恋人
俺達は公園から花屋へ戻りナジェルさんへ交際することを報告する。
「ナジェルさん、ただいま戻りました。先ほど僕はエミルさんに交際を申し込んだら受け入れてくれましたのでこれからもよろしくお願いします」
「お前、交際の許可をしたら早速か…。エミル、お前はこの男と一緒にいて本当に幸せか?」
「うん、フィルさんに会うと幸せな気持ちになるし大好きな人なの」
「そ、そうか…それなら良かった。ちゃんと母さんにも話をしておけよ。もしもこの男が悲しくなるようなことをしたら父さんに言え」
「大丈夫よ、フィルさんはそんなことをしません」
ナジェルさんはエミルをとても大切にしているから決して裏切らないようにしたい。
こうして俺達2人は恋人になった。まだ手しか繋いだことがないが純粋なエミルには焦ってはいけない。
忙しくてゆっくり会えないときにも今まで通り無事を確認し少し話してから帰るようにした。
ナジェルさんとマリアさんが家の中に招待してくれてお茶をしたり、夕食を共に取ったりして過ごした。
たまには休日もあるから明日は逢瀬に行く。前日から楽しみで落ち着きがなくなるなんて思ってもいなかった。
翌朝エミルと出かけて俺が前から希望していた洋服店へ連れて行く。女性に洋服を選んで贈るなんて初めての経験だが着飾ったエミルを見たくなったからだ。エミルに似合う薄い水色のワンピースを俺が選び、試着したエミルを見てあまりの可愛さに堪らなくなりその場で購入して喜びを感じた。
茶菓子店に入れば見たことのないケーキに目を輝かせ喜んでいるあどけない仕草に引き込まれる。
「エミル、遠慮しないで好きなだけ注文していいんだよ?」
「うん。でも1つしか食べきれないから悩んじゃう」
「それなら2つ注文して僕と半分ずつ食べようか。お土産に買ってもいいよ?」
「ううん、お土産は要らない。またフィルさんと来たいからそのときまで楽しみにするの。2つ注文して私と半分ずつにしてくれる?」
「うん、いいよ。またいつでも連れてきてあげるからね」
エミルが言うこと全てが愛しく思う。恋に重症だな俺。
エミルと楽しい時を過ごしている間にリンベロ男爵達の裁判で処分も決まり、男爵は爵位剥奪、領地没収、財産没収、他領の鉱山で35年間労働の刑罰が命じられた。
財産については男爵家で働いた者達へ賃金を支払い、被害者には怪我の程度に応じて賠償金を支払う。
正妻は判決後に離婚を申し出て実家の男爵家に帰ることを決めた。リンベロ男爵は堂々と妾を屋敷に住まわせ正妻と子供には日常的に虐待し小屋のような離れの家に閉じ込めていた。
正妻と子供の身体を検査した医師によると栄養不足と暴力による虐待痕が酷く悲惨な状態であると結果が出た。そして多数のメイドからも虐待の証言も取れたので離婚の慰謝料も没収した財産から支払われる。
仮に余った場合は男爵が本来納税する額の国税不足分として取扱うことが決定する。
執事や捕縛した男達は厳しい環境にある鉱山で監視の元に下働きを命じられそれぞれ刑期は異なるが執事は10年間の刑罰、捕縛した男達は1年間の刑罰であった。
ハリスは事情が考慮され王都内にある貴族の下働きを1年間命じられ監視の元に置かれたが素直に応じた。
処分が全て決定したこともあり改めて殿下へお礼を申し上げることにする。
「殿下、この度はご尽力いただきましてありがとうございました。エミルも家族も安心して日常を過ごせることを喜んでおりました」
「当然なことをしただけだから礼は要らないよ。それにしても今回リンベロ卿の件は考えが浅はかすぎてあっさりと片付いた。
あれからエミルさんとの関係は進展したのか?」
「はい、真剣に交際しております」
「それなら良かった。フィルが溺愛しているみたいな様子だから気になっていたよ」
「そんなに態度に出ていたでしょうか?」
「任務中は感じなかったけれども任務外とリンベロ卿の話をするときにはね」
「身に覚えがあります。申し訳ございませんでした」
「問題なかったぞ。ただフィルから真剣に交際しているなんて初めて聞いたし、エミルさんのことになるとフィルは今までにない反応ばかりで驚いた。そんなに彼女が大切なのか?」
「はい、自分でも驚いております。とても大切で幸せにしてあげたいのです。こんなにも早く感情が湧き上がってしまうのはおかしいでしょうか?」
「どうだろうね…でもそれだけ夢中になって愛する人と出会えたわけだから出会えていない私からしてみれば本当に羨ましいと思う。
政略結婚の私からしてみたら恋愛なんて関係ないことだからね」
「政略結婚が当然…」
「あ、でもフィルは嫡男ではないから自分次第ではないか? それよりもエミルさんの病状の方が支えていく覚悟がないと難しいと思うぞ。
いつ完治できるかもわからないし、フィルのことも忘れてしまったらと考えたりしないのか?」
「宮殿の医師に相談したところ治療法もなく、記憶障害に関しては本人次第だと言われました。
私はエミルが治らなくても会えば忘れないわけですし障害にはなりません。
でも良いことはあの男達の顔も出来事も全て忘れています」
「ではフィルと出会ったことや助けてもらったことも忘れているのか?」
「はい、あの男達が関わったことは忘れてしまい私との出会いを覚えていないので、エミルが危ない目に遭ったところを俺が救出して出会ったと父親が説明しました」
「それではもしも相手が嘘をついていてもわからないのでは?」
「それもあると思いますが、エミルは自分の残っている記憶と相手が言うことを周りの人達に確認をして嘘か本当かを判断していると思います。
私の場合は他の思い出もたくさんあり、家族から事実であることも聞いているので疑わないで信じれるのです」
「なるほど。抜け落ちた記憶は有耶無耶に相手を信用するわけではなく残された記憶と周りの意見を照らし合わせるのか」
「はい。これから先、忘れてしまうことがあっても他の思い出をたくさん残せば問題ありませんし、彼女に会うときには以前殿下にいただいたキャンディを渡すのです」
「あぁ、私が苦手な味だったキャンディか…何かの役に立つのか? エミルさんも美味しくなかっただろうに」
「最初は薬と勘違いしていましたが慣れたら美味しいようで今では喜んで舐めています。
記憶が薄れてきたり、会えなかったりしたときのために私のことを思い出すように毎日習慣づけるのです。
訓練みたいなものですが強制ではなくエミルも進んでしてくれているみたいです」
「フィル、そんなに忘れられたくないのか」
「絶対に嫌ですからあのキャンディがなくならないように商会へ行きまして定期的に仕入れるように前金を渡して注文しました。あのキャンディはお菓子用では作られていなくてお腹の不調を改善したり喉の炎症を鎮痛する目的らしいです。販売数が少なくて最初は断られましたが頼み込んで交渉しました」
「そ、そうか。そこまでするなんてフィルが本気で女性に惚れているのを初めてみたから私も応援するよ」
「ありがとうございます」
そういえばあのキャンディ、人気がないからか流通量が少ないからかわからないが他のキャンディより高値だったな…
でも俺はキャンディが少しでも記憶が戻るきっかけにでもなればいい。