第二十一話 告白
食事を済ませカフェを出た。向かうは白鳥ボート乗り場だ。牧田先生は、お腹も満たされ心なしか足取りが軽い。今日のメインイベントは、まるで白鳥ボートと言っても過言ではないくらいだ。
少し風が出てきているが、白鳥ボートに乗ることが出来た。
「どうですか?念願の白鳥ボート」
「楽しー。あの橋の下くぐりましょう」
「行きましょう」
二人の力を合わせて足で漕ぐ。思った以上にペダルが重く、なかなか進まない。
「白鳥ボートってこんなに大変でしたっけ?」
「結構、大変ね。ちょっと息切れしちゃう」
「牧田先生、疲れたら休憩していいですからね。僕というエンジンが積んであるんで、必ずあの橋の下まで辿り着きますからね」
「うははは。なんか青春っぽくなってきましたねー」
白鳥ボートに推進力を与え続けるのに必死になっているなか、隣で盛り上がっている牧田先生。その愛くるしさ、愛おしさがガソリンさ。そうして漕ぐ足に力を込める。
「わあ、ほんと凄い。段々近づいてきた」
「おっしゃ、あと少し」
頭を下げると、ポタポタと汗が落ちた。秋が深まるこの季節に、汗を流すなんて思ってもいなかった。
「大丈夫?凄い汗」
「ちょっと、少し休憩」
「うんうん。休憩して。牧田エンジン行きまーす」
そう言って、牧田先生は漕ぎ始めた。
「おっもーい」
風が強くなってきた。波もでてきて、押し返されている。
「あれ、戻ってる。ふはは」
「牧田エンジンは非力ですね」
「ちょっと、手伝いなさいよ」
「休憩したばっかなのに」
「情けないこと言わないの。ほら漕ぐ漕ぐ」
「トヨタ、ホンダそして、マツダの次にくるのがマキタだと思ったんですが、期待外れでした」
「うるさいな。これ時間制限あるんでしょ?急ぐわよ」
ぶつぶつ言い合いながら漕いだ。この白鳥ボートの中だけ切り取れば、何処かのジムのシーンだろう。僕に至っては、競輪選手の最後の追い込みのように、前方をもう見ていなかった。
「見て、もう目の前。くぐれるよ」
嬉々とした牧田先生の声に、顔を上げる。橋がどんどん近付いてくる。そしてついに、橋の下をくぐることができた。まるで、ゴールテープを切ったような達成感があった。
「くぐれましたね」
「疲れたー。けど、楽しかった」
「僕だけじゃ諦めてました」
「ふはは。なんか今、本当に青春っぽい」
「白鳥ボートって、こんなスポ根な青春を与えてくれるものでしたっけ。もっとこう、優雅で甘酸っぱい青春なんじゃ」
「ふはは。青春は青春よ」
牧田先生は、満足そうに笑っている。吹き抜ける風が、今は気持ちいい。
「あ、帰らないと」
「え?シンデレラなんですか?」
「ちょっと、ふざけないの。だって時間」
「あ、一時間でしたね。え。あと二十分しかないじゃないですか」
「言ってるじゃない。急いで帰るわよ」
「青春は、帰りがきつい」
「変なこと言ってないで、面舵いっぱーい」
「はいはーい」
漕ぎだしが重たくて、心が折れそうになる。しかし、ここを乗りこえたらある程度楽になる。ここから二十分で帰るのは正直相当厳しいが、逆風を追い風に一気に漕げば、恐らく間に合うだろう。そして方向転換した時、どっと、雨が降ってきた。
「えー、嘘でしょ」
「早く戻りましょう」
横殴りの風に乗って、雨が容赦なく中に入ってくる。
「冷たっ」
「ずぶ濡れ」
風が吹き荒れ、前にも進めなくなった。追い風にする算段が外れる。優秀な航海士が必要だ。
「これはまずいっすね」
「時間内に帰れそうにないわね」
「時間内に帰れなかったらどうなるんですかね」
「追加料金じゃない?」
「まさか白鳥ボートで、遭難するなんて夢にも思わなかったです」
「ふはは。ほんとね」
この状況でも、案外楽しそうな牧田先生に安心した。
「雨大丈夫ですか?もっとこっちいいですよ」
「ありがとう」
