<十三>妖祓、祓魔師と尾行する
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「ねえねえ君、“南条翔”くんという生徒を知らないかい? ボク達、彼に用事があるんだけど」
絶句とは今の朔夜と飛鳥のためにあるようなものだった。
学校が終わり、今日もこっそり幼馴染の様子を見に向かおうと昇降口に足を向けた矢先に“これ”である。
白を基調としたブレザーを身に纏った少年少女が、手当たり次第に生徒に声を掛け人探しをしている。先輩後輩同輩関係なしに声を掛け、探し人の名を口にしては礼を告げて頭を下げていた。
飛鳥は口元を引き攣らせ、朔夜はこめかみにくっきりと青筋を浮かべる。
取り敢えず、次の生徒に声を掛けようとしている祓魔師を捕まえるべく、彼等の襟首を引っ掴むと校舎裏に回った。
「何をするんだよ。仕事中なんだけど」
乱れたブレザーを正すべく、制服の皺をのばしている巽は邪魔をするなと言わんばかりにシッシと手を振る。
雛も邪魔をするなという意味を込めてこくこくと首を縦に何度も振っていた。が、邪魔をするなと言われてしない馬鹿はいない。
「何を考えているんだい?」
両手で巽の胸倉を掴み、努めて笑顔で詰問。つーんとそっぽを向く祓魔師の少年は仕事をしているだけだと白を切った。
「口を出すなと言っただろう?」「和泉が勝負に勝てばだろ?」「君は勝っていないじゃないか」「負けてもいないね」「だから首を突っ込むと?」「興味を持っただけだって」「失せろと言っても」「はっはっは聞くわけないだろ?」
馬鹿じゃないかと大笑いする巽に、どうやって幼馴染の情報を得たと唸る。
猫又の事件は話していても幼馴染自身の話はしていない。名前すら教えていない筈だ。
「秀夜さん。聞いた」
雛が得意げな笑顔を見せることにより、朔夜は肩を落とすしかない。
次男坊は誰とでも気さくに接することができる反面、誰にでも情報を提供する悪い癖を持っている。自分達と違い、兄達は祓魔師達とも仲良くしているため、容易に情報を聞き出すことができたのだろう。
無駄だと分かっていても、手を払って制服の皺をのばす巽とすまし顔の雛を睨み、朔夜は祓魔師達に帰れと命じる。猫又事件は自分達が解決すると主張して。
べっ、舌を出す祓魔師達の子供じみた態度に返す言葉もない。どうしたら諦めてくれるのだろうか、この問題児達は。
飛鳥と共に溜息をついて祓魔師達の対処に頭を悩ませていると、背後から声を掛けられる。振り返るとひとりの女子生徒が立っていた。ネームカラーで同級生だとは分かるが、なにぶん学年が八クラスあるため、顔を見ても頭上に疑問符が浮かぶ。
奥二重の眼を此方に向けている少女に何か用かと尋ねる。
「南条くんを探しているんでしょう? 彼の居場所を教えてあげようと思って」
小さく頷く彼女は、そう言って一笑した。
祓魔師の手当たり次第の行動が昇降口にいた生徒達に広がり、心優しい生徒に行動を起こさせてしまったようだ。
彼女は翔のクラスメイトだという。
自分達が南条翔の幼馴染だということを知っているため、二人が行方を探しているのだと勘違いしているようだ。きっと翔はいつものように裏門で猫又と戯れているだろう。そう高を括り、祓魔師に情報を与えないように大丈夫だと口を開く。
だがその前に巽と雛が妖祓達の体を押しのけて、何処にいるのだと目を輝かせた。心優しい少女は早々に答えた。
「南条くんは保健室にいるよ。午前中から調子が悪かったみたいで、午後はじめの授業を休んで保健室に行っちゃった」
保健室。
彼はまた具合を悪くしたのか。猫又と関わっているからだろうか?
