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第111話 空中庭園


『ぜひ帰る前に、わたくしの自慢の薔薇園も見ていってらしてね』


 そうオーレリアに勧められ、馬車へと向かう道すがら、シホたちはオーレリア自慢の空中庭園にいた。


 リンデールではもう秋も終盤に差し掛かろうというころだろうに、庭園には満開の薔薇が咲き誇り、石畳に沿うように設置されたランプの灯りに照らされて、夜の闇から浮かび上がっている。

 それは水晶のような不思議な輝きを放ち、まるで夢の世界にいるような幻想的な雰囲気を醸し出していた。



「わぁ……綺麗……!!」


 シホは思わず駆け寄る。

 零れそうな大輪の薔薇は見るもの全ての心を奪うように、惚れ惚れするほど美しい。

 シホが興奮冷めやらぬままに振り返ると、後をついてきたミリウスもまた揺れる瞳でこちらを見つめていた。


「ねぇ! ミリウス! すごく綺麗な場所ね!」


 さすがオーレリアだ。

 彼女自ら手を入れる自慢の薔薇園だというだけのことはある。

 シホは水晶の薔薇の美しさに釘付けだったが、どうやらミリウスが目にしていたのは別のもののようだった。


「薔薇も大変美しいですが……先生も、とても美しいです」

「!?」

「できることなら……ほかの誰の目にも入れたくないくらいに」


 こちらをじっと見つめるミリウスの瞳は、周囲の明かりを取り込んで熱っぽく煌めいている。


「…………っ!」

 その水面のように光が揺蕩う瞳を前に、シホは息を呑んだ。




 ……近頃のミリウスは、こうして不意にシホを褒めることが増えた。

 それが彼のいる上流階級社会において、女性に接するときのマナーなのかもしれない。しかしそのたびにシホの胸はドキリと跳ね上がってしまうのだ。


(彼なりの社交……親しみの表れなんだろうけど……)


 ただそれだけ。だからさらりと流せばよいはずなのだが、褒められ慣れていない性格が災いして、どう反応すればよいのかわからなくなってしまう。


(それにこれは…………あれだよね)


 このところ急に増えたこの手の冗談は、きっとリンデールに来たことが関係しているに違いない。

 ここに来ていろいろと情けない一面をたくさん見せたから、彼の中でシホへの尊敬の念やら何やらがいろいろ崩れ落ちて、気安く冗談を言える間柄まで落ちてしまっているに違いない。


(あぁ……やっぱり来なきゃよかった……!!)


 ミリウスに親しみを持ってもらえるのはありがたいが、いかんせんこればかりは心臓に悪い。

 まるでどこかの姫に接するように丁重に扱われると、シホの中で何かの歯車がおかしくなってしまうのだ。


「あはは……ありがとう。ミリウスもとっても素敵よ……」


 思考停止ぎみの頭で、精一杯笑顔を浮かべて返事をする。


 無理矢理絞り出した決まり文句じみた返答だったが、それはまったくの世辞ではなかった。頭がほぼ思考停止していたからこその、シホの本音だったともいえる。

 ミリウスの出で立ちは立派だった。


 王族らしい清潔感のある盛装に、いつもと同じく完璧に整った凜々しい容貌。

 一国民としても、この人が王子ならと、自然と敬意を抱いてしまうような理想の王子様像だった。


「……本当ですか?」


 いつもなら、彼を褒めるとほんのりと頬を上気させ、嬉しそうに子犬のように破顔するのに、この夜ばかりは異なる結果が返ってきた。


「本当に先生は、そう思ってくださいますか……?」


 宵闇に浮かぶ照明を取り込んだ瞳で、真っ直ぐにこちらを見ながら、その一般的にはとても魅力的な容姿で、こちらに一歩ずつ歩いてくるのである。


「え……あ……え!?」


 ただ見知った生徒が歩いてくるだけだというのに、そこに不可思議な威圧感のようなものを感じてシホは無意識に後ずさった。


 じりじりと、シホのさがる距離以上にミリウスの歩幅が距離を詰めてくる。

 それに焦った結果――――シホは慣れない細いピンヒールを盛大に石畳の溝に引っかけた。


「きゃっ……!!!」


 受け身を取ろうと身を捩って、倒れ込みかけた瞬間、目の前に美しい薔薇園があることを知る。


(危な――――――)


