第4話『かけるメガネっこ!』その2
「あ、おはようございます……」
翌朝、教室。珍しく、私より早く風太郎が登校していました。一晩たって頭が冷え、私の心は後悔でいっぱいになっていました。
「あの……昨日はその、ごめんなさい。心配してくれてたのに……私」
「あやまるのはこっちの方だ。燈は間違ったこと言ってなかった」
ほっとして彼の顔を見ましたが、こちらを向いてはいませんでした。
「『燈のことは燈が決める』。正しいだろ、それは……」
言葉を返せないでいると、風太郎はトイレに行くと出て行ってしまいました。やはりまだ怒っているのでしょう。
「加賀美風太郎は、いますか」
風太郎という呼びかけに思わず反応しました。教室の入り口に、男女の先輩が来ていました。男の先輩はなんとなく柄が悪そうな感じ……。女の先輩も背が高く、気が強そうなメガネの方でした。
「風太郎に何かご用ですか?」
学級委員として、風太郎の友人として、毅然と先輩のところへ向かい訊ねました。
「加賀美の友達?」
男の先輩が訊ねてきました。
「え、ええ、まあ」
「加賀美はいったいどこにいって──」
「冬馬!? それに律っつん!? なんでここにいるんだ!?」
トイレから帰ってきたらしい風太郎が、ハンカチで手を拭きながら廊下を歩いて来ていました。トイレに行っていたのはマジだったんですね。
「てめえ、かがみぃ──────!!」
「うわあああ!」
男の先輩が全速力で風太郎に突進していきます。
「あ、先輩……廊下は走ら……」
声をかけようとしましたが諦めました。聞きそうになかったからです。やれやれという風に、女の先輩が頭を振りました。
「と、冬馬、いや冬馬先輩!? 急にどうしたんすか!」
「先輩なんて呼ぶ柄か、てめーがよ! 今日こそは逃さねー! 陸上部に入ってもらうぜ、加賀美!」
「前言ったじゃないっすか! 中学じゃ陸上はやらないって! 律っつんも! いや、律先輩も、ぼさっとしてないで何か言ってやってください!」
女の先輩がため息をついてメガネを直しました。
「加賀美には申し訳ないとは思うけど、これでもけっこう長い間こいつを止めて来たんだ。いい加減疲れてきた。正直形だけでも加賀美が入部してくれたら私も楽になる」
「そりゃないよ!」
「加賀美、俺も今日という今日は本気だぜ!」
冬馬と呼ばれた先輩は、一枚の紙を風太郎に渡しました。
「げ! 入部届!?」
「観念してサインを書け! 加賀美!」
見ていられない。思わず前に出ました。
「あの、と、冬馬、先輩、ですか。いくら何でも、強引だと思います……! 風太郎は、入りたくないって言っているじゃないですか」
冬馬先輩がこちらを驚いたように見て、私は少し気圧されました。
風太郎もこちらを見ました。
「だそうだぞ冬馬。まったくもって正しいね」
と律と呼ばれた先輩が言いました。
「うるせえ! てめーどっちの味方だ!」
冬馬先輩は改めて風太郎を見ました。
「……俺は、どうしても信じられねえ。あれほど走ることにこだわってた加賀美が、俺たちに何も言わずにやめちまうなんて。俺は、そのけじめがつけてえ」
冬馬先輩はその右手を風太郎に突きつけます。人を指さしたらダメですよ!