悶々と思案を巡らせていると飛鳥が頓狂な声を上げて、制服をぐいぐいと引いてきた。顔を上げると、前方を走る祓魔師達の姿。保健室を目指せと巽が大音声で片腕を挙げていた。
「あ、あいつ等!」「朔夜くん急ごう!」
彼等と幼馴染を合わせてはいけない。
そうなっては最後、面倒くさいことになりかねない! 女子生徒に礼を言うと、二人に止まるよう怒声を張って背を追い駆けた。
律儀に昇降口で靴を脱ぎ、それを持って校舎に侵入する祓魔師達。靴を脱ぎ捨て後を追う妖祓達。
すぐに止まれ、止まらない、廊下を走るな、走る、仕事を取るな、奪う、等々双方の間で言葉が飛び交った。
保健室までの道のりなど知らないくせに、勘が良いのか、二人は順調に目的地へと向かう。業を煮やす。早く二人の足を止めなければ。
「あ。ショウくんだ!」
急に足を止めた飛鳥が廊下の窓に向かい、嬉々溢れさせた声で手を振った。
もう保健室を出てしまったのか。つられて足を止める朔夜、そして前方にいる祓魔師二人。
「隙あり!」
次の瞬間、高く飛び上がった飛鳥が二人の背中を蹴り倒した。
そのまま先頭を奪ってしまう彼女が早くはやくと手招きしてきたため、朔夜はさすがだと心中で引き攣り笑い。
伸びている祓魔師達を股越して相棒と先頭に立つ。
「あ、あの妖祓の小娘! 卑怯な真似を!」
「楢崎さん。悪魔。とても悪魔」
後ろから非難が飛んで来るが、構っていられない。
見えてきた目的地へラストスパートをかけると全力で扉を開け、勢いのまま閉める。よって保健室にいた中年女性の教諭に注意されてしまったが、そこは素直に謝罪。幼馴染が来ている旨を伝え、彼はベッドにいるのかと閉め切られたカーテンに視線を流す。
「ああ。二年三組の南条くん?」
彼ならまだベッドで寝ていると教諭。
目に通していた書類を置き、そろそろ起こさないといけない時間だろうと時計を一瞥した。
「貴方達、南条くんと親しい関係なのかしら? なら、貴方達からも言っておいて。過度な睡眠不足は体を壊すわよって」
再び書類に視線を戻す教諭は抑揚のない声で二人に頼み事をしてきた。
「睡眠不足、ですか?」
思わず聞き返す。
教諭曰くここ最近、南条翔の保健室の出入りが激しい。
専らの理由がひどい頭痛によるものだと述べているが、教諭の目には過度な寝不足だと見て取れるらしい。
その証拠にベッドに入るや否や彼は気を失うように眠りに就いてしまうという。一たび眠りに就くと、身じろぎすらせず睡眠を貪る。
過度な睡眠不足による偏頭痛なのではないかと教諭は憶測を立て、なるべく早く寝るようススメているらしい。
親しい仲なら是非とも忠告を促して欲しいと教諭は苦笑いを零した。保健室に来る度に土色の顔をしてくるらしく、病的な顔色には見ていられないという。
相槌を打ち、幼馴染を起こすべく飛鳥と共にベッドに向かってもらう。
その際、保健室の教諭に他校の生徒が此処に入って来るかもしれないから侵入を防いで欲しいと頼む。基本的に学内は他校生の出入りが禁止されている。祓魔師達は無鉄砲にも我が校の敷地に侵入しているのだ。教諭に頼めば足止めはしてくれるだろう。
カーテンの隙間に体を入れて中に入るとベッドが三つ。内、二つは空っぽだった。
壁際のベッドには、無機質な壁に貼り付いて、布団をかぶっている生徒がひとり。上履きで名前を確認した後、そっと顔を覗き込む。
教諭が言うように気を失うように眠りに就いている幼馴染がそこにはいた。
顔を覗き込むと彼は歯を食い縛るように顔を顰めて、毛布を握っている。魘されているようだ。呼吸が荒い。
「ショウくん」
