第二章 再会、そして再び音の中へ
弦を弾くたび、風が鳴いた。
音が空を駆け、街の喧騒を溶かしていく。
通りすがりの人たちが足を止め、俺の方を見ていた。
幼い子ども、買い物帰りの女性、学生、老夫婦――
誰もが同じ方向を見つめていた。
俺は夢中で弾いていた。
譜面も、歌詞も、目的もない。
ただ、心の中に溜まっていたものを、音にして放っているだけだった。
いつの間にか、広場は人で溢れ、誰かがスマホを掲げ、誰かが涙を拭っていた。
演奏を終えた瞬間、胸の奥に熱が広がった。
息が切れて、手が震えていた。
それでも心は、なぜか穏やかだった。
――ああ、生きてる。
そんな当たり前の感覚が、やっと戻ってきた。
そのとき、拍手の中に混じって、ひときわ柔らかな声が聞こえた。
「……すごかった。」
顔を上げると、一人の男が立っていた。
白いシャツ、風に揺れる髪。
中性的な雰囲気で、どこか懐かしい笑みを浮かべている。
「……遥?」
「やっぱり、蓮だ。」
数年ぶりの再会だった。
中学のとき、放課後の音楽室でトランペットを吹いていた遥。
その音を、俺はいまでも覚えている。
「まさか、こんな場所で会うとはな。」
「ほんとだよ。僕もびっくりした。……でも、君らしい気もする。」
「俺らしい?」
「うん。前もそうだった。誰もいない教室で、一人で何か作ってる感じ。」
俺は少し笑った。あの頃の自分を思い出した。
「今の演奏、すごく良かったよ。
途中で泣きそうになった。音が……まっすぐで、痛いくらいだった。」
「ありがとう。俺にもわからないんだ。
何かが込み上げて、弾かずにはいられなかった。」
「それで十分だよ。音楽って、理由があったら嘘っぽくなる。」
俺は苦笑しながら首を傾けた。
「お前、今何してるんだ?」
「僕? 日本じゃ美容師やってる。
でも、ピアノとトランペットはずっと続けてるよ。
音楽だけはやめられなかった。」
「美容師と音楽、か。ずいぶん器用だな。」
「器用貧乏ってやつさ。」
遥は肩をすくめ、少し笑った。
「でもさ、こうして君の音を聴いた瞬間に思ったんだ。
“僕、まだ音で生きていたいな”って。」
「……音で、生きる。」
その言葉が、不思議と心に残った。
俺は教授として理屈の中で生きてきた。
だが、この数分間の演奏で、
数式よりもずっと確かな“生”を感じていた。
遥は少し真剣な表情になり、まっすぐ俺を見た。
「ねぇ蓮。僕と、何か一緒にやってみない?」
「……何かって?」
「まだわからない。でも、音楽だと思う。
君のギターと、僕のピアノが混ざったら、きっと面白いことが起こる気がするんだ。」
その瞳は、まるで未来の音を見ているようだった。
俺は少し息を吐き、空を見上げた。
広場の明かりが星の代わりに瞬いている。
「……いいかもな。」
「本当に?」
「お前が言うと、不思議と悪くない気がする。」
遥は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、俺の中の“静寂”が少しずつほどけていく気がした。
初めてギターを持ったあの日のように、
この再会もきっと何かの始まりだった。




