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幸せの尺度。

原稿用紙10枚の短編です。

 毎週日曜日になると俺は新聞の折込チラシの中に入っている地域向けの求人チラシだけをさっと取り出す。そしてそれをトイレに持って入ってゆっくりと眺める。頭の中でその職種をイメージしながら、自分に出来るかどうか妄想する。その時だけは、俺はコンビニの店員であり、倉庫会社のピッキング担当であり、スーパーの惣菜担当であり、また清掃員や介護職なのである。想像の上では経験も資格も必要ない。

 ある時、いつものようにトイレでホクホクのウンチをブリブリ搾り出しながら求人チラシに目をやっていると「水道メーターの検針業務」という文字が飛び込んできた。これは全くの未知の世界で、想像もつかない。想像もつかない時、人間がとる行動というのが、「やってみよう」というとっさの訳のわからない機転である。

 早速、日曜日が明けるのを待って次の日の朝、その会社に電話をかけてみる。

 電話口の応対いかんではその会社に行くかどうか決めている。こちらにだって選ぶ権利はある。電話をかけると女性の優しい声で、面接の日を案内された。うん。感じがいい。ここはまともな会社だろう。

 面接の日に備えて、スーツで行くか私服で行くか、裸で行くか。これは電話口ですでに聞いてある。普段着でお越しください、とのことだったので、とはいえ面接なので無難に綿パンと夏だったのでTシャツで行くことにした。

 自転車で行ける距離なので自転車で行くことにした。あまりに疲れるようなら通勤は電車も考える。

 面接会場には老若男女、というよりはほとんどがお年寄りだった。最近は人生100年という保険会社かなんかのコマーシャルのせいか、元気なお年寄りが働きに出ることが多い。

 面接の前に試験があるという。簡単な足し算と引き算。ただ、問題数がやたらに多い。

筆記試験の途中で一人一人呼ばれて、面接室に入っていく。半分ぐらい解けたところで俺の名前が呼ばれた。

「失礼します」

 面接室に入ると3名の作業服を着た男性が座っていた。

「えっと、山村さんね。それでは、面接を始めましょうか。なるほどね、前はアルバイトでデジタルカメラの販売をしてたんですね。なるほど。まあ、水道のメーター検針の仕事なんてのは経験者なんてそんなに居るもんじゃないですから、あとはやる気ですね。あと、暑いですが大丈夫ですか? 夏だけの募集なので暑さに弱いと致命的ですが」

 俺は採用されたい一心で首を縦に振りまくった。

 面接が終わるとまた筆記試験に戻る。全部解けたところで周りを見回してみると、白髪や禿頭のおじいさんが頭を悩ましている。半ば諦めている人もいる。

 数日後、採用が決まった。早速、面接を受けたところとは違う場所にある研修センターに行く。

 集合の時間になると、説明担当の人が、5枚組になったプリントを配った俺は一通り目を通してみる。なにやら時計のような絵が何枚も書いてある。

「みなさん、こんにちは」

 担当者が挨拶すると、ちらほら小さな声で「こんにちは」と呟く。

「えっと、まあ、水道メーターの検針ですが、1枚目にあるようにアナログメーターと3枚目以降にあるデジタルメーターがあるのですが、デジタルはそのまま数字を読むだけなんですが、アナログメーターは少しややこしくて、説明しますね」

 説明が一通り終わると、アナログメーターの示す針を読むテストが始まった。概ね正解できるが、中には難しい問題もあって、ほとんどの人は引っかかっていた。

 研修は4日で終わった。そのあとそれぞれの水道局の中にある事務所に配属され、各家庭を訪問することになった。

 俺が最初に担当したのはとある住宅街だった。

 その住宅街の地図を渡されて、地図を見ながら一軒一軒歩いて回る。手元のハンディと呼ばれる端末を見ながらメーターの数字を打ち込んでいく。単純といえば単純な作業だ。

 ある日、こんなことがあった。それは、あるお年寄りの家を訪問した時だ。

 メーターの検針を終えて、出てきた用紙を渡そうとチャイムを押した。反応がなかったので、ポストに入れて帰ろうとした。すると中からうめき声が聞こえた。玄関がたまたま開いていたので咄嗟に家の中に上がり込んだ。苦しむ主人に声をかけると、これはただごとではないと思い、救急車を呼んだ。