飛鳥が手を伸ばして体に触れる。
音なく眼が見開いた。限界まで目を見開く姿。
剣幕につい怖じ、彼女の身を引いてしまう。朔夜も固唾を呑んだ。はっきり言ってその様は不気味だった。まるで安いB級ホラー映画に出てきそうな、おぞましい表情をしている。
数秒の間、瞬きすらせずに宙を見つめていた彼の目。きょろっと眼球が動き、ようやく一瞬き、瞼が上下運動をした。
名を呼ぶと、幼馴染はゆっくりと詰まった息をゆっくり吐きだす。汗で滲んでいる額に手を置き、頭が痛いと微かに唇を動かした。
「光も音も臭いも酷い。これはゆめだ。ゆめだ……ゆめ?」
「ショウ。大丈夫かい?」
幼馴染の様子に危機感を抱き、右肩を掴んで体を揺する。
それによって彼の虚ろだった眼に光がともり、やっと自分達の存在に気付いたようで目線を上げた。
「朔夜。飛鳥。どうして此処に」
「それはこっちの台詞だよ。また具合を悪くしたようじゃないか。三人の中で誰よりも、健康的な奴なのに」
隣の空っぽのベッドに腰掛け、風邪でも引いたのかと疑問を投げる。
何も答えない翔に明るく笑いかけ、「元気がショウくんの取り柄じゃん」飛鳥が夜更かしでもしたのかと当たり障りのないことを口にする。
向こう側で保健室の教諭の注意する声がひとつ。祓魔師二人が来たようだ。
それに気付かない翔は、無表情に近い面持ちで此方を見つめ二回ほど瞬きした後に返事した。
「俺は変になっちまったのかもしれない。家では一睡もできないし、学校では気分が悪くなってばっかりだ」
一睡もできない、その台詞を朔夜は聞き逃さなかった。
「眠れないって、何か悩みでもあるのかい?」
初めて翔の表情が力なく崩れる。
「大した悩みはないよ。ただ夢を見たくないんだ」
「夢を?」
「そう、夢を見たくない。だから眠れない。時々夢と現実が分からなくなるから」
悪夢を見るのだと翔。
それによって眠れないなど、まるで子供のようだ。自虐的に笑みを零し、彼は自分が自分でなくなる夢を見るのだと苦言する。
本当に恐怖しているのだろう。毛布を握る彼の指先は力の加減により、白く染まっていた。
「夢と現実が分からなくなった俺は、自分が分からなくなる。そしてお前等を分からなくなるんだ。ははっ、こんなんで弱気になるなんて情けねぇな」
どうにか笑い話にしようと翔は、重くなる空気を散らすように笑声を漏らす。
しかし、すぐに笑い声は止み、代わりに嘔吐を耐えるうめき声に代わった。
寝返りを打ち、肩を震わせる翔に血相を変えた飛鳥が優しく背中を摩ってやるが、彼の容態は変わらない。
それどころか、妙なことを口走る。
「内側から喰われている音がする。変わっていく音がする。此処は煩くて、明るくて、居心地が悪い」
これが変わる、ということなのか。
うわ言を漏らす翔は、無理やり上体を起こして吐き気を堪える。
まだ寝ておいた方が良い。飛鳥が手を添えるも、「俺は変わる」彼のうわ言は止まらない。
音が煩い、明るい、食われている。そして変わる。
言葉を繰り返す内に、瞳孔を開き、混乱したように自問自答。
「これはゆめ、現実、ゆめ……俺はゆめ。此れがゆめ。なにが、ゆめ」
「ショウ。ショウ。翔!」
異変に気付いた朔夜が、彼の前に回り込んで体を揺さぶる。滅多に呼ばない名を呼ぶことにより、翔のうわ言が止まり、向こうも正気に戻る。
「あれ」
自分はどうしたのだろう、額に手を当てて困惑する幼馴染に朔夜は言い知れぬ不安を抱く。
翔の様子がおかしいのは火を見るよりも明らか。これは妖のせいだろうか。猫又が一噛みしているのだろうか。それとも、別の闇が。
