マグダラのマリア
けっきょく終始グダグダのまま、オレとマリアの会話は終わりを告げた。彼女が去ったあと、オレは自室でひとり小さくため息をついた。
オレは今日、この世界で唯一の転生仲間を失ったのだ。
……が、同時にどこか吹っ切れた感もあった。いずれ忘れてしまうのならキレイさっぱりと、それもできるだけ早いほうがいい。
多少なりとも前世の記憶が残っているうちに、そのことを文書に遺しておこうかと未練がましいことも考えた。けれど、それを読んで一体誰が得をする?
オレが書き遺す未来に関する記事など、きっと拙いSF小説以下だろう。とてもじゃないけど聖書に勝てる気がしない。
このあと何千年もベストセラーになることが確約されている聖書が、いままさに発行されようとしているのだ。余計なことに時間と余力を充てるべきではない。
いまは聖書に集中しろ、オレ。
それにしても、先のマリアとの会話はびっくりするくらい、ちぐはぐだった。前世って、そんなに想像しづらいものだろうか。
前世からの知り合いだなんて、ちょっとロマンチックだとは思わないのだろうか。まあ、彼女がオレにそういう感情を抱くかは別としてだ。
……そういえば、彼女は意図的に過去に関係する話題を避けているらしいフシがあった。彼女の過去に何があった?
そもそもオレは、マリアという女性のことをほぼ何も知らない。彼女はオレにとってこの世界のナビゲータで、前世で親交のあった○○さんそのものでしかない。
○○さんの存在はすでにマリアの中になく、オレの記憶からも、もうすぐ消えようとしている。すると後に残るのは、元からこの世界にいたマリアしかいない。
イエスの母マリアと区別するために、何と言ったっけ……そうマグダラのマリア! 彼女は一体、何者なのか。
†
マグダラというのは、このガリラヤにある地域のひとつだ。きっとマリアの出身地のことを指しているのだろう。それ以上の意味はないはずだ。
オレがマリアについて知っていることといえば、彼女がイエスとその母マリアと暮らしていたということだけだ。イエスは昇天し、その後オレがこの家に迎えられた。
彼女はイエスの妻だったのか……それとも弟子? メイドさん? たしかに彼女は母マリアの世話をしているし、この家の家事全般を担っている。当然オレも世話になっている。
それ以外のことを、オレはまったく知らなかった。かつて彼女がどう生きてきたか、どうやってイエスと知り合ったかなど……。
マリア本人に聞く勇気がオレにはなかった。だって、あきらかに言いたくなさそうだし。仕方ないので、ペテロのおっさんに聞くことにした。
他人のことをまた別の他人に聞くのは、お行儀がよろしくないと頭ではわかっている。が、今回ばかりは止むをえない。オレはマリアに不愉快な思いをさせたくない。
「ペテロさん、つかぬことを聞いてもいいですか」
「んーっ?」
あいかわらず彼は書き物に集中している。まあ、この話題にかぎっては、これくらいのスタンスで丁度いい。
「マリアさんのこと、なんですが……」
「彼女の過去が知りたい?」
オレはぎょっとして、おっさんを見た。
「……よく、おわかりで」
「まあ、あんな美人とおなじ屋根の下に暮らしていたら、気にもなるよな」
おっさんは書き物をする手を止めて言った。
美人? マリアには悪いが、彼女をそういう目で見たことは一度もなかった。オレにとっては、あまりに○○さんのイメージが強すぎるのだ。
いかんいかん、名前も思い出せないのに、前世の女を引きずりすぎだオレ。