 救急車が来るまでの間、俺は壁に書いてあった緊急連絡先の携帯番号に電話した。すると息子と思しき男性が出て、俺は救急車を呼んだことを伝えた。男性はすぐ近くに住んでいると言うので実家に来てもらうように言った。男性が来たので入れ替わるように俺はいつもの検針作業に戻った。


 先月に訪れたお年寄りの家にメーター検針に行くことになった。

 同じ地区を担当するのは珍しいことだった。デジタルメーターの数字を端末に入力する。

 俺が庭の植木を退けてメーターの上蓋を片付けていると、家主が出てきた。

「ああ、あなたありがとうね。一命を取り留めたよ。これはほんのお礼だよ。これは是非とも受け取ってよ」

 地元の有名和菓子店の包み紙だったので、ありがたく受け取った。

 家に帰ると、和菓子を楽しみに、包み紙を丁寧に外して(この辺が大雑把なO型にも関わらず几帳面である)中を開けてみた。すると、ご丁寧に手紙が入っていた。

「優しい水道屋さん。この前はありがとうね。これはほんのお礼です。是非受け取ってください。あなたのおかげで一命を取り留めました。差し上げます」

 俺はすぐに返そうと思い、金曜日だったので土日が明けるのを待った。こんな大金、しかも見ず知らずの人から貰うわけにはいかない。

 土曜日は落ち着かなかった。でも、勤務外の日にお客様の自宅に向かうのはダメなことだ。日曜日もゆっくり休めなかった。

 月曜日になった。朝からソワソワする。落ち着きがないな、と同僚からからかわれるが、それでも俺は胸のポケットに茶封筒を隠して、自転車であのお年寄りの家に向かった。

 チャイムを押す。中から出てきたのはお年寄りではなく、恰幅のいい若い男性であった。

 家の主を呼んでも貰うように言うと、しめやかな声で、

「親父は一昨日亡くなりました」

 と、呟いた。

「えっ」

 俺は声にならない声を発した。

「親父は少し前から病気でしてね、百まで生きる、が口癖でね。それも叶わず」

 憔悴しきったしゃがれ声が涙を尽くすまで泣いたあとだと分かるぐらいだった。

「実は、これ」

「ああ、あなたにも行きましたか。それはできればもらってやってください。親父は親切にされると何かしないと気が気でないたちで。親父は最後に高野山にお遍路のお礼参りに行くのが目標でね。それがあの時倒れてそのまま逝ってしまったら叶わなかったんです。ところがあなたの機転のおかげで達成できて本人もいたく喜んでいてね。だから、もらってください」

 百万円。俺がどんだけ汗水を垂らして働かないと貰えない額か。それと同時にあのおじいさんが汗水垂らして働いたお金。時には涙もあっただろう。無駄にはできない。

 

 水道メーターの検針のアルバイトは期間限定だったので、夏が終わると自動的にアルバイトも終わった。

 手元に残ったのはアルバイトで得た30万円とおじいさんに貰った百万円。

 俺にとって重いのは30万円の方だった。炎天下に汗をかきながら必死で地面を這いつくばりながら水道のメーターを検針して回る。雨の日はカッパを着ながら。自転車で駆けずり回り、苦労して、苦労して得た30万円。2ヶ月かかってやっと稼いだ30万。

 お金って何だろうね。俺は自分自身に問いかけた。お金があれば幸せになれるのか、って。

「それはわしも同じじゃよ」

 天から人の声が聞こえてきた。天声人語?

 あのおじいさんの声だ。

「わしは確かに金をある程度持っていた。でも、あの世には持っていけない。だから親切にしてもらった人に生前に配った。お金があればある程度のことはできる。でも、お金があってもできないことはたくさんある。天秤にかけたとき、それは自ずと答えがわかる」

 俺は今、財布に200円しかなかった。で、コンビニでアメリカンドッグを買った。消費税を入れても108円だ。空腹を満たすには十分だ。

 すっごい幸せな瞬間だった。この幸福感をなくしたくはない。(了)

 


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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