「だから! てめーに決闘を申し込む! 今日の放課後、グラウンドで俺と競争しろ! 種目は何でもいい、てめーが一番強い種目で勝負してやる!」
「は、はあ!? 決闘!?」
「てめーがもし負けたら……そのときはその程度のやつだったと思って、俺も諦める。だがな! てめーが勝てば! てめーにはやっぱり陸上が向いてるってことだぜ! 陸上部に入部してもらうからな! いいな! 伝えたぜ!」
「ちょ……言うだけ言って帰るなよ! 冬馬!」
冬馬先輩が帰っていきます。ため息をついて、律先輩も去っていきます。風太郎が女性の先輩に抗議しました。
「律先輩も、なんであんな無茶言わせておくんすか!」
「あいつは陸上バカだからな、ああいう言い方になっているけど」
律先輩は、落ち着いてはいましたが憮然とした声で風太郎に言いました。
「私も冬馬と同じ気持ちなんだよ。お前は私たちに何も言わずにやめただろ。私たち、友達だったよな? いつからそんなに、他人行儀になったんだ?」
「それは……」
「……まあ好きにしろ。私たちが伝えたいことは伝えたから」
ーーーー
一日中、風太郎は憂鬱そうな顔でした。気軽に話せる話題でもなさそうでしたし、何より昨晩のこともあり……風太郎に聞くタイミングがないまま放課後になってしまいました。
正門前。ここが最後のタイミングです。このまま出てしまえば、家は別方向。勇気が欲しい。怪物にはあんなに向こう見ずに立ち向かえたのに……。
「あ、あの! ふう、たろ」
「何」
「まだ、怒ってる……?」
「怒ってないって。今朝言っただろ」
「ねえ……その、グラウンドには行かないの?」
「燈こそ、美術部行かなくていいの」
「美術部は次は金曜だから……風太郎、お願い、教えてください。どうしてグラウンドにいかないの?」
風太郎は立ち止まって、私のことを睨みつけました。こんな顔の風太郎、見たことがない……。
「陸上はもうやらない」
「そ、そうなんですね。じゃあ、こっそりあの先輩に負けちゃえば……あの冬馬先輩?だって、諦めてくれるんじゃないですか……?」
「冬馬はそういうのは見抜く。そういうやつだから。燈は知らないと思うけど」
少しまたカチンとしましたが、こらえて続けます。
「そ、そっか……かといってちゃんと競争したら、風太郎が勝っちゃいますし……」
「もういいだろ!」
風太郎は地面を足で蹴りつけました。
「これはオレの問題だ! 燈には関係ない!」
もう、ダメです。次に何を言えばいいのか、まったく思いつかない……。
立ち尽くしているうちに、風太郎は去ってしまいました。
ーーーー
グラウンドの真ん中に、冬馬先輩が立っていました。他の陸上部員は、彼をほうって練習をしているようです。
「……加賀美の友達だろ、君」
ただ見つめることしかできなかった私に、律と呼ばれていた先輩が声をかけてきました。手にはウォーターサーバーを抱えていました。
「あの、すみません、お邪魔だとわかっているんですが……お話が聞きたくて」
「いいよ。これ置いて来てからでよければ」
グラウンド隅のベンチ。私と律先輩が座ります。
「冬馬先輩は……」
「加賀美が来るまであそこから動かない気だな。昔からあいつ、一度決めたら聞きやしない」
よくあることだと言わんばかりに、律先輩は平常でした。
「あ、自己紹介してませんでした。私、一年一組の明鏡燈です。風太郎の、その、友達です」
「明鏡?」
律先輩が驚いたように私を見ました。
「もしかして祖父のことを?」
「祖父? いや、そっちは知らないが。明鏡さんってもしかして……加賀美の親友だったって子? 転校したって聞いてたけど」
「風太郎から聞いていましたか?」
「よく言ってた。そうか、中学一緒になれたんだな」
律先輩がとても嬉しそうな顔で私を見ました。思わず照れて、顔をそらします。
「私も名乗ってなかったね。宮内律だ。陸上部のマネージャー。で、あっちが北川冬馬。あんなんでも一応、陸上部のエースってことになってる」
北川冬馬先輩は、相変わらず仁王立ちのまま動きません。おそらく、この距離ではこちらの会話も聞こえていないでしょう。あるいは、風太郎以外の言葉は聞こうとしていないのかもしれませんが。
「私たち三人は小学校の陸上部で知り合ったんだ。ええとだから、加賀美が小4で私たちが小5のときだな。私らは冬馬に振り回されてばかりだったが」
なんとなく想像ができる気がします。
「あの、どうして冬馬先輩は、風太郎を陸上部に入れることにこだわっているんですか」
「冬馬が陸上にのめりこんだのは、もともと加賀美の影響だ。あいつ昔っから負けず嫌いでな。一学年下の子が自分より速い。それにライバル心を燃やしてつっかかりだしたのが、そもそも私たちがつるむようになったきっかけなんだ」
懐かしそうに言う律先輩の横顔が、私は内心なぜか面白くありませんでした。私の知らない風太郎の時間。それをこの人と、あの冬馬先輩は知っているのですね……。
「小学生時代、冬馬は一度も風太郎に勝てなかった。だからあいつ、加賀美が中学校に入学するのを楽しみにしてたんだ。それなのに、加賀美は中学では走らないと言い始めた。面白くないんだろ、冬馬にしてみれば」
「どうして、走るのをやめてしまったんでしょうか」
私の知ってる風太郎は、とにかく早く走ることにこだわっていた少年でした。ちょっとした道であっても、絶対に誰よりも早く着こうとする人でした。それが、なぜ?
