ふたりのマリア(挿絵あり)
「マグダラのマリアの過去は、残念だけど、誰も知らないんだ。主、以外は」
ペテロのおっさんは静かにそう言った。
あー、終わっちゃったよ……。まあちょっと覚悟はしていたけど。
「彼女の過去に関して一部、邪推する者たちがいるのも、たしかだ。きみは耳にしたか?」
「いいえ」
オレはこの世界に途中から転生してきた、いわば新参者だ。たとえ仲間内でも、そこまで事情に通じていない。だが、彼女がけっして過去について話したがらないあたりからも、彼女を揶揄する人間がいることは想像できる。
「われわれユダヤの民は、ながらく捕囚の身分だったという歴史がある。マリアの身の上が不幸なものだったとしても、不思議じゃない」
オレは黙って俯いていた。おっさんが続ける。
「だが、そんな彼女をどん底から救い出したお方がいる。我らが師イエスだ」
とつぜんサマリアで出会った女のことがフラッシュバックした。
彼女もまた、いろいろな過去をもつ女性だったのだろう。それを主は見抜き、導いた。本当にすごいお方だ、あの人は。オレは会ったことはないが、このヨハネの身体と脳がおぼえている。
「ああ……主はなんと偉大な方なのでしょう」
オレは自然に呟いていた。マジで洗脳されちゃったかもしれない。
「マリアが主の内縁の妻だったかどうかなど、たいして重要じゃない。彼女は主の救済の証しだ」
おっさんの目が燃えていた。一瞬、そんなふうに見えた。
「あれっ、それじゃあ主の母マリアも……」
「そうだ。あのご婦人は奇跡の証し」おっさんは立ち上がって言った。「これら以上に頼もしい武器があるかね」
オレはぞくっ、と怖じ気がした。
†
その夜、オレは夢を見た。
知らないおっさんが目の前に立っていた。ペテロのおっさんじゃない。短髪で小太りの、しかもとっても彫りの浅い顔立ちをしている。彼は言った。
「やあ、ひさしぶりだね、ヤマゲンくん」
「ヤマゲン? それがオレの名前ですか」
「そうだよ……あ、いまはヨハネだっけ」
「あなたは誰です?」
オレが聞くと彼は笑いながら、
「ボクを忘れるなんて、つれないじゃないか」と言った。
「多々木さん……」
オレは彼の名を呟いていた。夢特有の、ご都合主義だ。
「ワカメっ毛は元気かい」
「元気ですよー」
隣からいきなり若林さんがあらわれて答えた。なんだ、みんな居たのか。
「社長、十字架に磔にされて、痛くなかったですか」
「痛かったよー、手に穴が開いちゃったよー」
彼女の問いに多々木さんは手の甲を擦りながら答えた。擦っているほうの手にも穴が開いている。
「ま、いろいろ大変だとは思うけど、きみらも頑張ってくれたまえ」
「待ってください」オレは必死に呼び止めた。「どこへ行くんです?」
すると彼はにたーっ、と笑った。
「とてもいい場所さ。でも歌舞伎町じゃないよ」
「もー、セクハラですよ社長」
若林さんが抗議した。そこで目が覚めた……。




