82.タイダル公国へ(4)
「ご実家は大きなお屋敷だったんですか?」
シャイナはホットミルクを一口飲んでから聞いた。
シャイナとエスカリオットはパン屋の前の小さなベンチで休憩していた。
パン屋は片隅にイートインコーナーがあり、飲み物も販売していたので、シャイナはホットミルクを、エスカリオットはコーヒーを買って飲んでいる。
「それなりには」
「そうですか」
シャイナはずずっとミルクをすする。
(家族について聞くのは……またの機会かな)
おそらく疫病で命を落としたのであろうエスカリオットの肉親について尋ねるのは、止めておくことにした。
無理に知りたい訳ではなかったし、エスカリオットが望まないなら知る機会は来なくても構わなかった。
シャイナは無言でミルクを飲んだ。
横のエスカリオットを窺うとコーヒーを飲みながらぼんやりしている。少し気の抜けた様子だ。もう跡形もない実家を思い出しているのかもしれない。
シャイナはそっとただ隣に座っていた。
どれくらいそうしていただろう。
「そろそろ行くか」
エスカリオットが言って立ち上がる。
「はい」
シャイナも立ち上がって、パン屋にコップを返すと二人は歩き出した。
「シャイナ」
「はい」
「今回の事、付き合ってくれて感謝している」
「お役に立てたなら何よりですよ」
シャイナの返事にエスカリオットがふっと笑った。
「シャイナ」
「はい」
「俺には家族や親戚と呼べる者はいない。辿れば遠縁の某くらいはいるかもしれないが、薄い縁だろう」
「……そうみたいですね」
エスカリオットが何を言いたいのか分からなくて、シャイナはただ肯定の相槌をうった。
「いざという時に身を寄せる家も場所もない」
「……広場もいいものですよ。パン屋もあります」
エスカリオットが自分を卑下しているように感じたので、前向きに捉えてみる。
「晴れていればな」
「まあ、そうですが」
「俺には頼るべき親族はいないし、雨をしのぐ家すらない。お前に与えられるのはこの身一つくらいなんだが、」
そこでエスカリオットは立ち止まりシャイナに向き合った。つられてシャイナも歩みを止める。
シャイナがエスカリオットを真っ直ぐ見つめると、
「それでもいいか?」
眉を下げた切ない笑顔でエスカリオットは言った。
「っ…………」
シャイナの息が止まる。
これは、まさか……。
「…………プ、プロポーズ、ですかね?」
切ない笑顔の色気に押されてドキドキしながらシャイナは聞いた。
「…………」
沈黙するエスカリオット。
切なかった顔が微妙なものになる。
(おや?)
戸惑うシャイナの前でエスカリオットは片手で顔を覆った。手の影から見える顔は少し赤い気もする。
「…………すまん、プロポーズのつもりはなかった。だが、そうだな、今のはそう取れるな」
エスカリオットが小さな小さな声で答える。
「プロポーズでは……なかった?」
「過去に愛の告白が上手く伝わっていなかったから、プロポーズは分かりやすく“結婚してくれ”と言うつもりだった……そもそもまだ金が入っていない」
テロの一味を一掃した報奨金は、この旅から帰った頃に支払われる予定なのだ。
「つまり……プロポーズではなく、えーと、間違えた的な?」
「間違えた訳ではないのだが」
「先走った的な?」
「先走ったのではない……強いて言うなら、うっかりしていた、だろうか。いや、うっかりでもないな」
珍しくごにょごにょするエスカリオット。
シャイナへの誕生日の花束を薬草店のツケで買っていた時と同じくらいに気まずそうだ。
「……困ったな」
そう呟くエスカリオットの耳が赤い。
(動揺してる……すごく、珍しい)
野生動物の貴重な生態を見ているような気になるシャイナ。胸がキュンキュンしてしまう。
シャイナはそうっと手を伸ばすと、エスカリオットのシャツの裾を掴んだ。
「エスカリオットさんは、この世で一番強く美しい黒豹です。親戚も家も私が用意するので気にしないでください」
力強く宣言してから「これでお返事になったでしょうか?」と聞くと、エスカリオットはちょっと変な顔をしてから苦笑した。