白鳥ボートの中で、出来るだけ真ん中に体を寄せ合う格好になった。
「多分すぐあがると思うんで、時間は諦めて少し待ちましょう」
「そうね。白鳥ボートで遭難なんて面白すぎ」
「いや、ほんとっすよ。なかなか、ないですよ」
さーっと降りしきる雨が、まるで世界から僕らだけを切り取ったような錯覚を覚える。
「あたし、覚えてますよ」
「なにがですか?」
「雨好きなんでしたよね?ハル君」
「あ、もしかして」
「ふふ。駅に迎えに来てくれた時、話してくれたこと覚えてますよ」
「確かに雨が好きって話した気がします」
「そうよ。大切な日は必ず雨が降るって」
「ふははは。なんか恥ずかしいですね。今考えると、なんかの歌詞丸パクリ」
「ね。歌を唄ったのかと思っちゃったもん」
「いやいや、ほんとにそう思ってたんですって」
「でも、ほんとうね。今日も雨だもん。きっと忘れない」
牧田先生を、ちらりと見た。
「雨の日更新。ハル君が迎えに来てくれた雨の日、そして、白鳥ボートで遭難させたこの雨の日。きっと、忘れないな」
そう言って、小さく笑った。
「随分、感傷的にさせるじゃないですか」
「ふふ。今日は本当にあたしにとって完璧な日なの。映画観て、お洒落なカフェでランチして。そしてこの白鳥ボートで青春できて、そして遭難。完璧でしょ?ほんっと、可笑しい」
「それは僕もですよ。お洒落なカフェで、うんちの話もできたしね」
「ふははっ、そうそう。そこも大切」
「でも、正直この状況って普通は最悪なはずなんですよ。雨で濡れて戻れず漂流して、寒くて。そんな状況で二人きりって、人によってはもう地獄ですよ。けど、楽しいって思えるのは、その状況を楽しんでくれている人のおかげだなって。だから、なんかおかしいですけど、ありがとう」
「そんな。こちらこそですよ。凄い楽しい一日。日記が、物語みたいになっちゃうかも」
もう言ってしまおうだろうか。
秘めたる想いを、伝えたい衝動に駆られる。
ただ、伝えたい。
もういいだろう。
池の真ん中で、白鳥ボートに雨で閉じ込められたこの開放的な密室は、想いを伝えるタイミングではないだろうか。恋愛が成就する三つのアイエヌジーは、フィーリング、タイミングそして、ハプニングだと言う話は、モテない男子には有名な話だ。
フィーリングは、合っている。うんちの話もできた。ハプニングは、今この上ないハプニングに見舞われている。
「牧田先生」
「ん?」
風が強く吹いた。
「きゃ」
雨が当たる。
「冷たーい。もう。ふはは」
「好きです」
「え?」
「牧田先生。あなたが、好きです。ずっと。よかったら僕と、付き合ってほしい」
肩が当たっている部分が、じんわり熱くなったような気がする。一番至近距離での告白。
「まって。ほんとに?ちょっと。びっくり」
「すみません。こんな時に」
「いや、謝らないで。凄く嬉しい。もう、びっくり。あー熱い」
そう言って仰ぐ仕草をしながら、僕とは反対側に顔を背ける牧田先生。照れている様子がわかる。
伝えてしまった。
「僕の上着も濡れて貸してあげられないので、この告白を上着代わりにしてくれれば」
「ふはは。ばか。でも、ほんと熱い」
「いや、なんか恥ずかしいですね」
「それこっちだからね。もうなんでこんな狭い所で言うのよ。凄い勇気よね」
「なんも考えて無かったです。ただ、伝えたくなっちゃって」
「ふはは。ハル君らしいね。だって、例えるなら観覧車に乗って、直ぐに告白するようなもんだからね。状況的に」
「うわ、確かに。タイミング間違いましたかね」
「本人に訊かないでよ」
「あーやってしまった」
「そう落ち込まないでよ。嬉しかったんだから」
「ほんとですか?」
「もちろん。ほんと体温凄く上がった。熱いもん」
「なら、良かったです」
「あ、じゃあやっぱピアノって?」
「あ、すみません。嘘です」