どちらにせよ、翔を帰宅させた方が良い。一睡もできていないと言っているのだから、体は悲鳴を上げている筈だ。
「今日はもう帰った方が良いよ。顔が土色になっている。飛鳥、ショウを送ろう」
「うん。ショウくん、一緒に帰ろう」
すると翔がほんの少しだけ調子を取り戻したのか、平気だと笑って見せる。
ひとりで帰る気満々らしい。自分は大丈夫だからと二人の気遣いに遠慮を示す。
けれども、朔夜は彼の遠慮を許さなかった。いつも傍にいたがるくせに、肝心な時に頼りにしてくれないのは幼馴染として気分も悪い。
片隅で対抗しているのだろう、妖の猫又老婆に。
本当に大丈夫なのだとハの字に眉を下げる翔に、「僕達は大丈夫じゃない」心配で下校途中事故に遭いそうだとおどけてみせる。
それによって彼の口から一笑が零れる。此方の気持ちを察してくれたようだ。困ったように笑い、軽く目を伏せる。
「お前等には敵わないな。普段はドタキャンばっかりするくせに、こんな時だけ傍にいてくれようとするんだからさ」
棘のない、けれどチクリとした嫌味を零し、幼馴染は瞼を持ち上げた。
今日一番の笑みを浮かべる彼の表情は、保健室の教諭の驚きの声によって崩れる。揺れるカーテン向こうで「猫が窓から入って来ようとしているわ」
それによって翔の身がベッドから勢いよく飛び出す。上履きを突っ掛けるや、無造作にカーテンを開き、彼は窓辺へ。
死にそうな顔をしていたというのに、翔は窓枠に身を乗り出す猫を見るや「今行く」
「悪い。寝てた。すぐ行くから」
猫に向かって片手を出し、翔は踵返してベッドの上に放置している通学鞄を引っ掴む。
無論、彼が見た猫はあの猫又老婆だった。
「ショウ。君は具合が」
「もう平気だ。心配性のばあちゃんだから、此処まで来ちまったみたい。行かないと」
当然、二人は止めに入るのだが、「ほんっとごめん!」両手を合わせ、翔は近くにいた飛鳥の体を朔夜に向けて投げる。
揃って声を上げる幼馴染の自分達に脇目も振らず、翔は通学鞄を持ってバタバタと保健室を出て行く。
目で彼の背を追っていた祓魔師達が、ふと此方に視線を流して眉根を寄せる。神妙な顔をして咳払いを零したのは直後のこと。
「彼の後も追わずにベッドでいちゃこらいちゃこら。そうか、君達って公共の場でふしだらなことをしたい人間だったのか」
幼馴染が使用していたベッドに仲良く倒れ込んだ朔夜と飛鳥は巽の発言に赤面。
これは事故だと反論するものの、少年が少女を押し倒しているような、そんな光景を目にしている祓魔師達の眼は限りなく冷たい。
「何が事故なのか」
やれやれと溜息をつく巽は、幼馴染の心配より自分達の愛が優先かとわざとらしく嘆息。相棒を呼び、こいつ等は放っておいて彼の下に行こう、保健室を後にする。教諭に騒動の詫びを添えて。
その際、「不健全」雛が一刀両断の一言。
羞恥にわななく朔夜と飛鳥はそんなのじゃないと反論し、気まずい思いを噛みしめながら視線を交わす。
「ご、ごめん」
「あ、うん」
努めて空気を緩和しようと会話をするが、言葉は弾まない。
こういう場合、なんと言って会話を広げれば良いのだろう? 珍しく相棒を女性として意識してしまう。
「こ、こんなことをしている場合じゃないよ! ショウくんを追おう!」
赤面したまま彼女が助け舟を出してくれる。
頬を紅潮させたまま、朔夜は何度も頷いてベッドから下りた。
未だにぎこちない空気が漂うが、それを振り払うように保健室を飛び出した。教諭に二度三度、注意の言葉を掛けられたような気もするが心には響かない。今は翔を、祓魔師達を追わなければ!