「それは、私だって知りたい。でもまあ、何かしら悩んでることがあるんだろうね。一言私たちに相談でもしてくれりゃいいのに」
律先輩は、私を見ました。
「ま、冬馬は私の方でなんとかしておく。だから、さ……できれば、明鏡さんには加賀美のそばにいてやってほしいんだ。よく君のことを話してたから。もしかしたら……君の言葉なら、あいつも聞いてくれるかもしれない」
そして寂しそうに笑うのです。
「それはそれで、私たちとしてはくやしいけど」
ーーーー
風太郎と出会った時のことを、私は思い返していました。
「めがきゅあ、まーぶるさんだーー!!」
誰もいない古い神社。たった一人だけで『戦いごっこ』をする幼い私。園では『おねえさんっぽくて、まじめ』で当時から通っていた私です、そんな姿は誰にも見せられなかった。
「とおーーーっ!」
社務所の砂埃だらけの縁側から、地面に着地しました。
そのとき、目の前に同い年くらいの男の子が。
「は わ ! ちがうんです! これはきょうたまたま」
「かっこいい! それ、めがきゅあでしょ!?」
その男の子は、目を輝かせて私にかけよってきたのです。
「ぼくもめがきゅあ、すきなんだけど。でもみんな女の子のやつっていうから……」
「女の子も女の子で、こういうあそびは男の子のやつっていいます」
幼い私はぱっと笑いました。
「いっしょにあそびませんか?」
「いいの!?」
「はい! わたし、めいきょーあかりです」
「えっと、ぼくは……かがみふうたろ」
ーーーー
「……はあ」
風太郎の口から深いため息がもれた。日は傾き、古い神社はだんだんと暗くなっていく。
「なんでオレって、いつもこうなんだろう……」
風太郎は膝をつき、縁側を叩いた。
「なんでいつも!! オレは……」
「美しいものですわね。涙をたたえた瞳というものも」
「えっ……」
風太郎が顔を上げると、近くに二足歩行するアリの怪人が立っていた。
「お前! 昨日の!?」
「あら? もしかしてあなたも昨日、わたくしの姿が見えていたのですか? ヴォン・デュオン・ビュール! 運命、感じてしまいますわね」
風太郎は、床を這いながら逃げ出そうとした。その前に、緑の昆虫のような怪人が立ちふさがった。
「別のやつもいるのか!? い、いやだ。怪物なんかにはならないからな、オレは!」
「ーーーーーーーー」
緑の怪人が、奇妙な言語を喋った。何も風太郎には理解できなかった。
アリの怪人が答えた。
「そうですわね、例の『悪魔』からいらぬ入れ知恵をされたのやもしれません。しかしホッパー、この世界ではこの世界の言葉を使いなさい。言葉は思考の形……理解に努めるべきですわ」
「……は」
アリの怪人は、その艶やかで骨ばった指先で、風太郎の顎を持ち顔を上に向かせた。名状しがたい恐怖が風太郎を襲う。
「ホッパー……御覧なさい彼の瞳を。とても美しいでしょう? 『現実』というものを、正しく見つめている瞳……」
「げん……じつ……?」
「ですがあなたは、ひとつ勘違いをしていますわ。わたくし達は『怪物』などといった下賎なものを生み出してはいません。『グラスセクト』への進化こそ、『メガネのくに』へ至る道なのですわ」
アリの怪物は、四本の腕を優しく使い、風太郎を立ち上がらせました。
「当ててご覧に入れましょう。あなたは苦しんでいる……そして恐怖している。どうにもならない現実に。それは私たちが現れるより前から。その瞳を見る限り、もっとずっと前から、あなたは恐怖していた。……違いますこと?」