「やっぱりね。じゃあこれはコンクール出場に切り替えね」
「え。もっと、ハードル上がっちゃったじゃないですか」
「大丈夫よ。観覧車に乗った直後に、告白できるんだから」
「もうほんとに勘弁して下さい。てか、観覧車じゃないですし」
「ふはは。うそうそ。でも、ほんとにありがとう」
「いや、なんか照れますって。いきなり」
がこん。白鳥ボートが、何かにぶつかった。
「あ、岸に着いたよ」
「うわ、流されてたの気付かなかったね」
「ここで降りちゃう?」
「いいのかな」
白鳥ボート乗り捨て大作戦を決行しようとし話していると、前方からモーターボートが近づいてきた。
「あ、あれ救助じゃない」
「そうだ。こっち来るもん」
「モーターボートがあったのね」
モーターボートが、近づき白鳥ボートを引っ張っていってくれた。
「ここでモーターボート使ったのはじめてだぞ」
そう言って、貸しボート屋のおじいちゃんに笑われた。追加料金をとられることも無かった。初漂流記念としておじいちゃんと、三人で写真を撮った。そして、心を込めてお詫びとお礼をし、近くの屋根のあるベンチに駆けこんだ。
「優しい人でよかったね」
「ほんとだね。怒られるかと思った」
「写真も一緒に写ってくれて」
「それね。ノリがよくて最高だった」
「あ、向こうの空晴れてる」
「本当だ。もうすぐ止みますね」
「このタイミングで止まれると、あたしたちの為に降った雨みたいね」
「やっぱ、タイミング合ってたんじゃないですか?」
「ふふ。観覧車乗車後告白ね」
「ちょっと、観覧車じゃないですって」
「ふはは。あんまり言うと人の勇気を馬鹿にしているようだから、言わないようにしますね」
「もう結構、言ってますからね」
風も雨も段々と、弱くなっている。
「ほんとに凄いタイミング」
「虹出るかもですよ」
「あー確かに。出たらもう何もかも味方にしたわね」
「出たら虹の麓までドライブします?」
「あたしのこと誘拐しようとしてるの?」
「人のこと誘拐犯にしないでくださいよ」
「ふはは。じょーだん」
「はあ、弄ばれてる」
「ちょっと、人のことを尻がる小悪魔みたいに言わないでよ」
「いや、言ってない言ってない」
彼女のこのユーモアも好きだ。
「二つの青春をくれたね」
「いや、そんな。僕は何も」
「スポ根な青春と、甘い青春」
「白鳥ボート万能説浮上ですね」
「流行るかも」
「あのおじいちゃん喜ぶかも」
気がつけば日がでて、辺りは明るくなっている。
「完全に止みましたね」
「本当だ。凄い」
「この後、どうします?」
「虹の麓?」
「もし行きたければ」
「ふはは。今日はこれで終わりにしようか」
「そうですね。雨で濡れちゃったし」
「今日は本当にありがとう。最高な一日だった。帰って色々整理するわ」
「うん。こちらこそ。楽しかった。ありがとう」
ここで別れる雰囲気になってしまい慌てて、言葉を繋いだ。
「あ、車、ここまでもって来ましょうか?」
「え?送ってくれるの?」
「いや、そりゃ送るでしょ。いくら観覧車に乗って直ぐ告白しちゃう男でも、ここで置き去りなんて流石にしないですよ」
「ふははっ。自分で言い始めた。ほんと嘘だからね?」
「分かってますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて送ってもらおうかしら。一緒に歩いてもどりましょ」
来た道を戻って行く。雨上がりの道を歩くスニーカーの音も好きだ。夕日を見れるのではないかと、密かに期待したが雲に隠れて見えなかった。色々整理するとは、僕の告白に対してなのだろうか。判然としない。だけど今は、満足感で満たされている。帰り道は、お互い何も話さなかった。嬉しかったのは、その沈黙は気まずいものではなかったこと。
牧田先生も同じ気持ちでいてくれたら、もっと嬉しい。