 どう薔薇を傷つけないよう倒れ込めばいいのか、ゆっくりと移り変わる視界で逡巡した瞬間、背後からがしりと力強い腕がシホの傾ぐ体を抱き留めた。


「っ……」


 薔薇に触れる寸前のところでシホのことを抱き留めた腕は、もう一度力を込めてシホの体を自分の元へと引き寄せ直す。

 そして張り詰め停止していた呼吸を再開し、ゆっくりと長く息を吐き出した。


「……気をつけてください。そんな姿で薔薇の中に倒れ込んでは、ひとたまりもありませんから」

「そ、そうね……ごめん」


 背後からシホを抱き留めてくれた恩人、ミリウスの言うように、晩餐会用に着飾ったドレス姿ではひとたまりもないだろう。

 主に、この薄い布きれ一枚のようなドレスが。


「ごめんね、そそっかしくて。せっかくミリウスが用意してくれたのに……」


 値段など恐ろしくて聞いていないが、きっと簡素な造りのように見えて、庶民のシホには想像もできない値段で仕立てられているに違いない。


「大丈夫だったと思うけど、もしどこか傷んでいたらちゃんと弁償するから……」


「そんなことはどうでもいいんです」


 ミリウスは少し怒ったように早口で覆い被せた。


「そのドレスはあなたに贈ったものだ。だから今夜あなたが着てくれただけで、それだけでいいんです。弁償なんて望みません。それよりも……」


 ミリウスはぎゅっと、背後からシホに回した腕をきつく絞る。


「もしあなたが怪我をしていたら――――……」


 そう言ってミリウスは、頭上から苦痛に歪む声を落とした。




 シホは、背後から自分を包み込む、その万一の事態に強ばる腕に、そっと自分の指を沿わせる。


 普段は剣や短剣を振り回して、一度は腹に穴が空いたことさえあるこの身だ。

 ミリウスもそのことは誰よりよく知っている。

 なのにそんなシホを、彼はまるで一度も傷ついたことのない令嬢のように大切に扱う。

 それがどこかとてもくすぐったく、落ち着かない気持ちにさせる。

 ……シホは耐えきれなくなって身じろぎをした。



「あの……ミリウス。もう大丈夫だから……」


 後ろから彼に抱き締められた状態では、彼の表情は見えない。が、もう心配も十分なはずだ。

 シホも子供ではないのだから、同じ失敗はしない。

 一人でも歩けると、落ち着かない腕の中から出ようとしたのだが――――……。


「………………」


 なぜかよりぎゅっと引き寄せられて、背中がミリウスの出会ったころより随分たくましくなった胸板に当たる。

 そして頭に、何か柔らかなものが触れる感触がした。


「???」


 見上げると、すぐ近くにミリウスの顔があって、見蕩れるような優しい目をしていた。


「本当に、もう転びませんか?」

「大丈夫だって……!」


 まるで名残惜しそうに、最後にぎゅっと抱き締めてからゆっくりとシホを解放する。

 そんなことをするからシホだって勘違いしそうになる。

 最後に手を離すその瞬間まで、指の先を絡めて離れがたそうに別れる様はまるでどこかの歌劇の恋人だ。


「っ……」


 二人きりの夜の薔薇園、宵闇に浮かぶ水晶の薔薇、煌めく灯りにドレスアップした男女二人。

 あまりに雰囲気ができあがり過ぎているから、そんな思い違いをしてしまうだけなのだ。

 勘違いを、してしまう。


 まるでミリウスが――――――自分を好きだと言っているようで。


 そんな恐ろしくも見当違いな錯覚を、してしまいそうになる。



「………………あの、ミリウス」

「どうしました? 先生」

「えっと…………その…………」


 恐る恐る見上げるが、そこにはいつものミリウスがいるだけだ。

 優しげな瞳で、シホが続きの言葉を述べるのを待っている。


(はは……やっぱり。とんでもない勘違いにも程があるわ)


 シホは胸を撫で下ろし、内心ぶるりと身を震わせる。

 ここ数日の心理的痛手は、それほどまでに自分を弱らせていたようだ。

 誰かに頼れる口実を、この頭は勝手に作り出そうとしている。


(あぁ~……情けない)