裏門に辿り着くと、校舎の陰に隠れてこっそりこそこそと何かを窺っている祓魔師達を見つける。
抜き足差し足で忍び寄ると、各々祓魔師の体を羽交い絞め。驚いて声を上げそうになる彼等にいい加減に帰れと毒言し、腕の力を強くした。
すると、そんなことをしている場合じゃないと巽。
前方を指さし、被害者の挙動に注目するよう述べてきた。
訝しげな気持ちを抱いたまま指先の向こうに視線を投げると、幼馴染が茂みの前でしゃがみ、猫又の小さな頭を撫でていた。
「ばあちゃんは心配性だな」毎日自分の様子を見に来てくれるんだから、彼は目尻を和らげる。
「体調? ん、大丈夫。しょうがないよ。朝から晩まで起きているんだ。連日、徹夜をしていたら俺だってぶっ倒れるって。ま、しょーがないんだろうけど」
苦笑いを零す彼は、人目も気にせずに猫に話し掛けている。
周囲の生徒の目からしてみれば、猫好きが一生懸命に相手をしている、といったところ。
しかし専門職の朔夜からしてみれば、あの猫又がいつどのような行動を取るのか、見ているだけでハラハラさせられる。敵意はなくとも、妖は危険な因子そのものなのだから。
猫又が翔の腕を伝って肩に飛び乗る。獣の好きにさせる幼馴染は、それを連れて学校を出た。
翔が向かう先は未定だが、少なくとも家ではなさそうだ。帰路とは逸れた道を歩んでいる。
猫を肩に乗せて歩く姿は大層通行人の目を引いているのだが、彼はまったく気にしていない。慣れた手つきで猫の頭を撫で、住宅街を進む。
何処へ行くつもりなのだろうか。
様子を窺う朔夜と飛鳥の背後で、祓魔師二人が行く宛に心当たりはないのかと声を掛けられる。祓魔師は幼馴染と接触する気満々のようで、今にも飛び出していきそうだ。
それを阻止するために壁となって道を塞いでいるため、彼等は仕方がなしに疑問を投げている模様。答えられないため返事はしない。
早足で歩く後ろ姿が、マンションとマンションの間にできた路地の裏へ消える。
見失わないよう追う。先頭に立っていた朔夜の足が止まることにより、三人の足も止まった。
「どうしたの」
飛鳥の問いに人差し指を立てる。
皆で路地裏を覗き込む。そこには猫又を連れた幼馴染の足が止まっていた。
「どうしたんだ」
どうやら足を止めているのではなく、止められているようだ。猫又の逆立っている毛を目にした翔がきょとんとした顔を作っている。
「いつもの場所に行くなら、此処が近道なんだけど……通っちゃ駄目なのか?」
彼はおおかた此処を何かの近道にし、いつものように通ろうとしていたのだろう。
だが猫又の警戒する様子に気付き、足を止めざるを得なくなったに違いない。
路地の奥に目を凝らす。幼馴染の前方五メートル先に歪な気を放った生き物が立っている。ザンバラ髪に麻の古着物と水ぼらしい格好、土埃だらけの四肢と裸足、顔には【災】と書かれた半紙が貼られていた。
幼馴染にはまったく見えないようだが、あれはまぎれもなく妖――行逢神。
「あの悪魔は行逢神。神霊と呼ぶべきか。チッ、どちらにしろ不味い相手に遭遇したね」
行逢神は行き会う生き物に災いをもたらすと呼ばれている怪異。
正体は諸説あるが、一つに死を遂げた人間の怨霊という説がある。禍々しい気を放つあれは、まさに怨霊と呼ぶべき類い。向かい合う翔に災いをもたらそうとしている。
おいで、おいで、行逢神が手招きする。霊力のない幼馴染には一切視えないだろうが、何かしら感じたんだろう。足を一歩を踏み出す。
途端に猫又がフシャーと威嚇の声を上げたため、翔が慌てふためいた。
「そ、そこまで怒らなくてもいいじゃないか。分かったよ、通らない。別の道から行くって。ちぇ、遠回りになるんだけどな」
ふわり。
真っ向から吹く風に乗り、行逢神が標的の目と鼻の先に立つ。警戒心を高めた猫又が幼馴染の肩から飛び降り、ひらりとアスファルトに着地。爪を出して毛を逆立てた。
猫又も分かっているのだ。行逢神の厄介さを。
幼馴染に憑いている反面、あの老婆は彼を孫とでも見ているのか、守る素振りを見せる。
此方も手をこまねいて見ている場合ではない。少しでも、幼馴染と行逢神を離れさせなければ。
