第58話 シャンデリア
シホ・ランドールにとって、今夜の舞踏会は、想像以上にスムーズに運んだ一日だった。
ラスティンとのダンスという使命を終え、その後にレナードとダンスを何曲か踊ったあとは、彼の知人だという公爵夫人が紹介する紳士たちと、ダンスを何曲か共にした。
人のいい夫人の紹介する紳士は、若くとも誰もが人の良さそうな男性で、将来結婚もできなければ、そもそも縁そのものがない庶民の自分が相手を務めることが、申し訳なくなってしまう。
少し疲れが溜まったこともあって、休憩を名目にホールの端に退いて、シホはひとり青い果実水を口にする。
(ご飯も思ったよりも食べられないし……誰かが来るまでしばらくここで休ませてもらおう)
会が始まるまではあんなに楽しみにしていた料理も、コルセットをきつく締め上げたいまの状態では、あまり口に出来ないことに気づいてしまった。
それからというもの、シホのやる気はげんなりと大幅に落ちていた。
(もう役目は果たしたんだし……帰っちゃ駄目なのかな。駄目……なんだろうなぁ……)
勝手に帰ろうものなら、あとで額に青筋を浮かべるレナードの姿が目に浮かぶ。
高価なドレスという借りがある手前、レナードの意向に沿わぬ行動を取るわけにはいかなかった。
(暇だなぁ……)
そんなことを考えながら天井を見上げていると、『あの……』と、先ほどダンスを踊った若い紳士が、再び声をかけてきた。
「どうかされましたか?」
令嬢らしく、小首を傾げて問いかける。
「あの……その……よければもう一曲僕と踊りませんか?」
その震える声で、勇気を振り絞って話しかけてきてくれたのだと察せられた。
その姿勢は、シホにはとても好ましく映った。
(もしかして私、一生懸命な子に絆されやすいのかしら?)
それが生徒だけでなく、恋愛対象となる男性にもいえることなのかはわからないが、目の前の男性にはとても好感が持てた。
「ええ、私でよければ……」
彼とのその先に未来がないことは申し訳ないが、自分に興味を持ってくれたのならばありがたい。
一夜の思い出でよければ、彼の願いに付き合ってもいいような気がしていた。
ぱあっと顔を明るくする彼に、こちらも心が温かくなる。
が、その瞬間気づいてしまった。
ほかにも、こちらを見つめる複数の視線があることに。
(………………まさか)
ほんわりと温かな笑顔を浮かべる彼の背後に見える男性陣も、ダンスの機会を窺っているのだろうか?
一人が受け入れられたことで『見込みあり』と判断したのか、いままで一度も踊ったことのないような知らない紳士も、こちらに向かってゆっくり歩いてくるのが見えた。
(忘れていた――――)
いまの自分は、自分ではないのだ。
シホ・ランドールであって、魔法学院の教師シホ・ランドールではない。
ライオール家の縁戚という設定の、深窓の令嬢なのである。
(そりゃ、玉の輿を狙うよね――!!)
自分でもうっかりしていた。
ちょっと『私って意外とモテるかも?』と自惚れていた。
化粧をして着飾って、いい気になっていたのだ。
貴族の社会など、まずは家と家の結びつきだというのに――――……。
途端にダンスを申し込んでくれた相手にも申し訳なくなって、シホはしどろもどろに戸惑い始める。
先ほど快諾されたばかりの人の良さそうな若年紳士は、急に恥ずかしがり始めた令嬢に首を傾げた。
「あの……お気持ちはすごく嬉しかったんですが――」
どう断ろう。
一度快諾した手前、今更誘いを断るのは、非常に言い出しづらかった。
やはり最初に承諾したとおり、一曲だけ踊ろうか。
しかしそうすると、今度はその背後に控える集団の収拾がつかなくなりそうだ。
「~~~~~!!」
どうすればいい!?
どうすればいいの!??
シホはおろおろとまるで初心な令嬢のように狼狽えた。
「――――よかった、ここにいた」
耳に馴染んだ声が、危機に窮したシホの耳に滑り込む。
「ランドール嬢」
その嬉しそうな、少し息の弾んだ声の主は――――ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガム。
シホの手を引いてこの会場に連れてきてくれた、その人だった。
「こちらの方々は……?」
ミリウスはシホのすぐ前まで歩み寄ると、周囲に集まった男性陣に目を配る。
それはとても優雅で洗練されている物腰に見えたが、どこかシホが魔物を狩るときのような油断ならない気配があった。
「その、ダンスを申し込まれて……」
一度は承諾してしまった旨を説明しようとすると、それを遮るようにミリウスは爽やかな笑顔を見せた。
「ああ、それは申し訳ない。私の落ち度だ。彼女には丁重に断るよう教えていたはずだったんだが――」
ミリウスが、すっとシホの指先を掬い上げる。
そしてその手にキスを落とした。
「彼女には、私の『先約』があってね。誤解をさせて申し訳ない――――」
私の『後』でよければ、彼女にも付き合うよう『私から』頼み込もう――。
そう言えば、シホに群がっていた男性陣は、蜘蛛の子を散らしたように引いていった。
唯一、あの勇気を出して声を掛けてくれた男性だけが、もの言いたげに悲しそうな目でこちらを振り返る。
それに絆されそうになってシホが「あ……」と、空いた手を伸ばすと、口づけを落としたまま繋いでいた指先を、ミリウスがぎゅっと握り締めた。
反射的に振り返ると、ミリウスはじっとこちらを見ていた。
その空色の瞳が、揺れていた。
手のひらの、その繋いだ指先も、よく神経を研ぎ澄ませれば震えていた。
先程は堂々たる振る舞いに見えたのに、いまはぎゅっと引き結ばれた口元。
全身で『お願いだから行かないでくれ』と、そう訴えていた――。
「ランドール嬢……」
まるで焦がれるようにそう名を呼ばれれば、彼の誘いに乗らないわけにはいかない。
「しょうがない人ですね。……喜んで」
彼の顔に花が咲く。
その朝焼けのような光景を目にするためならば、自分はなんでも彼の願いを叶えてしまうのかもしれない。
(ああやっぱり――――私は弱いんだ)
慕ってくれる人間に。
私のために、一生懸命になってくれる人に。
シホの危機に駆けつけてくれたこの人に、少しでも報いたいと思ってしまう。
再度ぎゅっと握り直された手を、ゆっくり解くと今度は彼の腕に絡めて、ダンスホールの中心へと向かう。
彼の笑顔と、煌々と光を注ぐシャンデリアの明るさが目に焼き付いた。