 一人反省状態に入ったシホに、ミリウスはじっとシホを覗き込む。


「先生、寒くはないですか?」

「?」

「ここは屋内とは違って、大分冷えるので」


 ……言われてみれば、オーレリアとの晩餐会用に仕立てたこのドレス。

 室内にいたときは丁度良く、なんなら緊張で暑いくらいだったが、この秋のひやりとした夜の庭に出てみれば、なんとなく肌寒いような気がした。


「そう……かも」


 先ほどまでミリウスの腕の中にいただけに、特にそれは顕著に感じられた。


「それなら…………」


 シホが自分の出で立ちを確認している間に、ミリウスはいつの間にか上着を脱ぐと、それをそっとシホのむき出しの肩にかけた。


「とても素敵なドレスですが……風邪を引くと行けないので」


 困ったように微笑んで、そっとミリウスは距離を取る。


「でもそれじゃあなたが……」

「大丈夫です。こう見えて、先生よりはしっかり鍛えているつもりなので」

「…………」


 たしかにミリウスの成長は目覚ましい。

 この一年の間にさらに身長は伸び、体つきはたくましくなった。顔つきだって少年の面影が減り、精悍な大人の男性へと変わりつつある。

 男女差を考えれば、いくら鍛えたシホといえど、筋肉量や頑強さでは負けるだろう。


「それなら…………ありがと」


 大人しくシホは、黙って彼の好意に甘えることにする。

 大きな上着をそっと羽織ると、先ほどまでそれを身につけていたミリウスの体温がじんわりと染み込んでくるようだった。


 そんなシホを、ミリウスは優しい目をして見つめる。



「ねぇ、先生」


 帰路を促しながら、薔薇の庭園をゆっくり歩調を合わせて歩く。


「もし先生が、ウィルテシアに根を下ろすなら――――」


 ミリウスは、あの話をしようとしている。

 晩餐会でオーレリアに告げた、自分のこれからについて。

 真面目な話題の予感を察知して、シホはぴたりと足を止めた。


「根を下ろすなら?」

「――――王都の、魔法研究院に来ませんか?」


 それは、ウィルテシアの王立魔法研究院のことだろうか。


「あそこなら先生の能力を十分に発揮できますし、報酬面でもおそらく不自由をさせることもありません。それに…………」


 ミリウスは言葉を区切る。


「あそこなら、王城のすぐ隣です。共有する庭園もありますし……すぐに会いに行けます」


 微笑むミリウスの背後には、一面の水晶の薔薇が咲いていた。


「もちろん、王都ですから騎士団志望のラスティンもいるでしょう。ファビアンはどうしたいかわかりませんが……エメリーやマリーベルなら、アーミントンに残るよりは、会える確率も格段に増えるはずです」


「それは…………」


 正直、とても魅力的な誘いだと思った。

 わかりやすいほどに、自分のなかの気持ちがそちらへと傾いていくのが感じられる。


「………………」

 シホがじっくりと熟考し顔を上げると、正面に佇むミリウスが、真剣な面持ちで緊張しながらじっとこちらを見つめていた。


「それは……とても素敵な話だけど。まさかあなたの推薦で無理矢理入る、とかじゃないわよね?」

「まさか。そんなことをしなくても、先生の実力は折り紙付きです。ウィルテシアでは優秀な魔術師をいつでも募集中なんです」

「それならいいけど…………」


 突如降ってきた明るい未来。

 その予感に心弾ませながら、シホは再び歩みを再開する。


(それでも、まずは借金の問題を片付けないと、どこにもいけないのだけど……)


 頭の痛いその問題を脇に置いて、いまはただ明るい未来の予感に浸っていたい。

 だってここは、こんなに素敵な場所なのだから。


「…………ん、考えておく」


 シホがぽつりと漏らすと、隣を歩くミリウスの気配がパッと華やいだ。

 なんだかいまにもシホを抱えて回り出しそうな喜びようだが、いまはただそっと気づかないふりをする。


 慕われている。

 その純粋な好意や優しさが、ただいまは心地良かった。


 この夢のような光景のなかに――――ずっと浸っていたかった。






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