「なった。しかし、完全にジゴロだな。まあシャイナのジゴロなら悪くはない」
「ええ、エスカリオットさんは強く美しいだけで十分です」
「衰えぬよう努力しよう」
いつもの調子に戻ったエスカリオットがニヤリとする。シャイナはにっこりした。
「エスカリオットさんは努力なしでも強く美しいですけどね。さて、じゃあタイダルのお土産でも買って帰りましょう。エイダさん、マッドさんにグスタフさん、ランディさんとカロリーナさんにドーソンさんにもいりますかね? あ、ヨダさん達にもいるかな?」
「ドーソンはいらなくないか?」
「仲間外れは可哀想ですよ」
ドーソンを庇っていると、エスカリオットはとても自然にシャツを掴むシャイナの手をとって繋いだ。
そして、繋いだ手の指がするすると絡められる。
(こ、これは、恋人繋ぎでは)
手際の良さにびっくりするシャイナ。
ちょっと照れてるシャイナを引いてエスカリオットが歩き出す。二人は市場や大通りで細々としたお土産を買って城へと帰った。
❋❋❋
夜はコーエンとイザベラと四人で夕食を摂る。
初っぱなにコーエンが少年時代のエスカリオットとの思い出でマウントをとってきたのでイラつくシャイナ。
一瞬ピリついた空気は、イザベラがオロオロして何とか場を和まそうとしだした事で元に戻った。シャイナもコーエンもイザベラを困らせたくはないのだ。
コーエンが“一旦仲良くしよう”という目線を送ってきたのでシャイナも目で同意する。
そこからはシャイナとコーエンとイザベラの三人でお喋りをして、たまにエスカリオットが相槌を打つ、という形態で和やかに晩餐は進んだ。
それなりに楽しかった夕食を終え、シャイナは自室へと戻る。
明日の朝にはハン国への帰途につくので、昼間に買ったお土産を鞄に詰めて、荷をまとめた。
それから風呂に入り、髪の毛を拭きながらシャイナはぼんやりと昼間の事を思い出す。
思い出すのはもちろん、小さな広場でのエスカリオットだ。
『それでもいいか?』と聞かれた時は息が止まった。
『困ったな』と呟くエスカリオットは可愛かった。
「…………」
今更ながら、シャイナは自分の傍らに美しい黒豹が居る事に感謝した。おまけにもうシャイナのものだ。あんなに美しい生き物の頭のてっぺんから足の指の爪の先まで、余す所なくシャイナのものなのだ。
前からそのつもりだったが、本日、本人にも差し出された。
完全に獲物を手中に納めた高揚感が湧いてきて、シャイナはドキドキした。
熱に浮かされたような頭でシャイナは、自分もエスカリオットに気持ちを返したいと考える。
この身を委ねてもよいのでは。
自然にそう思った。
そんな風に思えたのは、昼間のエスカリオットとの出来事のせいだろうか。
もしかしたら、異国の地という非日常がそう思わせたのかもしれない。
公国の城に着いた時に感じた悔しさのせいという可能性もあるし、昨日の夕食時の寂しさのせいという可能性もある。
また、コーエンというエスカリオットの昔の主の存在に嫉妬したのも関係があるのだろう。
とにかくシャイナはエスカリオットとの段階を進めようと思ったのだ。
そんな自分にびっくりするが、こういうのは勢いが大切だ。
女は度胸である。
(よし!)
シャイナは寝巻きにガウンという軽装で、隣のエスカリオットの部屋を訪ねた。
ノックをして「シャイナです」と名乗る。
扉を開けたエスカリオットは訝しげな顔をしていた。
「どうした?」
「今日はこっちでお休みしようと思っています」
シャイナは拳を握りしめてそう伝える。
言った途端に、伝わらなかったりはぐらかされたらどうしよう、と泣きそうになるが、エスカリオットはすぐに意味を察してくれたようだ。
訝しげな顔が柔らかくなる。
「俺は歓迎するが」
温かくて同時に艶っぽい声でエスカリオットが言った。
扉が広く開けられて、シャイナはエスカリオットの部屋へと入る。
そうしてシャイナは、とろとろで甘々のエスカリオットを知ることとなった。
次はもちろん朝チュンです。