「なんで……」
「この国には、『目は口ほどに物を言う』という素敵な言葉があるようですわね。ですが安心してくださいな……もうあなたを苦しめるものはなくなるのですよ。あなたのような美しい瞳は、楽園に生きることこそ相応しい……」
そう優しく語りながら、アリの怪物は黒いサングラスを何処より取り出した。
ーーーー
爆音がしました。よりにもよって最悪の場所から。息を切らしながら、雑草だらけの参道を駆け登ります。落ち込んだ風太郎が行きそうな場所。その唯一の心当たり。彼と出会った、そして何度も遊んだあの古い神社!
急いで向かう私に、いつのまにかネルネが並走していました。
「グラスセクトだ! また現れた!」
境内の木々を、黒い怪物がなぎ倒していました。渦巻いた殻。巨大な……カタツムリ?
そしてその足元に、昨日のあいつがいました。あのアリのような怪人が。
「あかり! 変身しないとだめだ!」
「止めないでください! 早く行かないと!!」
古い社務所の縁側を見ます。学校のカバンが放り投げられていました。
頭が沸騰しました。
「ねえ! 確かあなたプリンセス・グラスセクト、とか言いましたよね!」
「あら?」
アリの怪人が、私の方を見ました。
「どこかでお会いしたかしら?」
「とぼけないでください。なぜあなたがここにいるんですか? どうして……風太郎の姿が見当たらないんですか!?」
「風太郎? ああ、それがこの方の名前なのね。素敵な名前ですわ!」
アリの怪人が、暴れまわっている巨大な殻を見上げました。
「グラスアップ!!」
変身して、プリンセス・グラスセクトに飛びかかります。全力の一撃でした。しかしアリの姫は、一本の腕だけでそっと私の拳を受け止めてしまいました。反動が私の腕に跳ね返ってくる。でもそんなこと、構っている場合じゃない。力を込めて拳を押し込んでいきます。
「ああ! あなたでしたのね、メガイインチョー! なるほど、変身前から麗しく勇敢ですこと♡」
「ふざけたことを言うのは大概にしてください! あなたが風太郎をこうしたのでしょう! あなたが風太郎をこんな怪物に!」
「ですがまだまだ、力は引き出しきれていないのですわね。残念ですが、まあ二回目ではそんなところでしょうか……」
「姫から離れるのだ」
私の横から、なぎ払うような蹴りが飛んできました。蹴りは私の脇腹を直撃し、受け身を取る間も無く吹き飛ばされました。
神木に叩きつけられ地面に落下します。嗚咽をあげながら飛ばされた方向を見ると、緑の怪人が現れていました。とてつもなく屈強そうな脚……もしや、バッタ!?
「いけませんわ、ホッパー。まだ彼女は力を使いこなせていません、何かあったらどうするのです」
「申し訳ございませんでした、姫。十分加減をしたつもりだったのですが」
「彼女の相手は、風太郎さんに任せましょう。ちょうどいいくらいのはずですわ。いえ……今はもう、風太郎さんではありませんわね。グラスグランビートル! それがあなたの新しい名前! あなたの、いえあなたたちの力を、私に見せてくださいな!」
次回予告! 風太郎、メガネっこになる!
第5話『かけるメガネっこ!』その3
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