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多々木さんの受難  作者: 大原英一
第三章 勧誘しまっしょい
17/25

意味深(アガペ)

 自慢じゃないが、オレは前世で一度も教会というものに足を運んだことがない。こんな不信心な男がイエスの弟子とかやっていて、いいのだろうか……。

 だから当然、教会で何が行われているのかオレは知らない。みんなでお祈りとかするの?

 だがこのエルサレムにできたオレらの教会は、イメージとぜんぜん違った。まあ考えてみれば、大昔の言わば教会の原型とも捉えられる。

 そういう意味では、どう進めようと自由フリーだ。

 教会ができてまだ間もないというのに、けっこうな人数がここを訪れていた。そう、イメージ的には勉強会に近い。講師によって人気不人気もたしかにあった。

 人気があるのはマリアで、というかダントツだった。内容そっちのけで彼女目当てに来る輩もいるようだ。まったくキャバ嬢じゃないんだから……。

 そんなマリアの大人気を眺めながら、ペテロのおっさんが満足げに頷いている。怖っ。


 おっさんは言わば脚本家で演出家で、プロデューサーだった。経営者だけは別で、それはヤコブ兄さんが務めた。

 ヤコブ兄さんは完全に裏方で、人びとの前にほとんど顔を見せなかった。彼の顔を見たら子どもが泣きだすかもしれない。

 その点マリアは柔和で可憐だった。

 ただでさえイエスにまつわる話は驚きと感動に満ちているのだ。それがマリアの口から語られた日には、豚骨スープに魚介系の出汁が合わさったくらいの破壊力がある。

 だが彼女には読み書きができないというウィーク・ポイントがあった。

 なので、おっさんが編纂した教典をそのまま人びとに読み聞かせることができない。そこで不肖オレにお鉢が回ってきた。

 オレはマリアのアシスタントとして、教典をめくりながら彼女をサポートするわけだ。

 彼女は頭がいいし記憶力も半端ない。元よりイエスに関するエピソードは、彼女が直にそばにいて体験したものばかりだ。オレは章立てというか、だいたいの時系列を示してあげるだけでよかった。


 イエスの生涯を語るときのマリアは、なんというか、神がかっていた。

 意外と淡々と話すのだ。それでもイエスが十字架に磔にされるくだりになると、それを聞いている人びとのなかには涙する者もいた。

 彼女は顔色ひとつ変えなかった。だがけっして冷淡なわけではない。終始おだやかに、まるで愛しい人のことを話すときのような優しい表情で語りかける。

 あ、これってもしかして「ゾーン」ってやつなのか……。一流のアスリートやアーティストがしばしば体験するという、究極の集中状態。

 はじめオレは主(または聖霊)が一時的にマリアに宿って、彼女の口を動かしているのかとさえ思った。だが、よくよく考えてみれば、主がご自身のストーリーを語るというのも妙な話だ。

 やはり、マリアの目線でそれは語られていると考えるべきだろう。だからこそ愛しいのだ。


 ……愛しい? 彼女はイエスを愛していたのか。っていうか、逆にイエスを愛していない者がいるのだろうか。

 なんだか変な感じだった。妙に心が揺さぶられる。

 あなたはイエスを愛しているか、と聞かれたら、オレは答えに躊躇してしまう。だが、言葉や論理を超えたところで、イエスを愛しいという気持ちが湧き上がってくる。

 ふと気づくと、オレの頬をひとすじの涙が伝っていた。あれっ、オレ泣いている?

 あわてて目のまわりをごしごしと擦るオレの肩を、ペテロのおっさんがぽんぽんと叩いた。そして彼は意味深な台詞を吐くのだった。

「おかえり、ヨハネ」


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