理論の欠落に、国家が気づく
王都アルセリア。
王立魔法研究院の最上階で、異様な沈黙が流れていた。
「……数値が、合いません」
若い研究員が、震える声で言った。
「何度計算しても、同じ結果になります」
机の中央に置かれた水晶板には、複数の魔法発動記録が並んでいる。
いずれも、辺境ローデン村で観測されたものだった。
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「初級水生成魔法」
白衣の男――主任研究官ハルディアが、淡々と読み上げる。
「魔力量、規定値以下。
詠唱時間、短縮。
失敗率、ゼロ」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「ありえないな」
誰も、反論できなかった。
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「観測ミスでは?」
別の研究員が言う。
「それも検証済みです」
「記録装置は三重。
測定者も別々」
「……偶然、という線は?」
「同条件で、三日連続です」
沈黙。
誰かが、唾を飲み込む音だけが響く。
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「つまり」
ハルディアは、指を組んだ。
「魔法理論の前提に、欠落がある」
その言葉は、研究院にとって致命的だった。
魔法理論とは、国家そのものだ。
軍事、治水、建築、医療。
すべてが、理論の上に成り立っている。
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「原因は?」
「現地報告によれば……」
研究員が、一枚の報告書を差し出す。
「発動前に、
“魔力の調整だけを行う人物”が存在すると」
「調整?」
「術式を描かず、魔法も使わず」
「……整えるだけ、だそうです」
ハルディアは、眉をひそめた。
「そんな工程は、存在しない」
「ええ。
理論上は」
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「名前は?」
「まだ不明です」
「所属は?」
「不明」
「階級、称号は?」
「……ありません」
ハルディアは、ゆっくりと息を吐いた。
「無名、か」
それが、最も厄介だった。
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「この現象」
彼は、続ける。
「もし再現可能なら?」
「魔法の安定率が、全体的に向上します」
「失敗による事故は、激減します」
「消費魔力も減少」
「兵站が、根本から変わります」
誰もが、理解していた。
これは――
国家の切り札になり得る。
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「だが」
ハルディアの声が、低くなる。
「制御できなければ?」
「……理論の崩壊です」
「魔法教育、研究成果、既得権益」
「すべてが、無意味になる」
空気が、重く沈んだ。
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「王城には?」
「まだ、上げていません」
「当然だ」
ハルディアは、即答した。
「確証がない」
「だが――」
視線が、報告書に戻る。
「放置もできない」
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「調査班を出す」
「正式ではない」
「“視察”という名目でいい」
「対象は?」
「ローデン村」
「そして」
一瞬、言葉を切る。
「その“調整役”だ」
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同じ頃。
ローデン村。
俺は、納屋で道具の手入れをしていた。
いつも通りの作業。
いつも通りの静けさ。
だが。
リィナが、外から戻ってくる。
「……来ます」
「何が?」
「人です」
「しかも、複数」
彼女は、低い声で続けた。
「王都の匂いがする」
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「ついに、ですか」
俺は、手を止めた。
遅すぎるくらいだ。
あれだけの実証をすれば、
気づかれない方がおかしい。
「逃げますか?」
「いいえ」
首を振る。
「必要ありません」
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「ただし」
立ち上がり、外を見る。
「こちらから、何かを示すこともない」
「聞かれたことに、答えるだけ」
「それで、十分です」
リィナは、小さく笑った。
「……怖くありませんか?」
「怖いですよ」
「でも」
少し考えてから、言う。
「直すだけですから」
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その頃。
街道を進む馬車の中で。
調査官の一人が、呟いた。
「本当に、そんな人物が?」
ハルディアは、窓の外を見ながら答える。
「分からん」
「だが――」
「理論が揺らいだ以上、
無視はできない」
⸻
馬車は、辺境へ向かう。
静かな村へ。
世界の前提を、崩すかもしれない男のもとへ。




