量を増やすけれど」
飛鳥の質問に、朔夜が頷いた。
白い狐の妖力は計り知れない。民間人を巻き込まないためにも安全を考え、動けないようにしておくべきだろう。
すると今までおとなしくしていた白い狐が顔を上げる。
垂れていた真っ直ぐに耳を立てると、呪符を持った相棒の右腕を三本の尾で勢いよく振り払った。悲鳴を上げる飛鳥を合図に、「やっぱり暴れるか」抵抗を示し始めた妖に向け、朔夜は数珠を巻いた右手を出し、人差し指と中指を立てて構えを取る。
縦長の瞳孔を膨張させた白狐は朧月夜に向かって大きく吠える。刹那、獣を軸に二重、三重の波紋が生まれた。それはまるで小さな爆発のよう。 妖力の波紋に押され、思わず後ろへ飛躍する。
なんて力だ。
朔夜は固唾を呑んだ。一声であれほどの妖気を放てるなんて、普通の妖ではあり得ないこと。あの妖には何か秘密があるのだろうか?
「なに、あの妖狐。とんでもない妖力なんだけど」
「同感だ。飛鳥、構えて」
あれは野放しにしておけない。父の下に持ち帰り、妖祓長にも見せておかなければ。
険しい顔つきで朔夜が数珠を鳴らし始める。じゃらじゃら、と不気味な音を奏でながら、その数珠に念を唱えた。
「天地陽明、四海常闇、満天下陽炎の如く成りけれ。さすれど一点翳成り。即ち祓除の刃を下さんとする」
自分の動きに身構える白狐。
獲物から目を放すことなく、念を唱える朔夜はじゃらっと音を鳴らして、持っている数珠の手を左右に振る。徐々に数珠そのものが暗紫に光る。霊力が数珠に集約した。その手で宙を切り、朔夜は眼を見開いた。
「祓除の刃、即ち業火の制裁。雲散霧消!」
数珠を絡ませた右の手から光が放たれた。
暗紫に発光していた光は宙に放出された瞬間、目の眩むような紅の光と生まれ変わる。まるで矢の如く、鋭い紅い筋となって向かうそれは躊躇いもなしに白狐の胴を貫こうと猛威を振るう。命を奪うわけにはいかないが、致命的なダメージは与えられる筈だ。
回避をするために、白狐が地を蹴って宙を舞う。足の痛みなど念頭にもないようだ。
しかし、朔夜とて白狐を逃す気はない。
「甘いよ」 口角を持ち上げる朔夜は右の手を天高く上げた。 瞬く間に紅い筋を描いていた光が屈折して白い化け物の後を追う。
すると妖は直撃を免れるために体を捻り、宙を返って回避した。
着地するその隙を見逃さなかった飛鳥が札を前右足目掛けて投げる。素早く三尾で振り払う姿は勇ましく厳かだった。戦意は面に出していないものの、呪符を払った反動でよろめいた体を立て直す姿はただただ神々しかった。
「やっぱり、ただの白狐じゃなさそうだよ。朔夜くん。あの攻撃をかわすなんて」
同意見。
正直、自分の術を避けられるとは想像もしていなかった。
「僕達はあの妖を少し、見くびっていたようだね。今度は本気でいかないと」
朔夜に占める気持ちはこれ一つだ。相手は妖なのだから、手を抜いていては此方がやられる。命を脅かされることだってあるのだ。妖に油断をしてはいけない。
「動きを封じるよ」
飛鳥が新たに呪符を取り出すと、その呪符に詞を唱え始めた。
すると白狐の足を拘束している呪符が光はじめ、妖全体に霊気の電流を迸らせる。
クオン、白狐は痛みに鳴くが情を流すことない。朔夜は先程の術を放つために、数珠に霊力を集約すると容赦なく白狐に向ける。動きを封じられた白狐は跳躍することもできずに佇んでいた。今度こそ仕留められるだろう、確信を得た、その時だった。
白い狐の体が真横に飛び、滑るように地面へ倒れる。
代わりに“銀色”の狐が白狐のいた立ち位置に飛び込み、己の術を一身に浴びていた。絶句してしまう。他にも妖狐がいたのか、この公園に潜んでいたのか、それとも駆けつけてきたのか、それは朔夜には分からない。
(かば、った? 妖があやかし、を)
ただただ妖が同胞を庇ったその一光景にショックを受けた。
紅き炎に身を焦がすように、その光が轟々と銀狐を焦がす。静かに銀狐が倒れると庇われた白狐が首を上げ、足腰を立たせてクンと鳴いた。
すぐに駆け寄りたい気持ちと、じゅくじゅく痛む足が状況を反比例させ、妖を苛立たせているのだろう。クン、クオン、クオン! 次第に大きくなる鳴き声は寂然としている公園に響き渡る。




