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第60話 夢の終わり


 ミリウスにもう一曲、あともう一曲とダンスの続きをねだられて、いい加減周囲のざわつきが気になり始めたあたりで、シホは疲労を理由に、なんとかダンスホールの輪から抜け出すことができた。


 まだ名残惜しそうなミリウスとともに会場の端に移動すると、そこにはニコニコと笑顔のレナードがいた。


(…………嫌な予感がする)


 案の定レナードは意味深な笑顔を浮かべると、

「殿下?」

 と、そうにこやかな声で問いかけた。


「お戯れは楽しかったですか?」

「む………………」


 何やら後ろめたいことでもしたのか、ミリウスはレナードに対し、子供のようにそっぽを向く。


「ああそれとも、本来行うべき『仕事』を放り出し、女性と遊戯にふけることが殿下のご趣味でしたか。なんとも残念なことです……。殿下がこのように堕落したのはいつからだったか――――そう、おそらくは今年。学院に新しい風が吹き込んでから――――」


 非難の矛先が別の方向に向き始めたところで、慌ててミリウスは声を上げた。


「ち、違う!」

「では、お仕事に戻っていただけますね?」

「ぐっ……」

「安心なさい。『これ』は私が預かっておきます」


 それにもまた不満の残る表情を見せながら、渋々といったていでミリウスは会場に残る賓客の応対へと戻っていった。




「………………はぁ」


 一際大きいレナードの溜め息がこだまする。


 なんだか嫌な予感がして、シホはそそくさと距離を取った。


「お待ちなさい」

「!」

「……あまり私から離れないように。殿下に言った手前です。まぁあれだけ見せつけたあと心配はいらないと思いますが――――不用意なあなたのことだ。面倒に巻き込まれないとも限らない」


 何かすごく自分が問題児なようなことを言われた気がして、シホはひくひくとこめかみを引き攣らせる。


「私、これでも手の掛からない人間だと言われて育ったつもりなんですけど」

「あぁ、それは。見る目がなかったですね、周囲の者も。あなたは相当に手の掛かる部類の人間ですよ」


 ――――少なくとも、私にとってはね。


 付け加えられた最後の言葉に、怒るべきか、面倒を掛けたことを謝るべきか……シホが考え込んでいると、レナードは愚かな者を見るような目で呆れてこう言った。


「そこは誇るところですよ」

「……は??」

「少なくとも、私に手を掛けさせるだけの価値があなたにはあるということです。胸を張りなさい」


「………………?????」


 まったく意味がわからなくて、シホはさらに考え込む。


 そして、考えるのをやめた。


 平たく言えば、面倒になったのである。


 この男の言うことをいちいち深読みしていたらキリがない。

 さっさと考えを放棄して、シホは給仕係から今日何度目かの青いグラスを受け取った。



「……またそれですか」


 レナードがちらりと横目で窺い、ぽつりとそう呟く。

 酒の入っていない飲料として自分が薦めてきた飲み物だろうに、まるで馬鹿の一つ覚えを見るかのような言い様だ。


 だが、もうなんと言われようと構わない。

 シホは気にせず青いドリンクを口にした。


 見た目に相応しい爽やかな清涼感が、喉の奥を駆け抜ける。

 ダンスを続けて疲れた体には、この爽快感が心地良かった。



 そんなシホの姿を、何故かじっとレナードは見つめてくる。


「???」

「念には念を……やはり入れておくべきなんでしょうね」


 ふい、とそっぽを向くと、今度はレナードが給仕係から一杯のグラスを受け取った。

 彼の手にはどこか似つかわしくない、オレンジ色の液体がなみなみと注がれたグラスである。


 その子供っぽいグラスを、レナードはすっとシホに手渡した。


「こちらをどうぞ。同じものばかりでは飽きるでしょう」


 なんと。この男にこんな気遣いができるとは。


 いや、よく思い返してみれば、どちらかをいえばスマートに気遣いをする男だったように思う。

 あまりにそれが自然で逆に嫌みたらしいので、素直に認めにくくはあるが。


「ありがとう、ございます……」


 シホはオレンジ色のグラスを受け取る。

 たしかにいい加減違う飲み物も飲んでみたいと思っていたところだ。

 さすが色男。よく気が利く。

 喜んでシホはそのグラスを口にした。


(…………甘い!)


 ふわりと柑橘の香りが漂う、果汁の瑞々しい甘さが口に広がった。

 まさにいまシホの体が求めていたものだ。

 嬉しくなって、シホは大事にひと口ひと口、少しずつ口にする。


「………………。殿下が絆されたのはこういうところなのかもしれませんね」

「?」

「あなたを見ていると、鳥を餌付けしているような気分になります」


 差し詰め私は、庭に置かれたフルーツをついばみに来た野鳥ということか。

 その生死を握っているのは自分だとでも言いたいのか、それとも限られたフルーツで野鳥どもが争い合うさまを見られるのが楽しいのか……レナードの考えていることはよくわからない。


 だからシホは自分のことだけ考えて、大人しく飲み物だけに集中する。


 久々の甘い飲み物に、とても気分がいい。

 体力も徐々に回復してきた気がするが、そうすると今度はコルセットの窮屈さと、火照るような暑さが気になった。


(急に水分をたくさん取ったから――――??)


 どこか涼しい場所で、ゆっくり休めるといいのだけれど――――……。



 シホがそわそわと辺りを見回し始めた途端、レナードがぽつりと呟いた。


「どうしました?」

「え、いや…………そろそろ、ちょっと休憩したいかなーって……なんだか体が熱くて」

「………………」


 レナードの視線が痛い。

 決してサボりたいとかそういうわけではないのだ。

 真っ当な休憩である。


「はぁ」

 レナードは深い溜め息をつくと、こちらです、とシホを壁際の大窓のほうへと導いた。


「この先はテラスになっています。ホール内よりいくらか過ごしやすいでしょう」


 それはありがたい。シホは嬉々としてテラスへ向かう。

 が、

「お待ちなさい」

 すぐにレナードに引き留められた。



「あなたに言っておくことがあります」

「?」

「私はほかの来客の対応もありますので、この先にはついて行けません。が……決して、ほかの来客に先程のような言動をしないように」


 先程のような言動?

 レナードと交わした言葉を思い返す。


「いまのあなたは、無自覚に男を誘うところがある。先程のような言動を繰り返していては、すぐに休憩室に連れ込まれますよ」


 休憩室。

 その意味するところを察して、シホはボッと茹で上がった。


「そ、そ、そんなつもりじゃ……」

「当たり前です。あなたがそのような方では困ります」


 どうしてレナードが困るのかはまったくわからなかったが、シホはとにかくそんな意図はなかったと訂正するのに必死だった。


「ランドール嬢」


 レナードは身を屈め、シホに言い含めるように穏やかに語りかける。


「あなたが魅力的な令嬢であることは認めましょう。社交界の華となる資格のある人間だ。――ですが、その夢も直に覚めます。この夜会が終わればあなたは…………元の生活に戻るのですから」


 そっと、夢の終わりを告げる魔法使いのように、レナードは身を引いた。


「それまでは、よい夢を。……あなたにはいくらか感謝していますよ」


 そう言い残すと、レナードは近くにいた給仕係をつかまえて、

『決してこの先に部外者を通さないように』

 そう厳命すると、そのまま会場の人混みへと消えていった。



「………………」



 夢は覚める。


 いつの日にか。




 シホは急に訪れた息苦しさから逃れるように、テラスへと向かった。



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