しかし朔夜が学ランのポケットから数珠を取り出した、瞬く間のこと。
行逢神は着物の袖を翻し、その場を一周して猫又の目を掻い潜ると幼馴染の腕を握った。半紙から覗かせる口元が耳元まで裂かれ、にんまりと笑う。してやったり、災いの沼に引き摺り込める。それが向こうの心情だろう。
けれども、その口元が静かに閉じられる。まるで怯えたかのように全身を震わせたかと思いきや、行逢神は恐る恐る翔を見上げ、彼の視線と交える。
きょとんとしている翔をどう捉えたのかは分からないが、行逢神は血相を変えたように掴んだ腕を放してしまう。
それどころか、道を開けて恭しく頭を下げていた。人間動物に災いをもたらす、あの行逢神が。
「なんでだろう。今なら通っていい気がする。おばば、行こうぜ」
遠回りせずに済むと喜ぶ翔が猫又に手を差し伸べる。
未だに警戒心を昂らせている妖は、幾度も行逢神を見やり、やがて翔の腕を伝って肩へ戻る。
「何故、彼の手を放したの?」
意気揚々と路地裏を過ぎていく幼馴染の背を観察しつつ、雛は当然の疑問を口にした。
分かれば苦労しない。妖の行動など、いつだって不可解だ。
朔夜はぶっきら棒に返事し、幼馴染の後を追う。が、自分達の前に行逢神が立ち塞いだ。一歩でも足を踏み出せば、災いをもたらす禍々しい妖気を放つ。
「邪魔をするな。行逢神」
妖は何も答えない。
追うすら許さんばかりに行く手を塞ぐと、袂から半紙の束を取り出した。
放たれる半紙は墨色に染っており、真っ白な筆文字で【災】と書かれている。あれを貼られた人間や動物が災いに遭うのだろう。
「飛鳥」
敵と見做されたことを冷静に判断した朔夜は、相棒に半紙の紙ふぶきを任せる。数多の攻撃を回避する術は彼女の方が長けていた。
しかし飛鳥が動くよりも先に、雛が聖書を開いた。
「神は告げる。我が迷える子羊にメイサが現れることを。鞭を振るい、杖を与え、その光ある道から決して踏み外さんことを――“神秘の黙想”。第一章一節喜びの神秘」
聖なる言の葉は主の体内に宿った霊気を引き出し、四人を覆う厚い膜を張った。
膜の向こうでは趣味の悪い半紙が次から次に貼りつけられ、視界が狭くなっていく。行逢神の姿も捉えにくくなった。
都合が良い。此方の姿も捉えにくいはずだ。
じゃら、右手に巻き付けた数珠を鳴らす。
「行逢神。悪いがそこを通してくれないかい? ボク達は君と争う気は全くない。あの少年に用があるだけだ。通してくれるのならば危害は加えない」
すっかり祓う気でいた朔夜を押し退け、巽が妖に交渉を持ち掛ける。
祓魔師としてあるまじき姿である。訝しげに視線を流すも、向こうの言い分はフェアじゃない戦いはしない、だ。
此方には四人も祓い屋いる、対して相手はひとり。
無暗に人を襲う悪魔であれば話は別だが、この悪魔はそうではない。相手を選んでいる。話せば分かる悪魔かもれないと巽。
「巽。こいつはさっき、ショウに災いをもたらそうとしたじゃないか。何を言っているんだい」
「はぁ……未遂だろう? 過度に祓うと痛い目を見る。君は悪魔のボスの存在を知らないのかい?」
会話が途切れる。
行逢神が甲高い声で笑った。奇声に近い声。赤ん坊の泣き声に、女性の金切り声がまじったような不気味な笑いを上げる。
そのまま小躍りするように半紙を放った。紙に書かれた文字は【喜】【祝】【喜】【祝】【狐】【生】【喜】【祝】【喜】歪んだ喜びの数々。
背筋に悪寒が走る。
「ねえ行逢神。もしかして、もうショウくんに何かしたの?」
飛鳥の問いも行逢神は知らんぷり。
嬉しそうに、楽しそうに、半紙を宙に放っては笑声を上げた。朔夜達と視線が合えば、一際大きく笑い、ただただ無邪気に喜びを見せる。
「クソッ」朔夜が行逢神に掴みかかろうとするも、妖は高い脚力を発揮。そのままマンションの煉瓦壁に縋り、這うように上ってしまう。
気味が悪い。朔夜は悪態に近い感想を零した。
「早乙女。やっぱり祓うべきだったよ。話して分かる相手じゃない」
責を祓魔師に擦り付けてしまうのは苛立ちゆえにだろう。
「君を先に祓うべきかもしれない。悪魔のような顔をしているよ」
巽はにべもなく、ひらりと八つ当たりを躱した。
行逢神の邪魔立てにより、折角尾行していた幼馴染を見失ってしまう。
だが彼の傍には猫又がいる。幸か不幸か、朔夜は妖の気を辿ることができる霊媒師だ。更に自分と同じ能力を持った人間が三人もいるのだから、翔を見つけるのに、そう時間は要さなかった。
幼馴染は団地の公園にいた。
驚いたことに、彼は複数の猫に振り回されていた。我が目を疑う光景だったが、確かに彼は猫に振り回されていた。
「返せって俺のマフラー! おばばも、何か言ってくれって!」
身軽に駆けている猫を追い駆け回す翔の様子を、ベンチの上で丸まっている猫又がおかしそうに鳴いている。
公園には子猫に若い猫、老いた猫、飼い猫に野良猫、多数の猫が集っているのだが、これらは皆、猫又が呼んだのだろう。マフラーを猫に取られた翔は一々どうにかしろと猫又に文句垂れている。
傍から見たら奇妙奇怪な光景だというのに。
「寄り道したいっつーから公園に来てみたら、とんだ災難だ」
幼馴染に見つからないよう、声が聞こえる程度に距離を保ちながら、近辺の停車している車や電柱を壁に様子を窺う。これも妖祓としての経験が活かされている。でなければ、姿を隠しながら会話を盗み聞くなど至難の業である。
霊気を消す術はないため、賢い猫又には十二分に気付かれる可能性はあるが。
一頻り走り回った翔はくったりとベンチに座り込み、取り返したマフラーを猫又の体に投げていた。災難だと嘆くわりには、猫に弄ばれたことに対して怒りを感じていない様子。
体調不良だということも忘れ、無礼講に膝の上に飛び乗る三毛猫の頭に手を置く。
「おばば、あんがと。随分気分が良くなったよ」
にゃあ、しゃがれた猫の鳴き声に翔は眦を和らげた。
「俺のために、仲間を連れて来てくれたんだろう? おばばは、本当にお節介焼きばあちゃんだな。おかげで嫌なことが吹っ飛んだ。今夜は気持ち良く過ごせそうだよ」
ごろごろと足元で鳴く子猫に目を向け、彼は小さな体躯を抱き上げる。
翔が目と鼻の先まで顔を近付けると、肉球を鼻先に押し当てられ、これ以上の接近を拒まれていた。
それに対しても彼は怒らない。生意気だと鼻を押し当てた。
「ばあちゃんのおかげで、"あいつ等"の前では元気に振る舞える。ほら、俺が落ち込むと責任を感じる奴もいるだろう? だけど今は素でいさせて欲しい。本当は俺が恐怖していることも、おばばなら見越しているし」
暮れてしまう夕陽を横顔に浴びながら、控えめに泣き笑いをひとつ。
あの顔は自分達に見せている顔だ。何処か泣きそうで、何処か諦めた、何かを隠している笑み。
猫又が弱弱しく鳴く。まるで迷子になった子供を慰めるように。
「大丈夫だよ」翔は強く返す。
「少しずつ恐怖は消えていく。どうせ受け入れないといけないことだし。その証拠に今の俺は太陽が苦手だ。見ているだけで憂鬱な気分になる。反対に」
恍惚に空を見上げた幼馴染が、見たことのない翳りある一笑を零した。
暮れてしまった寒空の下、ぼんやりと点いた外灯に照らされる鋭い眼光が妖しく光る。
「夜を心待ちにしている。暗闇が、こんなにも安心するとは思わなかった。できることなら、朝昼に眠って夕方に起きたい」
何を言っているのだ。
朔夜は叫びたくなった。翔は今まで、当たり前のように朝昼に活動し、晩に眠る生活をしていたではないか。それは、これからも続く生活の循環なのに。
やはり妖の価値観が映っているのだ。猫又が傍にいるために、幼馴染はらしからぬことを口にする。
「おばば。今の俺の姿は、あいつ等にも、幼馴染にも見せられない。見せようとも思わない。だから、これはふたりだけの秘密にしてくれ」
ばあちゃんが自分の弱さを知ってくれているだけで充分だと、翔は嬉しそうに頬を崩した。
眩暈がしそうな現実である。あの翔が幼馴染ではなく、妖を迷わず選ぶだなんて。言い知れぬ敗北感と焦燥感に打ちのめされた。祓魔師達がいなければ、すぐさま飛び出して詰問していただろう。
ふと、様子を見つめていた巽がおもむろに顎に指を絡めて一思案。
朔夜と飛鳥の襟首を引っ張って自分に注目させる。
首をさすって何をするのだと振り返る二人に、祓魔師の少年はこう尋ねる。
「彼と君達は親しいと言っていたよな? 彼は君達に対して、いつもどんな態度を取るんだい?」
態度で答えることを拒絶するが、巽は気にせず肩を竦めて公園に視線を戻す。
「君達は人がどういった状況で一番悪魔に憑りつかれるか、考えたことがあるかい? ……ボク達が関わった同級生は“孤独”ゆえに悪魔に憑りつかれた」
其の同級生の家庭環境には問題があった。
被害者の両親が別居する事態に陥っていたのだ。子供の気持ちを顧みず、大人の都合にばかり振り回され、同級生は心底疲弊していた。
それにすら気付いてもらえず、被害者の心の闇は大きくなり、ついに孤独を感じるようになった。被害者は寂しかったのだ。自分のSOSに気付いてもらえないこの状況に。自分ことなど、どうでも良いと思っている大人達に失望していたのだ。
「彼のことは一切知らないがあの姿は“被害者”と重なる」
彼は孤独なのではないか、今まで傍若無人に振る舞っていた巽の口からはじめて真っ当な意見が出る。
まぎれもなく祓魔師の視点で物を述べていた。
しかし何が翔を“孤独にしている”のか巽は教えてくれない。相棒の雛も口を閉ざすばかりだ。何かを察しているようではあるようだが。
「猫又は見抜いている。あの少年の、心の闇を」
だから少年を励ましている。相手が人間であろうと。
「実の孫のように思っているんだろうね。彼のことを。安易に襲おうという気配はない。寧ろ、大切にしている」
朔夜は眉を寄せたまま公園の光景を見つめる。
ベンチに座って猫又に話し掛ける翔は本当に楽しそうだ。久しぶりにはしゃぐ彼を目にする。妖が彼の闇を癒しているのだと思うと、妖祓の自分達からして見れば非常に複雑だ。
妖は危険な生き物であり、決して人と交わることのできない平行的な関係なのだから。
「人間に優しくしようがなんだろうが、妖はどこまでいっても妖だ」
「和泉。悪態をつきたい気持ちは分からないでもない。祓魔師であるボク達はニンゲンにとって救い人であるべき存在。身を張って悪魔を調伏している。けれど、ああいう光景を見ているとボク達だって“悪魔”にだってなりえる存在だと思えるね」
諭したような口ぶりが腹だしく思えるが、今は口を挟むことすら億劫だ。朔夜はふてぶてしい気持ちを抱いた。
「今のボクにあの猫又の調伏はできないだろう。彼が幸福を噛みしめているのだから。いつも思うよ。悪魔を調伏する度に、ボクのしていることは正しいのかと」
巽も公園に視線を戻し、腕を組む。
ニンゲンを守るのだから正しいことなのだろうけれど、すべての悪魔が“悪魔”とは限らない。
ああやってニンゲンを癒す悪魔のような天使もいるのだから――それでも自分もまたニンゲン。悪魔とは別の種族。相手から“悪魔”と見られようが、同族を守るために剣を振るうべき立場なのだと巽は物思いに耽る。
「覚悟しているのは君も同じだよな」
彼は憂慮を向ける相棒に視線を流す。雛の額を小突き、片目を瞑った。
「祓魔師は“殺生”をする職業だと忘れてはならない。それを忘れてしまえば、いずれボク達に大きなしっぺ返しがくるだろう。君達も肝に銘じておくんだね。ヒナ、行こう」
相棒を呼び、巽が踵を返す。
「いいの? 猫又事件を解決すれば、晴れて自分達の手柄となるのだけれど」
雛の疑問に一笑を零し、
「被害者の気持ちが優先だ。妖祓の活躍を今一度見守ろうじゃないか」
解決できないようなら優秀な自分達が解決すれば良い。巽は嫌味を吐き、体ごと振り返って二人を各々指さす。
「和泉。楢崎。君達はどうして本気でなろうとしていない“妖祓”の職をこなしているんだい? 今度答えを聞かせてくれよ。
言っておくけど、悪魔達は甘い存在じゃない。彼等にも彼等の社会があり、悪魔を守護し統治するリーダーがいる。ボクのいる地域では“赤い狐の悪魔”がボスでね。無暗に殺生をしていると、こいつが現れて人間を食らうと言われているんだ。実際に目の当たりにしたことあるから分かるけど、悪魔のボスはやばい。悪魔たちのためならなんだってやる。
それらを敵に回しても、この職をまっとうできる自信はあるかい?」




